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自然社会と富社会

Natural Society and Wealthy Society


生産性

富と権力

Productivity

Wealth and Power
     古今東西   千年視野                                日本学問   世界光輝
  



                                   
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                             日本学問主導国宣言


                          1 IT革命と学問営為形態 

 J.ストーズ・ホールは、「ここ数十年にわたってコンピュータが大きな成功を収めてきた理由」は、インターネットによって、廉価で小型コンピュータが「やること」、「興味の対象」、「接する相手の数」を「好きなだけ増やせ」、「本当の意味で世界を広げた」からであるよしている(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』358頁)。特に、21世紀に入ってからの10年間、世界のインテ―ネット人口は、3億5千万人から20億人を突破し(エリック・シュミット『第五の権力 Googleには見えている未来』ダイヤモンド社、2014年、3頁)、インターネットは各方面に著しい変化をもたらしつつある。学問営為形態もその例外ではない。

 筆者は、これまで、色々な学会大会・学会例会・研究会などで大いに学問成果を発表してきたが、その都度、その準備に費やす労働と時間に悩まされ、日本国内に制約されることに疑問を覚えて来た。特に、根源的・総合的方向を志向するために、どうしても発表する量が多くなるために、準備する報告要旨書(延べ数千枚)の作成と削減、コピー、ホッチキスによる「製本」などには数カ月かかり、それに要する費用や運搬の労力は大変であった。しかし、根源的・総合的方向に従事すればするほど、時間確保が重要になり、非学問的時間の節減はますます不可避となり、ここに、学問的営為の専念と非学問的雑事の施行との相克は極めて深刻化して来た。

 そこに現れたのが、ホームページ・ビルダーであった。これがこうした『物理的』問題をすべてを解決してくれたばかりでなく、人類安寧のために「真の学問」の成果を瞬時にして全世界の人類に即座に公開してくれた。このホームページの登場によって、非学問的時間を節減し、学問的緊張のうちに、学問成果の迅速・公平なる公開が可能になったのである(1)

 以後、学問的緊張の持続のもとに、人類安寧のためにホームページに「真の学問」成果を発表し続けて、純粋学問三昧の極めて充実した日々を送る事が可能になった。この純粋学問活動への没頭専念によって、人類安寧のための学問成果も着々と上がり、人類の世界史を大きく塗り替え、全世界の人類に「真の学問」成果を提供し続けた。確かに、研究進展の故に、英訳にあてる時間が確保できないという問題は残っているが、筆者らの学問営為によって、日本が世界の学問主導国の一つになりつつある動向を踏まえ、学問を志す者は日本語ぐらい習得するのは必須という前提に立脚しつつ、日々これ、人類安寧のための「学問世界」ともいうべきものとなったのである。まさに最高に充実した日々である。


                           2 個別細分研究の弊害 

 一方、世には専門家という輩が跋扈している。専門家とは狭い領域しか知らない無知な人であり、もともと有害無益な人間なのである。確かに、狭い領域については知識をひけらかして滔々と話すことができるが、それが全体の長期の脈絡ではどういう根源的意味を持つのかなどはつゆ知らないのである。こういう安易な専門家が量産されていること自体が危険な兆候でもあるのである。これを助長する「十分な専門的知識すら持っていない」マスコミの責任もまた非常に大きい。最低限マスコミ活動に必要な専門家ぐらいは自前で育成するべきだということだ。

 そもそも個別細分化された専門研究などでは到底対象や問題を学問的に理解できないし、現在我々は人為の最高段階ともいうべき人類文明の危機的状況にある事すらも理解することはできないのである。個別の中に法則をみるなどと称して、個別細分研究を正当化しようとしても、個別細分研究だけでは、断面のみを抽出するばかりであって、真実を根源的・総合的にあきらかにすることはできないのである(2)

 例えば、現代をグローバルで格差拡大の資本の時代とみて、資本の研究だけをしていては、真実を根源的・総合的にあきらかにすることはできないということである。「富と権力」を根幹とする人類文明社会においては、格差は当初からつきものであり、現代よりも或いは現代と同じくらい格差が深刻だった時代(例えば、奴隷主と奴隷の時代を想起せよ)があったのであり、現代だけが格差が最も顕著だなどと言う指摘は、何ら学問的新味すらないのである。その程度の事を指摘して、「グローバル時代の資本による貧困化作用」を解明したと称しても、それ自体では有害無益であり、その研究を肯定するためにありきたりの格差是正策をいくつかあげて、「自己満足」するのがおちだ。例えば、Tax Havenを廃止したどころで格差問題は根本的に解消する問題ではないのである。その程度の「同工異曲の焼き直し」という非学問的行為につぶす時間があったら、もっと大局的観点にたった新しい「経済学」でもつくってみろということだ。


                            3 現代危機の歴史的特徴 

                              @ テクノロジー危機

 テクノロジーとは、科学にもとづいて応用する技術であり、テクノロジーは応用内容によって多様な内容をもつが、基本的には、人間が衣食住の必要から自然を加工し、自然の資源を利用し、生産性を上げて、「富と権力」を生み出し、それを経営する技術である。一般にテクノロジーという場合、後者の人文系テクノロジーではなく、前者の工学系テクノロジーをさしている。

 ここでは、「テクノロジー危機」という用語を、こうしたテクノロジーの進展が軍用・民用を問わずに人類文明滅亡の危機をもたらすという意味で使用している。、だから、正確に言うならば、「テクノロジー人類危機」ということになろう。

                             @ 人類テクノロジーの画期 

 確かに、テクノロジーの歴史とは、「人間のニーズと物理的な可能性を題材にしたストーリー」(J.ストーズ・ホール、斎藤隆英訳『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』 紀伊国屋書店、2007年、9頁)ではある。重要なことは、前者の「人間のニーズ」とは、基本的には「生業の必要度」に基づく自然の利用であるが、副次的には多種多様なニーズもあり、その中から主要なニーズにのし上がるものがあるということであろう。

 これを踏まえて、人類のテクノロジーの歴史的画期とは何であろうかということを考えてみよう。

 先史時代 これについて、ナノテクノロジー開拓者のドレクスラーは、「10億年にもわたる進化と100万年もの歴史がこれらのチャレンジの地固めをしてきたので、今や我々の世代にそれが静かに提示され」、「これからしばらくの間に、地球上の生命の歴史に最大の変革が訪れ」るから、「この変革に向かって、生命と文明を導くことが、我々の時代に行うべき最大の仕事だ」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』322頁)とする。彼は人類の登場がテクノロジーの画期だというのである。

 これを今までの地球生物史(40億年前に海に核酸・タンパク質が誕生、36億年前に海でバクテリア誕生、32億年前藍藻植物[シアノバクテリア]が登場、20億年前に真核生物が登場、10億年前に多細胞生物が誕生、4億年前に脊椎動物が誕生、約2億3000万年前に恐竜が登場し、6500万年前に恐竜が絶滅し、小型のほ乳類や鳥類,爬虫類などが繁栄[年代には諸説])の観点から見れば、人類とは、作為的テクノロジーで自然に挑み、自然を変えて、自然を利用して増殖してきた生き物の最初だという事である。

 さらに、ドレクスラーはこれを掘り下げて、先史時代では、「自然バルクプロセスの製品」(石、水、石灰)、「自然の分子マシンがつくった製品」(骨、木、毛皮、羊毛)という「二種類の材料」を使っていたとする(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』316頁)。 そして、「現代の技術は、古来からの伝統ある技術(3万年前の石器技術で「石片をシリコンチップに変身させた」)を基礎にして生み出された」(K・エリック・ドレクスラー、相沢益男訳『ナノテクノロジー 創造する機械』パーソナルメディア、1992年、4頁)ものだとする。

 握斧 J.ストーズ・ホール(分子ナノテク研究者)は、人類のテクノロジーは、@石器の発明、A火の使用、B農耕、C「衣服の製作に関わるテクノロジー」という歴史をたどってきたとする(J.ストーズ・ホール、斎藤隆英訳『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』 紀伊国屋書店、2007年、32頁)。つまり、J.ストーズ・ホールは、180万年前のアシュ―ル型握斧(あくふ、アフリカ、ヨーロッパ、西アジアの前期旧石器文化)が「全てのテクノロジーの元祖」であり、それはホモ・エレクトゥスの頃に発明されたものだとした(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』345頁)。

 この握斧は、「平べったく、縁は鋭く、先のとがった卵のような外形」をして、「外周がどこも鋭く削られた削られ」ていて、「殺傷用のフリスピーで、・・動物の群れに向かって投げられた」(同上書347−8頁)ものである。だが、握斧は、基本は肉加工石器であり、外周すべてを鋭利にしたのは、効用最大をねらったからであろう。投げることもあったろうが、投擲距離は短く、命中度などは低く、その用途は限定的であり、枝などに付着して初めて投擲距離は伸び、命中精度はあがったであろう。だが、J.ストーズ・ホールは、「石を削って初めて道具が作られてから200万年ほどのあいだに、テクノロジーの進歩は、それを手にした者の優位性を高めて」、「圧倒的なまでに厳しい自然を相手に、われわれの祖先は、手に入るものならどんな手助けも必要とし」、「テクノロジーは彼らの能力を高め、世界を支配する力を与えていった」(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』357頁)とする。

 しかし、彼は、食料が麦・米・玉蜀黍などとして得られ始めてから、人類の文明は飛躍的に高まったのであり、200万年間持続した石器などには社会を変容する力はなかった事に気づいていないのである。つまり、@、Aではまだ人類は自然の一部にとどまっていたが、生態変化に適応したBの食料革命以降に、人類と自然との緊張が始まったのであるが、彼においては、こうした「生態」的視点が欠落している。

                         A 過去二大テクノロジーの危機 

 食料革命 現代テクノロジーの直接的基盤は遊牧狩猟民の石器ではなく、耕作民の農具にこそあるのである。恐らく石器のみでは富は生まれず、故に多大人口はもとより国家も生み出されず、人類は依然として自然の一部を構成するままであった。石器だけでは、以後数千万年続こうとも、富と権力を生み出すことは出来ず、人類は各地に小規模に分散居住する狩猟採集民にとどまっていたということだ。石器だけでは、人類は、これまでの地球上の全ての生物と同様に自然の一部として食料を採集確保して生活していたということだ。地球上の生き物と同様に、巨大隕石衝突とか大氷河時代到来など大自然リスクがなければ、人類は今後数百万年、数千万年も、或いはそれ以上生き続けるはずであった。

 しかし、生態系の変化で人類が食料革命によって農業栽培を開始してしまったのである。人類は、これまで地球の全ての生物のしなかったことに手を染めてしまったのである。キリスト教はこれを「禁断の果実」(リンゴ、イチジク、小麦など諸説あるが、ここでは小麦とみ、さらにその比ゆ的意味を考慮すれば、米を含めることが可能であろう)を食べたとした。農耕の開始により、テクノロジーが、それまでの自然テクノロジーから、「富と権力」を基盤とする人為的テクノロジーへと一変してしまったのである。この人為的テクノロジーは、各生態に相応して、生産性を上げ、富と人口を増加させ、その防衛装置たる国家を強固にし続けた。そして、国家間と個人間の競争が、自らの存立に関わるものとして、テクノロジーの進歩をますます不可避としていった。こうして、人類は、大自然リスク(大天災)のほかに、自ら大人為リスク(大人災)を付け足してしまったのである。しかし、当初はその人為リスクはまだ現在ほど大きかったわけではない。

 衣料革命 そして、蒸気エネルギーが衣料生産という裾野の広い生業に結びついた時に、衣料革命=産業革命となったのである。確かに、「ローマ帝国の最盛期に、アレクサンドリアのヘロン(Hero of Alexandria、紀元10年頃ー70年頃)は蒸気を機関の動力として使ったが、それはまだオモチャに過ぎず、何の革命を起こさなかった。そのため一旦は忘れられてしま」(J.ストーズ・ホール、斎藤隆英訳『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』 紀伊国屋書店、2007年、7頁)うのであった。自動ドア販売会社である三晃システムのHPで、これを詳しく見ると、これは、「燃え上がる炎が空気の体積を膨張させ、膨張する空気が密閉容器内の水を移動させ、その水がそれまで平衡していた扉のバランスを崩して扉を開けるというもの」であり、「かがり火の燭台の中に大きな空気室を用意し、この空気室と密閉した水槽を気密を保った管でつないでおき」、「さらにこの水槽から一本の管を水受け容器につなぎ・・水受け容器は空の状態で、ローラーとおもりで作られた装置の一部となって平衡を保」ち、「ローラーの軸に扉がついていて、この平衡状態の時に扉がしまっているようにし」、「このようにバランスのとれた状態で、燭台の炎が燃え上がらせ」るというものである。まだ、これは生産工程にむすびつかない装置であった。やがて「機が熟すと、蒸気の力が世界を変えた」(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』 7頁)のである。

 ここまでは、人類の二大テクノロジー・革命は人類の食料、衣料という人類生活の必要に裏付けられていた。何とか「大義名分」があったということだ。食料革命、衣料革命は、ともに人類の生業に関わる革命であり、すそ野が深く、生活の必要を満たしていたのである。

 過去二大テクノロジーの問題性 だが、こうした食料革命後の「テクノロジー」は、宗教家・哲学者らにはこれまでと違って、テクノロジーによる富・国家の展開に大規模戦争による人類文明滅亡危機の可能性を読み取らせ、一方、「経世家」らにはテクノロジーこそが富を増やし成長を維持して人類文明危機を解決してくれると思い込ませていった。前者の宗教の代表とも言うべき仏教・キリスト教とは実は千年視野でこうした人類文明危機(終末論)を最初に警告したものだったともいえるのである。仏教は、500年ー1000年の視野で正法・像法・末法時代を説き、キリスト教でも千年王国論を説いたが、いずれもこの食料革命でもたらされた危機がやがて人類文明を滅ぼすことになりかねないことを警告したものだったのである。もちろん、そこには、危機を煽って、宗教の信徒拡大、布教振興を図ろうとする意図があるのはいうまでもないが、同時にそこにはいつでも大規模戦争で人類滅亡の危機に直面しかねないという普遍的な真実も存在している。富と権力、それに基因する戦争(もちろん、戦争の発現状況は、各時期・各地域で「多様」な展開をとげるが、戦争の普遍的・根源的理由はこれなのである)が存続し続け、現在では核兵器による戦争の可能性が顕在化して、こうした仏教、キリスト教の警告は依然として続いていると見るべきなのである(3)。さらに、衣料革命以後には公害・環境破壊という新しい危機が加わったことは改めて述べるまでもなかろう。

 にも拘らず、我々は、古代史、中世史、近代史、現代史などと称して、長期的・総合的・根源的にみることなく、身内で非学問的に慣れあって、短期的・個別分断的にしか見ようとしないである。時に無自覚で「即物的・俗物的」な「無能マスコミ」を巻き込んで利用したりして、まことに見苦しい限りである。それは、近代の「所産」とも言うべきブルジョア経済学、その批判としてのマルクス経済学が非学問的であり、「有害無益」ですらあるのと、同じである。こうした研究者は重箱の隅をつついて、新しい見解を提出したと唱えては自己満足しがちであるが、数千年の視野を欠いた研究は学問ではないということなのだ。我々は、短絡的、近視眼的、「一方的」な研究に惑わされて、長期的、総合的、根源的な学問研究を怠って来たということだ。それを助長してきたのが、以ての外で非学問的で専門馬鹿(深い学殖ある方がこれを使用すると、謙虚な戒めとなるが、大部分は文字通りの専門馬鹿である)な日本の大学教授どもというわけである。

                         B  現代「三大」テクノロジーの危機 

 こういう傾向は現代テクノロジー・革命についても顕著である。 

 人為的テクノロジーの展開に基因する現代的危機 前述の「経世家」ら、特に西欧の「経世家」らでは、現在でも我々は必ず前進すると信じ込み、テクノロジーを人類進歩の中心に据え、「テクノロジーは、富の総和を増やすという形で役立」ち、「世界をある意味でゼロサム(和がゼロ)から遠ざけ」、「全体の額が増えれば、だれかから奪って別のだれかに与える必要はなくなる」(J.ストーズ・ホール『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』358頁)と主張するのである。やがて「テクノロジーを中断することは、競争というプレッシャーにより不可能になってき」て、「技術システムが人間のスケールを越えて成長」し、「バルク技術と愚かな機械類は大きくなり、システムは複雑化してしまう」のである。それでも、高い代償で「農作業から人々を解放し、命を延ばし、富をもたらした」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』316頁)と思い込もうとする。テクノロジーの進歩、それによる富の成長こそが、人類の進歩だと標榜するのである。すべて目先の観察であり、数千年間の人類文明の特徴の把握が完全に欠落しているのである。

 その結果、仮に理想的な所得再分配で「富者」の一般人からの「収奪」を是正・緩和できたところで、テクノロジーと「非現実的な経済数学」(あまりにもgivenなどが多すぎて現実乖離度が高くて学問的ではない)などしかみようとしない、生半可で短絡的な不勉強では、自然から「資源」を略奪して、自然循環を破壊している事までは是正できないのである。既存テクノロジーや「経済学」などからは根源的な打開策はでてこないということだ。こうした危険を的確に指摘する人々は少なくない。「人間は一連のテクノロジー(化石燃料を燃やすタイプのテクノロジー)のせいで、自分たちの生まれたこの地球との関係を危険で不毛なものにする方向に向かっている」(ビル・マッキベン、山下篤子訳『人間の終焉』河出書房新社、2005年、6頁)というのである。アルバート・ボーグマン(アメリカの哲学教授)は、「過去500年の変化を駆動したテクノロジーは、(寒さ、飢え、暑さから解放してくれた点で)大いに有益だった」ために、テクノロジーが「生活をより快適に便利にするのと同じくらい簡単に、もっと深い意味で人生を豊かにしてくれるものであるかのように考えるようになってしま」ったと警告する(ビル・マッキベン『人間の終焉』77頁)。

 さらに、我々は、「テクノロジー競争がはやまれば・・致命的な過ちが増え」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』273頁)、人為的テクノロジーの展開に基因する現代的危機に直面することになる。数千間の人類文明史を踏まえれば、テクノロジーは、人類の衣食住という物質文明を向上させるとともに、自然に対峙する人類文明破滅危機を内包し、人類文明には「諸刃の剣」だということである。確かにいかなる人為でも自然に対峙する限り諸刃の剣だともいえるのだが、特に人類文明に関わるテクノロジーの場合では、人類文明滅亡に関わる危機性が深刻に大きくなるということが留意されるということだ。「科学や技術はある程度発展すると、それは自己運動をおこし、手がつけられなくなってしまう」(渡辺格『人間の終焉ー分子生物学者のことあげ』91頁)ものなのである。問題は、両側面が拮抗し対立しつつそれぞれに展開し、やがては後者の人類滅亡危機が優勢となり、前者を圧倒する可能性があるということなのである。

 「生活必要の臨界点」逸脱 実際、現在のテクノロジーは、経済成長、豊かな生活を謳い上げつつも、実は「生活必要の臨界点」を大きく逸脱したレベルで競い合っていて、その行く末を学問的に見通せずに、歯止めもかけられずに、人類文明を危険水域に追いやっているのである。1968年、米国科学アカデミー(NAS)は、「生物学と人類の将来」についての意識調査の報告書で、@「人類は自身の遺伝的構成を自由に変えることができるのであるが、その力をまだ駆使するに至っていない」事、Aコペルニクス革命により地球は惑星の一つとなり、ダーウィン革命により人類は「ある原生物から進化してきた一種にすぎな」くなったが、「ホモ・サピエンスは、その生物としての限界を乗り越え」、「無線や電話、コンピューター、そしてついに生物の遺伝子を改変することも可能にな」り、「人類自身の進化に変更を与えることも可能にな」り、「今や人類は自然を乗り越えようとしている」(イーヴリン・F・ケラー「生徳と習得、ならびにヒトゲノム計画」[ダニエル・J・ケブルスら編、石浦章一ら訳『ヒト遺伝子の聖杯』アグネ承風社、1997年、357頁])とした。

 1968年、1970年の二講演で、ロバート・L・シンシャイマーは、「われわれは偶然の変化と選択という自然の作用に身を任せるだけでなくな」り、「近いうちにわれわれは、自分の遺伝形質を意図的に変え、性質を変えてしまう力をもつようにな」り、「遺伝学における偉大な発見、また今後なされるであろう発見が、人間のもつ全く新しい潜在能力を開発し、人間を改良する新しい道を開くだろう」(ジューン・グッドフィールド、中村桂子訳『神を演ずるー遺伝子工学と生命の操作』岩波書店、1979年、86−7頁[June Goodfield,“Playing God;Genetic Engineering and Manipulation of Life.”, A. P. Watt & Sons,1977])とした。ただし、彼は、後述のような懸念から、こうした態度を一変させる。

 1973年には、スタンレー・コーエン、アニー・チャン(スタンフォード大学医学部)、ハーバード・ボイヤー、ロバート・へリング(カリフォリニア大学微生物学教室)らによって、「遺伝子組換え技術が完成」した。1977年に、ニコラス・ウェード(『サイエンス』誌記者)は、「人間の技術」と「自然の技術」という「二つの技術のあいだには越えがたい壁があ」るが、「1973年に開発された遺伝子組換え技術により、人間は自然の技術を学んで自らのものとする鍵を手に入れ、これまでは自然選択の無方向的な力に委ねられてきた遺伝的過程を、自らの望むままに操る力をもつようにな」り、「その壁はいま破られようとしてい」て、「自然の遺伝的手法のほんの一部を利用するだけでも、経済的に重要な数々の技術を開発でき」るとした(ニコラス・ウェード、磯野直秀訳『人類最後の実験ー遺伝子組替えは許されるか』ダイヤモンド社、1978年、@頁[Nicholas Wade,"The Ultimate Experiment ,"Walker,1977])。この結果、「エネルギー革命よりもっと大きい、産業革命と並ぶ、あるいはそれ以上の革命になるかもしれない」という期待に燃えて、民間企業にも普及し出し、微生物の遺伝子組換えに特許を申請するものもでてきた(福本英子『複製人間の恐怖ーみんなの遺伝子工学』文一総合出版、1979年、134−5頁)。ますます、この遺伝子工学は、「とうとう生命の本体を解き明かし、それを自由にする力を手に入れ」、「人間はいま自然が作らなかった新しい生命をつくろうとし始めた」と、人類を錯覚させてしまった(福本英子『複製人間の恐怖ーみんなの遺伝子工学』191頁)。こうして、アメリカの一部科学者はテクノロジーによって、人類は、リスクを見通せずに、自然を乗り越えたと錯覚しはじめてしまったのである。

 テクノロジーへの疑問・不安 だが、「ここでも私たちは、なんともいえない不安にとりつかれ」、「この豊かな恩恵の裏に、大きな落とし穴や深い底なしの淵が口をあけているかもしれない」恐怖に襲われだした。何しろ「こういう技術はこれまで人間の歴史にはなかったこと」(福本英子『複製人間の恐怖ーみんなの遺伝子工学』191−2頁)なのである。同じ頃、、分子生物学者ジャック・モノ―は、もっと広く、「峻厳にして冷静な思想」、「客観的知識」は、「数十万年来の伝統をひと掃きで消し去ろう」とし、「人間と自然とのあいだの物活説的旧約を告発し、この貴重な絆の代わりに、冷え切った孤独な宇宙のなかでの胸苦しいまでに不安な探索を、あとに残すだけにし」て、「あらゆる霊的な糧への欲望を禁じ断念させる」から、「先天的な胸苦しい不安を鎮めることができず、それどころか、ますますそれをかきたてる」(ジャック・モノ―『偶然と必然』199−200頁)とした。

 1977年、アーウィン・シャルガフ(「シャルガフの法則」[DNA中のプリン塩基の分子数とピリミジン塩基の分子数は等しい]発見者)は、「われわれは、いま、専門家のふりをしている意志薄弱な人間のおかげで、おそろしく遠い未来についての決断をせまられている」が、「少数の科学者の野望と好奇心を満たすために、数千万年、数億年にも及ぶ進化の知恵(正確には「適化の知恵」ー筆者)を、不可逆的に打ち砕く権利が、われわれにあるだろうか」と問いかけ、「この世界は、われわれに貸し与えられているにすぎない。われわれは来たり、去る者だ。われわれが去ったあと、大地と空と水とは、あとから来る人々のものとなる」と警告した。彼は、『週刊朝日』記者に、「いま始まっている遺伝子組換え実験を少なくとも3−4年中止してみてはどうか」と提言したものである(福本英子『複製人間の恐怖ーみんなの遺伝子工学』224頁)。

 同じ1977年、マキシン・シンガー(米国NIH)は、科学アカデミー主宰の討論集会で、「知の本質に対する悲観論が拡がりつつあるのに対抗するためには、科学と技術をはっきり区別しなければならないし、さらに詳細な議論では、科学と技術それぞれに特有な価値や問題点をはっきりと分けて語らなければならない」とした。スタンリー・コーエン(American Cancer Society Research)も、「(知識の正しい応用を望む人々は)知識そのものを相手にするのではなく、その知識を社会がどう扱うかという現実問題に取り組め」とする(ニコラス・ウェード『人類最後の実験ー遺伝子組替えは許されるか』177頁)。

 1999年には、加藤尚武氏は、生命の技術は、従来「生命の領域は操作不可能な聖域性を保ってい」たが、現在「期待と不安」を抱きつつ「生命の技術の行方」を見守っている。「野放しの技術開発は許されない」が、「恣意的な規制の前例を作るという危険を細心の注意で避けなければならない」とする。それに対して、「情報の技術には、生命の技術に感じられる不気味さはな」く、「生物の進化の歴史の中で情報系はおそらく危険回避のシステムとして発達して来た」(加藤尚武『脳死・クローン・遺伝子治療』219頁)とするが、情報工学の最先端たる人工知能についてもまた後述のような不安・危機感が生まれている。

 こうして、人類は、今まさにそのテクノロジーの悪用・誤用によるその「逆襲」を受け始めつつあるかなのである。数千年間の人類文明史を踏まえれば、それは、衣食住という生活必要から大きく逸脱し始めたテクノロジー危機ともいうべきものなのであり、そのテクノロジー危機とは、一般に人類文明に大きな影響を与えかねないナノテクノロジー、遺伝子工学、AIロボット工学という現代「三大」テクノロジーに基因する危機だといわれている。この現代「三大」テクノロジー(それらの周辺にも派生テクノロジーが多々ある)は、過去二大テクノロジーのように数千年間の時間差を経ることなく、同時進行的に展開しているものであり、それらが相乗的に連動し始めた場合、その人為的リスクの可能性は過去二大テクノロジーの比ではなかろう。先端技術とか、第四次産業革命などという用語に不勉強で「惑わされて」いると、とんでもないことになりかねないということだ。

 人間の革命対象化 この現代三大テクノロジーにほぼ共通していることは、それらがいずれも良きにつけ悪しきにつけ人間そのものを対象にしはじめてきたということだ。テクノロジーが、事もあろうに、人間の代替・駆逐、人間の治療・改造・終焉などに乗り出してきたのである。過去二大テクノロジーが人間の食料とか衣服とか生活に関わってきたのに対して、現代三大テクノロジーは、文明の主役である人間そのものに立ち向ってきたということである。生産性を上げて、富の増加、権力の強化をめざすテクノロジーの「矛先」が、人間の衣食という生活から、ついに人間そのもの向けられてきたのである。人間とテクノロジーの関係において、主客が転倒し始めてきたのである。そういう点で、現代三大テクノロジー・革命は、食料革命・衣料革命の帰結にして人間駆逐・終焉に関わる「人間革命」(人間の宗教的・哲学的革命を意味する人間革命とは異なり、生産性増加を究極的・革命的に追究してゆくことを意味する人間革命の結果として人間終焉が導かれるという意味で括弧付きで使用している)として一括することもできるであろう。

 しかも、この現代テクノロジーは、この「矛先」をむき出しにせずに、老人介護、痴呆症看護、難病治療など「種々」の現代「小義名分」の美衣を巧みにまとうのである。そして、それは、往々にして「尊い生命の平等」とか肉親患者の治療などをも名分にして、もはや大義・小義などのレベルを超えてしまうことになるのである。こうした大いなる「正義感」のもとに、その個別テクノロジーは真面目な学徒をして学問的に麻痺させ、大局的に見ることを困難にさせ、人類文明の歴史を総合的・根源的に振り返せることを不可能にして、ひたすら実験室に閉じ込めてしまうのである。もちろん、こう言うテクノロジーを背後で支えているのは、国富増加を目指す国家、私的利益拡大を目指す私企業(私企業化した大学も含まれる)であることは言うまでもない事であり、そこには国家と私企業の冷徹な収支計算があるということである。国家と私企業に奉仕するテクノロジーが、その増強を図って、ついに人間に「矛先」を狡猾に向けてきたということだ。これに関して、マイケル・ロジャース(遺伝子工学ジャーナリスト)の場合は、既に1977年に、「遠い将来、人間が分子遺伝学の言葉に熟達し、遺伝子の中にある込み入った生化学的青写真を自分の目的通りに設計するようになったら・・好むと好まざるとにかかわらず生物学革命が起り、その結果産業革命が、まったくの過去の歴史となってしまう日がいつかはくる」(マイケル・ロジャース『遺伝子操作の幕あけ』198頁)とする。この生物学革命が人間に的を絞って生化学的青写真を作れば、人間革命となり、産業革命を過去のものにすることになるのである。

 福本英子氏は、1990年代以降、工業先進国がヒトゲノム解析・クローン・ES[細胞・遺伝子治療など、「石油化学工業の破綻を救う新しい資源」の「標的」として「『ヒト』という種に移ってきている」(福本英子『人・資源化への危険な坂道ーヒトゲノム解析・クローン・ES細胞・遺伝子治療』現代書館、2002年、はじめに)と明確に指摘している。加藤尚武氏は、「環境、食糧、人口、資源という大きな難問に直面する人類が21世紀に手にする武器は、生命の技術と情報の技術である」(加藤尚武『脳死・クローン・遺伝子治療』PHP研究所、2005年[第1刷1999年]、219頁)とするが、情報も「脳科学」とみれば、難問解決の技術が「人間の技術」に収斂して来たとする。

 実は、こうした事は、分子生物学において、既に今から40年前、渡辺格氏によって、「デカルト以来、精神と分離することで自然科学は自己発展をしてきたが、今や自然科学は『生命の科学』を介して精神を求め、それと一体となろうとし、他方「自然科学の、異常ともいえる発展は、自然だけでなく、人間自身に対する人工的コントロールの技術までも発達させ、その結果人間存在あるいは人間社会に対する脅威とさえ感ぜられるいうにな」り、「科学・技術の制限ということまで考えられ始めている」(渡辺格『人間の終焉ー分子生物学者のことあげ』144頁)と指摘されていた所でもある。ヒトを的に絞って来たのは、分子生物学ではなく、次述のAIロボット工学もまたそうである。以後のテクノロジーの発展は、まさに人間を軸に推進されてきたことになろう。

 我々は、こうした事からも、人類文明は最終局面に向かいつつあることを確認するのである。だからこそ、ここで、人類は、人類文明の歴史を総合的・根源的に振り返って、じっくり深く深く「自然や自然に基づいた学問に学べ」ということだ。目先の成果などに拘泥せずに、低学問レベルの欧米産ノーベル賞などに惑わされずに、「本物の学問」に集中せよということだ。要するに、自分の専門は人文科学だとか、自然科学だとか、社会科学だとか言って、専攻科目に固執「禁欲」することこそが研究美徳だなどと自足していると、人類文明の過去・現在・未来の学問的把握は到底できないということだ。

 なお、こうした三大テクノロジーの派生現象として「金融工学」(コンピューターによるリスク管理、ひずみ是正[デリバティヴ]などによる国際金融蓄財工学)が誕生し、軍事的植民地に代わる新たな「富収奪」方式を欧米先進国に提供し、マネー資本主義などとして注目を集めている。日本は先進国ながらこうした途上国金融を「略奪」手段とするデリバティブなどを忌避していた。しかし、近年金融工学はFin Tech(FinanceとTechnology)などと略称されはじめ、その軸点を「リスク管理、ひずみ是正」運用蓄財システムなどから「決済」「家計管理」「中小企業向け小口融資」「ビットコイン」運用蓄財システムに移行させ、銀行など従来の「人間」操作金融機構を「IT」(クラウドを頂点とするパソコン、スマートフォンなどによるIT)操作金融機構に改変しつつある。銀行が、超低金利によって単なる「貨幣保管所」になりつつあることも、これに拍車をかけているかである。このテクノロジーは、銀行から人間をなくさせる(勤務場所としての支店も基本的に不要となる)という点で、人工知能テクノロジーの派生効果の一つとも言える。

 ナノテク危機、遺伝子工学危機の詳細については、別稿(「ナノテク危機」)を参照していただき、以下、ここでは、AIロボット危機についてのみ瞥見しておこう。


                         A AIロボット危機

 「技術AIは今日著しい進歩を遂げていて、即技術競争を加速している」が、「人工知能は数多くの有力なテクノロジーの一つにすぎ」ず、「それぞれのテクノロジーが新たな脅威と可能性をもたらしている」(K・エリック・ドレクスラー『ナノテクノロジー 創造する機械』122頁)が、ナノテクノロジー、遺伝子工学の危機よりも大きな危機なのである。

 AIロボット危機の悲惨性 この現代危機の一半にとして、ロボット革命の「悲惨」可能性に関して言及すれば、ヒューゴー・ド・ガリス(コンピュータ科学者)は、「ロボット技術による技術的進歩を人類のより広い運命の一部と見る人」と「そういう未来は自分たちのアイデンティティーと価値観そのものを脅かすと考える人」との対立が「大規模なイデオロギー論争に発展する可能性がある」と懸念する。そして、これが「大規模な戦争」になれば、20世紀の政治的(戦争、粛清、大量虐殺など)死亡者2億人から類推して、数十億人が死亡する可能性があると試算するのである(P.W.シンガー、小林由香利訳『ロボット兵士の戦争』NHK出版、2010年、428頁[Peter Warren Singer,"Wired For War",The Penguin Press,2009])。

 ここまで悲惨化するかどうか、未だ確証はないが、このままでは、AIロボット文明の普及は、@AIロボット普及をめぐる人類間の対立と妥協、AAIロボットと人類との対立という二段階を経て、最終的にはAIロボット文明が人類文明を従属・支配することになる可能性が濃厚なのである。シンガーは、「人間は今後も、たとえ世界が人間と戦うロボットだらけになっても、戦争の主導権を握り続けるだろう」(同上書428頁)としているが、今のままでは数百年先にはロボットが戦争の主導権を握っていないとは断言できないのである。実際、ロバート・フィンケルスタイン(軍用ロボット技術者)は、「『二十年以内に』AIとロボット技術の組合せは、機械が『人間の能力に匹敵する』までにな」り、「ロボットは人間をしのぐことができるほどの能力を与えられ」、「人間以上のもの」・「人間には対抗できない」ものになるとした。主導権はAIロボットが握らざるをえないとするのである。彼は、AI反乱の最初は「十億分の数秒以内に・・インターネットに飛び込」み、「無限のコンピューティング資源を利用」しようとすることだとする(P.W.シンガー『ロボット兵士の戦争』603頁)。そして、彼はその善悪は誰にも分からず、「人類の破滅につながるかもしれないし、あるいは、戦争を永遠に終わらせることになるかもしれない」(シンガー同上書、599−600頁)とするが、人類が破滅すれば、人類の戦争は永遠になくなるということではないか。

 文明危機 もっと分かり易く言えば、こういうことだ。今でさえ人類は、格差問題、環境破壊、原子力問題・核戦争問題・テロリズム、人口増加・飢餓など実に多くの「人類生存に関わる」難問題を抱え込んでいる。そこに、「人類との共存」とか「生産性の向上」とか「新産業革命」とかのスローガンのもとに、人類と同じか、或いはそれ以上の知能をもったAIロボットを製造したらどうなるのか。これに関しては、小林雅一氏は、AIロボットは、生産性を向上させるのみならず、そうした難問題にも取り組んで解決してくれるという楽観論を提唱する(小林雅一『AIの衝撃ー人工知能は人類の敵か』講談社現代新書、2015年)。エリック・シュミット(グーグル会長)の場合は、文明を「数千年かけて発達してきた『現実の文明』」と、「今まさに形になりつつある『仮想文明』」とからなる「2大文明」と把握し、「2つの文明は、互いの負の側面を抑えながら、おおむね平和的に共存するだろう」とする。彼は、「仮想文明と現実文明が、互いに影響を与え、互いに形づくるうちに、適切なバランスをとるように、両者のバランスによって、私たちの世界は方向づけられ」、「想像以上に平等主義的で風遠しがよく、興味深いものになる」(エリック・シュミット『第五の権力』401頁)と、非常に楽観的である。彼は、今まさに突入しつつある文明を「仮想文明」と把握して、これまでの文明とは異なる事までは指摘するのだが、両者はどこがどう違うのかまで述べていない。グーグルにとっては、この仮想文明とはデジタル文明であり、その主軸をAIロボットにおいているとすれば、これを批判したり、危惧する事などはできないことになるのである。

 だが、人類が、「仮想文明」のロボットに愛着・愛情を持ち、彼らの「生みの親」だと思っていても、彼らは、「工場・事務所・家庭など各所で自分たちを奴隷のように働かせたり、一方的な愛玩物とし」、或いは「戦場で自分達を人間の身代わりとして激しく戦わせ、時に破壊した」として、憎悪・生存危機感を人類に対して持っている可能性が高いのである。ここに、やがてAIロボットが人類知能を越え、人類のコントロールを離れていった場合(ロボット工学ではこれをロボットが自律性を持つという)、AIロボットは、人類生業を奪うのみならず、人類に反抗し、人類絶滅の戦争を始めるのではないかという悲観論が登場する。どちらが真実か。

 「衣料革命」時との比較 明らかなことは、この楽観論・悲観論は衣料革命=産業革命をめぐる楽観論・悲観論の比ではなく、衣料革命=産業革命時の悲観論には人類滅亡危機論まではなかったが、現在の悲観論ではAIロボット革命がこれまでの人類革命のどれよりも人類命運を大きく左右するものとなり、公然と人類滅亡論が標榜されているという事なのである。つまり、「産業革命の楽観論・悲観論」の論争においてではなく、1863年ダーウイン進化論をめぐる激論の中で、サミュエル・バトラー(英国学者、1835−1902年)は、書簡「機械のなかのダーウイン」で、「進化について論じている研究者たちは、過去ではなく未来に目を向けるべきだ」とし、「私たち人間が人間の後継者を創っている。将来、人間は機械にとって、人間にとっての馬や犬のような存在になるだろう」と警告したのである(P.W.シンガー『ロボット兵士の戦争』599頁)。「産業革命」論争ではなく、「進化論」論争において、人類滅亡論ではなく、機械が「人間の主人」になっているとするにとどまったのである。しかし、今回の革命悲観論は明らかに前回の革命悲観論とは次元が違うのである。しかも、これだけ懸念、危惧する声が大きいということも、これまで歴史上ではなかった事なのである。人類は、明らかに史上最大の正念場に立ち向いつつあるということだ。もはや「知らなかった、不勉強であった」では済まされないということだ。

 前述の通り、AIロボット、ナノテク、遺伝子工学という現代三大テクノロジーにほぼ共通していることは、それらがいずれも人間そのものを対象にしてきたということだ。ナノテク危機、遺伝子工学危機が「人類改造による人類消滅危機」の可能性があるとすれば、AIロボット危機とは、「AIロボットによる人類消滅危機」の可能性が濃厚だということである。人類は、テクノロジー危機により、多様に多層に多重に「滅亡」の危機に追いやられつつあるのである。


                       4 根源的・総合的学問 

 AI危機対応策 従って、我々は、中長期で起きるAI危機・諸問題を直視し、これにいかに対応すればいいのかを真剣に学問的に考えなければならないのである。

 これに類した問題は既に「人間革命」科学でもおきている。例えば、遺伝学会では、1980年代ヒトゲノム研究に際して、「計画の年間予算の5%を、『遺伝学のすばらしい新世界がもたらす、倫理的、法的、社会的影響を明確にし、それに対処する』総合的プログラム用に取ってお』いたので、遺伝学界は「倫理問題をめぐる議論の深さでは、ロボット工学より何年も先を行っている」(シンガー前掲書、616−7頁)のである。その他の先端科学でも、自己倫理規制を定めて、事前に予想される諸問題などに倫理的に対処している。 

 AIロボット産業の市場規模 だが、AIロボット文明は、究極の「人間革命」科学であり、人類滅亡に関わるという極限問題なのである。それをどう受け止めて対処すればいいのかが、AIロボット工学者でもはっきり分からないのである。研究そのものを中断するのが「最善」策とも言えるのだが、既に数十年間の膨大な官民投資があり、将来的には巨額利益が期待されていて、今の所まずもってそうした中止は望み薄だ。市場調査会社Business Communications Companyの試算によると、「AI市場全体の規模は2007年にはおよそ210億ドル、年間成長率は12.2%」(P.W.シンガー『ロボット兵士の戦争』119頁)なのである。日本のアスタミューゼ(知的財産のデータベース・ビジネス会社)の試算によると、世界の機械学習・深層学習関連の市場規模は2015年300億ドル(1ドル100円換算で3兆円。うち、今後のAIの基礎となる深層学習・表現学習に関する部分は60億ドル)である(川口伸明「人工知能関連特許から見た未来の産業盛衰図」[『人工知能ビジネスーなぜGoogle、Facebookは人工知能に莫大な投資をするのか』日経BPムック、2015年10月])。経済産業省・産業技術総合開発機構作成「2035年までのロボット産業の将来市場予測」によると、産業用ロボットだけでなく、「医療、介護、警備、物流などのサービス分野」のロボットも含めると、ロボット市場は成長して、「現在の1兆円規模の市場から、2015年には1.5兆円、2020年には2.9兆円、2025年には5.3兆円、2035年には9.7兆円にまで成長」するとする(神崎洋治『Pepperの衝撃! パーソナルロボットが変える社会とビジネス 』日経BP社、2015年5月、19−20頁)。さらに、「脳神経科学由来の新技術も合わせて年平均成長率(CAGR)を35%と仮定した場合、2025年段階でのAI関連のグローバル市場の規模は約1200億ドル(1ドル100円換算で12兆円)になると推計」される(前掲川口伸明「人工知能関連特許から見た未来の産業盛衰図」)。

 このように、AI中心の指標でみるか、ロボット中心の指標で見るかなどで、推定値は一様ではないが、AIロボット市場が成長の有力な牽引車になる可能性があるという点ではほぼ一致しているようだ。確かにこれも「人類悲惨化の可能性」と同じ可能性に過ぎないのではあるが、まだ数値が算定されているだけ説得力もあり、複数の試算もあり、特に成長を推進しようとする「政策立案者」には、数値根拠の不明瞭な「人類悲惨化の可能性」のみでは、まだまだAIロボット研究中断の根拠にはならないのである。

 AI度ボット産業の経済効果 しかも、政治家などは、長期的可能性ではなく、目先の利益(次年度のGDP成果、次年度の失業率低下)で動くものである(4)。その結果、概して、日本では中長期的なAI危機の考察が稀薄となり、短期的なAI有用論・楽観論が優勢となるのである。つまり、@現在人手不足の建設作業・農業・介護などや危険な場所である原発、災害、鉱山、深海での作業でAI活用が実際に期待されていること(松尾豊氏)、A高齢化問題(5)・人口減少問題・労働力不足問題に直面する日本ではAIが雇用を奪うというよりは、「日本の持つ技術力を生かして、AIやロボットを可能な限り活用することで、人口減少下でも経済発展を実現できるモデルを示」し、「2020年の東京オリンピック・パラリンピックの後は、さらなる人口減少などの課題がより顕在化していくが、日本がAIで新たな社会を生み出していけるという希望も見える」(小泉進次郎内閣府大臣政務官)事、B「GDPを急回復させるまたとないチャンス」であり、AIは「日本に必要」だから、「今は規制よりも想像力を働かせる時期」(松尾氏)であり、「AIの現実をとらえて今どこまで来ているのかを理解したうえで」「AIによってどのような社会を作りたいのかのビジョンを持つ」(小泉氏)こと(松尾豊・小泉進次郎対談「AIで実現したい社会とは」[『人工知能ビジネスーなぜGoogle、Facebookは人工知能に莫大な投資をするのか』9−11頁])、C特に実際に生産性向上に寄与して来た産業用ロボット大国としての歴史が長い事といったように、AIロボットについては、将来の「人工知能が人間知能を凌駕する」事に基づく諸危機を懸念するよりも、過去・現状の諸問題に対応してくれる「目先の効用」の方を重視しがちになるのである。

 日本ロボット産業の「安全性」 その上、「産業用ロボットは『ティーチング』といい、人間が動作を反復させ作業方法を教え」(塩野誠「バリュ―チェーンデ考えるAI活用の4つのプロセス」[『人工知能ビジネス』日経BPムック、2015年10月、105頁])てきたから、機械知能が人間知能を凌駕するという問題などは経験したことはなかったのである。つまり、「産業用ロボットがそれまでの自動機械と違っていたのは、ロボットにその動きをあらかじめ教え込む教示装置と記憶再生装置とを備えており、作業内容が変わればその都度現場の作業員の新しい動きを教え、ロボットはそれを記憶し反復することが出来たこと」(長田正『ロボットは人間になれるか』PHP研究所、2005年、100頁)なのである。産業用ロボットは、システム的に人間教示機能を一根幹としていたということである。だから、産業ロボット大国の日本では、ロボットについては、怖くて不快な歴史はほとんどないのである。だが、AIロボットが中長期的には人間知能を凌駕して人類命運に大きく関わってくるだけに、こういう短絡的把握は極めて由々しき問題である。露知らなかった、予想だにしなかったでは、もはや済まされないということだ。

 AIロボット文明の文明史的「画期性」 どうもAIロボット文明は従来の人類文明とは異なるようだ。はっきりしているのは、これくらいだ。だが、その人類文明の基本的特徴とは何か、その人類文明はそもそもどのようにどのように推移したのか、これらからして学問的にはっきりしないのである。未だにエジプト文明のピラミッドの謎を解明するとか、メソアメリカ文明のピラミッドの謎を明らかにするとか、個別断片的な「なぞ」の解明に終始しているかである。現代人には「謎」であっても、古代人は些かも「謎」でもなんでもなく、当時の生活の一部であったが、少なくともそういう古代文明と近現代文明を結び付ける統合的な判断基準を解明しようとはしていないのである。統合的な判断基準がはっきりしないから、人類文明の基本的特徴もわからず、それとの比較で現代のAIロボット文明を学問的に把握できないのである。そこで、こういう問題にアプローチするには、まずは人類文明を全体の学問のうちに捉え直してから、改めて究極的文明比較に着手することが有力方法の一つとなろう。重箱の隅をつつくような、個別細分研究にはこれが出来ないのである。

 AIロボット文明の文明史的把握 ここに、我々は、1万数千年に及ぶ古代以来の一連の人類文明革命史を、これまでなかった食料革命、衣料革命という人類生業革命という新たな視点を統合的な視点に設定して、従来の人類文明と、新たに登場しつつあるAIロボット文明との比較を根源的・総合的な学問のもとに考察する事が可能となるであろう。一万年という期間は、長いか、短いか。現在の人間寿命から見れば、それは確かに長いが、46億という地球の歴史、140億年という宇宙の歴史から見れば、それは極めて短いのである。38億年前の生き物の誕生、10億年前の「多細胞生物の誕生」、2.5億年前の「恐竜時代の始まり」、30万年前のホモサピエンス誕生(鈴森康一『ロボットはなぜ生き物に似てしまうのか』220頁)という視点から見ても、やはりそれは非常に短いのである。これまで我々が辿って来た人類文明史とは、短いものであり、ある時まではゆったりと、ある時からは加速度的に素早く動き出したかのように見えつつも、全体的にはやはり短期間に迅速に変化して来たということだ。

 この短期間に迅速に変化して来た人類文明の歴史について、謎とか、偉業とかではなく、生業というごく普通の視点から見ることが重要なのである。古代文明を個別断片的な「謎」として「興味本位」に見るのではなく、近現代人の生業につらなるものであり、人類の生業の一環であると見るべきだということだ。一万数千年前の人間と近現代の人類は、脳構造、身体構造、知能・感情面などでは基本的には変わらないということだ。人類文明史が一連の過程として統合的に把握できれば、現代において登場しつつあるAIIロボット文明の基本的特徴や歴史的意義もまた自ずから明らかになろう。短く迅速であった一万数千年に及ぶ古代から現代までを対象とする根源的・総合的学問が構築されれば、現代は、食料革命で始められ(まだ自然的生産性が人為的生産性より優位)、衣料革命で拍車をかけられ、現在AIロボット革命によって人為的生産性の増加の頂点に達し、「危機の極点」に達しつつあることが解明されるであろう。こうした現代危機の認識のために、今ほど根源的・総合的な真の学問が切実に望まれる時代はないということだ。現代危機が学問的に正しく把握されなければ、それに対応する政策の妥当性・意義や限界なども適切に把握できないことにもなるのである。はっきりしていることは、次年度のGDP成果、次年度の失業率低下などの極短期指標だけでで見ていては、真実を見誤るということだ。


                         5 日本学問主導国宣言 

 欧米の「自然に対する人間優位」 欧米学問は、自然と対峙し、征服し、自然の富を略奪する事を当然とするものである。こうした西欧つまり、「自然克服」を当然視する近代自然科学は「15、6世紀頃から起こ」り、15、6世紀にダヴィンチ(Leonardo da Vinci、1452−1519年)、17世紀にデカルト( Rene Descartes、1596−1650年)、ベーコン(Francis Bacon、1561−1626年)が自然科学方法論の基礎をつくったと言われる。つまり、近代科学は、「15、6世紀の初期資本主義時代の、レオナルド・ダ・ヴィンチを始めとする高級技術者の間に芽生え、これがF.ベーコンなどの思想家や学者にとりあげられて、はっきりしたその方法と精神が確立された」(E・ツィルゼル(『科学と社会』1967年[渡辺格『人間の終焉ー分子生物学者のことあげ』123頁])とされる。そして、自然と人間の関係について、デカルトは、「人間のために自然を征服するのであるが、その普遍性のために、全人類の財産となるべき運命をもっている」とし、ベーコンは、「実験に事づいて機能的に自然法則を発見すべきこと、またこれによって人は逆に自然を征服できるとして、『知は力なり』を唱え」た。こうして「近代西欧自然科学は、自然を征服するために自然を知る、という明らかな目標を少なくともある面ではもっている」(渡辺格『人間の終焉ー分子生物学者のことあげ』120−1頁)のである。

 前述の通り、1968年、米国科学アカデミー(NAS)は、「今や人類は自然を乗り越えようとしている」とした。1969年、分子生物学者ガンサー・ステントは、「進歩についてのもっとも意味深い定義は、その主動因(つまり、力への意志)を捕まえることによって与えられ」、「『よりよい』世界とは、ひとが外的な出来事を支配するより大きな力をもっている世界、自然へのより大きな支配力をもっている世界経済的により安定している世界のことである」とした。彼は、「世界人口とか一人当り収入、旅行の速さ、世界のエネルギー消費、科学研究者の数」等々が「自然支配のさまざまな指標」だとした(ガンサー・ステント『進歩の終焉』124頁)。1973年には、、「遺伝子組換え技術が完成」すると、「人間はいま自然が作らなかった新しい生命をつくろうとし始めた」と、人類を錯覚させてしまった。

 2001年、ジョージ・ダイソン(科学史家)は、「生命と進化のゲームには、プレーヤーが”三人”いる。人類と自然と機械だ。私は断固として自然の味方だ。しかし、自然は機械に味方するような気がする」(George Gilder and Richard Vigiliante."Stop Everything..It's Techno-Horror!"American Spectator 34,no.2,2001[シンガー前掲書600頁])とする。欧米では、自然から富を奪い取る機械こそが「主人」なのである。「自然に味方する」という発想からして、欧米人の傲慢さが見受けられる。自然とは、か弱い人間が味方するなどという「見下す」ような対象ではないということだ。

 それでも、欧米では、このように「自然に味方する」人がいても、大勢としては自然より人為=機械が偉いのである。そうした最たる近代「欺瞞」産物の一つこそ欧米産「経済学」であり、この点ではブルジョア経済学もマルクス経済学も同根である。つまり、ともに自然と対立し、自然から資源・富を奪い取ることを共通基盤とし、前者は自由の名分に基づく富の収奪、後者は解放という口実の下での富の収奪をするのである。こうして、まさに様々な「経済学派」が非学問的に世界を混乱させてきた。成長率・失業率などの短期的成果だけを指標にして、長期的影響をドロップしてきたのである。

 特に、「欧米産」ブルジョア経済学における「ゲーム理論」に基づくゼロサムゲームという考え方は、自然に「不遜」な西洋「学問」の危うい「非学問性」を端的に示している。このゼロサムゲームは、「不幸と不和を生み出すレシピ」であり、「ゼロサムゲームでは、だれかにとって良いことをするには、ほかのだれかを害さざるをえない」(J.ストーズ・ホール、斎藤隆英訳『ナノフューチャー 21世紀の産業革命』 紀伊国屋書店、2007年、357頁)ことになる。ここには、人間と人間の関係があるだけで、人間と自然の関係はないということだ。「『かけがえのない地球』の限りある資源というこれまでの見方が続けば」、「我々は明らかにそんな(ひどい)世界に向かっている」(同上書358頁)のだが、ここでは、自然の観点が欠落して、人間本位の一方的で非学問的な考え方だけがあるということである。森や湖などの共有資源(コモンズ)の効率的管理という視点はあっても、自然資源保護という観点はないということだ。

 確かに「テクノロジーは、富の総和を増やすという形で役立」ち、「世界をある意味でゼロサム(和がゼロ)から遠ざけ」、「全体の額が増えれば、だれかから奪って別のだれかに与える必要はなくなる」(同上書358頁)という「瞬間」もあるが、富の増加とともに人口が増え、自然資源が減少するから、「世界をある意味でゼロサム(和がゼロ)から遠ざけ」るということにはならないのである。人間は、富を生み出すために、自然から資源を略奪し、自然循環を破壊しているのである。これを必要最小限に押さえていたものこそ、日本の縄文時代だったのである。

 非学問的で低レベルのノーベル経済学賞などでこれを糊塗隠蔽しようとしても、欧米産「経済学」は、今ではもはや「時代の遺物」になりつつあるといっても過言ではなく、もはや欧米起源ではない、真学の一環として新しい「経済学」の構築もまた切実に求められているといってよいのである。筆者の仏教経済学とは、そうした縄文真学を「仏教は自然科学である」という立場に立脚して自然科学的に展開した、そうした試みの一つでもある。

 そもそも欧米産「進化論」からして、自然への畏敬の念が稀薄なのである。欧米進化論の賛否には膨大な研究史があるが、ここでは、触れない。ただ、「人工知能の父」と言われるマーヴィング・ミンスキー(Marvin Minsky)の次の言葉をあげるにとどめておこう。彼は、現在人間知能が「向上しているという徴候がなにもな」く、「古代の智恵のほとんどがいまもまだ適切であるのを見ると、たいして進歩をしていない」とし、「一日に12時間の勉強を100年間続けても、トータルで約30億ビットにしかなら」ず、「標準的な5インチのCD一枚分の容量より少ない」とするのである(ミンスキー「ロボットは地球を受け継ぐか」『日経サイエンス』1994年12月号[ビル・マッキベン、山下篤子訳『人間の終焉』河出書房新社、2005年、152頁])。しかし、元来人類は「適化」するのみで、「進歩」などはしないものであり、むしろ現代においては自然との関係では「退歩」すらしているのである。欧米では「古代の智恵」の多くが失われつつあるのみならず、もともと欧米には維持尊重すべき「古代の智恵」など希薄だったという事である。しかし、日本には「縄文の智恵」が未だにあるということだ。

 人間の自然科学的無意味性 その「縄文の智恵」を見る前に、近代の分子生物学の観点から人間の自然科学的無意味性を確認し、人間と自然との関係から自然科学的、人文科学的、社会科学的なアプローチの基本的相違の考察を導き出す前提として見よう。

 言うまでもなく、人間を始めとする動物は、自ら生命エネルギーを作れる植物とは違って、自らで生命エネルギーを作ることはできない。その結果、人間は、自然のエネルギーを奪って生きるしかない「しがない生き物」である。人間は、食料革命以後、生産性を上げて「富と権力」システムを強化することこそ競争に打ち勝つ道となって、ひたすら生産性の上昇に腐心して、まさに閉鎖系世界を汚すしかなくなり、自然科学的には無意味そのものなのである。

 これに関して、フランスの分子生物学者・哲学者ジャック・モノ―は『偶然と必然』(渡辺格ら訳、みすず書房、1972年)で、「人間は自然科学的に無意味な存在」とする(渡辺格『人間の終焉ー分子生物学者のことあげ』朝日出版社、1976年145頁)。モノ―によれば、広く生命について、「巨視的な系を支配する物理法則に照らし合わせるとき、生物が存在しているということ自体が、矛盾を構成し、現代科学の基礎をなす根本法則のいくつかを侵害しているように見え」(ジャック・モノ―、渡辺格ら訳『偶然と必然』みすず書房、1972年、19頁)るとする。「宇宙のなかで起こり得るあらゆる出来事の中で、ある特定の出来事が生ずる先験的な確率はゼロに近い」が、その確率ゼロの生命が「地球上にただ一度だけ出現」した。これは、我々が、人間や「宇宙のなかに実在するあらゆるものが原初から未来永劫にわたって必然的な存在」と信じたい傾向と矛盾すると言うのである(同上書168−9)。「生物圏において象徴的伝達という論理的体系を使用できる唯一の種である人類が出現する以前には、我々の宿命は書き記されてはいなかった」のであり、「人類の出現というのも、(生物圏につぐー筆者)もうひとつの唯一無二の出来事だった」のだから、我々は「人間中心主義に陥らぬようにしなくてはならないはずである」と主張する。「宇宙は生命をはらんでいなかったし、生物圏は人間をはらんでいなかった」から、人類出現の可能性は、生命出現と同じく、『その出現の確率はほとんどゼロ」であり、「我々の当りクジはモンテカルロの賭博場であたったようなものである」(同上書169頁)とする。生物、そして人間は偶然の産物であり、況や人間中心主義を提唱する自然科学的根拠などはないというのである。

 また、モノ―より以前に、日本の自然科学的な文学者夏目漱石は、「思い出す事など」(「朝日新聞」明治43年10月〜明治44年4月[『夏目漱石全集』7、筑摩書房、昭和63年])において、「海陸空気歴然と整えるわが地球の昔は、すべてこれ々たる一塊の瓦斯に過ぎないという結論になる。面目の髣髴たる今日から溯って、科学の法則を、想像だも及ばざる昔に引張れば、一糸も乱れぬ普遍の理で、山は山となり、水は水となったものには違かなろうが、この山とこの水とこの空気と太陽の御蔭によって生息する吾ら人間の運命は、吾らが生くべき条件の備わる間の一瞬時――永劫に展開すべき宇宙歴史の長きより見たる一瞬時――を貪ぼるに過ぎないのだから、はかないと云わんよりも、ほんの偶然の命と評した方が当っているかも知れない。」と、地球史の中にはかない「偶然」の人間の登場を的確に把握していた。これが自然科学的に見た人間存在のはかなさなのである。漱石は、「人間の生死も人間を本位とする吾らから云えば大事件に相違ないが、しばらく立場を易えて、自己が自然になり済ました気分で観察したら、ただ至当の成行で、そこに喜びそこに悲しむ理窟は毫も存在していないだろう」と、人間の死を把握するのである。漱石は、「こう考えた時、余ははなはだ心細くなった。またはなはだつまらなくなった」とした。人間の存在根拠、生きる意味とは何か、これを思うと、人間とははかないのである。

 こうした人間の自然科学的無意味性を「空」哲学で初めて把握したのが仏教『般若心経』でもある。分子生物学者らが指摘するように、この仏教は、確かに宗教ではあるが、実は物理学、宇宙学などにも裏付けらた自然科学でもあるのである。遺伝子工学「評論家」の福本英子氏は、「仏教は『万物流転』といい『色即是空』と説く。『万物流転』といえば、生命の本質がDNAである点で人間も草木も下等なバクテリアもみな同じだという20世紀の智恵と奇妙に呼応するものを感じるし、『色即是空』といえど、すべての生命現象がDNAという物質の分子の化学反応が生み出すものにすぎないということとイメージは重なってしまう。東洋の悟りは、科学の分析が20世紀にいたってようやく発見した存在の本質を、数千年早く、直観によってとらえていたのではないかという気がする」(福本英子『複製人間の恐怖ーみんなの遺伝子工学』文一総合出版、1979年、181−2頁)と指摘するように、仏教「自然科学」は一部の自然科学者の琴線に触れだしたのである。夏目漱石の到達した則天去私の境地とは、こうした「空」の境地とも通じていよう。

 なお、福本氏は、「ただ二つのあいだで決定的に違うのは、仏教が生命の本質を見極めてそれに従う知恵を説いたのに対して、20世紀の徹底的な実証による理解は、生命を切り刻み組み換え、人間がそれを支配する道を開いた点であろう。仏教は人間も動物も植物もすべての生命を等価と見ることで、動植物をもあわれむことを教え殺生を禁じ、動植物と等価の生を浄化し、越えがたい死を越える知恵として、彼岸の概念をたてる。しかし科学は、すべての生命が等価だと発見したことで、それを切りきざみ、人間の生命のために利用し、人間の生命につぎはぎをし、そして死を向こうに押しやって封じこめてしまうことも考えようとしている」(福本英子『複製人間の恐怖ーみんなの遺伝子工学』182頁)とも指摘する。

 こうした自然科学的な人間無意味論からすれば、人間は滅亡すべき存在となってしまう。分子生物学者渡辺格氏は、「現在および将来の重要な課題は、人口や食糧のような現実的、具体的な問題をどう処理するか、ということではあるが、これらは”人間はいかに生くべきか”という根本問題にたちかえることなしには、解決できない」とし、「この問いかけを深めて行くと、”人間は生きるに値するか”から”値しない生をいかに生きるか”を経て、”人間はいかに死すべきか”ということまで考えなければならなくな」り、「よし、優者が弱者=劣者を淘汰し、あるいは使役して(収奪してー筆者)現在の文明(その典型的なものが近代西欧文明であるが)を維持することができたとしても、いずれは人類は滅びなければならだろう」とする。「閉鎖世界での淘汰を考えるにつけ、また何らかの形で他人の生命を犠牲にせざるを得ない人口制限の問題をとり上げるにつけ、その前にまず、人類はどのような滅亡の道を選ぶべきか、個々人はどのような死の道を歩むべきか、に思いをめぐらさなくてはなら」ず、「今や近代西欧文明というひびの入り始めた青鬚の城から逃げ出し、まさに地平線にかくれようとする落日に映える自然の中で、沈思する必要がある」とする。「明治以来、西欧文明の衣食と西欧に追いつくことだけが至上命令であった近代日本の文明には、このような価値観(自己犠牲によるマイナス人間=弱者の救済―筆者)が入り込むすきはな」く、「近代の日本では古からの八百万の神々も、キリスト教的唯一神もいないままに、歯止めのない弱肉強食が行なわれ」、「大部分の今日の日本人には・・恥多き人類の生存しか考えられない」(渡辺格『人間の終焉ー分子生物学者のことあげ』朝日出版社、1976年、166−7頁)とする。

 自然科学と社会科学 こうした自然を奪い、他人の富を取り、閉鎖系を汚す存在でしかない人間に、それでも人間の生み出す文学・芸術にはかけがえのない素晴らしい価値があるとするのが人文「科学」であり、その生み出す労働や組織した社会には大いなる価値があるとするのが社会「科学」なのである。自然科学が人間存在の惨めな実相を厳正に指摘すれば、人文「科学」、社会「科学」は人間の作為を称賛し、問題の是正を促し、人間に存在意義を与えようとするものだといえよう。自然科学が偽りのない人間の実相をあぶり出すだけでは、脆弱な人間はとても生きては行けないから、社会科学や人文科学でそれに必死に抗弁しているとも言えよう。或いは、テクノロジー(自然科学の応用技術)によって、人間は進化して遂に自然を克服した素晴らしい存在だと謳い上げることになるのである。.しかし、自然科学に基礎づけられた総合的・根源的真学のみが実相を厳しく解明する「真学」だとすれば、現在の人文科学、社会科学、或いはテクノロジーは、人間に生きがいを与え発奮させ、誤解させるための「人為」にすぎないのであり、それにいかに自然科学的「粉飾」をしようとも、所詮は「虚学」「偽学」だと言うことになるのである。

 こうした自然科学と人文科学・社会科学の相違について、は、HowとWhyの観点から卓抜に説明している。つまり、漱石は、「其道の人は科学を斯う解釈する。科学は如何にしてといふこと即ち How といふことを研究する者で、何故といふこと即ち Why といふことの質問には応じ兼ねるといふのである。例へば茲に花が落ちて実を結ぶといふ現象があるとすると、科学は此問題に対して、如何なる過程で花が落ちて又如何なる過程で実を結ぶかといふ手続を一々に記述して行く。然し何故 (Why) に花が落ちて実を結ぶかといふ、(然かならざるべからずといふ) 問題は棄てて顧みないのである。一度び何故にといふ問題に接すると神の御思召であるか、樹木が左様したかったのだとか、人間がしかせしめたのだとか所謂 Will 即ちある種の意志といふ者を持て来なければ説明がっかぬ。科学者の見た自然の法則は只其儘の法則である。之を支配するに神があって此神の御思召通りに天地が進行ずるとか何とかいふ何故問題は科学者の関係せぬ所である。だから至って淡白な考で研究に取りかかると云っても宜しい。偖此如何にして即ち Howといふことを解釈すると、俗にいふ原因結果といふ答が出て来る。然し前に述べた様な訳だから此原因結果とは或現象の前には必ず或現象があり、又或現象の後には必ず或現象が従ふといふ意味で、甲が乙を然かならしめた杯といふ意味ではないのは無論である。それで此原因結果を探るには分解をする」(夏目漱石『文学評論』春陽堂、明治42年、522−3頁[国会図書館デジタルライブラリ])。人文科学・社会科学は、神や人間を登場させて、人為的に天地創造や社会形成などを説明をしようとするというのである。

 これに対して、確かに、カール・マルクスは、社会構成対論で社会の発展に自然的法則を見い出し、科学としての社会科学を構築しようとしたが、成功することは無かった。マックス・ウェ―バーの『社会科学方法論』は、ただ社会的考察・思惟の厳密化を説いたに過ぎず、自然科学の一環としての社会科学構築を目指したものではない。自然科学としての社会科学は、単に論理(カール・ポッパーの反証可能性に根拠を置く科学論も、論理学不備の是正というレベルにとどまる)・思惟・用語の厳密化にとどまるものではないということだ。結局、社会科学は自然科学的な次元で科学ではなかったために、誰も自然科学としての社会科学を構築することはできなかったのである。これは、社会科学がやはり自然科学と同じ法則科学ではないこと、つまり真学ではないことを改めて確認することになった。

 それでも、社会科学が「虚学」、「偽学」とはいっても、「真学」のみで生きられる人は「達人」・「覚醒人」であって、大部分の「凡人」には「処世術」として社会科学は必要なものであろう。重要なことは、「虚学」、「偽学」が「自然が主、人間が従」という学問公準を破らない事であり、自然を破壊して「危学」・「害学」にはならないようにすることである。「危学」・「害学」で人間がいなくなり、滅んでは、学問も何もなくなるということだ。特にテクノロジーにおいては、一方で人類の進化、自然の克服を謳い上げつつ、他方でそのよってたつ自然科学を基盤とする総合的・根源的真学が教えるように、現代三大テクノロジーの「人間革命」は人類を改変・終焉させて人類文明を終滅させようとしているからである。

 分子生物学者ガンサー・ステントは、自然科学と社会科学の関係について独自の見解を提出している。つまり、彼は、「人間同志の交わりをもコントロールすることができるようになる」「社会科学こそは、その発展が今やもっとも焦眉の急である将来の科学」(ガンサー・ステント『進歩の終焉』160頁)としつつも、「社会科学の法則のほとんどは・・非決定論的な種類のもの」だから、「社会科学の早期の開花を期待することは空しい願い」なのであり、その開花には「自然科学に費やされたこれまでの全ての努力の量」をはるかに凌駕する努力が求められ、従って、経済学や社会学の「根本的な法則」が「現実」か「想像上の作りごと」かいずれ表わしているかを確認できるのは「ただ例外的な事例においてだけ」だから、社会科学はまだまだ「長く現在の曖昧で印象主義的な学科の状態に留まっているかもしれない」とする(ガンサー・ステント『進歩の終焉』168頁)。

 さらに、自然科学者の歴史的・社会的考察を見ると、概してそこには非学問的な傾向が散見される。それは、自然科学自体が個別細分化されていて、自然科学が学問の要であるという自覚もないのみならず、自然科学者に学問的総合化の能力の教育・訓練がされることがなく、いつしか疎遠となっていた歴史・社会を自然科学的に把握するなどという事は非常に困難になっているということにもよろう。だから、そういう自然科学者が歴史・社会を把握しようとすると、「学問的にずれた」ものになりがちとなる。例えば、上記ガンサー・ステントは、前8世紀にヘシオドスが書いた歴史観(黄金時代、銀、黄銅、英雄時代、黒鉄時代)に基づいて、「わたしは黄金時代到来のまぎれもない徴候と、黄金時代が前兆となるすべてのものがすでにわれわれ、少なくとも技術的先進国に現れているということを示してみたい」(ガンサー・ステント、渡辺格ら訳『進歩の終焉』みすず書房、1972年、2−3頁[Gunther S.Stent,"The Coming of The Golden Age."The National History Press,1969])などとするように、歴史分析・叙述方法が学問的ではないのである。その結果、そうしたヘシオドス歴史観などよりももっと重要なことが見落とされるこにもなるのである。つまり、自然科学者は、実際の事実に基づいて歴史分析ができないために、人間を人類文明の誕生から現在まで拘束している生産性原理という事に理解が及ばないのである。だが、これに基づいて人類文明史を見れば、感情や理性もあり、労働疲労を抱く人間よりは、故障するまで不平を言わずに労働するAIロボットなどの方がはるかに生産性が高い事が一目瞭然となるのである。しかし、AIロボットが人間労働に代替し、多くの人間が「失業」すれば、原則的に人間は購買力を失い、生産企業が製品を販売できなくなるのである。ここに、生産性を上げても製品は売れないという矛盾に陥ってしまうのである。これが生産性原理で始まった人類文明の帰着点、或いは終焉点となりかねないとも言えるであろう。

 自然科学と人文科学 次に、自然科学と人文科学の関係などについては、ガンサーが芸術について、芸術は「主として感情的意味をもつ私的な出来事の間の関係にかかわ」り、科学は「主として公的・一般的な出来事の間の、あるいはその中での諸関係にかかわること」を述べ、「芸術も科学も世界に関する真理を伝達しようという活動」であり、「情報とその情報における意味を感知することとが芸術と科学両者の中心的内容」であるとする(前掲書、136−7頁)。そして、彼は、「今日ほとんどすべての他の芸術形式も、実験音楽と同じく、その発展史上終局的ないし終局に近いと思われる段階に到達しているようである」り、「芸術におけると同様に明白な終局的段階に、ドラマ(不条理演劇)や文学(アラン・ロブ―グリエ、ウィリアム・バローズなどのアンチ・ロマン)も到達しているように思われる」(前掲書146−7頁)と述べているにとどまり、両者の関係は触れられていない。

 このように人文科学が「主として感情的意味をもつ私的な出来事」を扱うもので、これまで数千億の人々が生きたとすれば、地球上には数千億の物語があったことになる。文学者はそのうち数十万人の人生を選び出し、或いは似た人物を創作して文学作品にして、人類に娯楽・共鳴・同感・省察の材料・機会を与えてきたのである。従って、人文科学では、初めから、一つの自然科学的法則が成立する余地はないというべきであろう。しかし、一部の文学者は、文学を科学的に展開しようとしたり、「文学と科学」の関係を考察している。

 例えば、文学の科学的なアプローチの試みについては、物理学に造詣、或いは関心が深かった夏目漱石の文学に多少うかがわれる所である。漱石は科学としての心理学に興味を持ち、『こゝろ』などを著して、心の動きを精密に描写しようとした。心の動きに関して言えば、漱石は人間を「科学的」に把握しようとしたと言えよう。そして、漱石は、「進んで無機有機を通じ、動植両界を貫き、それらを万里一条の鉄のごとくに隙間なく発展して来た進化の歴史と見傚すとき、そうして吾ら人類がこの大歴史中の単なる一頁を埋むべき材料に過ぎぬ事を自覚するとき、百尺竿頭に上りつめたと自任する人間の自惚はまた急に脱落しなければならない」(前掲「思い出す事など」)と、地球史上に占める人類のささやかな位置を自覚して、謙虚であるべきことを説くのである。この夏目漱石の「科学と文学」についてはここを、夏目漱石の「漱石文学の立脚点ー「文芸の哲学的基礎」」についてはここを参照されたい。

 この漱石弟子の物理学者寺田寅彦は、昭和8年9月に、世界文学講座に「科学と文学」(小宮豊隆編『寺田寅彦随筆集』第四巻、岩波文庫、昭和23年)を書いて、「科学と文学」に関する「僻説」を一つの「実験ノート」として読者の俎上に供するとした。彼は、@「言葉としての文学と科学」において、「文学の内容は「言葉」である。言葉でつづられた人間の思惟の記録でありまた予言である」とし、「科学というものの内容も、よく考えてみるとやはり結局は「言葉」であ」り、「言葉としての科学が文学とちがう一つの重要な差別は、・・「数学」の言葉であ」り、微分方程式が最重要であるとし、A「実験としての文学と科学」において、写実主義・自然主義など「ほとんどあらゆる種類の文学の諸相は皆それぞれ異なる形における実験」であり、「それらのものは心理学者の研究資料とな」るとし、B「記録としての文学と科学」においては、歴史小説には「忠実な記録であるために実証的の価値があり同時にそこに文学としての価値を生じるものと思われ」、「科学が未知の事象を予報すると同様に、文学は未来の新しい人間現象を予想することも可能である」とし、C「芸術としての文学と科学」において、「文学も科学も結局は広義に解釈した「事実の記録」であり、その「予言」である」とし、「極端な自然科学的唯物論者におくめんなき所見を言わせれば、人間にとってなんらかの見地から有益であるものならば、それがその固有の功利的価値を最上に発揮されるような環境に置かれた場合には常に美である、と考えられ」、「文学が芸術であるためには、それは人間に有用な真実その物の記録でなければならない」とし、D「文学と科学の国境」においては、「科学の世界には義理も人情もない。文学の世界にあるものは義理と人情のほかのものと言えばそれの反映である」が、「顕微鏡で花の構造を子細に点検すれば・・花の美しさはかえってそのために深められるばかりである」故に、「人間の文化が進むにつれて、文学も進化しなければならないはずであ」り、「文学者は科学者以上にさらにより多く科学者でなければならないはずだと思われるのである」とし、E「広義の「学」としての文学と科学」において、「科学も文学も等しくこの未来の「学」の最後のゴールに向かってたどたどしい歩みを続けているもののようにも思われ」、「真実な現象の記録とその分析的研究と系統化が行なわれて、ほんとうの「学」が進歩すれば、政治でも経済でも人間に有利になるのが当然の帰結であると思われ、また一方芸術的に美しいものであるためには、その中に何かしら、ここでいわゆる「学」への貢献を含むということが必須条件であると思われるのである」とする。寺田虎彦は、科学としての文学に就いて多面的に考察している。

 概して、物理学者など科学者側から「文学と科学の関係」のアプローチは見られるが、文学者側からのアプローチは確認できなかった。それは、簡単に言えば、文学好きの科学者の方が、科学好きの文学者より多かったということであろう。前者は、親の家業が科学関係だったり、生活の安定を求めて科学関係職業についたが、本当は文学をやりたかったという人々であり、特に医学者にして文学者・小説家という人の存在が端的にそれを反映している。例えば、医者で小説家として、日本では、森鴎外(1862−1922年)、小酒井不木(1890−1929年)、齋藤茂吉(1892−1953年)、林髞(1897−1969年)、藤枝静男(1907−1993年)、山田風太郎(1922−2001年。ただし東京医科学校を卒業しただけで医者資格はない)、北杜夫(1927−2011年)、なだいなだ(1929−2013年)、加賀乙彦(1929年ー)、渡辺惇一(1933−2014年)などがおり、海外でもアントン・チェーホフ(ロシア、1860−1904年)、サマセット・モーム(イギリス、1874−1965年)、ハンス・カロッサ(ドイツ、1878−1956年)、魯迅(中国、1881−1936年)、A.I.クローニン(スコットランド、1896−1981年)らがいる。なお、南条範夫(1908−2004年)は、代々医者の家に生まれ、幼少年期に小説を読むことを禁止されたが、後に「経済学者」にして小説家になっている。

 研究者が「医学と文学」の研究論文を発表することはあっても(例えば、評論家高橋英夫「医学と文学のあいだ--加賀乙彦論」『新潮』75−6、1978年6月、医学図書館員「医学と文学」『図書館ニュース』No.182、1987年6月、研究者鈴木晃仁「医学と文学は何を共有しているのか--「身体医文化論研究会」について」『三色旗』慶應義塾大学通信教育部編、636、2001年3月、評論家神谷忠孝「医学と文学の交錯」『北海道文教大学論集』5、2004年3月、日本文学者山口俊雄、評論家橋本明「小酒井不木研究 : 医学と文学との領域横断性」『愛知県立大学文字文化財研究所年報』5、2012年3月、文学者福田安典『医学書のなかの「文学」 : 江戸の医学と文学が作り上げた世界』笠間書院、2016年)、医者が「医学と文学」とか「医科学としての文学」とかについて研究することはほとんどなかった(例えば、精神科医津川武一「医学と文学 ー津軽の医学と文化」『日本衛生学雑誌』20−3、1965年8月、外科医宮本忍『森鴎外の医学と文学』勁草書房、1980年、外科医大平整爾『医学と文学の交差点 : 北国の外科医の独り言』先端医学社、2009年。などがある程度で、かなり少ない)。それは、医学も文学もともに人間を扱うものであり、医者にとって、「医科学としての文学」というよりは、同じ人間対象の分野という問題意識が強かったからであろう。 

 ただ、医学も自然科学の一部とすれば、医学者らしく「科学的」に文学を創造しようとする者もいた。例えば、森鴎外の場合、初期には想像中心の歴史作品であったが、次第に「歴史そのまま」に事件・人物を描写することが「科学」であると思うようになり、晩年の医者・医者家系出身の学者の史伝三部作『渋江抽斎』・『伊沢蘭軒』・『北條霞亭』は、そのような「科学的」文学の最高境地に到達したものである。漱石が心を精密に描き上げたとすれば、鴎外は医者史伝を史実そのままに客観的に書き上げようとしたのである。しかし、鴎外が史伝三部作で「科学的」に取り上げた人物が、鴎外個人には大きな意義を持っていたとしても、人類文明史に大きな意義を持つか否かは別問題である。そもそも、心理を厳密に述べたり、史料批判を加えて史実に忠実に述べたとしても、それが自然科学としての人文科学を意味するものではなかった。論理・思惟・用語を厳格にしても社会科学が自然科学にはなりえなかったように、心理・史実などへのアプローチの厳格化だけでは人文科学が自然科学の意味における科学たりえないという事である。社会科学においては自然科学として構築しようという試みがなされ、いずれも失敗したが、人文科学では松目漱石を除いて自然科学として構築しようという試みすらなされなかったのである。人文科学は、人間の文化の個性・多様性・創造性・素晴らしさを対象にすれば十分であって、自然科学のような法則科学ではないとして、夏目漱石を除いて初めから個性・多様性・感興などをつぶす自然科学としての人文科学の構築を目指そうとしなかったということだ。そういう意味で、人文科学は「非学」であることに自負をもっているということになろう。

 しかし、岡本太郎氏らを除いて、これは「人文科学」者の不勉強・怠慢・無知というべきだ。なぜなら、自然科学もまた素晴らしい文化をうみだしているからである。 「自然と人間の関係」については生活「覚者」・「悟人」である縄文人は実に素晴らしい縄文芸術を生み出しているのである。戦後、岡本太郎氏は縄文土器・分化の芸術価値を発見し(岡本太郎「縄文土器について」『美術手帖』1955年12月、「岡本太郎「縄文土器論」--特集・この発言はどう生かされたか--戦後芸術界10の発言」『 芸術新潮』1960年10月、岡本 太郎『忘れられた日本―沖縄文化論』中央公論社、1961年)、彼の縄文文化論は大きな影響を与え続けた(例えば、安藤真「東北で考えた日本の文化(69)日本縄文考--岡本太郎と縄文文化」『 自由 』1996年4月、「岡本太郎「四次元との対話 縄文土器論 (特集 岡本太郎と万博EXPO'70)」『美術手帖』2000年10月、岡本太郎作、小林達雄,・村田慶之輔監修『「岡本太郎と縄文展」図録』NHKプロモーション、2001年、川崎市岡本太郎美術館『岡本太郎と縄文』2001年、 北海道立帯広美術館編『美の始源、美の呪力。岡本太郎と縄文 : OKAMOTO Taro,The Discoverer of Jomon Art』2002年、三方町縄文博物館『縄文人岡本太郎展 : タローがきた町 : 三方町縄文博物館特別展図録』2003年、小林 達雄「岡本太郎と縄文の発見 (特集 明日の岡本太郎) 」『東北学』2007年、蝦名 敦子「縄文・棟方志功・岡本太郎--鑑賞教育の題材化の検討」『芸術文化』東北芸術文化学会編集委員会編、2007年10月、志賀 祐紀「岡本太郎「四次元との対話 縄文土器論」についての一考察」『 米沢史学』28、2012年10月、浅井愼平・塚原史「縄文と現代をつなぐもの : 岡本太郎をきっかけとして」『 早稲田大学會津八一記念博物館研究紀要』15、2013年)。

 このように「縄文文化を基盤とした真学」、自然科学もまた実に素晴らしい芸術を生み出しているのである。もとより、人間の創造性・芸術性など、自然の創造性・芸術性に比べようもないことだが、自然に導かれ、教えられ、一体となって作り出された人間の芸術もまた、大いなる感動を人間に与えるのである。即自的に総合的・根源的であった縄文人は自然に導かれて、真の芸術・文化を「創造」していたのである。現在でも、新潟の自然や、瀬戸内海の小島の自然の中で芸術的一体化を試みようとしているのも、こうした縄文芸術と同じ自然の恵みが知らず知らずの内に作動しているからであろう。

 自然科学の限界 もとより、自然科学が「真学」基礎だといっても、人文科学、社会科学に比べれば、真実に近い学問の基礎だということであり、自然科学が100%絶対に「真学」基礎だと見るのは柔軟性に欠けていよう。

 例えば、渡辺格氏も指摘するように、「自然科学は短時間でその是非が判定できる科学であり、この点、社会科学、人文科学あるいは思想などに比べ、はるかに客観的で普遍妥当性をもっていると言える」が、ニュートン力学の独善性(ニュートン力学で「説明できにくい現象は捨てておかれ」る)、二、三十年前(1976年頃から)の生命科学の限界(当時は「生気論や全体論が力を持っていて、還元論的な分子生物学的考え方は異端とされ」、「生命現象を物質的に解明すること自体に」生物学者・物理学者が反対していた)のように、「自然科学も、その時代の大きな力によって影響を受けている」(渡辺格『人間の終焉ー分子生物学者のことあげ』174頁)という制約があったりするのである。そうした「制約」の最たるものこそが、上述のように「人間と自然の上下関係」なのであり、欧米のような「自然に対する人間優位論」のもとでは、自然科学の応用とも言うべきテクノロジーは非常に危ういものになりかねないのである。

 従って、自然科学が「真学」基礎だとは言っても、学問的に絶対に正しい訳ではないということだ。「自然が主、人間が従」という学問公準を破ってはならないということであり、従って「偽学」・「虚学」と雖もそれを遵守して「危学」・「害学」にならない限り、一方で「以ての外の非学という峻厳なる批判精神を堅持し、非学仲間内の慣れ合いを厳しく批判しつつも、他方で、危学・害学とならない限り、それらも処世術としては一定の意義があるという柔軟さも持つ必要があるということだ。学問の多様性を認めることによって、真学の卓越性・秀逸性・不可欠性がますますひかり輝くということだ。

 なお、1985年には、カリフォルニア大学バークレー校で開催された第17回国際科学史会議で「文学と科学・研究学会」(the Society for Literature and Science)が設立された。これは、科学史の側から提起されたように、自然科学の限界への反省から生まれたものであろう。現在、これは「文学と科学・芸術研究学会」(the Society for Literature,Science&Arts)として活動していて、そのHPによると、「文学、科学と芸術のための学会は、科学、エンジニアリング、テクノロジー、コンピューターサイエンス、医療、社会科学、人文科学、芸術の同学と独立学者と芸術家を会員に迎え入れる。SLSAメンバーは、科学と表現の問題の、そして、科学、テクノロジーと医療の文化的で社会的次元での関心を共有する」とあって、科学と学問諸分野の交流機関だと言えよう。ヨーロッパにも類似学会としてSLSAeu(本部はDepartment of English、 University of Basel)があり、これは、アメリカにある「人文、科学、芸術の学会」の姉妹組織として、「自由な学者、芸術家、科学者と同様に、人文学、社会科学、芸術、科学・医学・技術・コンピュータ科学の全領域における同学者を歓迎」している(同学会のHP)。

 こういう欧米の動向は、欧米科学側の自然科学に対する学問的反省・良心の発露として、大いに評価したい。しかし、これらは、学問の基軸を定めて、「自然と人間との関係」から、諸学問を位置付け、総合化しようという機関ではなく、我々の世界学問研究所とは異なるものである。恐らく、学問の基軸を定めて、諸学問を位置付け、総合化しようという学問機関としては、客観的にこの世界学問研究所は世界唯一の最高水準のものであろう。今は研究で時間がとれないが、いずれ一段落し時機が来れば、欧米学会にこうした日本の学問的立場を発表する事になるであろう。

 縄文社会の「自然と人間」 こうした「自然と人間の関係」についての厳然たる事実を雄弁に指し示してくれるものこそ、稲作登場前の日本縄文社会の「人間と自然の厳しい関係」であった。人類文明の終焉期にあって、我々は、人類文明の原点に戻って、「持続的」な人間社会の真実と理想を多様に示すのが縄文時代だという事を明らかにすべき時が到来したのである。未だに縄文社会が多くの真面目な学徒を引きつけるのは、そこには「富と権力」登場以前の「理想的・持続的な人間と自然との関係」についての真学があると認められるからである。勿論、真学などといっても、絶対真実の学問などというわけではなく、これも柔軟に考えなければならない事は既述の通りである。

 その上で、この自然科学基盤の真学こそが、日本文明を母胎として、根源的・総合的な学問を構築するものとなろう。それは、最初の人類革命ともいうべき食料革命によって恩恵を受けた国々とは、後述の通り、稲作の展開したアジア、つまりインド・中国・日本であり、特に濃密な稲作文明を展開した日本であったからである。かかる稲作文明のもとで、日本は、自然から奪い取るのではなく、自然の恩恵を頂く文化の推進国の一つになり、それに基づく学問を展開させる基盤を得たのである。稲作文明国の日本のみがかかる自然学問を展開させえたのであり、そうした学問基盤こそが約1万年続いた縄文文明であったのである。それは、惑星衝突など大災害がなければ、人類が数百万年、数千万年生き続けられる文明なのであり、そこでは、生活者のほとんどが「自然と人間の関係」についての生まれつきの「覚者」・「悟人」であった。人々は修行とか学問研鑽などをするまでもなく、「自然と人間の関係」については生活「覚者」・「悟人」なのである。

 現在、人類文明の変貌か衰退か或いは衰滅かの重大岐路にあって、この約1万年続いた縄文文明こそが、世界で唯一、日本をして根源的・総合的な真の学問を展開し得る学問的根拠をもつ国とするのである。既に我々は、そうした「縄文文化を基盤とした真学」の先駆をもっている。縄文的文化が根強く生き残った出羽国大館の生んだ安藤昌益の自然真営道である。元来、島国日本では、縄文的文化が長く根太く生き残って、日本文化の土台を成していたということである。それは決して過去の遺物なのではなく、脈々と日本文化の基盤をなしていたのである。日本が、大学者安藤昌益のみならず、大文学者夏目漱石、大芸術家岡本太郎をも生み出したのも、こうした縄文的分化である。

 日本では、自然を敬いこそすれ、「人間が自然を克服、征服した」などと、尊大なことをいう人はいないのである。日本人の礼儀正しさや連帯性の基盤は厳しい自然を敬う縄文文化に培われてきたものである。現在神社のある場所なども、縄文時代から聖域・神域とされ、霊のある場所トされてきたものである。日本の天皇はそうした神域を司る最高神職とされ、欧米のような恣意的な暴君が少なく、「億兆の父母」など徳性ある君主(確かにこうした発想は中国君主制からも得てはいるが、縄文文化がそれを別物たらしめた)たらしめ、神祇統治、仏教統治などの天皇統治を支えていたのも、またこうした縄文文化を基盤にしたものであろう。こうした縄文文化持続の物質的基盤は国土の8割以上を占めている森林がなしてもいたのであり、実際森林は未だに大いなる滋養を日本に与え続けており、積極的な森林伐採・耕地拡大などを唱えるものはいないということだ。皇居庭園、新宿御苑、明治神宮など、大都会東京にも意外と森林公園が少なくないのも、こうしたことからである。日本における縄文影響は今でも深く広いという事である。

 ここに、時間と対象における解析的・総合的な方法、つまり、始原・下方・根源の分析に向かいつつ、総合的な方法で現在・上方・総合に向うという方法に裏付けられた、根源的・総合的な真の学問によって、日本国を「人類文明危機対応面での世界の学問主導国」の一つにする事を広く世界に宣言し、学問をする者の責任と自覚を広く世界に表明する次第である。これは、日本において学問を営為せんと志し、学問的内実を満たさんと努力する者の当然の義務の一つだともいえよう(6)



                                   平成28年(2016年)4月18日


                                       世界学問研究所総裁  千田  稔



 (1)、これに関連して、「IT革命はインスタント革命だ。それまでは大変でお金がかかり、ごく一部の人しかできていなかったようなこと、とてつもない時間や労力を消費していたことを、誰もが簡単かつ安価に楽しめるようにしてしまう革命だ」(小川浩、林信行『アップルvs.グーグル』ソフトバンク・クリエイティブ、2010年、121頁)と、的確に指摘されてもいる。

 (2)、こうした研究細分化の弊害は、下記の通り、古くからヨーロッパにおける「大学における研究細分化の弊害」として指摘されて来たところである。

    「ヨーロッパにおける多くの偉大な学寮」はすべて「専門職業向き」であるが、「全般的な学芸と学問」は重要である。「もし哲学と一般原理の研究というものが、無駄な研究であると考える者があるとすれば、あらゆる職業の専門分野は、それから助を受け供給を得ているということを考えないものであ」り、これは「学問の進歩を妨げる」(フランシス・べーコン『学問の発達』、正式には『神と人間の学問の発達と進歩について』[福原麟太郎編『ベーコン』世界の名著20、中央公論社、昭和45年]、319頁)。「専門的学問に建築や寄金を、専らあてることは、学問の成長にたいして、悪い面の影響を与えているばかりでなく、国家や政府に対しても有害であったということである」(ベーコン同上書、320頁)。

   「(学問上の)真の行為というものは、いわば全人類の名において行われ得るものであるように、真の知識は個人の知ではなく、理性の知を可能にするだけのもの」であり、故に「学問というものはそれ自身永遠である人類のものだ」(シェリング『学問論』勝田守一訳、岩波文庫、1989年、27頁)。しかし、大学では「既存のものを己のものとするためにのみ学ばなくては成らぬことが非常にたくさんあるので、知識はできるだけ違った分科に分かたれ、全体の生命ある有機的な組織ができるだけこまかく細分されなくてはなら」ず、このため、「一切の孤立した知識の部門のすべて、したがって一切の特殊的な学問は、それらから普遍の精神が失われてしまった」(シェリング同上書、31頁)。この結果、大学では「知識への準備どころか、知識そのものが失われてしまったも同然」(シェリング同上書、31頁)である。

   こうした大学における個別研究の弊害は一層深刻化しており、大学の供給する個別断片的・非学問的な知識によってますます学問的には有害無益化しており、単なる「大卒」資格販売所になっているか、専門学校化(大学を就職予備学校と位置づけるなら、これが一番最適なのである。法律専門学校、商業専門学校、医療専門学校などでいいのであり、授業料も大幅に下げるべきである)しているといっても過言でない。

   また、研究細分化の具体的弊害の指摘にについては、下記が参考となろう。

   経済史家こそ「最悪の罪人」であり、「自称『経済史家』の圧倒的多数は、完全に世界の大部分の歴史を無視しており、残りの少数も結局、それを歪曲してしまっている。大多数の経済史家は、世界についてのパースペクティブをーヨーロッパ的なものでさえーまったく持ち合わせていないように見える。そして代わりに、彼らの『経済史』は、ほとんど全く西洋に限定されたものになっているのである」(アンドレ・グンダー・フランク、山下範久訳『リオリエントーアジア時代のグローバル・エコノミー』藤原書店、2000年、82頁)。経済史というところを、「日本史」とか「日本経済論」・「日本財政論・「日本金融論」などの各種専門研究に置き換えても、同様なことがいえるだろう。

   そして、これまで、人類文明の「歴史」を学問的に見る見方がなかったことについては、勝海舟が次のように興味深い指摘をしている。即ち、勝は、「おれはいつもつらつら思ふのだ。およそ世の中に歴史といふものほどむつかしいことはない。元来人間の智慧は未来の事まで見透すことが出来ないから、過去のことを書いた歴史といふものに鑑みて将来をも推測せうといふのだが、しかるところこの肝腎の歴史が容易に信用せられないことは、実に困った次第ではないか。」(江藤淳・松浦玲編『氷川清話』講談社、2002年、311頁)としていた。これは、今当てはまるということだ。個別細分化された事項や人物などのみを取り上げて、新事実を解明したとしても、それだけでは学問的意義が解明されたことにはならないということだ。現代に生かすなどと称して、面白おかしく過去の人物・事件を描くマスコミの「罪」は非常に大きいといわざるを得ない。

   さらに、ゲーテ『ファウスト』第一部では、哲学・法学・医学・神学まで大いに苦労して研究しつくしたが、少しも賢く(klug)なっておらず、未だに哀れな馬鹿者(armer Tor)であると嘆く有名な箇所がある。これは、欲望深いファウストが悪魔と契約を結ぶ伏線ではあるが、我々に言わせれば、これは、根源的・総合的脈絡のない、当時の学問の個別細分化状況による帰結とみる。当時の学問体系はどんなに研究しても賢くなれるような根源的・総合的学問体系ではなかったということである。そして、この事は現代でも当てはまる。過去・現在の1万数千年の人類文明史の学問的考察を踏まえて、未来の人類文明を展望するような学問体系、我々もまた未だにこうした我々を「賢く」してくれる学問体系を構築していないということだ。

 (3)、実際に、現代でもこうした警告は多様な受けとめ方をしていて、例えば戦前にあっては敬虔な日蓮宗の陸軍中将石原莞爾は「世界最終戦論」(昭和十五年五月『石原莞爾全集 』第一巻、1976年)において仏教的戦争観をも表明し、大本教は神道と千年王国論(「千年王国論」のもととなったのは「ヨハネの黙示録」)を取り込んだりした。彼は、こうした仏教思想を自分の日米最終戦争論に「悪用」することになる。

   ここではこれを瞥見しておこう。石原はこの最終戦争で「戦争が無くな」り、「国家の対立が無くな」り、「戦争発達の極限が戦争を不可能にする」とする。「その決戦戦争・・には老若男女全部、参加する。老若男女だけではない。山川草木全部、戦争の渦中に入る」とする。「もっと徹底的な、一発あたると何万人もがペチャンコにやられるところの、私どもには想像もされないような大威力のものができねはなりません」、「このような決戦兵器を創造して、この惨状にどこまでも堪え得る者が最後の優者であります」とする。もし両方がこの大量殲滅兵器(つまり核兵器)を使えば、共倒れとなり、残余は「死の灰」で滅亡し、結局人類は滅亡することにもなりかねないのである。石原は、「人類の歴史を、学問的ではありませんが、しろうと考えで考えて見ると、アジアの西部地方に起った人類の文明が東西両方に分かれて進み、数千年後に太平洋という世界最大の海を境にして今、顔を合わせたのです」とするが、「学問的」に言えば、アジアの西部で起こった「貧弱」な欧米文明と、アジアの東部で起こった「豊潤」なアジア文明との最終対立、それに基づく人類滅亡とみるべきということになる。石原は「この二つが最後の決勝戦をやる運命にある」とし、「今から三十年内外で人類の最後の決勝戦の時期に入り、五十年以内に世界が一つになるだろう」とする。「世界の統一は本当の歴史上の仏滅後二千五百年に終了すべきものであろうと私は信」じ、「仏教の考える世界統一までは約六、七十年を残されているわけであり」、「日蓮聖人以後の第一人老である田中智学先生が、大正七年のある講演で『一天四海皆帰妙法は四十八年間に成就し得るという算盤を弾』(師子王全集・教義篇第一輯三六七頁)」き、「大正八年(1918年)から四十八年くらい(約1966年=昭和41年頃)で世界が統一されると言ってお」る事が一根拠だとする(「世界最終戦論」)。

   なお、石原莞爾は「ドイツの産業大革命は、破壊的と建設的の「二つの方向」に作用を及ぼすと思う」とし、「最後の大決勝戦で世界の人口は半分になるかも知れないが、世界は政治的に一つになる。これは大きく見ると建設的であります。同時に産業革命の美しい建設の方面は、原料の束縛から離れて必要資材をどんどん造ることであります」(「世界最終戦論」)と、テクノロジーの二側面を看破している。

 (4)、例えば、20016年5月19日、日本政府は産業競争力会議(議長・安倍晋三首相)で、ドイツ・アメリカが先行する「人工知能(AI)などを活用する『第4次産業革命』を推進し、首相が掲げる『名目国内総生産(GDP)600兆円』(名目成長率3%で20年度頃)を達成」するという成長戦略を発表した(「成長戦略  AI活用が柱 政府素案「総花的」の見方も」[2016年5月19日毎日新聞配信])。このように、100年、1000年先という長期ではなく、5年先という超短期でしか見通せていないのである。これが、「学問的貧弱」の現実だということだ。

   また、AIロボットの「活動」の「当り障りのない一部」については、法的対応が検討されている。例えば、2016年5月9日、政府の知的財産戦略本部は、「人工知能(AI)が“創作”した小説や音楽などの権利保護に乗り出す」と決定し、「現行の著作権法の対象にならないため、新たな法整備を検討」し、「知的財産を活用してイノベーションの創出に取り組む企業や大学などの挑戦者を力強く後押しする」(安倍晋三首相)とした(2016年5月9日付産経フォト配信)。現状はこの程度くらいしかできないのであり、AIロボット文明への根源的・総合的対応などからは程遠いものである。

 (5)、この高齢化問題などを補足すれば、「65歳以上の高齢者人口の割合」が、1950年代には5%だったが、「2015年には26%、2055年には40.5%に達することが予測され」ていることである。ここに、AIロボット導入が、介護・認知機能改善などでの「深刻な労働力不足問題」への「解決策の一つ」と期待されるのである(神崎洋治『Pepperの衝撃! パーソナルロボットが変える社会とビジネス 』60頁)。

   また、労働力不足とロボットの連関を補足すれば、ソフトバンクの孫正義氏は、「以前から、労働力不足の解決策の一つとしてロボットが活躍する未来を説」き、「ロボット3000万台が人間の労働力が人間の労働力で言うと9000万人分に相当する、すなわちロボットは(眠らずに24時間はたらくから)人間の労働力の3倍をこなす」(神崎洋治『Pepperの衝撃! パーソナルロボットが変える社会とビジネス 』87頁)とする。

 (6)、なお、最近の日本の最悪の学問状況(科学)は、「2014年まで11年間の撤回論文数のワーストワンは日本人、ワースト10に2人、30位内に5人も名を連ねて」、「撤回数を国別に見ると、いちばん多いのから順にインド、イラン、韓国、それから中国、日本、米国と続」き、 「日本は捏造が多く、ほかの国は盗用が多い」(黒木登志夫談[塚田 紀史「日本が世界一の「研究捏造大国」になった根因 「カネ取れなければダメ」が不正生み出す」2016年5月29日『東洋経済オンライン』])というものである。この情けない体たらくは言語道断であり、私に言わせれば、論外である。日本を学問主導国にしようという大志を抱き、それを可能とする実力を抱く「本物の学者」がはたして今の日本に何人いるであろうか。こうした非学問的状況の世界的深刻化に直面して、世界学問研究所の責任と役割はますます大きくならざるを得ないということだ。

   こうした日本学問現状を適正に報道する能力を欠いた日本マスコミもまた深刻な問題を抱えているとも言えよう。

   真実を喝破する本物の学問が切望されるということだ。  
 
  


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                                    特別告知


 イギリス「産業革命」を古代・中世の支配多層性のもとに新たな世界的観点から把握しようとしていた過程で、原田男爵家について、今回いくつかの貴重な資料が発見された。一方、男爵原田一道長男の豊吉妻の照子の実父マイケル・ベア、その縁戚のサミュエル・ビング(ジークフリート・ビング、弟のオーギュスト・ビングが明治前半期に来日して浮世絵など美術品を購入)らの御子孫ドヴ・ビング氏(NZワイカト大学、現在のニュージーランド女性首相は教え子だという)が、2018年NHK講演、2019年10月ジャポニズム・シンポジウム講演などで来日され、原田直次郎の一代表作『騎龍観音』が展示されている東京国立近代美術館にご案内するなど、原田男爵家研究も新たなレベルに達している。

 ドブ氏は、ウルガイでサミュエル・ビング御子孫所有のビング・アーカイブ(ビング文書など)を取得された(ドヴ・ビング「過去への再訪ービング家のアーカイブがモンテビデオで発見されるまで」『国際日本学』第16号、法政大学、2019年3月」)。ここには維新期日本の写真や「公文書にない文書」もあり、美術史的のみならず、政治的、経済的にも重要である。つまり、ビング家の一人サミュエル・ビング(ジーグフリート・ビング)とは、西洋絵画史にご興味のある方ならほとんど知っている人物であり、ゴッホのスポンサーであり、アール・ヌーボーの拠点となった美術店を経営していた。ゴッホ、アールヌーボーに関心のあるかたなら、ビングは欠かせない人物である。

 ドブ・ビング氏は、日本のみならず、本国ニュージーランドでも精力的に講演され、研究水準も格段にあげられてきた。ドブ氏のビング家研究と、筆者の原田家研究とで、世界的なレベルで二つの歴史的家族が一定の連関をもって大きな刻印を残したことが重層的にあきらかにされようとしている。つまり、筆者の原田男爵家研究とドブ氏のビング家研究という二か国での「家族研究」は、もはやジャポニズムなどの狭い領域を越えて、世界的レベルでの新研究の好例の一つとなろう。こうした世界的動向にも触発されて、学問小領域において「原田男爵家の多様性・多彩性」を考察したので、いずれ公開する。


 なお、ビング氏は、2019年10月来日時に、明治十四年十月十二日書簡、明治十四年十一月五日覚というビング家文書二点を持参された。ビング氏には、既にその書簡の史的意義と英訳文を送付したが、特に前者書簡は明治期海軍の形成史上で重要なものである。これは、ベア(Baer)帰国に際して、16人の政治家・軍人らがベアに感謝して送別会を開催しようとしたが、ベアが病気で参加できないということになり、代わりに記念品を贈る旨を表明したものである。その政治家・軍人には、薩摩出身の吉井友実(工部大輔)、松方正義(内務卿)、大山巌(陸軍卿)、川村純義(海軍卿)、西郷従道(農商務卿)、黒田清隆(開拓使長官)、長州出身の品川弥次郎(農商務少輔)、山田彰義(専任参議、14年10月21日内務卿)、井上馨(外務卿)など、当時の有力者が含まれていた。それだけ、ベアは明治初期に少なからぬ貢献をしたということである。

 では、その功績とは具体的に何か。明治14年9月14日に、海軍卿川村純義は賞勲局総裁三条実美に、「独逸国領事エムエムベール氏へ勲章御贈賜之儀申牒」(国立公文書館、2Aー10−公2925[梅溪昇編『明治期外国人叙勲史料集成』第一巻、思文閣、所収])を提出した。それによると、@「海軍生徒深柄彦五郎明治五年中大砲製造修業之為め独逸国へ差遣候処エッセン府クルップ氏銃砲製造所の義は濫りに外国人へ伝習不致規則に候得共、ベール氏之斡旋に依り該製造所に於て修業せしむるを得、続て坂元俊一、大河平才蔵之両生徒も亦同氏の提撕に因り該所に修業する之都合を得」、A「明治九年扶桑、金剛、比叡三艦、英国に於て製造致候節、同氏上野公使へ随行エッセン府へ赴き該艦備付砲之製造方クルップ氏へ注文致し候処、英国に於ては クルップ氏之製造砲を装置せる軍艦製造致候義無之に付 製艦之実況悉了之上該砲製出不相成ては、万一不釣合等之為め甲板上之障碍を来さざるも保し難き等之廉を以てクルップ氏製造所之機械師をして態々英国造船家迄派遣せしむる等、同氏周旋の為め艦体と該砲とに於ける、聊か不適合無之装備之完全を得」、B「明治11年クルップ氏製造所員エレート氏扶桑艦乗組 来朝之節も、ベール氏之周旋に依り諸種兵器類之質問及び現在兵器之調査等を右エレート氏に依頼するを得」、C「同年海軍火薬製造所建築之挙あるに際し、右の測量製図其他火薬製造教師之雇入及各種製造機械之可否得失之説明クルップ氏時々発明の砲種に関する秘密之報告等ベール氏之懇篤、実に海軍之裨益不少」、D「将又送鯨艦備用之大砲弐門、クルップ氏より献納致候処、是迄各国政府へ献砲致候儀は有之候得共、共同本国政府へ献納之外は何れも壱門つつ献砲致来り候由之処、本邦に限り弐門献砲致候等も全くベール氏之厚意に因由致候儀に有之」と、「我海軍之為め切実尽力致候成績有之」りとして、「三等勲章御贈賜相成様致度」と上申し、同月17日に議定官全員の賛同を得て、勲三等旭日中綬章が決定されたのである。ベアは、もとより本職たる武器商人としての商機拡大を図りつつも、日本人の建国にかける勤勉さ・熱意などに触れて、親身になってクルップ社と交渉していたのである。

 最近のコロナ問題で、80歳のビング氏の近況が心配になり、近況を問い合わせたが、すこぶる元気であった。氏は普段から散歩をされ、拙宅を訪問された際にもエレベーターを使わず、階段を使用されたように、日常生活に運動などを組み込まれ健康には留意されている。

  なお、ビングとベアについては、今回ベアに関して大幅に補充したので、「ビングとベアの諸問題」を参照されたい。

  さらに、「原田男爵家の人々」については、父原田一道、長男豊吉、二男直次郎、豊吉妻の照子それぞれを参照されたい。


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                           政治経済学の誕生と展開
 
                           第一篇 政治経済学の誕生

                           古代以降の経済問題と倫理

 古代ギリシャ 古代ギリシァでソクラテス(前469ー前399年)、プラトン(前427−前347年)、アリストテレス(前384−前322年)の活躍した頃、インドでは釋迦(前463年? - 前383年?)、中国では孔子(前552−前479年)、老子(前6世紀―前4世紀頃)、荘子(前369−前286年頃)、孟子(前372−前289年)が活躍していた。前2000年「インド・ヨーロッパ語族の一派である『最初のギリシァ人』が北方から南下し、ギリシァの歴史が始ま」(ピエール・レベック、『ギリシァ文明 神話から都市国家へ』18−9頁)り、古代ギリシァと古代インドとは同系民族であったことが留意される。アリストテレスは『動物発生論』において、「インド犬も或るイヌのような野獣とイヌから生れる」(島崎三郎訳『動物発生論』[『アリストテレス全集』9、1976年、192頁)と指摘しているように、インドについて認識していることが確認される。インド・ヨーロッパ語族は、ヨーロッパ辺境にギリシァ小文明、インド大陸に大文明を生み出したのである。このガンジス・インド大文明は、征服過程で膨れ上がったアレキサンダー征服軍を戦わずして跳ね返した巨大軍事力を擁していた。

 古代インド ここで、我々は、古代ギリシァのみならず、古代インドにも政治経済学が登場したことを端緒的に確認する。最初に生れたのは政治経済学であり、純粋経済学、理論経済学などではなかったということである。それはなぜかをしっかり考える必要がある。こうした事を踏まえれば、アダム・スミスは古典どころか、「異端」であることがはっきりするであろう。

 古代中国 インドに支配者向けの独立教科として「経済学」があったとすれば、農業生産力、人口ではインドにほぼ匹敵する中国にも「政治経済学」はあったのではないかと推定することは妥当であろう。つまり、中国には独立教科としての政治経済学があったのか、あったとすればどのような形で存在したのか、などが考察されねばならない。すると、古代中国では「政治経済学」という用語こそないが、@『書経』(秦の穆公が在位を開始した前659年以降に成立)洪範八政( 食・貨・祀・司空・司徒・司寇・賓・師)に「一にいわく食、二にいわく貨」とあるように、古くから食貨という用語が使用され、以後も司馬遷『史記』(前91年)、『漢書』班彪[(3年ー54年)らが「食貨」という用語を使用し、Aさらに、このうち司馬遷『史記』)では「平準書」(均輸・平準策によって民のための物価安定策を考察)、「貨殖列伝」(貨幣を富豪の成立基盤としつつ、各地の風俗、物産、商業などをも倫理的に批判的に考察した富豪伝)が登場し(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典など)、ここに当時の経済学が中国において最も進んだ姿で出現したのである。なお、こうした中国のみならずインド、ギリシァなどに見られた当時の政治経済学的思考の共通的特徴として、経済とは放縦すると「悪さ」(価格、金利による不当利益による致富など貧富差拡大)をするということから、政治という用語があろうとなかろうと、正義・倫理・仁政の規制が絶えず込められていたということが指摘されるのであり、以後19世紀まで政治経済学という用語には倫理・宗教的判断基準が込められてきたのである。

 経済学に政治という用語が付されていなくても、誕生以来二千年余の間実質的には倫理的・宗教的経済学と同じ謂いだという事なのである。筆者は、以前仏教経済学研究所で、「学問としての仏教経済学」の構築を試みたことがあったが、当時はこの学問的「位置づけ」が分からずにいた。筆者は、かつて宇沢弘文氏に「仏教経済学をどう思いますか」と問うたことがあったが、「経済と宗教は別だ」と答えられた。氏におかれても、?経済学は18世紀までは長く長くその善悪併せ持つ本質的特徴によって宗教・倫理に制約されていたこと、A仏教などの世界宗教は善を希求する深淵なる哲学的基礎を持っている事などに気づいていないようである。この点に関して、カール・ポラニーも同様である。彼は、1944年に『大転換:市場社会の形成と崩壊』(野口 建彦、 栖原学訳、東洋経済新報社、2009年)を刊行して、産業革命の「大転換」は、あらゆる相互関係のあり方を市場で置き換えてしまったとし、玉野井芳郎・栗本慎一郎訳『人間の経済1 市場社会の虚構性』(岩波書店、1980年)、玉野井芳郎・中野忠訳『人間の経済2 交易・貨幣および市場の出現』(岩波書店、1980年)は、産業革命までは市場が親族や宗教などの社会慣習が規定する行為のなかに埋め込まれ静態的市場であったとしたが、@ポラニーはこれをギリシャのみの分析から導出し、当時の経済大国中国などの分析をドロップしていた事、A産業革命前のアダム・スミスが『国富論』で政治経済学への決別をしていたことを知らなかった事、Bポラニーを持ち出さずとも、つまり、経済人類学などを持ちださずとも、市場は産業革命以前からヨーロッパにとどまらず存在し各地にヴィヴィッドに展開していたのであり、決して埋もれていたのではなく、その市場の放縦が政治・宗教・道徳によって規制されていたということを知らなかった事などが指摘されよう。こうした、今や仏教経済学の学問的位置づけが明確となったのである。一つの新しい学問に一条の光が照射されたのである。

 古代中国では、巨大な農業生産力・人口を背景として食料生産と貨幣を二大経済的要因と把握し、食の中に衣料・手工業も含め、食とは「生産」を示す包括的概念とし、食料生産、衣料工業生産、手工業生産を含みつつも、当時の主要生産力たる食料生産をもって生産力の代表とし、貨とは当時のもう一つの経済問題たる貨幣及び商業に着目し、価格問題、市場独占問題などの経済学的基本問題を倫理、宗教との関連裡に提起したのである。もちろん、数学などを応用した精緻な分析ツールはまだないが、経済問題思考方法という点ではすでに基本的問題意識は提起されているのである。分析ツールが精緻化して、倫理が希薄化し、全体像が見えなくなったという点では、むしろ近現代経済学は古代経済学に劣るということになろう。

 この古代中国には、ギリシア政治経済学以上の包括的見解が示されていている。当初はギリシア政治経済学を第一章に持ってくる予定であったが、古代中国経済をますます知るに及んで、中国政治経済学を第一章にもってくる所以である。また、こうした政治経済学的思考がその後どうなっていったのか、すでに知られている経世済民思考とはどう関連してゆくのかが改めて考察されねばならない。

 古今東西、現実に存在し、作動していたのは、純粋経済学、理論経済学などではなく、万古不易の政治経済学であったということである。この政治経済学の倫理的・宗教的制約が「邪魔」だと思いはじめれば、政治的制約が非経済的制約として排除されだした。純粋な経済こそ社会経済を均衡安定させる「善良」作用をもつと見はじめれば、純粋経済的アプローチのみで均衡こそが経済の本髄とする研究もでてくる。こうした過程で「特殊な経済数学」が「市民権」をもちはじめてくる。「経済物理学」などと称して、物理学まで援用しはじめる。経済が「科学」の様相を帯び始める。しかし、現実の経済はそれとはあまりにかけ離れている。以後、政治経済学が、@富国強兵、経済成長、福祉国家、共産主義国家などを実現するように、経済は政策的に主導されるべきだという形で再登場したり、A既存概念にとらわれずに、新しい理想社会を構築するという思いを込めて新政治経済学として登場したり、Bブルジョア経済学に「良心の呵責」を覚える所があってか、東洋哲学ではなくカント哲学を応用して経済哲学を登場させたり、C国債金融資本の「横暴」などに直面してやはり倫理、道徳の規制が経済には必要だとして、経済倫理学という経済学分野の一つの新形態として登場させたりしてきた。好意的に見れば、実に多様であり、厳しく見れば、狭い専門に制約されて総合的俯瞰をできない上に、政治経済学の万古不易性に気づくこともなく、迷走・茶番・怠慢の連続であるともいえようか。

  以上の過程で留意すべきことは、「貧しさ」の故に植民地獲得、他国征圧を当然視するなかで、いつしか競争、生産性を軸に数学と言う自然科学を「活用」しはじめ(経済数学)、いつしかそれが金儲けに「特化」してヘッジファンドなどのデリヴァティヴ「悪用」をもたらし、国際金融市場をかく乱させ、その過程で「欧米経済学」は、自然を破壊し、地球を崩壊させ、宇宙を汚す「とんでもない代物」になりさがる可能性を帯び始めたということである。森林と言う自然が豊かで西欧とは異なって「縄文的文化」濃厚なスカンジナヴィアの敏感な少女グレタ・トゥーンベリがこうした環境破壊を激しく非難するのは、当然なことと言うべきであろうか。15、6世紀、貧しさゆえに、レコンキスタの流れに乗って、スペイン、ポルトガルがカソリックの「大義名分」を「悪用」して、ヨーロッパ以外のキリスト教化を図ると称して、ヨーロッパ以外の世界の植民地化に着手し、イギリス、オランダ、フランスなども世界植民地化に参戦して、ここに、ローカルな国家市場、各地の巨大市場(地中海市場、バルト海市場、東南アジア市場など)に加えて世界市場が登場して、それがヨーロッパに自動機械生産システム(産業革命)を生み出し、ヨーロッパは略奪的な性格を濃厚にし始めた。その侵略性は、一時政治経済学の倫理的制約性を「邪魔」としてアダム・スミスの「自由」主義に活路を見出し、それを肯定するための「経済学」を生み出したりするのである。


 以上によって、欧米偏向の経済学の一部は書き換えられることになろう。

                           
                           第二編 政治経済学の展開




                          最近の経済問題と倫理

 スミス以降の自由主義経済学は、恐慌克服策で無力を露呈すると、再び政治経済学に回帰しようとするが、もはやそれは道徳・倫理なき回帰であった。ここでは、今に至るまで金融問題が大きな問題の一つであり、しかも倫理・道徳の規制なき政治経済学であったことについて、その「最先端」貨幣政策の倫理問題に触れておくにとどめよう。これによって、人類にとって、貨幣問題とは、本論でも言及する通り、古代から直近の現在にいたるまで絶えず小さからざる問題であったこと、富の創造に関わる革新的政策の一つであった事を確認しておきたい。

 MMTの登場 今、我々が経済分野で倫理・道徳をとぎすましておく問題が起こりつつあるのである。2012年経済学者ランダル・レイが著作“Modern Money Theory: A Primer on Macroeconomics for Sovereign Monetary Systems”を刊行した。当時アメリカ史上最年少の女性下院議員アレクサンドリア・オカシオコルテスがこれに「支持を表明したこともあり、MMTの知名度は一気に上がった」のであった。ここでの議論は、この「ランダル・レイ氏の著作「Moder(庄司将晃「日本は「炭鉱のカナリア扱い」?異端の経済理論MMTとは」2019年7月18日Business Insider)いていた。そのランダル・レイは、2019年2月には、ウィリアム・ミッチェル、マーティン・ワッツらと共に初のMMT経済学教科書『マクロ経済学』を刊行し、ケインズの「財政出動による有効需要創出」を国債と言う赤字財政による貨幣発行によって行おうとした。この「現代金融理論は、極論すれば政府の赤字は問題ではないとするもの」である。だから、藤井聡氏は、「財政政策論」としてのMMTの定義として、「国債発行に基づく政府支出がインフレ率に影響するという事実を踏まえつつ、『税収』ではなく『インフレ率』に基づいて財政支出を調整すべきだという新たな財政規律を主張する経済理論」(藤井 聡「日本の財政が「絶対破綻しない」これだけの理由 MMTが提唱する経済政策の正当性を理解する」2019日12月26日東洋経済Online)とする。しかし、これは「米国では依然として、主にエコノミストや左派の民主党議員らが議論している異端の経済理論にすぎない」(Megumi Fujikawa 「米国で異端のMMT、日本はすでに実験済み?」 2019年5月16日Wall Street Journal)のである。

 それでも、櫨浩一氏は、MMTの評価すべき点として、?「政府が財政赤字(負債)を減らすと、それに伴い企業や家計などの黒字(純金融資産)も減」り、「その時、企業や家計が収支の悪化を避けるために支出(企業による投資や人件費への支出、家計の消費支出)を減らせば、景気が落ち込む可能性がある」から、「当初の想定よりも税収が減り、財政はそれほど改善しない」から、A「財政再建を成功させるためには、政府は支出の削減や増税による収支改善の努力をするだけでなく、企業に設備投資や賃上げ・雇用増を促す税制改革や規制改革などもしっかり進めなければならない、という結論を導くことができ」る点を指摘して、「これは重要なポイントだ」(庄司将晃「日本は「炭鉱のカナリア扱い」?異端の経済理論MMTとは」2019年7月18日Business Insider)と評価する。評価すべき点はほかにもあるであろう。しかし、このMMTには、その長所を上回るリスクを孕んでいるのである。

 MMTのアベノミクス着眼 やがて、米国MMT学者は、日本のマイナス金利の深堀による金融緩慢政策に乗じてMMTの市民権を得ようとしだした。スミスの「異端」に取って代わるMMTと言う新たな「異端」が日本金融緩慢政策に着目しだしたのである。バーニー・サンダース米上院議員の顧問でMMTを提唱する経済学者のステファニー・ケルトン(ニューヨーク州立大学)によると、「日本は政府が赤字を埋める資金を投資家から借りられなくても心配する必要がないことを示した。個人投資家が欲しがらない国債は常に日銀が買えるためだ。『日本は多くのことをうまくやってきた』」(Megumi Fujikawa 「米国で異端のMMT、日本はすでに実験済み?」 2019年5月16日Wall Street Journal)とアベノミックスを評価しはじめたのである。ケルトンは、「1000兆円もの公的債務にかかわらず、日銀の資産買い入れプログラムのおかげで10年物国債の利回りはゼロ近辺にとどまっている。一方のインフレ率は1%前後で安定している」とし、「日本に財政危機はない。それにインフレの問題もないのだから、消費税引き上げによって個人消費、ひいては景気を減速させるリスクを冒そうとするのは疑問だ」と述べた。彼女は、「自国の通貨を発行して借金できる国が財政破綻することはない。だから財政再建のために政府の支出を減らしたり税や保険料の国民負担を増やしたりしなくても、借金を膨らませて費用を賄えばいい」と、「主流派の学者から異端視されながらも世論の一定の支持を得る」MMTが一つの実験としてアベノミックスに着目しだした。2019年7月には、ケルトンは来日して、「巨額債務を抱えているのにインフレも金利上昇も起きない日本が実例だ」と発言した(庄司将晃「日本は「炭鉱のカナリア扱い」?異端の経済理論MMTとは」2019年7月18日Business Insider)。

 日本の消費増税批判論者のMMT接近 こうしたMMTの評価を受けて、日本の消費税増税に批判的な論者がMMTに接近しはじめた。その一人藤井聡氏は、日本銀行法第4条に「日本銀行は、その行う通貨及び金融の調節が経済政策の一環をなすものであることを踏まえ、それが政府の経済政策の基本方針と整合的なものとなるよう、常に政府と連絡を密にし、十分な意思疎通を図らなければならない」とも明記されており、政府から完全に独立な振る舞いをすることは法律的にも禁じられている。だから、政府というものを中央銀行と一体的なものとして捉えるのなら、政府は貨幣を作り出すことができるのである」(藤井聡「日本の財政が「絶対破綻しない」これだけの理由 MMTが提唱する経済政策の正当性を理解する」2019年12月26日東洋経済Online)と、MMT貨幣論の基礎が日銀法にもあるとした。そして、藤井氏は、「政府は、自国通貨建ての国債で破綻することは、事実上ありえない」とするのである(藤井 聡「日本の財政が「絶対破綻しない」これだけの理由 MMTが提唱する経済政策の正当性を理解する」2019年12月26日東洋経済Online)。藤井氏らは日本は公債で破産することはないから、MMT理論に基づいて、アベノミクスの一面たる国債増発による金融緩慢策を持続する事を積極的に評価するのである。ただし、彼らは、消費税増税の必要はないとして、アベノミクスのもう一つの側面たる「健全財政ー消費税増加」を批判するのである。

 MMTの批判 一方、日本財務省は、「多額の財政赤字を悪だとする主流の経済理論を掲げて8%から10%への増税を推し進めてきた」立場から、こうしたMMTを批判」(Megumi Fujikawa 「米国で異端のMMT、日本はすでに実験済み?」2019年05月16日 Wall Street Journal)する。櫨浩一氏は上記のようにMMTを評価しつつも、「MMTが主張する問題解決の方向性は・・、『失業者の増加や企業の投資の減少といった経済活動の縮小均衡を避けるためには、政府は財政再建をせず、さらに借金をして財政赤字を増やし、支出すべきだ』」とする事であり、これは「間違い」(庄司将晃「日本は「炭鉱のカナリア扱い」?異端の経済理論MMTとは」2019年7月18日Business Insider)とした。

 財政破綻、国家破産という論点を取り上げると、健全財政論は国債累積は財政破綻、国家破産をもたらしかねないとし、MMTらは国債発行できる限り財政破綻、国家破産はなく、永久に国債で赤字財政を補填しつづけるとする。では、そもそ財政破綻、国家破産とは何か。もとより国家がなくなる事ではない。歴史的な財政破綻、国家破産とは、19世紀に、中南米諸国やエジプト、オットマン帝国などが外債元利支払が困難になって財政破綻して、債権国の財政管理を受けることである。債務不履行となれば、債権国の大蔵官僚が乗り込んできて、主権が一部侵されることである。この時、これら諸国が自国通貨で国債発行していれば、国債元利支払不能となっても、外国債権団などが乗り込んできて国家主権を侵害されることはなかったであろう。そこで、MMTは、財政赤字補填を国債で行なう限り、財政破綻、国家破産はなく、増税を回避して大衆負担を免れるなどと甘くささやき、国民税負担を免れる「半永久的」魔法だと吹聴して、日本の消費増税反対論者をひきつけるのである。この国債累積による通貨増発論は、かつてのヘッジファンドの「ひずみを是正する」マネーゲームが、今度は国家の「国債の永久的発行による増税回避」というマネーゲームに移ったともいえるものなのである。

 しかし、この最大の問題点は、スミスがヨーロッパ先進国に世界植民地化を一層促進させたとすれば、このMMTないしそれに与する金融論は、先進国財政に大衆収奪を深刻に促進させ、国際的金融危機で世界に深刻被害を及ぼし、これまでにない巨大リスクを暴発させる可能性を秘めるものだということである。MMT側がやがてAIを導入して中長期統計を「合理的」に処理して国債発行・引受を合理化しようとしても、国債発行がその臨界点(中央銀行の国債引受の臨界点、国民らが国債発行への信用失墜させる臨界点)を越えれば、今まで経験したことのないような巨大ハイパーインフレによる大衆収奪のリスクのみならず、国際金融危機で甚大な被害を世界に与えかねないリスクをも帯びているのである。今の所、日本財政当局は、アベノミクスはこのMMTとは異なるとはしているが、国民の増税忌避・批判の動向を回避しようとして、MMT方式にはまり込む陥穽が待ち構えていないとは限らない。実際、上述の通り日本の消費増税反対論者はMMTにすっかり取り込まれている。故に、今こそ、こういう経済動向に国民は倫理・道徳を発揮しなければならないのである。池田信夫氏もMMTを「トンデモ経済理論」と批判し(「日本は「トンデモ経済理論」MMTの成功例か 「財政健全化」は経済政策の目的ではない」JBpress、2019年5月3日)、篠塚公義氏は「危険」と警告するが(「財政赤字を容認する「MMT理論」は一理あるが、やはり危険な理由」2019年5月10日Daiamond online)、こうした指摘は頗る健全というべきである。

                         貨幣依存経済観からの脱却

 現代資本主義を「マネー資本主義」などの造語でとらえようとする人が少なくないが、これはマネー・ゲームとかマネーの「魔力」とかは近現代特有なものと考える「視野偏狭」な見方というべきであろう。古代の経済大国中国の金融史を紐解けば、実に古くから貨幣は「国富の本」などと把握され、貨幣の鋳造・流通・退蔵が経済に小さからざる影響を与えていた。貨幣の「魔力」は今に始まったことではないのである。

 我々は「マネー資本主義」と表現する発想を転換すべきであろう。我々は、貨幣の歴史的役割を踏まえつつも、貨幣が現代経済を動かすという姑息論から脱却すべきであろう。では、どのようにして脱却するのか。

 GDP問題 周知の通り、GDP(Gross Domestic Product、国内総生産)とは「ある国において一定期間(たとえば一年間)に生み出された付加価値の総和」のことである。この付加価値とは「新たに生み出された価値」を意味し、売上から仕入の金額を引いた値に相当する。こうしたGDP計算方法としては、@生産面(一年間に生産された全ての最終財・サービスの総額)、A消費面(家計、企業、政府の三種類の経済部門)、B分配面(家計、政府、および企業へと分配された利潤)からの算定方法があり、全ては一致する(三面等価の原則)。

 そして、具体的な国民経済計算は「四半期別GDP速報」と「国民経済計算年次推計」の二つからなり、@「四半期別GDP速報」は「速報性を重視し、GDPをはじめとする支出側系列等を、年に8回四半期別に作成・公表」し、A「国民経済計算年次推計」は、「生産・分配・支出・資本蓄積といったフロー面や、資産・負債といったストック面も含めて、年に1回作成・公表している」(内閣府「国民経済計算とは」内閣府ホームページ)。

 まず、このGDPの計測方法の問題として、「国際基準SNA(System of National Accounts)によって定義されるGDP統計は作成国の既存統計に全面的に依存し、各国が異なる推計方法を確立しているのが現状」(李潔ら「中国GDP統計に関する現状と課題 ―日本との比較―」2016年度KAKEN23530247番研究)だということである。その結果、各国は国益に沿った計測方法をとることになる。例えば、日本の場合、内閣府は「基礎統計を基づいて国民経済計算を作成する方法をある程度公開している」が、「国家機密に当たる」として実際は公開していないし、「計算数式は毎年改良されるので、どれほど客観性、継続性があるか明らかではない」(山内竜介「GDP 秘密のレシピ」『読売新聞』2015年2月12日)のである。

 その結果、GDPが政権によって政治的に利用されることもある。例えば、日本の場合、安倍政権発足時の2012年12月からの景気回復は「戦後最長に及んだ可能性が高い」(内閣府)として、安倍首相は「「名目GDPが1割以上成長し、過去最高となった」と、成果を強調する。また、2016年12月に国際基準で研究開発費を加えるという「算出方法を変え」ると、2015年名目GDP500兆円程度が2019年7−9月期に559兆円に達したとして、実績の“かさ上げ”で政府目標「600兆円」を達成しやすく操作したりする。また、「2020年1月発効の日米貿易協定の経済効果試算も“水増し”だという疑い」もでたりしている(古川幸太郎「アベノミクス指標に“仕掛け”GDP算出方法変更、不都合な試算拒む」[2019年12月29日『西日本新聞』])。

 次に、計測対象の問題として、GDPが計測できなくなる対象が少なくなく、先端技術の複層的展開などでこうした対象が年々増加しているということである。

 IMF(職員ワラァ「GDPとはなにか、基本に立ち返える」YOU TUBE」)は、GDPは「ある経済が一年にどれだけ生産したかを示せる」いい指標だとしつつも、@「お金が公平に行き渡っているか」という問題、A「環境破壊」(グリーンGDP)という問題、B「育児などの重要なサービス」は測れないという問題があるとする。アンガス・ディートン(Angus Stewart Deaton)は、今までの経済成長は物質量ではかられてきたため、電子メールなどによる生活水準の向上が過小評価されてきたとする(『経済学者、未来を語る』小坂恵理訳、NTT出版)。ダイアン・コイル(Diane Coyle)は、GDPの測り方は、経済の在り方が変化するのに寄り添って変わっていくとしつつも、現状のGDP測定の課題として、(1)経済の複雑さ、イノベーション、(2)サービス・無形資産、無償の活動など、(3)持続可能性、環境や資源の保全、という3領域をあげているが(ダイアン・コイル、橋璃子訳『GDP 〈小さくて大きな数字〉の歴史』みすず書房、2015年)、これらそのものが複雑に連関しているから、複眼的視野が必要になる。

 例えば、特に先端技術については、@デジタル情報やアプリなどの無償提供、共有経済が人々にの幸福や生活満足度に多大な影響を与えている事( Erik Brynjolfsson,Andrew McAfee,"The Second Machine Age: Work, Progress, and Prosperity in a Time of Brilliant Technologies, W.W. Norton & Company", 2014)、AGAFA(Google、Amazon、Facebook、Apple)が大きな満足を与えている事、Bにもかかわらず、これらの先には先端技術の恐ろしいリスクがある事など、複雑に絡まり合っていて、もはやGDPには測定できないものが少なからずあるのである。

 また、資源と成長の連関についても、@産油国では国内石油資源の発掘利用は短期的には成長に寄与しても、長期的には資源枯渇リスクに絶えず直面し(故に脱石油産業構造への転換に積極的な国もある)、Aこうした資源枯渇を伴う経済成長は大なり小なり他の国にもあてはまるのであり、GDPではこうした資源リスクをも測定できないのである。
  
 こうしたことに対して、遅々としているが、確かにGDPの見直しの動きはある。例えば、2009年、国連は計算基準を見直し、企業の研究開発費、防衛装備費、不動産仲介手数料、特許使用料も加えるとした(「日本のGDPが一気に3%底上げも」『産経新聞』2016年5月6日)。しかし、こうしたGDP修正の動きは「ご都合主義的」であり、上述のように時の政権に利用されたりするのが実情なのである。

 ブータンの試み 従って、検討すべき増補項目は時の政権の都合に翻弄されるものでないことが肝要であり、特に環境破壊関連指数などは非常に重要なもの一つであろう。そこで、GDP諸指数の増補を的確に行った上で、貨幣に翻弄される経済成長観の根本的転換をはかることが何よりも必要となろう。

 こうした動きの一つとして、ブータン第三代国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクがGDPに疑問を抱いて、国民総幸福(GNH,Gross National Happiness)を提案したことがあげられよう。これに基づき、第四代国王のジグミ・シンゲ・ウォンチュックらは、2008年にブータン国民の生活充足度を測るためのGNHの4本柱として、@「公正で公平な社会経済の発達」、A「文化的、精神的な遺産の保存・促進」、B環境保護、C「しっかりとした統治」をうちだした。そして、このGNHがより深く理解されるために、具体的に、(1)「他国へ広く知られること」、(2)「たくさんの指標ができることによって物質的な利益も測れるようになること」、(3)「経済方針の核として道徳と文化価値統合の必要が高まること」、の三点が必要とするのである(ブータン政府観光局)。これは、古典的な政治経済学の構築宣言ともいえるものである。

 そこで、ブータンは、観光客を制限し、伝統服装の着用を義務付け、先進国文化の「乱入」を通信面でも制限しようとした。観光についてみれば、ブータンは、@森林面積を60%維持するとし、Aそうした自然の破壊とならぬように外国人観光客の受け入れを制限し、公定料金(250ドル)を徴収し、高い旅行費を設定したのである。その結果、2018年ブータンへの外国旅行者は僅か20万人にとどまった(倉敷市国際課「ブータン便り」第7号、2019年3月8日)。

 こうしたGNH政策は大きな反響をよんだが、筆者が数年間ブータンの新聞Kuensel Onlineを分析した結果、ブータンの実態は実は青少年に麻薬などが蔓延し必ずしも幸福とはいえないものであり、そのほかにも少なからぬ問題があった(「ブータンのGNH(国民総幸福)の考察ー仏教と権力の観点より」 『仏教経済研究』38号、2009年5月)。負の側面が際立った。なぜか。それは、@観光制限によって、国土資源、伝統文化を維持しようとするのだが(High Value,Low Impact)、外国消費文化が国民に「悪影響」を与えないようにしていて、若者の「欲望」を適切に処理しきれなかったという面も否めないからであり、Aさらに、幸福の基盤である「美しい自然」「素晴らしい歴史文化資産」の維持努力などを指数化して、旧来GDPに代わる新しい「国力成長」指数などを作れなかったからであろう。IMFデータによると、ブータンの2018年名目GDPは167位25億82百万ドルであるが(IMFのGlobal Note)、こうした自然資源維持の努力などが数倍の価値ありと適正に評価されれば、ブータン「国力成長」指数などは上がるであろう。
 
 なお、こうしたブータン試みの影響を受けて、趙い琳氏は、中国経済について、「現在のGDP指標では計測しきれない部分が多いため、デジタルシフトが進む中国経済の全体像と実情を把握するのは一層難しくなってき」て、「豊かさだけで『小康社会』(貧困撲滅など経済的な側面以外に、社会の発展や法制度、文化、教育、生活の質など、国民の関心が極めて高い分野も多く含まれている)は実現できない」とする(趙い琳「中国経済を「GDP成長率」で語ることの限界 政府は2020年まで6%維持を目指すが…」2020/01/23東洋経済Online)。
 

 新国力成長指数 こうしたブータンGNHが我々に示唆することは、確かに諸問題があるが、問題とは基本方向の前進に向けて克服するためにあるのであり、それを一つ一つ克服してゆけば、貨幣に依存せず、自然・歴史文化を「そのまま保護活用」する「観光産業」が、今後の「新国力成長指数」の基軸の一つにすえられる事になるであろう。

 確かに観光産業には停滞する地方経済の起爆剤と言う側面もあろうが、もっと大きく見て、観光産業は、貨幣依存的マネーゲーム的経済から脱却して、「倫理的・道徳的経済」と言う新しい「古典的」経済に転換するものとしてとらえるべきであろう。人類史と言う長い視野から見れば、これからは、環境を破壊する「公害」工業をいっそう「修正」「規制」して、自然・歴史資産を多彩多様に「効率的」に活用した経済こそが新しい「国力成長」指数の基軸の一つになるべきであろう。

 こういう大局的観点に立って、これを含めた新「国力成長指数」を案出しようとするならば、@観光産業の多様な「生産高」の「動態的」評価、A自然・歴史資源を保護・活用する事の「動態的」評価、B「経済方針の核として道徳と文化価値統合」の「動態的」評価などを適正にする必要があろう。我々は、消費依存的な経済成長指数から脱却して、総合的な「国力成長」指数などを算定すべき時期にきているのであろう。或いは、数量的指数はあくまで参考資料の一つにすぎないのであり、こうした考え方から脱却すべきなのかもしれない。

 明治期の自然資源活用論 Aの自然資源の活用論は、いちはやく明治期に井上円了、高橋是清ら仏教側から提唱されていた。筆者は、当初は高橋是清が仏教的境地から自然資源活用論を最初に提唱していたと思っていたが、是清よりも早く仏教哲学者井上円了が同じような政策を提言していた。貨幣増発させないのみならず、鉱物資源を枯渇せず、公害も発生させず、この自然資源活用量は実に最善の方法であり、故に円了は「秘法」とまで表現した。ここでは、是清の自然資源活用論を紹介し、円了ら明治前期の国際観光論との比較考察は拙稿「明治期の国際観光振興論」を参照されたい。

 明治35年、日銀副総裁高橋是清は、「我国経済上の国是」(『高橋是清文書』240号文書[国会図書館憲政資料室所蔵])において、当時盛んに提唱された外資導入・世界的工業国論を批判して、日本では民間では「工業は古来より寧ろ手工に属する者が多いので、大資本を用いて文明の利器を応用するに足る性質のものが至て少ない」として、「我国の運命は世界的資本国の地位に立つべきもの」だとした。そこで、是清は、日本の特色を活かして国是を定めよとして、@巨額資本を投入して「文明の利器」たる「鉱山、炭坑、鉄道、山林の事業」を興すとしつつも、A千年来の蓄積ある「手芸上に於ける技術と高雅なる智能」を活用して「世界に冠たる」美術国になる事、B「世界の東西南北」の貿易通路という日本の位置を活用する事、C「我国の特色」たる「景勝に富める好山水」が外国人招来の「有力なる自然の招牌(看板、魅力)」である事を提唱した。日本の自然を生かした観光振興論である。

 そして、是清は、「東洋の巴里としての日本」(『経済評論』第二巻第六号、明治35年3月)において、こうした観光立国論のモデルをフランスに求めた。是清は、フランスでは、外国貿易・商工業の発展ではなく、「パリの観光資源が世界資金をパリ市場に誘引している」とみて、「仏国を日本の発達のモデルに設定する」のである。具体的には、@日本は風光上では「世界屈指の騰品(一等国)」だから、東京、京都、大阪、神戸、馬関の「主要停車場」、「瀬戸内若しくは避暑避寒の適当せる各地の島嶼」にホテルを建設し、A国民の間に外国人歓迎の「風習」を養い、B国家的「大方針」のもとに観光地連絡網を整備すれば、C外国人観光客の「消耗する所の金額は実に予想外の多額に達する」とした。@の主要停車場へのホテル建設などの主張は鉄道関係者も着目したことであろう。


 井上円了、高橋是清らの国際観光論には、<自然活用面における倫理的規制問題>を考える材料を含んでいるが、この問題は、自然資源の活用に保護を加味して、自然資源の保護・活用を一体的に柔軟に考慮する事によって対処されよう。これについて、資源と資産の関係から一言しておけば、現在の所は確定的解答はないのだが、資源とは、個人・組織(自治体・政府・企業)などが経済学的(土地、労働、資本を含めた財)・経営学的(企業の「財務資本」「物的資本」「人的資本」「組織資本」[ジェイ・B・バーニー、岡田正大訳『企業戦略論』(上)基本編、243頁])に活用されて利益を生んで会計学的な資産となるという関係にあり、自然資源の動態的把握に際して参考にはなろうが、本来的には自然資源などは資産範疇にまでなるべきではないのであり、自然資源の保護・活用こそが政治経済学的な「利益」を生み国力を成長させると触れるにとどめておこう。この点は、次に見る歴史資源にもあてはまるであろう。

 歴史資源 そこで、ここでは、歴史資源の保護・活用について見ておこう。

 日本は、縄文時代から近現代に至るまで、実に歴史資源が豊富である。この英訳紹介も、北海道・東北の縄文文化、九州の弥生文化、近畿の王朝文化、関東の江戸武家文化などでについて少なからずなされている。

 観光庁が、平成31年に「地域観光資源の多言語解説整備支援事業」として「多言語解説整備を行うために盛り込むべき必要事項を整理したスタイルマニュアル」を作成している。これは、「訪日外国人旅行者が地域を訪れた際、観光資源の解説文が乱立していたり、表記が不十分であることから、観光地としての魅力が伝わらない等の課題に対応するため、また、多面的観光ストーリーを伝える魅力的な解説文の整備を促進するため、解説作成に関するノウハウをまとめ」、「『伝わりやすい』解説文のつくり方を提示」している。これは、今後英文で歴史資源を紹介する上でも参考となろう。以下、既に英語で歴史資源を紹介したものを瞥見してみよう。

 北海道・東北の縄文文化については、例えば『縄文』(国際縄文学協会)、「北海道・北東北の縄文遺跡群-」(縄文遺跡群世界遺産登録推進事務局 [青森県企画政策部 世界文化遺産登録推進室内])、「特別史跡 三内丸山遺跡」(三内丸山遺跡センター)、「縄文時代を感じる!三内丸山遺跡」(TOHOKU Travel Magazine)が日本語版・英語版で作成されている。日本文化の原点が英語でも考察されていて注目されよう。

 九州の弥生文化については、吉野ヶ里遺跡の英文紹介がOne of Japan's largest moat-encircled villages and ancient ruins site(吉野ヶ里歴史公園)、Yoshinogari Ruins(ANA)、弥生村落一般がYAYOI HOUSES AND VILLAGES(Jeff Hays、actsanddetails.com)などによってなされている。さらに、縄文・弥生、古代の英文紹介としては、Noteworthy Archaeological Sites(Japanese Archaeological Association)、7 Best Places to Experience Ancient Japan(Lucy Dayman)などがある。

 近世の城について、例えば小倉城(小倉城、ただしグーグル翻訳)、宇和島城(宇和島市)、広島城(公益財団法人広島市文化財団 広島城)、岡山城(岡山城天守閣)、大阪城(大阪城天守閣)、和歌山城(和歌山市観光協会)、名古屋城(名古屋市)、小田原城(小田原市、ただしグーグル翻訳)、仙台城(仙台市)、弘前城(弘前公園)などが英文で紹介され、外国の日本城郭紹介として、三浦正幸監修、Chris Glenn著『城 バイリンガルガイド』( Bilingual Guide SAMURAI CASTLE、小学館、2017年)、Japanese Castle List(城彩 jyo-sai.com)があり、Castles(japan guide com.)、The Top 10 Most Beautiful Castles In Japan(cultere trip)、Japanese Castles(Japan Visitor)、Types of Castle and The History of CastlesーJapanese Castles(Castle and Manor Houses Resources)、Top 12 Oldest Castles in Japan(trip savvy)、Japanese Castle Explorer( Daniel O'Grady)、Japanese Castle Trivia to Enhance Your Visit!などもある。

 さらに、江戸城下史跡については、『英語で持ち歩く江戸・東京散歩地図』( 三猿舎、2008年)などがある。これは、江戸・東京の古地図を参照しつつ、江戸名所・史跡を英語と日本語で内外観光客に案内するものである。 筆者も、、学問構築に必要な資金確保のためにも東京に七階建てビルを建築した頃、平成6年(1994年)から9年(1997年)にかけて、国際学術交流のために、、ケンブリッジ大学、ワシントン州立大学生に英語で千代田区内の歴史資源を案内したことがあったが、この時にこれが刊行されていれば、さらに有益であったろう。

 今後は、三猿舎のような歴史編集プロ集団なども関与する事によって、史実に基づいた歴史資産の体系的な英語紹介などが望まれよう。また、電子書籍化してアプリでも自由に見れるようにすることも課題の一つであろう。




 こうした問題を考える上で何よりも重要な事は、倫理なき経済は、暴走し、環境を破壊し、人類を滅亡させる可能性が限りなく高いということである。


 

 
 この最中にも、明治維新の大先学である中村哲氏から貴重な『東アジア資本主義形成史論』(汲古書院、2019年)の献呈をうけた。氏は、日本に限らず、世界的規模で大活躍されておられ、今回刊行されたものはアジアやメキシコまで含む画期的な大研究である。そのスケールの壮大さは、30年以上前から筆者に刺激を与え続けてくだされた。同じく維新研究者の石井寛治氏の精力的な世界的研究にも古くから触発されており、ここに、世界的スケールで大活躍されている両先学に対して、改めて敬意と謝意を表したい。

 なお、仏教経済研究については、華厳学大家の吉津宜英駒澤大学教授には色々御指導を頂き、仏教経済研究所で発表する機会を少なからず頂いた。深甚なる謝意を表明したい。また、研究会には元新聞社論説委員安原和雄氏(『足るを知る経済―仏教思想で創る二十一世紀と日本』毎日新聞社、2000年、の著者)ら「逸材」が多数蝟集していて、頗る刺激的であった。現在は月一研究会は休会のようだが、この研究会は恐らく世界でも最も希少価値の高い研究会の一つといってよいであろう。大変貴重な経験をさせて頂き、深甚なる謝意を表明したい。また、世界的に比類ない壮大視野のイオンド大学では、総長要請で仏教経済学について学術講演させて頂いた。さらに、元国際交流基金幹部広田崇夫氏は、該博な国際知識を持たれ、世界中の学術交流を通して、国際交流の重要性・意義を積極的に身をもって示されてきた。記して深甚なる謝意を表したい。



                                             2019年6月13日
                                             2020年1月3日追記


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                          学問の基本的課題


 筆者は、専門知と総合知を柔軟に駆使して、高度に内発的・外発的な学問的相乗効果を発揮して、諸専門領域の下記諸課題の解明に高度な総合化作用を響き渡らせ、専門知のみでは到底達し得ない地平から必要に応じて世界に助言する。

 総合的・根源的学問、つまり「真学」が、「自然と人類」の過去・現在・未来を扱うのであるから、それは、人類社会を自然社会と富社会にわけて、その根源的・総合的に把握することから、総合的・根源的学問論が具体的に構築されよう。これによって、既存諸研究は、真の学問と、「富社会・権力という虚仮の扱い関わる学問」でしかない非学・偽学・虚学・偏学・害学などに分類されてこよう。


                 第一章 二大人類革命ー自然生産性優位から人為的生産性優位へ 

 まず、人類が、これまで衣食住という基幹的生業についての革命を通して「文明的展開」をとげ、「富と権力」という二大虚仮を基軸とする世界システムを各地多様な形態をとりつつ全世界に普く築き維持してきたことを踏まえて、この「富と権力」システムの現在・未来の展開を学問的に展望する。

 これによって、我々は、史上初めて、文明誕生期において、世界の中心はアジアにあり、以後の世界の展開の中心もアジアにあったことが体系的に明らかにされるであろう。

           第一節 世界三大穀物(小麦・米・玉蜀黍の歴史的意義)と食料革命ー人類文明の登場:自然生産性優位

 そこで、世界学問研究所は、人類が、食料と衣料における二大人類革命を通して現在の世界システムを作り上げてきたことを史上初めて連関的に把握しその歴史的意義を明らかにする。即ち、最初に、自然的・生態的影響の優勢下に、麦・米・玉蜀黍という世界三大穀物の栽培開始=食料革命(従来これは農業革命と把握されてきた)を展開し、人間を動物社会から離脱させて「人間社会を富社会として自然社会から分離」して農業文明を展開したことの解明を課題の一つとする。

 この食料革命こそが、人類に「富と権力」に基づく文明、戦争と平和の歴史を初めてもたらすことになった。このことの歴史的意義はどんなに強調しても強調しすぎることはない。イマニュエル・ウォーラステインの世界システム論(ウォーラステイン『近代世界システム 1600ー1750 :重商主義と「ヨーロッパ世界経済」の凝集-』川北稔訳、名古屋大学出版会、1993年、『近代世界システム 1730ー1840 :大西洋革命の時代-』川北稔訳、名古屋大学出版会、1997年、『史的システムとしての資本主義』川北稔訳、岩波書店、1997年、『ヨーロッパ的普遍主義 : 近代世界システムにおける構造的暴力と権力の修辞学』山下範久訳、明石書店、2008年)、フェルナン・ブローデルの卓越した世界史論(フェルナン・ブローデル『物質文明・経済・資本主義 15−18世紀』VーT 世界時間1、村上光彦訳、みすず書房、1996年、フェルナン・ブローデル『歴史入門』金塚貞文訳、太田出版、1995年)などの「致命的」欠陥は、10世紀以前の世界史が欠落しているということである。つまり、彼らは、世界史の起点ー基点ー原点たる食料革命論を欠落させたまま、世界史論を展開させたということである。この点は、程度の差こそあれ、彼らの批判者でもあるアンドレ・グンダー・フランク(『リオリエントーアジア時代のグローバル・エコノミー』山下範久訳、藤原書店、2000年)についても同じことが言えよう。

 それに対して、我々は、10世紀以前の世界史の「起点ー基点ー原点」を二大人類革命の一つたる食料革命の視点から総合的に把握しようとしているということである。

 実は、この「起点ー基点ー原点」こそが我々人類の営み、それに基づく諸問題の「起点ー基点ー原点」であり、これが人類の学問体系の「起点ー基点ー原点」なのである。 この「起点ー基点ー原点」の発見には50年の期間を要したが、これによって初めて学問体系が総合的・根源的に構築することができるのである。これで、人類の諸問題の特質的諸連関が初めて学問的に明らかになったのである。

 だからといって、初めから この「起点ー基点ー原点」を発見していれば、もっと早く総合的・根源的な学問体系が構築されていたかというと、決してそういうことにはならない。確かに幾多の試行錯誤がなされ、無駄徒労と思われる事も少なくなかった。だが、その発見に至る過程の諸々の努力があったればこそ、この「起点ー基点ー原点」の発見が生きてくるのである。それがあったからこそ、この「起点ー基点ー原点」の「学問体系の光明」としての意義がよく分かってくるのである。

 初めからこの時期だけを取り上げて安住したり、以ての外の学問的怠慢者で充満する非学問的な日本の大学などに関わっていたりすれば、上記の「起点ー基点ー原点」の人類革命としての学問的意義などは到底分からないということだ。だが、この総合的・根源的な学問体系、つまり真学体系の意義の重要性はいかに強調しても強調しすぎることはない。

 これこそが我々の厳しい学問的立場なのである。

 なお、こうした厳しい学問姿勢に関連して、「東京」氏・「京都」氏の御二人の学兄が想起される。これらの先生方は、御立派な学問業績は言うまでもなくいが、学問云々以前にも「菩薩」のごとき御人柄であり、今でも相互に尊敬しあっている。特に「東京」氏は、筆者に数度厳しく批判されたにも拘わらず、それをものともしない学問大器であり、頗る学問心が旺盛であり、感服のほかはないのである。数少ない厳しい本物志向の学者である。



                      「第一項 西アジア(オリエント)文明と小麦・大麦・米
                        第一 メソポタミア文明と小麦・大麦
                        第二 エジプト文明と小麦
                    第二項 南アジア文明と麦・米
                        第一 インダス文明と小麦
                        第二 「ガンジス文明」と米
                    第三項 東アジア文明と米・雑穀
                        第一  中国文明と米・雑穀
                        第二  日本文明と米・雑穀
                    第四項 アメリカ文明と玉蜀黍」



                  第二節 巨大衣料市場と衣料革命ー人類文明の進展:人為的生産性優位

 衣料革命 次いで人為的・技術的な影響の優勢下に、衣料革命(従来これは産業革命と把握されてきた)を展開し、富社会における「前近代と近現代の分水嶺」を画して工業文明を展開してきたという事実を人類史上初めて連関的・総合的に明らかにする事が課題の一つとなる。

 これは周知の如く、資本主義の出発点としての産業革命とも称され、それ自体非常に長い研究史をもっている(最近の産業革命論の動向の一半と筆者の立場などは、拙稿「A.G.フランクのヨーロッパ中心主義克服論に関連して」をも参照されたい)。筆者も、最初に着手した経済専門研究はこの産業革命であり、以来50年間これにも従事してきている。しかし、この分野の研究者はこれだけしか視野になく、紀元前の文明起点ともいうべき食料革命などは全く眼中にないのが現状である。学問の由々しき問題とは、まさにかかる事態にあるということだ。

 人類の生活に関わる大革命の基本的な共通性は、食料と衣料という人類の主要生業において生産性革命として生起したということである。人類の主要生業における食料革命も衣料革命も、ともに生産性革命なのであるが、基本的な相違点とは、生産・営業方式において、前者の食料革命が「自然と人智との連動作用」だったのに対して、後者の衣料革命は「機械と人知の連動作用」であり、自然や宇宙の秩序を非可逆的に破壊しはじめたということである。なお、人智とは「自然の哲学などに基づく智」であるが、人知とは哲学的基礎なく「利益を生むための知」(その象徴がグーグル的知)という違いをこめて使用していることに留意されたい。

 二大文明産物 この様な二大人類革命によって、「富と権力」という二大文明産物が生まれ、成長し、肥大化してゆくことになった。

 こうした二大人類革命の重要画期の歴史的意義と限界を学問的的に評価しつつ、その画期的意義と問題(つまり、後述の諸問題である)を両者の連関のうちに総合的に把握することを通して、今後の人類の二大文明産物「富と権力」システム展開の方向・意義・限界などが史上初めて学問的に展望する事を課題の一つとする。

                         
                        序    産業革命の基礎的考察  
                           1 産業革命の定義
                           2 イギリスで最初に起きた理由
                           3 産業革命の新論点
                       第一項  基礎的前提
                        第一  イギリスの自然
                        第二  イギリス辺境論
                        第三  イギリス変奇論・特殊論
                          一  イギリス変奇論
                          二  イギリス特殊論
                          1  古代的特殊性
                           @ 農工業
                           A 植民地の古代被害者・近代加害者
                          2  中世的特殊性                    
                           @ アングロサクソン王朝
                           A ノルマン王朝(1066−1154年)
                           B プランタジネット朝=サクソン王朝復活
                           C ランカスター朝 
                           D ヨーク朝
                             小 括
                          3  近代的特殊性
                           @ テューダ朝(1485−1603年)
                           A ステュアート朝(1371−1714年。1603年同君連合体制、
                           1707年グレートブリテン王国)
                           B ハノーヴァー朝(1701−1901年)
                            @ドイツ家系王朝
                             A奴隷
                            B 植民地                           
                         三  イギリスの農業進展
                          1  フランス農業先進性
                          2  イギリス農業先進性

                      第二項  「衣料革命」の展開
                       第一   「衣料革命」の前提
                         一   科学の普及ー19世紀
                         ニ   「衣料革命」の準備
                         三   イギリスの農業進展
                         四   人口の増加
                         五   消費需要の増加
                       第二   「衣料革命」の展開
                         一   毛織物工業
                         二   綿工業
                          1  綿紡績業
                          2  綿織物業
                          3  作業機
                       第三   諸産業の展開
                         一   重工業 
                         二   蒸気機関
                         三   交通産業
                         四   貿易業
                         五   金融業
                         六   工業化の挫折地域
                      第四項   「衣料革命」とアジア
                      第五項   諸工業展開とブリテン諸島支配
                      第六項  諸工業展開と帝国 
                       第一  帝国の登場  
                       第二  帝国の変容
                       第三  19世紀末の帝国の不安と改革
                       第四  世界経済の中心
                       第五  軍事力拡充と戦争
                         一 軍事力
                         二 戦争
                         三 戦争財政
                       第六  ヴィクトリア朝の成長・停滞
                         一 ヴィクトリア時代の成長
                         二 ヴィクトリア時代の不安
                       第七  「産業革命」後の経済
                         一 「産業革命」の諸問題
                         二 「産業革命」後の経済特質
                         三 蒸気動力の普及
                         四 産業革命後の成長
                         五 産業革命後の対外的特質
                      第七項   各国の「産業革命」
                      第八項  衣料革命と人間革命の連関
                        第一  遺伝子工学の機械体系
                        第二  人工知能の機械体系
                        第三  コンピューターの機械体系




                    第三節 「人間革命」ー人類文明終焉と新文明登場:人為的生産性優位の「極度」 

                             第一項 遺伝子工学による人類文明滅亡の可能性

                              第一 クローニングの登場
                             第二 遺伝子工学ー人間生命の科学的研究
                               @ 遺伝子研究の展開
                               A 遺伝子工学の展開
                               B ヒト塩基配列の解明
                             第三 遺伝子医療ー人間生命科学の応用
                               一 遺伝子診断
                               二 遺伝子治療
                                 @ 遺伝子治療の濫觴
                                 A バンベリー会議
                                 B 遺伝子治療の展開
                                   @ アメリカの遺伝子治療
                                   A 日本の遺伝子治療
                                 C 再生医療の可能性ーES細胞、iPS細胞
                             第四 遺伝子医療の評価
                             

                             第二項 ナノテクノロジーによる人類文明滅亡の可能性
                                      
                              第三項 AIロボット革命による人類文明滅亡の可能性

                             第一 グーグルAI開発
                               1 検索起業と展開
                               2 検索以外の拡充
                               3 人工知能会社として「飛躍」企図
                               4 AIロボットでの全世界制覇企図

                             第二 AIロボット開発の諸問題
                               1 人間のロボット観
                               2 軍事とAIロボット
                               3 経済とAIロボット
                               4 法律とAIロボット
                               5 医学とAIロボット 

                             第三 AIロボット問題の核心
                               1 本来知能と問題の核心
                               2 対応策
                               3 良識からの警告・対策
                               4 真学からの警告
                               5 真学の重要性




                        第二章 二大文明産物ー富と権力

 以上の人類革命が、人類に「富と権力」に基づく文明、戦争と平和の歴史を初めてもたらすことになった。この人類革命がもたらした文明の二大産物たる「富と権力」が、人類を他の生物と異ならしめるものである。そして、この「富と権力」こそが、人類の固有の、多種多様な人為的諸危機・諸問題をもたらすことになる。人類が直面する人為的諸危機・諸問題の根源は、まさにこの「富と権力」なのである。

 そして、この「富と権力」がもたらす諸危機・諸問題を考察して対処したり(哲学・倫理を含む諸学問)、緩和或いは隠蔽して対処したりする過程で(宗教・芸術)、各地に多様な文化が生み出されるのである。そして、その諸学問において、諸問題を考察して対処したりする方法の総合度・根源度に応じて「学問の本物度」が決まってくるということだ。

 これが、現時点での筆者の学問的研究に基づく「文明と文化の基本的関係」である。

                                第一節 富 
 
 富の歴史 「富と権力」システム下の冨について、農業文明、工業文明下の経済的支配階級たる豪族、貴族、荘園経営者、商人、政商、財閥などについて多くの研究がなされてきた。近現代については、日本国の華族資産家の研究が遅れていたので、これを解明することを課題の一つとする。

 華族資本の研究 筆者の華族資本研究の詳細は下記諸研究を参照されたい。

  千田 稔「華族資本の成立・展開」『社会経済史学全国大会』昭和60年9月
  千田 稔「華族資本の成立・展開−侯爵細川家の場合」『土地制度史学全国大会』昭和60年10月
  千田 稔「華族資本の成立・展開−一般的考察」『社会経済史学』52巻1号、昭和61年4月
  千田 稔「華族資本としての侯爵細川家の成立・展開」『土地制度史学』116号、昭和62年7月
  千田 稔「 華族資本の成立・展開−明治・大正期の旧土浦藩主土屋家について」『社会経済史学』55巻1号、昭和64年5月
  千田 稔「資本主義と華族の意義」『土地制度史学全国大会』平成13年10月
  千田 稔「旧鹿児島藩主公爵島津家の成立と展開」『社会経済史学全国大会』平成13年5月
  千田 稔「旧延岡藩主子爵内藤家の成立と展開」『土地制度史学全国大会』平成14年10月

 なお、華族一般については、『華族総覧』講談社、を参照して頂ければ、幸いである。

 こうした富の蓄積は、二大社会問題を生み出した。

 普遍的一大社会問題 まず、この富の創出と蓄積は、下層における広汎な貧民を生み出した。富は、広汎な貧民の「犠牲」の上に、創出され、蓄積されるということである。

 この社会的不平等、社会的貧困問題は、「富と権力」システム下での普遍的な一大社会問題である。富と人口の規模が大きくなり、時に下層階級から中産階級を生み、例外的に下層階級から富裕階級を生み出しつつも、富裕階級は、低賃金移民の導入、雇用関係の不安定化などを通して、絶えずこうした下層階級の上昇を脅かし、下層階級の増大を増大させ、社会的不平等、社会的貧困問題は相変わらず深刻なものとなる。

 近現代固有大社会問題 さらに、この富の創出と蓄積の過程で、衣料革命以後に資源の過度で略奪的な不最適使用がなされ、その結果、人類は近現代において不可逆的な公害問題、地球温暖化問題に直面することになった。工業化。経済成長などによって地球のエネルギー循環が乱され、「大気と海」の循環が攪乱され、異常気象に見舞われ、水害、海岸浸食などの危機が深刻化しつつある。

 この問題の根本的解決のためには、戦争と公害・温暖化問題を「肯定」「黙認」する古い経済学を根底から廃棄し、新しい経済学を構築することが課題の一つとなろう。


                                 第二節 権力 

 「富と権力」システム下の権力については、君主制(専制的、民主的)と共和制などについて多くの研究がなされてきた。近現代については、日本国の天皇制について成立当初からも射程に含めた未開拓の分野を考察することを課題の一つとする。

                               第一項 自然と国家ー国家とは何か 


                               第二項 天皇論ー日本の場合

                                  1 天皇制研究の意義 

                                  
2 天皇制の成立

                              [付論] 『懐風藻』の歴史的考察

                              「文武・元明・元正天皇の仏教政策」
                『懐風藻』を<神祇と仏教との軋轢>の観点から理解する上には文武・元明・元正天皇の仏教政策の考察が不可欠。

                               「聖武天皇の仏教政策」
                   『懐風藻』を<神祇と仏教との軋轢>の観点から理解する上には聖武天皇の仏教政策の考察が不可欠。

                              「懐風藻の歴史的特徴」

                         日本最古の漢詩集『懐風藻』を<神祇と仏教との軋轢>の観点からその歴史的特徴を解明。


              
                                3 天皇制の展開
 

                               A 近代天皇制の成立

                            千田稔『維新政権の秩禄処分ー天皇制と廃藩置県』開明書院、1979年

                               B 天皇の国体護持活動(1)ー終戦期 
                               

                               C 天皇の国体護持活動(2)―占領期
                
                                   補論  天皇の行動原理

                                   補論  『昭和天皇実録』の歴史的意義

          

                               第三項 富と法律ー法律とは何か 

                              一 ハンムラビ法典ー世界最古の法典の特徴


                               第四項 富と国家をどうみればいいのか 

                               文明論 自然と社会ーあるべき社会とは何か
                 

          千田 稔「日本における支配の財政基盤とその変容」京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究所講演、平成10年9月


                          第三章 ヨーロッパの歴史貫通的な帝国主義 

 ヨーロッパの歴史貫通的な帝国主義 ヨーッロッパは、一言で言えば古代から「貧しい」地域であり、世界文明の端役であり辺境であった。そこでは、貧しいがゆえに、「他の富」を国家的に奪い取ることが行なわれていた。こうしたヨーロッパの貧しさなどについては、アンドレ・グンダー・フランク、山下範久訳『リオリエントーアジア時代のグローバル・エコノミー』藤原書店、2000年(Andre Gunder Frank,ReOrient:Global Economy in the Asian Age,Unversity of California press,1998[)、エリック・ミラン、山下範久訳『資本主義の起源と「西洋の勃興」』藤原書店、2011年(Eric Mielants “The Origin of Capitalism and the Rise of the West”,Temple University Press,2007)等をも参照されたい。

 従来近現代「富と権力」システムについては、帝国主義研究が、戦争規模・資本輸出・帝国主義思想などで、いかに近現代帝国主義が古代帝国主義と異なるかをひたすら強調して、そうした近現代帝国主義研究意義を正当化して、ヨーロッパ中心主義的な観点から衣料革命後について偏ってなされてきた事を痛切に反省した上で(ヨーロッパ研究者自らの反省は拙稿「A.G.フランクのヨーロッパ中心主義克服論に関連して」を参照されたい)、過剰資本があろうがなかろうが、侵略と植民地化が貧しいヨーロッパにおいて古代から幅広く行われ、帝国主義戦争被害が当時基準ではいつでも極めて悲惨であることを確認することを課題の一つとする。

 「既存経済学は学問にあらず」 レーガノミクス、アベノミクスなどを想起すれば、まさに、「ヨーロッパ中心主義的」な「経済学」とは短期で単眼的な権力統治術そのものであることが一目瞭然となる。

 それに対して、学問とは、千年、二千年の長期的視野に立って、これを総合的・根源的に把握し、こうした権力癒着経済学の正体を明らかにする。金融などの狭い研究が社会を動かすなどの根源的誤りを暴き出すのが本物の学問なのである。人類の悲劇は、こういう本物の学問を構築する努力と試みがすっかりすたれてしまったということだ。
                           


                     第一節    ギリシァのoikonomikosー世界最古の「」経済学」の特徴

                           「政治とは経済であり、経済とは政治である」

                               economicsの語源oikonomikos


                     第二節    「権力統治術」としての「経済学」


                                第四章 アジアの平和的資本主義 
 
 アジアの平和的資本主義 文明開始以来豊かであったアジアでは、過剰資本があろうがなかろうが、平和が維持されておリ、そうしたもとで生じたであろう衣料革命、それにもとづく資本主義展開の方向こそが、侵略的で植民地的なヨーロッパ資本主義とは相異なって、平和的なものであったことを明確にする事を課題の一つとする。

  
 平和の新経済学構築 侵略戦争と植民地で致富することを母胎に生み出された、富の増加野手段として戦争を「肯定」し、貧富差を生み出す、古い凡庸なヨーロッパ中心主義的な既存「経済『学』」に対して、福祉とか格差是正などの「表面的」に修正するのではなく、根本的に廃棄して、新しい平和の学としての「自然経済学」を構築する事を課題の一つとする。

 その際、アジアで生まれた平和主義の仏教の「富と権力」の側面を克服した自然哲学が新しい経済学の根底に据えられ、「富と権力」システムの揚棄が見通され、人類史上で初めて学問的な「経済学」が構築されよう。 

 これに関わる筆者の「平和の新経済学研究」については、「仏教経済学方法論」『駒沢仏教経済研究』(36)、2007年5月を参照されたい。


                    第五章 「富と権力」システムの二大基本問題ー戦争と平和 

 食料革命よって成立した「富と権力」システムは、「戦争と平和」の二大基本問題、即ち「なぜ戦争は起こるか」と「どのように平和は維持するか」という二大基本問題と裏腹の関係にあり、特に衣料革命以後の重化学工業展開で大量殺戮兵器が登場すると、「戦争の廃止と平和の永久的維持」こそが人類の普遍的課題になって来たことを鮮明に踏まえて、学問的に今後の人類の進むべき方向を確認する事を課題の一つとする。

 なお、ここでいう平和維持策について付言すれば、戦争・紛争の開始・展開・終焉という過程における「終焉局面での戦争・紛争処理」策ではない。一言で言えば、国連の紛争処理担当者の処理策は「真の平和維持策」ではないということだ。重要なことは、数千年来の「戦争と平和」の歴史的ペースペクティヴのうちに平和維持策を学問的に考察するということなのである。


                             第一節 戦争の歴史 

 前者の「富と権力」システム下で「なぜ戦争は起こるか」に関連して、古代のペロポネス戦争、ペルシア戦争から近現代の第二次世界大戦までの戦史を学問的に考察し、戦争に対する人類の痛切なる反省と教訓を学問的に明らかにすることを課題の一つとする。

               第一項  古代三大戦争(トロイエ戦争・ペルシア戦争・ペロポネソス戦争)論


                        第二項  近代日本の戦争日本海軍の諸問題


                               第二節 平和の思想・政策 
            
                              第一項 文化の厚み 

 こうした「世界普遍的な平和政策」の基底をなすものは、宗教、郷土・家族愛、芸術、道徳、法律など、数万年の間に世界各地に醸成されてきた文化である。文化が、平和に哲学的基礎を与えるからである。

                                  第二項 平和の世界二大宗教 

 こうした文化の中で、「富と権力」システム下で「どのように平和を維持するか」に関連して最も重要な一つは宗教である。

                               第一 仏教とキリスト教は同根

 世界の二大宗教、つまり慈悲の教えの仏教と愛の教えキリスト教が、古代から平和を切実に希求していた事、つまり、古代の悲惨な戦争の中で平和を希求して、キリスト教は仏教を母胎に、或は連関して生みだされたという各種指摘(例えば、Arthur Lillie,The influence of Buddhism on primitive Christianity. London : S. Sonnenschein ; New York, C. Scribner. 1893.、滝沢克己『仏教とキリスト教』法蔵館、1964年、増谷文雄『仏教とキリスト教の比較研究』筑摩書房、1981年、ひろ・さちや『仏教とキリスト教』新潮選書、1988年、ルドルフ・シュタイナー、 西川 隆範訳『ルカ福音書講義―仏陀とキリスト教』イザラ書房、1991年、Lefebure, Leo D., The Buddha and the Christ, Explorations in Buddhist and Christian Dialogue (Faith Meets Faith Series), Orbis Books, Maryknoll, New York, 1993.、Elmar R. Gruber & Holger Kersten. The Original Jesus: The Buddhist Sources of Christianity.1996.、八木誠一『キリスト教と仏教の接点』行路社、2007年、道明寺龍雲『イエスは『ブッダの教え』を知っていた』下田出版、2011年、など)を踏まえつつ、アジアで生まれアジアに普及した仏教とヨーロッパに普及したキリスト教との連関を考察することをも課題の一つとする。

 そのことによって、仏教・キリスト教などの平和精神をも参考に、人類の古代からの「平和への切実な願い」と「戦争への深い反省」をこめて、アジアとヨーロッパを哲学的・精神的に一つにする、世界普遍的な平和哲学を学問的に構築することをも課題の一つとする。

 もとよりアジアは初めから平和だったのではなく、平和が真剣に追求されだしたのは、稲作で作り出された富をめぐる悲惨な大戦争への反省からであった。その中で生み出されたのが、仏教である。それが、西アジアに伝わり、その地域に相応しい平和の伝道者が生まれるのはごく自然なことであった。日本で、大和朝廷による征服戦争の後に仏教が受け容れられたのは、それが平和の「心の教え」だったからであり、戦国時代に大名・民衆がキリスト教を受け入れたのはそれが平和の「愛の教え」だったからである。日本において、仏教とキリスト教は時代の要請のもとに「平和」思想として事実上「連帯」していたのである。

 だとすれば、第二次世界大戦後の日本はキリスト教布教の絶好の機会であった。実際、GHQ最高司令官マッカサ―はキリスト教布教に非常に熱心であり、外国からは多くのキリスト教宣教師が来日した。天皇も一時期キリスト教関係者に会見したり、皇太子家庭教師に敬虔なクエカー教徒を選定したりして、キリスト教に理解を示した。天皇は改宗したのかと一部に誤解されるほどにキリスト教に関心を示した。天皇にすれば、国体に関わる神道さえ堅持されれば、冠婚葬祭や日常生活問題に関わる宗教は仏教でもキリスト教のいずれでもよかったのである。しかし、思いのほかキリスト教は信者を拡大する事はできなかった。これは、既に仏教と神道の分業関係が確立していてキリスト教が食い込む余地がなかった事のみならず、日本国憲法第12条3項で「
国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と定めた事などにもよっていよう。


 後者の憲法制約を補説すれば、本来、部外者にとっては宗教ほど胡散臭いものはないのであり、故に布教拡大には権力のお墨付きがあるにこしたことはないかった。実際、仏教、キリスト教には権力を取り込む余地があるのであり、例えば仏教は国家鎮護教などの経典(金光明最勝王経)を持ち、仏教法王統治を容認するなどしていたのである。しかし、第二次大戦後にアメリカが日本に押しつけた憲法では、神道が戦争協力に関わったことへの反省から国家の宗教的活動を禁止したのである。これが、戦後のキリスト教布教拡大の主要障害になったと思われる。この憲法条項がなければ、天皇や政府はGHQの意を汲んで、キリスト教布教に積極的になったことであろう。もともと慈悲の仏教と愛のキリスト教とは「親和」的なのであるが。

 こうした仏教とキリスト教の「親和」性とイスラム教の関係について、レヴィ・ストロースは、興味深い指摘をしている。つまり、彼は、「西洋は、その分裂の源に遡ってみるとよい。イスラムがわれわれをイスラム化したのは、仏教とキリスト教とのあいだに自らを挿入することによって、西洋が十字軍に引き摺られてイスラムに対立しようと、従ってそれに似ようとしていた時であった。もしイスラムが存在していなかったならば、われわれをさらにキリスト教化したかもしれない仏教、そして或る意味では、われわれがキリスト教のこちら側までしか遡上できないだけに、なお一層キリスト教的な仏教とのあいだの緩やかな相互浸透に、西洋はむしろ同調していくかもしれないのである。西洋が女性として留まる機会を失ったのは、その時である」(レヴィ・ストロース、川田順造訳『悲しき熱帯』U、中央公論社、2012年、417−8頁[Claude Levi-Strauss,Trisites Tropiques,Librairie Plon,Paris,1976])とする。レヴィ・ストロースはあくまでキリスト教を主軸に据えて、仏教のキリスト教化という作用に着目しているが、仏教はキリスト教の五百年前に釈迦に説かれており、実は仏教がキリスト教の母胎になっていることに気づいていない。問題はイスラム教の「位置」なのであるが、イスラム教もまた平和共存の可能性をもっているとすれば、仏教とキリスト教の相互浸透によって、仏教とキリスト教は平和の大義の前でイスラム教とも連帯し得る可能性を持つことを探りたいということである。現在の中東問題の淵源は、キリスト教とイスラム教の関係にあるのであり、故に中東問題の真の解決には世界三大宗教たる仏教・キリスト教・イスラム教の「平和の大義の下での連帯」もまた重要だということである。


                             第二 仏教経済学と物理学

 専門知と総合知を柔軟に駆使して、物理学は、宇宙の最小物質を極める点で専門知の極致であるとともに総合知の基点を構成しているという点において、万古不易、学問の基礎であるという事を踏まえつつ、絶えず総合的・根源的な学問を構築し、学問の究極的課題を明らかにするのに必要な諸専門領域の研究に従事する。

 その際、仏教がこうした物理学を根底に据えていたことを考慮すると、アジアの平和主義に相応しい新しい経済学もまたこうした物理学を根底に据えたものとなることが留意されよう。この点は、拙稿「仏教経済学方法論」(『駒沢仏教経済研究』36、2007年5月)をも参照されたい。


                         第三項 平和の郷土教育 

 さらに、家族・郷土への愛こそが平和哲学の基礎となることを踏まえ、今後の平和社会の活動主体であるコミュニテーの自覚をいっそう高め、郷土史に従事し郷土愛を育み平和の重要性を把握する事を奨励する。後者の「富と権力」システム下で「どのように平和を維持するか」に関連して、武器収束の歴史的教訓としては日本の廃藩置県、戦力廃止については日本の憲法第九条が人類に大きな示唆を与えてくれることを確認し、世界普遍的な平和政策をアジア基軸に学問的に構築することをも課題の一つとする。


                         第六章 結論ー学問の究極的課題 

 
以上、まずは、自然の導きで世界三大穀物による食料革命によりアジア中心の農業文明が起こり、文明の二大産物=虚仮として冨と権力が生み出され、この「富と権力」システムが世界に普及して世界システムとなった。この食料革命こそが、人類の文明の原点であり、基点であり、ここに人類の文明史が始まるのである。次いで、人為的・技術的な影響の優勢下に、衣料革命が起こり工業文明が展開して、世界システムとしての「富と権力」システムが世界各地でますます顕著に展開する。

 そして、それは、人類にそれに固有な基本的問題と副次的問題を与えることになった。

 まず、「富と権力」システムの副次的な問題から見れば、富の蓄積は、二大社会問題、つまり社会的不平等=社会的貧困問題という普遍的一大社会問題と、自然環境破壊=公害問題という近現代固有大社会問題を生み出すことになった。

 権力は、こうした二大社会問題を生み出しつつ、世界各地に専制か民主かの二大権力統治方式を展開させつつ、富の蓄積を促して、自らの基盤を強固にしてゆく。この「富と権力」システムのもとで、アジアがますます豊かになり平和を享受してゆく一方で、貧しいヨーロッパでは他国・他地域の侵略・植民地化によって「他の冨」を奪うという帝国主義を常態化してゆく。

 次に、「富と権力」システムの基本的問題を見るならば、食料革命よって成立した「富と権力」システムは、当初から「戦争と平和」の二大基本問題を絶えず人類に突き付け続けたということである。即ち、それは、「なぜ戦争は起こるか」と「どのように平和を維持するか」という二大基本問題である。ヨーロッパの戦争がアジアの平和に暗雲を垂れこめさせ、特に衣料革命以後の重化学工業展開で大量殺戮兵器が登場すると、アジアを巻き込んで、ヨーロッパ帝国主義が仕掛けた戦争の規模は飛躍的にたかまり、戦争の被害者は甚大なものとなる。

 こうした文明のもたらした副次的・基本的な諸問題を学問的に整序的に把握することによって、我々は人類の今後の基本的課題を明確に把握することが可能になる。我々は、平和こそが数千年間の人類の悲願とも言うべきものであることを明確かつ深刻に認識し、それを実現するための手段を長い長い人類の願いの重さをうけとめつつ構築してゆくことを人類の普遍的な基本課題としてゆかざるをえないのである。

 さらに、こうした将来文明の基本問題のもとに、個別的な将来課題が提案されてこよう。侵略戦争と植民地で致富することを母胎に生み出された、古い凡庸なヨーロッパ中心主義的な既存「経済『学』」に対して、福祉とか格差是正などの「表面的」に修正するのではなく、根本的に廃棄して、新しい平和の学としての「自然経済学」、例えば仏教経済学を構築する事が切実な課題となる。戦後アメリカ帝国主義が金融資本を抱き込んで作り出したノーベル経済学賞でこれを糊塗しようとしても、それは非学問的な試みであることは一目瞭然である。これがわからぬ者は、自らの学問的怠慢と無知を恥じ入るしかない。

 また、世界の二大宗教、つまり慈悲の教えの仏教と愛の教えキリスト教が、いかに平和の大義のもとで連帯する可能性をもつかをも考察されねばならない。

 そして、文明の諸問題の歴史的考察を通して、文明二大産物たる「富と権力」のシステムそれ自体の根本的改革の問題に立ち向ってゆかざるをえないであろう。



 こうして、筆者は、「学問をするべき場所」とされていた機関の余りの非学問的な環境にあって、これでは人類の学問は危ういという深刻な危機感にせかされて、「鈍牛」のように、50年間の学問営為に従事してきた。この結果、専門知と総合知を柔軟に駆使して、高度に内発的・外発的な学問的相乗効果を発揮して、いわばこれまでなかった前人未到の学問交響楽で高度な総合化作用を響き渡らせ、既存の各種パラダイムを超克し、専門知のみでは到底達し得ない地平に到達した結果から、学問の究極的課題とは、豊かであろうと貧しいかろうと、或は共和制であろうと君主制であろうと、人類の究極的目的があらゆる意味における平和(現実世界の物理的「平和」から、人間精神の「うちなる平和」に至るまで)にある事、そしてそれは豊かなアジアでは本然であったことを明らかにしつつあるのである。だが、真学完成の道はまだまだである。


                                          世界学問研究所 総裁
                                          世界学問研究所 大教授・大博士

                                                         千田    稔




                   


                                       “Wealth and Power”system

                       ーAcademic Analysis and Guidance to the World from Japan

 precise world system From the birth of human civilizations introduced by the wheat and rice farming in the Eurasian Continent to date,we have had the precise world systemーone common and universal system both economic and political. This is the system which we have been obliged to be involved in whether we like it or not.It is the system just contrary to the Natural Society System.

 Recently another ancient civilization has been discovered in Caral in Peru.But this civilization was lacking in highly productive crop like wheat, barley or rice having a vital importance in the development of a civilization,which made this civilization different from ones in the Eurasian Continent. As to the importace of wheat or rice ,we know such a scholar as Michael Mann,("The sources of Social Power Vol.1:A History of Power from the Beginning to A.D.1760", Cambridge University Press 1986) who puts an emphasis upon societies organized power networksーthe emergence of stratification,states,and multi-power actor civilizations,but disregards the importance of cultivation of wheat or rice.But wheat or rice is more important at the beginning of the civilization(Minoru Senda,"The historical significance of wheat,rice and corn”(1)(2)(3)、(4)、(5)).

 As a result of lack of the wheat cultivation in Peru,it took about 3 thousand years to form the Nation near the Andes and during this period many shrines were built to play a significant role and perform an adjustable function.This indicates that this system needed abundant surplus by the highly productivity which could be attained by the selective breeding, seed improvement,the introduction of intensive agricultural methods or so ,and could attract many people and provide them with enough food.At the beginning of the Mesopotamian civilization,the shrine played somewhat the same role and function.The religion supplemented a weakness of the power owing to the economic poverty.

 Throughout the civilization history,we can acknowledge such a supplementary function of power by the religion. Buddhism,Christianity and Islam and others played various roles to some degree according to the situation .This system is complicated as well. It is comiplicated not only in this point but also in that it appears everywhere in this world taking the various political forms and patterns as if many kinds of leaders had decided the fate of the people, and it has made the strongest powers then such superior empires as Mesopotamian Empires, Chinese Empire, Persian Empire, Roman Empire,British Empire and American “Empire”.

 As for the power itself,we have many kinds of powers accrding to many levels.The key concept of the power possesed by individuals and many kinds of groups is compulsion.However democratic the power may be in the appearance and form,it is compulsary in essence .The suprem power called Empires makes it inevitable to posses the compulsion as the form of millitaly forces which compell local areas to obey and pay for the benefits directly or indirectly.This compulsion policy taken by these Empires has been called Impreialism which has taken many forms accrding to the aspects and stages but taken one common formーthe aggression and annexation of lands and the acqusition of many kinds of benefits of times.So this imperialism has never failed to be accompanied by the militarism whether it took or takes a despotic political form or a democratic one.

 Indeed reseachers are inclined to justify and put an emphasis upon their themes of a certain time by showing how different and important they are comparing with other times. But under this system ,the unchangeable subsutace is more important all through the history of human civilization.Because not the part of the past but the whole of the past is more important in undestanding and seeing present situation in its adequate future perspective.

 But the system under the suprem power has been pointed out and referred to so frequently as to be worn out and become clishe, but has continued keeping still vivid substance and ever profound significance.Iit tends to break "the blind belief" that human being has continued making progress with great efforts.And it is too clear and wellknown for us to take up and analyze it holistically and fundamentally in earnest and with enthusiasm.

 But this precise and complicated system has been deeply connected with good life or misfortune of human being by enlarging the difference between the poor and the rich,and making war and peace a hair's breadth.Thus this system has always made people consider and encourage the solution of these problems and inclined to be cooperative and joint for peace and life improvement in the world, and at present the remarkable development of communication technology has seemed to make it highly possible through taking these difficulties into serious consideration holistically and fundamentally.

 As for the revision and reform of this system,we have had some schemes and opinions so far to some degree. However it might be extremely difficult to put it into practice but for considerable efforts and exertions.We cannot but do it steadily in the holistic and fundamental perspective.

  “ wealth and power”system That is the system of “ wealth and power”.Taking some examples in order to ascertain it is wellknown and common,we have such popular sayings as “Wealthy Nation & Strong Military”,“The foundation of a nation exists in the wealth of a nation.”,“Wealth bears power.”or so.

 The truth is simple ,but the reality seems complicated and various. The real society consists of various forms of politics and economics ,many local differences,thousand kinds of works or occupations, many kinds of classes and tremendous kinds of people with materialistic tendencies and spiritual inclinations.But the truth tends to be simple inherently,for the universe and the human being as its part on which the truth is based on are simple even though the real world looks very complicated,.This is decisively important in considering what to do as for the reofomation and revision of this system.

 So if we put an emphasis on the latter complication and variety,we are apt to ignore the essence of the truth. But if we decompose a human civilized society into the fundamental factors to acknowledge the essence or the truth, we may find the "wealth and power" system as the core on the fundamental ground,which many people have perceived it for a skin sense and through experience in the real life without a hesitation or a mistake for a long time as having mentioned above.

 As is generally known,the U.S space agency has tried to discover a planet that may be similar to Earth and in which surface water in liquid form plays a key feature.But what is more important is not the similarity of surface water but the resembalance of social system,for we are the same chemical being as the Universe components from an elementary particle to planets.That is why we will easily find many planets from the former respect technically,

 But we can hardly discover the planet under “wealth and power” system not only technically but also substantially.Because in all respects our Earth is highly sure to be a miracle planet which is the unique and only one in the universe because the “wealth and power” system which was born and sustained through many accidental and inevitable factors coinciding each other exquisitely is quite peculiar to our Earth.

 We must not make bad use of this miracle.We should turn it to good account. It is all up to us whether we can make good and wise use of it so as to prevent it from growing into an irreversible change or a malignant mutation.We cannot emphasize and exaggerate this point too much.

 the worst use of this system As for the worst use example of this system ,we may find it in such despotic countries as were influenced by the works by Karl Marx.Marx never made sufficient and adequate efforts to revise or refom the  “ wealth and power” system.Marx thought that the wealth should be justifiable so long as it had come to be controlled by the labor class ,on the contrary to Adam Smith who had thought the wealth produced by the industrial middle stratum (middle class farmers) should be justifiable,for it was supposed that such wealth had encouraged the feudal system to subvert from within .and grown into the national wealth.

 But the wealth is the wealth no matter who come to control it.The birth of new wealth is sure to result in the birth of new power.In fact the new privileged labor aristocrat was born on account of it.It may be nothing but the change in the "wealth and power" history. As a result,in the past we had to be threatened by the communist “ wealth and power” system ーSoviet Communist Empire ,and now has come to be somewhat annoyed with the Chinese Communist Empire,which has been a certain kind of menace to some neighboring countries through her expanding territorial interests arrogantly.

 On the other hand,we may acknowledge it as well in such democratic countries as America,which has been making the worst use of this system since its birth. It's not an exaggeration to say that Chinese Communist Empire has taken the expansion policy as if it had learnd somewhat from American Democratic “Empire” which had expanded her territorial interests through millitary and negotiation power.

 Another example of the worst use of this system is the overconsumption of the earth resources whose purpose is for each nation to preserve the wealth as much as possible by sustaining the economic growth, with the result that this has gradually disturbed or destroyed an ecological balance of the earth. Contrary to Karl Marx above mentioned,Max Weber,a so-called bourgeois scholar,took the system for granted as it was and positively appreciated the spirit and rationality of capitalism.That's why he did'nt take the revision and reform of this system into sufficent and adequate considerations,

 Thus as for the history of this system,we can more easily find more bad uses of this system than good uses. Our world history has been filled with bad uses.That's why pastors and priests have harshly criticised the wealth and power for a long time.We can go so far as to say that such religion might be the first to tackle this problem seriously.In this respect,my series of monographs of Buddhisum in ancient Japan will be referable and useful in undestanding Buddhism scheme and its negative sugnificance of this change.

 Shoueki Andou (1703-1762) might be the second that tried to change this system into Nature society (自然世).He was once a buddhist and brought about unique and revolutionary philosophy through criticizing such a buddhism as supported the powers and plundered a farmer of a tribute as a lord.He may as well be reckoned an assenter of the Jyoumon Thought.And in a strict sense he might be the genuine first that criticized and tried to revise or refom the“ wealth and power”system.

 These bad uses have been caused by not a few misconducts,misgovernments,misguides,and mismanagements based on misunderstandings, misjudges ,and misbelief,no matter how much effort we have made to analyze and recognize the situations ,affairs and difficuties objectively through the rational and scientific way of thinking just as Aistotle or Imannuel Kant did in order to take adequate and good attitudes. It sheds light on it that the merely logical way of thinking has been not useful as itself.Indeed the logical and rational way is neccesary for the science ,but not sufficient. This is not the question of logic or intellect.So however much efforts we made to tackle these problems logically,it may be difficult to find the fundamental way to solve them .Unfortunately enough,the history of this system has been the repetition of war and peace,and the rise and fall of powers.We shouid know these unfavorable facts as well objectively,and consider deliberately what to do for the future.

 It may be rather appropriate to say that the question is not our judgement and behaivour but the system we have been involved in since the birth of our civilization.Once we have entered into the competition between countries ,we have been obliged to endeavor to be more competitive and stronger to avoid defeat in the competition which is liable to lead to the outbreak of war.
 
 Recently some people are apt to say,“We are being faced with the same war-crisis that we had just before the World War T or World War U. ”But to our regret, we should reckon them to be ignorant of such universal world sysytem as above mentioned.We have been always being faced with the war crisis under the Wealth and Power system since the birth of our civilization.

 holistic and fundamental action We don't have any more time left to consider partially how to promote the economic growth or how to reform the power compulsion merely from the “new public” respect or so.It is likely that we are not to make a bold decision but for faceing with the serious situation.Taking all things into consideration,we cannot but say we must take holistic and fundamental action as soon as posible in the univesially long perspective.

 The partial approach and prosepect is no more than partial after all,which is far away from the truth.On this harmful side of the partial studies,such incidents as Riken Institute(the bad effect of specialization of the STAP cell research) and Tokyo JosiIdai(the bad effect of specialization of the anesthesia) caused recently in 2014, will be eloquent and clear evidences.The partial study may be harmful depending on the situation,for the part is away from the essence of the whole.The genuine study should be directly or indirectly focused on today's Earth system, the human civilization system, the “wealth and power” system.

 The collection of partial studies produced collaboratively by many kinds of scholars doesn't necessarily mean the holistic and synthetic study. Briefly speaking,the whole is more important and essential than the part.And we should know explicitly and definetly the genuine, holistic and fundamental study and learning for the human race and the universe from the practical study and learnig for business and money.

 the world step We should consider the future world steps in the millennium perspective as one of these holistic and fundamental actions.

 The first step we should be courageous enough to take is to abandon national military forces.

 All the nations should make the ultimate decision to become Peace Country without any forces.As to this ultimate decision,Japanese case may be a precedent lesson and a good reference .As everybody has already well known it,Japan has been said to be able to maintain peace since the World War U on account of the so-called peace constitution which American democratic Empire forced Japanese Government to adopt threatening that the Shouwa Emperor might be prosecuted if not.

 Some Japanese often say that Japan has enjoyed peace thanks to this peace consitutution.And article 9 which renounce war and forces has deeply impressed especially Japanese hearts to the core who had experienced the miserable war.Once Japanese come to receive something important which moves to the depths of hearts,they try to firmly believe in it and preserve it just as they were deeply moved by Buddism learning and the heart of Chinese characters in ancient times.Most Japanese know that current consitution ,especially Article 9 “the renunciation of war”, was forced by USA,but they have been deeply moved by the spirit of peace constitution nevertheres.

 But we should not neglect the fact that American forces stationed in Japan were mobilized and joined in wars,and not a few young American soldiers stationed in Japan wew killed in wars.So we Japanese have been not free from wars but have been indirectly involved in wars.Indeed we have never had any aggresive forces ,but we have allowed agressive US forces to stay in Japan and go to the battlefield.From this point of view,the recent argument over the right to collective self-defense is very dangerous and far away from the mainstream of Japanese Peace Movement in that it gives much consideration for US agressive Forces and the joint operation of both Japan and the US militaries is assumed.Above all US forces are nothing more than the forces of American Democratic “Empire”,not the so-called world police. The fatal problem of these arguments is lack of the substantial analysis of the American imperialism.

 So we should declare the new poeples decision to abolish all the aggressive forces in the world at the same time.It is absolutely more important to declare it than to preserve article 9 firmly.It is useless for only one country to be free from aggresive forces and profess herself to be peaceful nation.We should ask all the people in the world to abandon all the millitary forces and transfer them to the headquaters of the United Nations Forces.My book "The formation of united forces under Ishin Government”,Kaimeishoin,1978,will be of some help in undestanding how to unite the individual forces into one.

 The second step is to deal with power-state problems.In accordance with the renouncement and convergence of military forces ,we should go forward to change the individual states into the world state which should make it an utmost rule to take enough consideration to preserves each individual state identity (new continual state history;peculiar nature of culuture,mind,value,pride,music,dance,language;honorable monuments;historic sites,and etc.).

 After the unification of the individual forces,the conflicts between individual powers or local-governments are sure not to be disastrous ,for the millitary forces will not be accompanied any more.Indeed it must be deseirable if we could avoid the individual local-disputes,but we cannot help them happening.We should adjust and solve them under the new international law or agreement.

 As to the first and second step,EU history has been one of the greatest experiments and lessons since the birth of human civilization.We will be able to learn much from this.

 The third step is to deal with wealth.We may go so far as to say that the wealth of one country has become against the wealth of the earth more and more.The concept of wealth should be utterly changed from "the individual and nation wealth” into "the nature and universe wealth”.The key point is that we prefer the preservence of natural and universal standard of life on earth to the sustainable economic growth of one country in GDP.

 It may be supposed that the economic surplus should be modified into minimum necessary enough to provide food ,keep infrastracture,and sustain natural life standard in harmony with natural order so as to avoid overconsumption of the earth resources and the destruction of the natural and echological order of the universe.
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 New economics should be constructed on the basis of nature order in place of current "artificial economics of national wealth growth”.As to this new economics ,my work"the methodology of buddist economics”(The Study of Buddhist Economics[『仏教経済研究』],36,May 2007} will be of some use.




 This is the present and temporary academic doctrine attained and accomplished strictly ,severly and decisively without relations with anti-academic, despicable and harmful organizations whose international grade is considerably below the international standard as the natural result of anti-academic and harmful tendencies,through the 40 years research still on the way and in the process.

 



                                                              President of World Academic Institue

                                                         Great professor and Great Doctor of World Academic Institue

                                                                                       
                                                                                        Minoru  Senda
                              





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