世界唯一                世界学問研究所の公式HP                  世界水準
    Only in the world               World  Academic Institute              Top in the world

自然社会と富社会


Natural Society and Wealthy Society


富と権力


Wealth and Power
     古今東西   千年視野                                          日本学問   世界光輝
                   
                                     
                                     
                                 第三項 AIロボット革命 による人類文明滅亡の可能性

                                               はじめに

 衣料革命後の諸革命の動向と基本的特徴について、ここで少し触れておこう。

 我々は、衣料革命以後、重化学工業、IT革命など実に多くの革命が登場したのを知っている。衣料革命以後、第二次「産業革命」(重化学工業中心)、第三次産業革命(IT産業中心)、第四次産業革命(ドイツ主導のIndustrie4.0、米国GE主導のIndustrial Internet、 米国グーグル主導のAI[Artificial Intelligenceの略、人工知能]など、第三次産業革命の派生革命)、二百年未満の間に急速に起こっているのである。衣料革命で始まった「産業革命」は、それ以前の牧歌的な「生産性向上」に比べ物にならないスピードであらゆる分野での生産性向上競争を世界的レヴェルで誘発してきている。これが我々をどこに連れてゆくのかわからぬままに、各国、各企業が生き残りをかけて「狂奔」しはじめているのである。

 この中で最も問題となるのがAIであろう。最近マスコミでもAIが騒がれだし、「専門家」なる色々な人々が登場しては、色々な「断片的」な意見を言っている。しかし、人類文明についての総合的・根源的学問に立脚した「本物の学問」を習得した者の核心的発言は皆無である。これでは国民を惑わすだけである。
 
 そもそも、AIについては、AIは、「科学者の知的探求」たる科学なのか、それとも「役に立つ」技術かという問題があり、「いまだに科学と技術の相克にさらされてい」るのである(小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』235−6頁)。前者の立場にたつ言語学者ノーム・チョムスキーは、ニュートン力学、熱力学、電磁気学など「古典的な自然科学の原理を重視し、AIなどの「統計・確率的な手法は、知能の根本的な原理を発見する道ではな」く、「『知能』に近似したものに過ぎ」ないと批判する。これに対して、後者の「統計・確率派を代表するグーグル(Google)」研究本部長ピーター・ノービグらは、「AIは科学である以上に、技術であ」り、音声認識、自然言語処理、自動運転など「技術として見た場合のAIは(完璧とはいかないまでも)昔のAIとは比較にならないほどパフォーマンスを示してい」るとするのである(小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』236−7頁)。だが、その技術的結果が総合的・長期的にもたらすリスクこそが問題となるのであるが、そうしたことが総合的・根源的に考察されていないのである。

 そこで、本稿では、まずグーグルの起業・展開を考察し、次いでどのようにグーグルがAIを強力に推進するようになったのかについて検討し、それらを踏まえてAI装備ロボットの「非人類性」の限りなき危険性を総合的・根源的に見通してみよう。グーグルに着目する理由は、グーグルが最も積極的にAI研究を推進している企業の一つだからである。創業僅か20年で急成長したグーグルは、現代文明を反映する主導的企業の一つであり、今後の人類文明の将来に関わる象徴的企業の一つでもある。この奇妙な名前を持つ企業が近年AIにも進出して来て、人類の命運に大きく関わって来る可能性が大きくなりだしたのである(1)。グーグルが、自分たちは「邪悪」になるつもりはないと思っていても、「人為」的な科学テクノロジーの到達点ともいうべきAIは、あれよあれと言う間に人類文明に対してとんでもない事態をもたらしかねないのである。

 筆者はこれまで政商資本、華族資本などの個別資本分析をもしたことがあるが、明らかにグーグルはこれら個別資本の比ではないのである。しかも、今回の調査で明らかとなったことだが、グーグルは、利益本位の外国企業にあって、創業者魂・執念、経営方針、社風などは実は「日本以上に日本的」なのであり、AIの領域では他社を大きく引き離し得る実力を持ち、それなるが故に実に「末恐ろしい」存在なのである。グーグルには、同じアメリカIT巨大企業のアップル、マイクロソフト、アマゾン、IBMなどにはない「底力」があるのである。

 AIが人類文明命運に関わってくるということについて、ここで必要な限り簡単に指摘しておこう。一般にAIが必要とされる理由として、@「公共交通機関が乏しい地方」では高齢者には自動運転車があれば好都合である事、AAI災害対策ロボットは有用であること、Bビッグデータを「ビジネスに活用するためにはAI技術が必要である」事(小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』朝日新書、2013年、19−21頁)、C生産性を上げ経済成長をもたらすことなどが挙げられている。@・Aは明らかに「公共の福祉」に合致しており、何ら問題はないが(だからこそ軍事研究機関がAI研究肯定のためにこれらを口実にしている)、BCだけの「有用性」では、AIのもたらす「危険」を相殺したり肯定するものとはならないのである。

 そこで、本稿は、真学という新しい学問的観点から、食料革命、衣料革命からなる人類革命というこれまでにない観点を踏まえつつ、この点の解明を基本的課題としている。


 (1)、だからこそ、グーグルは、特に2004年株式公開以降に国際的にも大いに注目されだし、グーグルに関する著書は下記の如く実に多く
   刊行されているのである。
 
  デビッド・ヴァイス、田村美香訳『Google誕生 ガレージで生まれたサーチ・モンスター』イースト・プレス、2006年(Vise,Dvid A,"The Google
   story,"Delacorte Press.2005)、
  森健『グーグル・アマゾン化する社会』光文社、2006年、
  NHK取材班『グーグル革命の衝撃』NHK出版、2007年、
  西田圭介『Googleを支える技術 巨大システムの内側の世界』技術評論社、2008年、
  日経コンピュータ編『Googleの全貌 そのサービス戦略と技術』日経BP社、2009年、
  小川浩、林信行『アップルvs.グーグル』ソフトバンク・クリエイティブ、2010年、
  ケン・オーレッタ『グーグル秘録 完全なる破壊』文藝春秋、2010年 (Ken Auletta,"Googled: The End of the World As We Know It,"2009)、
  リチャード・ブラント、土方奈美訳『グーグルが描く未来 二人の天才経営者は何をめざしていたのか?』ランダムハウスジャパン、2010年(
  Richard L.Brandt,"INSIDE LARRY AND SERGEY'S BRAIN",2009)、
  岡島裕史『アップル、グーグル、マイクロソフトークラウド、携帯端末戦争のゆくえ』光文社新書、2010年、
  スティーブン・レヴィ、伊達志ら訳『グーグル ネット覇者の真実』阪急コミュニケーションズ、2011年(Steven Levy,"How Google thinks,
   works,and shapes our lives,"Simon and Schuster,2011)、
  フレッド・ボーゲルスタイン、依田卓司訳『アップルVS.グーグル』新潮社、2013年(Fred Vogelstein,"Dogfight How Apple and Google
   went to War and Started Revolution,"Sarah richton Books,November 12, 2013 )、
  エリック・シュミット『第五の権力 Googleには見えている未来』ダイヤモンド社、2014年(Eric Schmidt,THE NEW DIGITAL AGE,2013)、
  小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』朝日新書、2013年、
  ジョージ・ビーム編、林信行監訳『Google Boys』三笠書房、2014年(George Beahm,The Google Boys: Sergey Brin and Larry Page in
   Their Own Words,2014 )、
  本田幸夫『ロボット革命 なぜグーグルとアマゾンが投資するのか』祥伝社、2014年、
  桃田健史『アップル、グーグルが自動車産業を乗っとる日』洋泉社、2014年、
  雨宮寛二『アップル、アマゾン、グーグルのイノベーション戦略』NTT出版、2015年、
  上原招宏・山路達也『アップル、グーグルが神になる日』光文社、2015年

  本稿では、これらを大いに参照しているので、ここに記して謝意を表する。



                                      第一 グーグルAI開発 

                                        1 検索起業と展開

                                       @ 検索会社の起業 

 家庭環境・幼少時教育 ラリー・ペイジ(Lawrence Edward Page)とサーゲイ(或いはセルゲイ)・ブリン(Sergey Mikhailovich Brin)の二人は学者の家庭で育った。つまり、ラリーとサーゲイの家族は、「ともにユダヤ人」で「どちらも浮世離れしてい」て、「二人が生まれる前から、それぞれの家族は学究の世界に身を捧げていた」。

 ラリーの祖父は、「全米トラック運転手組合(チームスターズ)に所属する、左翼の自動車工場労働者」であったが、「ラリーの父、カールはそんな環境を抜け出し、優秀なコンピュータ・サイエンティストにな」り、さらに「コンピュータを使った人工知能(AI)という研究分野で優れたパイオニア」となり、ラリーはこうした「コンピュータト縁の深い家庭に生まれ」、「その才能は息子たちにも受け継がれ」、ラリーはミシガン大学初の「アウトスタンデイング・スチューデント賞」を受け、スタンフォード大学大学院に進んだ。ラリーは「左翼的なルーツを見失うことはなく」、熱心な民主党支持者となった(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』30−36頁)。

 一方、サーゲイは、1973年に「優秀だが気難しい数学者」ミハエル・ブリンの子としてモスクワで生まれた。父は、モスクワ大学で物理学を学ぼうとしたが、「共産党がユダヤ人の物理学部への入学を認めていなかったので、数学をまなぶことにした。1979年、ユダヤ人夫婦の父母はイスラエル移住が認められ、友人の尽力で米国メリーランド大学に移り、やがて数学科教授になった(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来 二人の天才経営者は何をめざしていつのか?』36−40頁)。1982年サーゲイ(9才)はコンピュータを与えられ、「インターネットとめぐりあった」(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来 二人の天才経営者は何をめざしていつのか?』42頁)。サーゲイはメリーランド大学では「上級レベルの数学を履修し、卒業するまでに大学院レベルのコースも山ほどと」り、1994年スタンフォード大学の博士課程に進んだ(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』42頁)。

 幼少時には、二人は同じ個性的教育の学校に通っていた。つまり、ラリーはミシガン州のオーケモス・モンテッソーリ・ランドムーア学校、サーゲイはメリーランド州のペイントブランチ・モンテッソーリ学校に通い、モンテッソーリ教育を受けた。このモンテッソーリ教育とは「子供には自分が興味をもったことを追求する自由を与えるべきだという考え方」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』183−5頁)に基づいていた。

 以上の如き家庭環境や幼少時教育が二人の個性をつくりあげたようだ。つまり、ラリーとサーゲイの「道徳意識は非常に強」く、「ソ連で育ったサーゲイの場合、家族が大変な困難をかいくぐってきたから、二度と同じようなことは起きてほしくないと思」い、「彼の物事へのアプローチはピラミッドの頂点から見下ろすようなものではなく、”普通の人々”に同情的だ」という程度のものである(グーグル慈善活動推進責任者ラリー・マリアント[リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』42頁])。二人は、「きわめて左翼的な思想や向こう見ずな態度といった共通点もあ」り、「二人ともビジネス界の大物には不信感を抱いていた」(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』47頁)のである。また、メイヤー・グーグル副社長も、二人は「権威を疑うように訓練され、プログラムされてきた」と指摘している(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』184頁)。

 電子図書館 ラリ―が検索エンジンを生み出したきっかけは、@「<デジタルライブラリー・イニシアチブ(DLI)という国防省のプロジェクトから資金を得ていた」「コンピュータを使って簡単に探せるようにするための試み」と、A1994年ネットスケープ・コミュニケーションズが「グラフィカルなウェブ・ブラウザ」を発表し、ヤフーが設立され、インターネットが登場した事という二つの試みであった(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来 二人の天才経営者は何をめざしていつのか?』55頁)。まず、前者から見てみよう。

 1995年5月にラリーがミシガン大学工学部を卒業し(ジョージ・ビーム『Google Boys』241頁)、1995年に、ラリーとサーゲイは、1990年代初期にスタンフォード大学が着手した電子図書館プロジェクトに参加した(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』30頁)。これが二人の最初の出会いのようだ。

 ラリー・ペイジは、「ウェブはスーパー司書みたいなものだ。図書館の司書がグーグルの知識を全部頭に入れていて、しかも一瞬にしてその知識を駆使して答えてくれたら・・世界はがらりと変わるはずだ」(ジョージ・ビーム編、林信行監訳『Google Boys』三笠書房、2014年、18頁)とした。だが、この程度の事では世界は変わらないのだが、 二人は、以後も「電子図書館を創るという夢を抱いてい」て、今でも諦めてはいないという(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』200頁)。現在でも、グーグルは、「世界最大のネット図書館を構築する試みの一環」として、コンテンツを制作・配信する手段を提供するだけであると言われる(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』231頁)。現在のグーグルブックス図書館プロジェクトでは、「いくつかの主要な図書館と組んで、そこにある蔵書のデジタル化を進め」、「誰もが自宅のパソコンから図書館の蔵書の中身を自由自在に検索できるようになる」(小川浩、林信行『アップルvs.グーグル』124頁)のである。

 こうして、ラリー・ペイジは23歳の時(1995年)、ウェブすべてをダウンロードして、リンクを保存しておけたら」いいと思い始めた(ジョージ・ビーム編、林信行監訳『Google Boys』三笠書房、2014年、15頁)。ラリー・ペイジが「大学で研究しているうちに、・・単にウェブやデータ検索に興味があって、たまたますごく役立つ検索技術が見つかったから、それで検索エンジンをつくっただけ」(ジョージ・ビーム編『Google Boys』120頁)であった。あくまで 「検索エンジンは単なる学術的な研究プロジェクトであり、インターネットという巨大図書館で正しい資料を探しあてるための新たなテクノロジーと考えていた」ので、「スタンフォード大学院で研究を始めた頃には、ラリーとサーゲイは検索エンジンが自分たちの起業する会社の中核になるとは思ってもいなかった」(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』52頁)のである。

  当時の検索エンジンの問題点 それでは、彼らは検索をどのように考えていたのであろうかを見てみよう。

 1995年ラリーは指導教官ガルシア・モリーナに、「当時人気があった検索エンジン(アルタビスタ)は、各ウェブサイトにキーワードがどれだけ含まれているかだけでなく、どのサイトがそこにリンクしているかを表示することが出来た」事をヒントに、「リンク情報がサイトの重要性を評価するのに役立つはずだ」と提案した(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』56頁)。そして、ラリーは、「リンク数にこれほど重要な意味があるのなら、いっそ検索プロセスの一部に含め」ることを提案した(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』57頁)。そこで、ラリーは、「リンク元のサイトの重要性も勘案」して、「リンクを後ろ向きにたど」るバックラブ手法で、「サイト間のリンク構造を解析するためのソフトウェアを作り始め」、ペイジランク・システムを生み出した(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』57−8頁)。

 一方、当時のヤフーには、「独自の検索エンジンすらなく、アカマイからライセンス供与をうけ」ており、「他の検索エンジン会社の経営陣も、検索技術のさらなる改良は不可能もしくは不要と考えていた」が、ラリーはこれを批判し、「インターネットの潜在力を引き出すには、正しい情報を探せるようにする新たな技術の開発が必要」だとしていた(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』62頁)。1998年グーグル創業時には、既にヤフー、アルタビスタの検索先行企業があり、「今さら参入しても手遅れ」とも言われたが、セルゲイ・ブリンは「最後にはもっとも優れた検索結果が出るところに行き着くことになる」と見ていた(ジョージ・ビーム『Google Boys』84−5頁)。こうして、ペイジとブリンは、アルタビスタとヤフーの特徴と限界から新しい検索法を思いついたのである。

 さらに、サーゲイ・ブリンは、この1995年、「データベース・グループ」の研究プロジェクト(責任者はスタンフォード大学教授アンドレアス・ペプキー)に参加し、「大量のウェブデータ」を取得・保存するためにクローラー(保存ソフトウェア)・プログラムをつくり上げ、前人未踏のスケールで「インターネットを使って、データマイニング用にとほうもない量のデータを分類」した(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』58−9頁)。

 1995年後半に、こうした「ラリーとサーゲイの研究が融合」することになり、つまり「ラリーはウェブを検索するのに、クローラーを必要とし」、「サーゲイをデジタルライブラリー・プロジェクトに誘い、自分の作った検索技術と、サーゲイのクローラーを組み合わせた」のである。創造意欲の強いラリーと、数学好きのサーゲイとの波長が合って二人の関係が「自然に発展」(アンドレアス・ペプキー)したのである。二人は「深夜までウェブのインデックス化と分類を続けた」(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』59−60頁)。

 当初、二人の検索エンジンは「1秒当たり30−50のウェブページを解析」し、1996年末には二人にも「納得できるもの」に仕上がり、1997年後半には「1秒あたり千」に増加した。彼らは、「ウェブ全体を、数億の変数のある巨大な方程式に変え」、「数学の知識」で対応したのであった(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』60−3頁)。

 グーグル設立 ラリー・ペイジは、「僕たちがグーグルを始めたころには、ほとんどの人が検索に関することはすでに解決ずみであり、バナー広告くらいしか儲かる手段はないと考えていた」が、二人は「全く逆のとらえ方」をし、「検索のクオリティはまだ非常に低いし、ユーザーの使い勝手の悪さを考えれば、間違いなくビジネスになるはず」とみていた(ジョージ・ビーム編、林信行監訳『Google Boys』三笠書房、2014年、140−1頁)。二人は学生寮の一室とガレージで検索会社を起業 した。

 1996年に、二人は、BackRubという検索エンジン(「リンクを使用して個々のウェブページの重要性を判断するというもの」)を完成し(ジョージ・ビーム『Google Boys』241頁)、1997年に「1の後にゼロが100個並んだ値を表す『googol(ゴーゴル)』という数学用語(数学者エドワード・カスナーの9歳の甥っ子が考えた)をもじっ」て、この検索エンジンに「Google」という名前を付けた(ジョージ・ビーム『Google Boys』242頁、リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』61頁、グーグルHP[https://www.google.co.jp/intl/ja/about/]に依拠)。

 1998年には、ブリンとペイジは、「1億ものリンクを解析し終え、数十台のパソコンからなるデータセンターを開発」した。当時検索精度が低く、「無関係の検索結果が大量に並べられてしま」う状況の中で、グーグル検索は「精度がいい」と評判を呼び、「ユーザーを獲得していった」(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』50頁)。

 当時検索エンジン「アルタビスタ」開発者のアンドレイ・ブローダーは二人と議論し、「ラリーは本当に変わっていたよ。営利企業が検索エンジンを所有するなんてことは許せない、という立場だったんだ。すべて非営利企業の手に委ねるべきだと言うんだ。その点については考えが変わったみたいだね」とする。当初、ラリーとサーゲイは「グーグルの検索エンジンの商業化を望んでいなかった」のである。サーゲイは「ハイパーテキストに基づく大規模なウェブ検索エンジンの構造」で、「広告を収益源とする検索エンジンは、本質的に広告主に肩入れし、消費者のニーズから遠ざかる性質がある」としていた。「二人は検索エンジンは社会に取ってあまりに重要すぎて、利益目的に使うには相応しくないと感じていた」のである。しかし、実際には二人はそれで起業は考えていたと、後輩のスタンフォード大学院生クレイブ・シルバースタインは証言している(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』53−4頁)。

 そこで、二人は、これを1億ドルで売ろうとしたが、買おうとする企業は現れなかった(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』63頁)。これが、起業したグーグルの経営に着手するきっかけとなった。「適切な価格を払って買ってくれる企業」がないなら、「自分達でやろう」ということになったのである。

 最初の融資 1998年8月には、実業家アンディ・ベクトルシャイムが10万ドル拠出し、9月にスーザン・ウォヅツキが郊外に所有する一軒家のガレージをオフィスとして借りる。9月4日グーグルが正式に設立され、クレイグ・シルバースタインを最初の社員として雇い入れ(ジョージ・ビーム『Google Boys』242−3頁)、「拠点をキャンパスの外に移した」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』58頁)。創業当初、この新入社員シルバースタインがラリーに、「この取引と、あといくつかをまとめれば、千万ドル企業になれるかもね」と言うと、ラリーは「僕らは千億ドル企業になるんだ」と答えた。ラリー、サーゲイには創業当初から検索事業に「壮大なビジョン」を抱いていたのである(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来 』96頁)。因みに、シルバースタインはスタンフォード大学博士課程で研究した「圧縮演算法」で、「Googleエンジンの構築に貢献」し、2012年に億万長者となってグーグルを退社した(2012年2月10日付ITmedia記事)。

 この時の家主のスーザン・ウォイッキはインテル社員であり、後にグーグルに転職した。このスーザンの妹が後にペイジの妻となる(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』189頁)。

 1998年12月に本格稼働したグーグルの検索エンジンの特徴は、「クモの巣という名前通りに広がるリンクのネットワークを活かす」事であった(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』56頁)。

 1999年、セルゲイ・ブリンは、「ラリーと僕がグーグルを始めたときに」、「ユーザーは常に正しい」という「基盤とした考え」があったとする(ジョージ・ビーム『Google Boys』104頁)。だから、「グーグルは、誰でも使える簡単さを第一に考え、ホストコンピュータの側の設計を考え直し、莫大な投資をして大成功を収めた」(ジョージ・ビーム『Google Boys』105頁)のであった。

 VC融資 1999年春、二人は、グーグル価値を1億2500万ドル以上と評価して、株式の20%でベンチャー・キャピタル(VC)から2500万ドルを調達しようとし、最強VCのKPCB(Kleiner Perkins Caufield & Byers )とセコイヤ・キャピタル(Sequoia Capital)から半分ずつ引き出そうとした。セコイアの責任者マイク・モリッツは二人の「偏執的ともいえるほどの熱中ぶり」を見て、かつ「検索エンジンがものになれば、同じく出資先であるヤフーに売却できる」とも計算して投資を決めた(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』66−8頁)。

 一方、セコイア・キャピタルのマイケル・モーリッツは、「卓越した検索技術をもつ企業には大きな将来性がある」とみて、グーグル融資に積極的だった。二社は「グーグルはネットバブル時代の最後の『大きな獲物』であるという見方では共通していた」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』112頁)のである。実際、KPCBのジョン・ドーアが「事業規模はどれくらいになると思うかね?」と問うと、ラリー・ペイジは「100億ドル」と答え、「収益で」と付け加えて、ドーアを驚かせ「感銘」させていた(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』111頁)。

 ラリーは一社ではなく、両社から融資を受ければ、「大きな注目を集めら」れ、「自分たちの事業に大きな保険をかけ」ることになると考えた。二社は、「どこかの時点で経験豊かなCEOに経営を任せるという条件」で2500万ドルの半額ずつ出資することに同意した。「オタクたちの間ではその検索エンジンはすでに周知の存在」だったが、世間はその存在を「広く知ら」なかった。この二社が出資したことがニュースになると、「初の記者会見」がスタンフォード大学ゲーツビルで開かれ、ラリーは、「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるよう」にし、「人工知能の使用に関して話し、いつか100万台のコンピュータを保有したい」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』112ー3頁)と語った。

 1999年前半、グーグルは「バロアルトにある自転車店の上のオフィスに移転し」、社員10人で「1週間に130時間(1日18.5時間)働き、机の下で寝るような生活をしていた」(1999年入社のマリッサ・メイヤー回顧[スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』191頁])。それは将来の発展が確実な状況での没頭であった。つまり、「グーグルの検索が、会社の規模からは想像できないほどのフィードバックや注目を集めていた事実もみんなの興奮をあおった」のであった(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』193頁)。

 起業1年ほどの間に、「若き創業者たちのビジョンに傾倒した一流の科学者集団が集結し」、彼らは「一丸となって革新に次ぐ革新を引き起こし、競合他社に対するグーグルの優位を拡大し」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』69頁)てゆくことになる。

 1999年8月、社員は35人に増え、事務所が手狭になり、マウンテンビューに移転した。この直前、二人が、オラクルのファシリテイ(事務所・施設管理業務)担当のジョージ・サラ―に入社を打診すると、「この会社は5年後にどうなっている」か尋ねられた。二人は、「グーグルは5年でヤフーの企業規模の半分にまで成長している」と答えた(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』194頁)。 「グーグルの財務状態はベンチャーキャピタルから2500万ドルの出資を受けて改善していた」が、「サラ―は、備品等の仕入れはなるべく安くあげるように指示されていた」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』195頁)。二人は大きな将来を展望しつつも、小さい所に倹約精神を発揮していた。

                                A グーグル検索の画期性

 画期性(1)ーページランク 「当時もすでに商用の検索エンジンは存在し、アルタビスタ、インフォシークといったサービスが世界でトップの検索結果数を誇っていた」が、「その検索結果を導き出すプロセスは、そのページにいくつの関連する用語が含まれるかといった、『ページの中の情報』のみによるもので、リンクの数などといったページとページの間の関係性を考慮に入れていなかった」ため、「検索結果の中には意味のない単語の羅列のようなページや、言葉だけ多くて内容を伴わないページも多く、まさに玉石混交の状態」であり、「数千件もリストアップされた中から、ほしい情報を集めるために手あたり次第クリックを繰り返す必要があった」(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』37頁)。

 「学者の両親の下で育ったペイジは、ウェブ上のリンクが学術論文における文献引用に近いものであ」り、引用数の多さが論文の重要度を示していることを本能的に理解し、「この原則はウェブページにも通用する」と考えた(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』31頁)。ページは、「たくさんリンクを貼られているサイトを高く評価する」システムを自分の名前をつけて「ページランク」と呼んだ(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』32頁)。

 一方、「数学の天才であるブリンは、混沌とした状態でウェブから引き出された膨大な量のリンク情報に法則性を見出すという大きな数学的課題に着手した」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』33頁)。そして、二人は、「改良を加えてはすぐにやり直すという作業パターンに完全にはまっていた」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』42頁)。しかし、二人は、当初は、「広告によって資金を提供されて検索エンジンは広告主の方向に検索結果の偏向が生まれ、消費者のニーズから遠く離れてしまうのである」(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』39頁)として、検索と広告を切り離していた。

 1996年3月、このチームはスタンフォード大学コンピュータ科学研究科のウェブサイトでこのテストを開始し、「リンクを活用していたため、検索の性能ではどんな企業をも上回る成果を出し」た(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』37頁)。そして、「数々の情報を組み合わせて、最終的に検索結果に順位を付ける者をランキング関数」といい、「検索語がアンカーテキスト(文字列)と一致すれば10点、タイトルとの一致ならば5点、PageRankが高ければ点数を3倍、といった具合に計算式を作り、最終的に点数の高い順に結果が表示される」(西田圭介『Googleを支える技術 巨大システムの内側の世界』技術評論社、2008年、8頁)。さらに、「重要なページを特定することを可能にしたのは、5億の変数を用いたブリンの数学的計算」であり、「ページランクの点数は、旧来の情報検索技術(頻度、フォントサイズ、大文字使用、表示位置)と組み合わせて使用」した。検索エンジンはこれらシグナルを使って候補を探し、バックラブによって、ページランクの点数が高いウェブページが上位にきた(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』38−9頁)。

 このページランクの最大の長所の一つは、「『スパム(不正アクセス)に強い』ことだった」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』84頁)。こうして、「どのweb頁が役に立つかを機械的に点数出表し、高い点数の頁を検索結果の上位にもってくるさまざまな方法を開発した」(西田圭介『Googleを支える技術 巨大システムの内側の世界』技術評論社、2008年、3頁)のである。

 前述の通り、1998年9月「シリコンバレーのファンドからの出資を受け、ベンチャー企業としてスタート」し、「しばらくの間、広告には一切手を出さずに、検索結果のクオリティを改善することにのみ技術の枠を集中し」、ホームページ中の「単語の数」「表題の付け方」「リンクの数」などの「百以上のパラメーター」で検索精度をあげている(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』39−40頁)。
 
 以上の結果、1998年、上述の如く、「ウェブページのランク付けを行う画期的な検索エンジンの開発に成功し」、バックラブを「ほどなくGoogleに改名」(雨宮寛二『アップル、アマゾン、グーグルのイノベーション戦略』129頁)したのであった。この「検索語に対して、どのウェブページが最適の回答かを決定する手法」であるページランク法は、「グーグル検索の中核技術」(岡島裕史『アップル、グーグル、マイクロソフトークラウド、携帯端末戦争のゆくえ』光文社新書、2010年、94頁)となった。同年、サーゲイ・ブリン、ラリー・ページは、コンピュータ・ネットワーク誌上に「The Anatomy of a Large-Scale Hypertextual Web Search Engine」(Computer Networks,vol.30,1998,pp.107-117;http://infolab.stanford.edu/〜backrub/google.html)を掲載して、この新し検索エンジンを発表した(西田圭介『Googleを支える技術 巨大システムの内側の世界』3頁)。

 そして、グーグルは、莫大な広告費を使わずに、「影響力のあるアーリー・アダプター(初期導入者)に使ってもら」い、「影響力のあるライターには、自分たちの名前をグーグルで検索」してもらい、アルタビスタのリンク追跡機能からヒントを得たグーグルのページランクの卓越性が認識され(検索エンジン「ライコス」元CEOロバート・デイビスやカリフォルニア大学教授エリック・ブリュワーは、このページランク革新性・画期性を批判していたが)、「このアプローチによって、グーグルには宣伝をする必要がなくなった」(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』97−9頁)のである。 

 画期性(2)ークローラ そして、オープンブラウザ「クローラー」と呼ばれる自動プログラムで、「インターネットの中をくまなく徘徊し、グーグルの中央サーバーへと情報を自動的に持ち帰っていく」のである。この情報は、@「インデックスサーバーと呼ばれるコンピューター群」で「一語一語ごとに分解され、単語とインターネット上のアドレス(URL)との対応付けを表にして保存し」、A「ドキュメントサーバーと呼ばれるコンピュータ群」に「クローラーがもちかえった情報」を格納し、「これをもとに検索結果の『要約』や『タイトル』が自動的に作られる」ことを可能にした。

 これによって、ユーザーの検索がなされると、@「インデックスサーバーが、あらかじめ作ってあるインデックスの中から、そのキーワードに最も合う結果を計算して順位を決め、それぞれのページのアドレスをその順番に並べ」、A「そのページの記事の内容が収められたドキュメントサーバーからタイトルト要約を引き出」し、検索アルゴリズム(大量コンピュたーの使用で検索順位を原則0.5秒以内[人間工学的に「我慢できる時間」とされるという]で決める方法)に従って、「これらを一緒にして、『検索結果』として瞬時に並べる」(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』41−2頁)のであった。

 こうした「ウェブに存在する情報を手当たり次第に収集するグーグルのクローラ(世界中のWebページ回収プログラム)」は、「荒れ狂う情報の海を泳ぎ切り、関連させ、集約し、覇者になった」(岡島裕史『アップル、グーグル、マイクロソフトークラウド、携帯端末戦争のゆくえ』光文社新書、2010年、97頁)。そして、web頁は更新されるから「定期的に見直す」必要があり、「クローラの仕事は永遠に終わること」がない(西田圭介『Googleを支える技術 巨大システムの内側の世界』技術評論社、2008年、21頁)。

 さらに、グーグルは、「個人が持つパソコン」に蓄積されている情報の収集を求めて、最初は「パソコンに自らの検索ツール(グーグルデスクトップ)を導入」したが、「スパイウェア」(利用者の情報を勝手に収集するソフト)となりかねず、ここに「パソコンで実行されていたソフトウェアや、パソコンに蓄積されていた情報のインターネット移行に心血を注いだ」(岡島裕史『アップル、グーグル、マイクロソフトークラウド、携帯端末戦争のゆくえ』光文社新書、2010年、99頁)。

 画期性(3)ー巨大インフラ  ブリンとペイジは、ジム・リース(1999年6月グーグル入社、神経外科医)を雇用した際に、「グーグルのデータ処理能力とインフラは今後、劇的な成長に対応する必要がある」と要請し、2,3年間で5万台のマシンに対応するようにと言った(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』287頁)。「グーグルの効率性の秘訣は、途方もなく安い値段で性能が低いハードウェアを購入し、必然的に高くなる故障率(通常は4−10%だが、初めから10%程度の高い故障率を想定)を見越して創意工夫でシステムの動作を続けられるようにするというアプローチにあ」り、ラリーとサーゲイはリースに、「自社設計のサーバーをできるだけ安価に製造し、大量の台数を高速ネットワークにつなげることを提案」したのであった(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』287頁)。

 2003年にグーグル技術者ウルス・ヘルツ(Urs Holzle)らが発表した「地球のためのウェッブ・サーチーグーグルのクラスター・アーキテクチャー」(世界電気電子学会[IEEE]のコンピューター部会学会誌)によると、「彼らは検索のコストを徹底的に下げるために、数十台の市販のコンピューター部品をかき集めたコンピュータを数十台繋げ、世界中から集めたインデックスを細かく分割して、検索結果をはじき出している」とする(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』45−6頁)。

 2004年、グーグルCEOエリック・シュミットは、スタンフォードのビジネス・スクールで、「スタンフォードの若者」は「おもちゃのよう」なパソコンから「巨大でとても高速なコンピュータ」複合体のデータセンターを作ったが、「数限りなくサーバーを詰め込む」ために「電力消費量が多い」のが問題だとした(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』46−8頁)。現在、「世界に最低でも十数ヶ所のデータセンターに数十万台のコンピュータがある」と推定され、2006年6月14日付ニューヨーク・タイムズによると、世界中の最低25ヶ所のデータセンターに45万台のコンピュータがあるとする(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』49頁)。

 この結果、グーグルのインデックス(検索可能件数)は、2400万頁(1998年)、33億頁(2003年)、42億頁(2004年2月)、80億頁(2004年11月)となり、サーバ数は、3百台(1999年)、4千台(2000年)、10万台(2003年)に増加する。いまやグーグルは「世界最大のコンピュータシステムを構築」した(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』49頁、西田圭介『Googleを支える技術 巨大システムの内側の世界』技術評論社、2008年、5頁)。

 2006年6月ニューヨーク・タイムズは、「グーグルが新たに巨大なデータセンターを建設中である」と報じた。それは、敷地12haで「厳重な監視」がなされるというものであった(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』182−3頁)。 実際、2006年以降、数百億円規模で「米国を中心に次々と自社のデータセンターを建設」(西田圭介『Googleを支える技術 巨大システムの内側の世界』237頁)し、2006年6月にオレゴン州ダレスに建設されたデートセンターは、建物が2つ(建物1つで「8000程度のラックが入る」とされ、1ラックには40個のCPUが乗る)で、「マシン数は最大で64万台」と推定されている(西田圭介『Googleを支える技術 巨大システムの内側の世界』238頁)。

 2008年には第二データセンターとして、このダレス規模の建物2つが、6億ドルでノースカロライナ州レノアに設立され、「マシンの数は最大で40万台」(西田圭介『Googleを支える技術 巨大システムの内側の世界』239頁)と推定される。さらに、サウスカロライナ州バーク―レー郡(520エ―カ、6億ドル投資)、オクラホマ州プライア(800エーカー、6億ドル投資)、アイオワ州カウンシルブラウス(6億ドル投資)でもデーターセンターが設立される(西田圭介『Googleを支える技術 巨大システムの内側の世界』240−1頁)。

 二人は、「インフラを構成する何百万台もの小型コンピュータ」・各種サーバー(ロード・バランサー、プロキシ・サーバー、ウェブ・サーバー、データ・収集サーバ、アド・サーバー)を「底値で買い漁った」光ファイバー回線という「神経」によって「一つの個体として動く」「世界最大・最強」のネットワーク・スーパーコンピュータ(「とほうもない規模の大きい分散型スーパーコンピューター」)をつくりあげた(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』219−220頁)。このコンピューティング能力によって、「ライバル企業がグーグルの機能性に対抗するのが難しい」のである(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』221頁)。

 そして、これを動かす電力需要は巨額なものとなった。「1ヶ所につき電力供給能力は60MW、マシン数は40万台」、投資6億ドルとすると、五ヵ所で、投資30億ドル、電力300MW(年間電気代1億ドル)が必要とされた(西田圭介『Googleを支える技術 巨大システムの内側の世界』243頁)。コストはコンピュータ、サーバ稼働のみならず、その冷却にも巨費がかかった。そこで、グーグルは、、100万台以上の膨大な数のサーバーの発熱を冷却すするために、大量電力消費を要する従来のエアコン冷却ではなく、工夫した水冷方式を採用した(雨宮寛二『アップル、アマゾン、グーグルのイノベーション戦略』144頁)。

 こうして、グーグルは、「様々なサービスを矢継ぎ早に展開する中で、より巨大なコンピューター・パワーを確保」し、インデックスを『大きく』することで人智を超えたデータ量を誇るようになった」(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』184頁)のである。

 画期性(4)ー巨大クラウドサービス この巨大データセンターによって、大規模なクラウドサービスが可能になって行く。つまり、「グーグルのクラウドは、1カ所につき10億ドル以上かけて世界各地に設置された巨大なデータセンターの中に格納されており、それぞれのデータセンターにはグーグルの自社製サーバーが大量に詰め込まれている」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』283頁)のである。2002年時点、「グーグルのユーザーは1日に1億5000万回検索を行い、同社はそれを処理するために1万台のサーバーを保有」するに至り、こうしたデータセンターは「世界最大規模のクラウド環境を提供するまでに成長」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』284頁)したのである。だから、デイブ・ジルアード(グーグルのクラウド志向のビジネスソフトを担当する幹部)は、「グーグルはウェブから誕生した会社であり、ずっとこれだけに集中してきた点でも圧倒的優位に立っている」と断言するのであるいう(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』282頁)。

 クラウドの本質は「どこで産み出されるかはわからないが、どこででも受け取ることができる」ということであり、「メガデータセンターを基盤とするクラウドサービスが世界をのみ込もうとしている」(岡島裕史『アップル、グーグル、マイクロソフトークラウド、携帯端末戦争のゆくえ』32−3頁)のである。「グーグルの社是は、『世界中の情報を整理する事』」であり、「グーグルほど情報の収集に貪欲な組織は歴史上類を見ない」のである(岡島裕史『アップル、グーグル、マイクロソフトークラウド、携帯端末戦争のゆくえ』92頁)。

 ラリーは、検索のみならず、「グーグル・マップスの機能の一つ、目当ての建物や道路の画像をみられるストリート・ビューの発案者」でもある(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』223頁)。ウェブは、「無限の大きさをもつデータベースと化し」て、ここに「相互にリンクを張り巡らせた膨大の数のウェブサイトによって構成される、複雑に入り組んだネットワーク」が形成される(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』30頁)。 グーグルは、巨大コンピュータ能力を生かし、「ニュース配信からパソコンを使ったコンピューティング、出版、動画配信に至るまで、幅広いビジネスのルールを根底から覆し」、その結果、「情報の収集と配信に携わる企業」は「足元から崩壊する危険にさらされている」(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』222頁)のである。

                                    B 高収益性

 模索期間 グーグル首脳は検索機能の有益な事が自然に知れ渡る事を重視し、多額広告費を使う伝統的なマーケテイングには反対であり、KPCB推薦の暫定的マーケテイング担当副社長の「テレビCMを含む入念なプラン」を却下して、彼に暫定雇用期間の終了を告げた(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』116−7頁)。

 VCから出資を受けた後に、グーグルの収益獲得方法は、@「ライセンス契約によって他のウェブサイトにグーグルの検索技術を提供すること」、A「社内システムから文書などの情報を高速検索することを可能にするハードウェア製品を企業に提供する」事、B「広告枠の販売」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』117頁)となったが、「グーグルは依然として1日にユーザーが行う7000万回もの検索クエリから収益を生み出す手段をもっていなかった」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』120頁)。@は、グーグルがヤフーやエキサイトのようなポータルサイトに検索エンジンを提供して、「精度の高い検索でライセンス契約料を得る」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』143頁)というものである。

 2000年には「専門家や専門誌が”インターネットの終焉”を叫んでいた」が、ラリーとサーゲイは「インターネットのとほうもない可能性を感じ取っていた」(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来 』218頁)。2000年当時の「グーグルの主要な収益源」は、「他社への技術のライセンス供与」であった(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』119頁)。まだ上記の諸画期性が有機的に連動することなく、グーグルは、検索を収益基盤にする事はできなかったのである。

 しかし、グーグルは「広告の品質を高めるために」「広告の関連性を判断する専用の検索エンジンを新たに作っ」ていたので、「何百万本もの候補から、適切な広告を選び出すこと」、つまり「ターゲット広告」が可能になり、ここに「大鉱脈が生まれ」(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』126頁)る状況が熟して来た。

 大鉱脈−アドワーズ 2000年インデックス化されたウェブページが10億を超え、世界最大の検索エンジンとなったが、グーグルは、依然としてバナー広告を掲載したり、広告スペースを売るのを拒んでいた。2000年6月にグーグルはヤフー(創業者デビッド・ファイロ[David Filo]はスタンフォード大卒)提携に成功し「グーグルの名を世に知らしめ」、グーグル利用者が急増した。しかし、グーグルは、相変わらず「検索技術をほかの会社に提供するライセンス料だけでは収益は上がら」ず、赤字であった。2001年はグーグルCEOには「厳しい年」になり、「資金は底をつき」、シュミットも苦境に陥り、「ベンチャーキャピタル各社からは・・ヒステリックな非難の声が上がり始めた」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』126頁)のであった。

 だが、2000年10月開始の検索連動型広告「グーグル・アドワーズ」が導入されると(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』51頁)、赤字体質は一変した。ここでは、検索結果が「広告には影響を受けないという形」を維持するために、「押しつけがましい」派手なバナー広告・グラフィック広告を禁止して、「広告の領域と検索結果の領域を分けて表示」することにした(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』52頁)。セルゲイ・ブリンは、グーグルが利益をあげる方法は、@サイトに「ユーザーにとって真の意味で役に立ち、グーグルのサイトのマイナスにならない」「広告を載せること」(検索連動型広告アドワーズ)、A提携して「よそのサイトバックエンド検索エンジンを提供する」事(「ブログの記事内容やGメールで受信したメールの内容から推測して、関連商品の広告を表示するコンテクスト広告サービス『アドセンス』」、後述のように、これは2003年から実施)であるとする(ジョージ・ビーム編、林信行監訳『Google Boys』三笠書房、2014年、32−4頁)。こうして、グーグルは、「これまでオンライン広告は高すぎて手が出ないと考えていた中小・零細広告主を対象としたセルフサービス型広告システム『アドワーズ』をスタート」させたのである(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』130頁)。

 ここに、グーグルは、セルフサービスでオンライン広告キャンペーンを作成できる AdWords を発表し、「今日では(多くの企業に)ディスプレイ、モバイル、動画の広告ソリューションを提供」するようになった(CASEY JOHNSTON「グーグルの「20%ルール」は死んだか」[2013年8月20日付WIRED配信])。この結果、2001年グーグルは初めて黒字転換し、2002年売上が4億4千万ドルとなった。わずか二年でアドワーズは「年商425億ドルもの利益を生み出し」(ジョージ・ビーム編『Google Boys』35頁)のである。

 しかし、アドワーズは「すぐに人気を集めた」が、「広告の表示位置を上げようと考える広告主たちは目の色を変えて自社の広告をクリックし続け」、「外部から簡単に操作できてしまうという欠点」があった(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』131頁)。そこで、グーグル・エンジニア達の「数学的頭脳」は、@「広告販売にオークション(入札システム)を導入」し、「売り手と買い手の双方が満足する価格を設定するのに最適の方法」を定め、A「入札価格をそのまま支払わせるのではなく、次点の入札額より1セントだけ多く払う方式」に変え、「入札に参加する広告主たちに信じられないような開放感をもたらし」、Bさらに、「広告の『品質』を管理する機能を組み込むという前代未聞の試み」を始め、「その後、広告と特定のキーワードとの関連性やランデイングページの品質といった要素を追加し、もっと複雑な公式を使うようになった」。こうした「グーグルが広告を掲載するにはユーザーがそれらを役立つ機能と認めた場合に限る」というペイジとブリンの理想は、「ヴィーチ(エリック・ヴィーチ、数学好き、スタンフォード大学コンピュータ科学科卒、2000年入社、広告部門)とカマンガー(サラ―・カマンガー、1999年に入社)の驚異的な数学的頭脳が生み出したシステムによって実現」したのである(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』136−140頁)。

 ここでの品質スコア方式は、「広告は媒体と広告主の2者間のやりとりではなく、常にユーザーを含めた『善意の三角形』であるべきだというグーグルの主張を実現した」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』140頁)ものである。こうした広告会社・広告主、消費者の利益がグーグルの利益にもなるとみるわけであり、こうした発想は、近江商人の三方徳に似ている。

 2002年、グーグルは「膨大な計算機を要する作業をこなすために数千台のコンピューターを保有し」、この新システムの「技術的なハードルを越えることも可能」になった。この新システムで、「グーグルの広告収入が全体に占める割合は飛躍的に伸び始め」、「右側上部にある広告スペースの価値は・・突然高騰しはじめた」のである。こうして「グーグルは高収益を上げ始め、2002年にはついに初めて通年で黒字化した」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』140−1頁)。

 AOL(America OnLine、アメリカのインターネット・サービス会社)は、広告検索会社のグーグルとオーバ−チュア(検索サイトの検索結果に表示 されるというインターネット広告企業)を比較し、「グーグルがオーバーチュアより金になるという結論」をだして、グーグルと契約し、「不適切な表現が1秒たりとも表示されないシステムを要求」して来た(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』144−5頁)。これを受けて、グーグルは、「改善されたアルゴリズムとデータを使って広告承認プロセスを自動化できるようになった」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』146頁)。

 グーグルは、「より多くの収益を得られると思えば、広告の『エリート』であるアドワーズプレミアムを誰もが羨望するそのポジションから外し、アドワーズセレクトに差し替えることをいとわなかった」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』163頁)のである。ヴィーチはデータ分析の結果、「アドワーズセレクトの広告の方がパフォーマンスに優れていること」を主張し、「数か月も社内で論争を続けた後」に、ラリー、サーゲイ、エリックはこれを承認した(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』164−5頁)。2002年2月グーグルがアドワーズセレクトの運用を開始し、5月からAOLへの検索提供が始まり、「多種多様なプロジェクト」に着手し、「10年分のプロジェクト予算を楽々確保できるだけの『打ち出の小づち』を手に入れた」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』149頁)。

 こうして、アドワーズセレクトの運用開始で、アドワーズプレミアム広告は衰退した。こうした「アドワーズプレミアムからの撤退」は、「グーグルがひとつの頂点に到達したことを意味」し、「グーグルでは、広告への取り組みは検索とほぼ同格の兄弟分と認められるようにな」り、検索やオンラインアプリケーションの開発と同様に、「数学、コンピュータ科学、および統計学」が適用された(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』174頁)。

 2003年スーザン・ウォイッキは、「アドワーズの成功に刺激され」、「同じような入札方式とペイパークリックのモデルを、メディアのサイトに応用できないか」と考えた。ブリンはこのアイディアを高く評価したために、これをフィルトと結び付けようとしたためか、「ハリクとシャジールはわずか1週間でフィルをキーワードとウェブページを連動させるシステムに作り変えた」のであった。2003年3月、「グーグルコンテンツターゲット広告」のパイロット版が『発表された。当時グーグルは20億ページ以上のウェブページをインデックスしていたので、「コンテキスト広告の分野で誰よりも優位に立てるはず」であり、「グーグルはウェブ全体を対象に好きなように広告戦略を展開できる可能性がある」という指摘もなされた。ウォイッキは、これに触発され、「私たちはウェブ上の経済学そのものを変化させてしまうかもしれない」とした(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』152−3頁)。

 2004年、ヤフーは、アドワーズを盗用としてグーグルを訴えたが、結局、グーグルは、「株式公開で得た資金から数億ドルをヤフーに支払い、数千億ドルを生むビジネスモデルを手に入れた」(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』136頁)のであった。

 小鉱脈ーアドセンス 2003年グーグルは、「ウェブサイトや情報の保存場所を分析し、整理し、人間の思考法を模倣した方法でそれらの場所から知識を抽出する」技術の特許権をもち、「このシステムをアドセンス(リンクを掲載したウェブ運営者に支払われるセントに引っ掛けたネーミング)という製品に応用」するとともに、「グーグルの脅威になりうる」アプライド・セマンティックスを4200万ドル・株式1%で買収した(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』153ー4頁)。ブリンは、これで「「20億ドルの機会」を手に入れたと思った。

 以後、グーグルは、「アドセンスの最初のクライアントとしてポータルサイトや新聞社サイトなどの大手ウェブサイトを想定し、顧客確保のためにあらゆる手段を講じ始めた」のである。グーグルは「この分野で独壇場を築ける可能性がある」として、アドセンスが「広告主とクライアントの双方に利益をもたらすことを納得してもらうまで「すべてのコストを自社で負担」しニューヨーク・タイムズなどの「サイトの広告スペースを購入」することにした(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』155頁)。サーゲイがエリックにこれを提案した時、エリックは「それは賢いビジネスとは言えない」と反対したが、熱意に負けて100万ドルという上限をつけて認めた。当時、グーグルでは「子犬(アドセンス)を世に送り出す」ことが「全社的なスローガン」になった。

 数か月後、サイト運営者がクリックのみで「十分な収益」をあげられることがデータ的に証明されると、グーグルは今後は広告スペースを新聞社などから買わないと宣言した(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』156頁)。クリックに対する広告主の支払い金はグーグルと「広告を掲載したウェブサイト」との間で分配された(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』158頁)。その後、「無名の個人が営んでいるブログであっても、広告を掲載し収益を上げることが可能になり、検索結果のページだけでなく、その先のリンクにあるブログ記事にも広告を出せるようにな」り、「広告という収益モデルの民主化」を行なった(小川浩、林信行『アップルvs.グーグル』138頁)。

 こうして、グーグルは、検索エンジンのみならず、アドセンスのおかげで「多くのパートナーから収入を得られる」ようになった。2010年5月公開の分配率では、「広告主がグーグルに支払う金額」のうち、68%が「サイト運営者の収益」、32%が「グーグルの収益」であった(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』158−160頁)。

 こうして、アドセンスが大成功を収めていたことは確かだったが、「グーグルの収益の大部分は依然としてアドワーズ(セレクト[入札広告]はプレミアム[伝統的なCPM広告]を補足)によるものだった」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』163頁)。

 以上の「アドワーズやアドセンスといった広告プログラム」を検索エンジンに結びつけ、「検索連動型広告を開発することで会社として利益の出る仕組みを作り出し、収益モデルを確立するに至った」(雨宮寛二『アップル、アマゾン、グーグルのイノベーション戦略』141頁)のである。

 ユーザー利益重視 グーグルは終始一貫して、利用者、人類、世界を重視して、利益そのものを重視していない。グーグル幹部は、「何ができたら楽しいか、利用者が真に何を求めているのか。どうしたらそれを早く提供できるのか」をひたすら追い求める(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』6頁)。グーグルは、 「検索者が何を探しているかをできるだけ正確かつ素早く理解し、求める情報を示す」という「極めてシンプルな開発原則」で、「検索アルゴリズムは年々改良が図られ」、変更回数は「今や年間で500回に上る」(雨宮寛二『アップル、アマゾン、グーグルのイノベーション戦略』NTT出版、2015年、129頁)ぐらいに、検索技術の改良がはかられた。それが自然にグーグルに利益をもたらすというのである。ここでいう利用者とは、消費者のみならず、広告会社・広告主、グーグルを含めた三者であり、消費者、広告会社・広告主の利益を考慮することがグーグルの利益になるという発想は、前述のように近江商人の三方徳に似ている。

 グーグルは、「急成長するワールドワイドウェブの相互接続性を利用した驚異的なツールを開発」し、「人々の働き方、楽しみ方、学び方を劇的に変化させた」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』21頁)。グーグルの新しいタイプの広告システムは、「おしつけがましくなく、ユーザーにとって有益でもあったために、歴史的な高収益を生み出した」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』22頁)のである。グーグル経営陣は、株主には、「収益減少のリスクがあっても、ときには人類全体を利するビジネス手法を優先する」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』22頁)とまで宣言した。

 にも拘わらず、米作家協会、米出版社協会、「市民の個人情報や財産を守る監視団体」、「言論の自由を守ろうとする人」らに、「表現の自由」への「重大な脅威」、個人情報保護法骨抜き、「不当な独占」などで告訴された。「グーグルの幹部たちは、どちらを向いても反対運動や訴訟に直面し、まさに四面楚歌の状態だった」。「グーグルが何よりも大切にしてきたモットーである『邪悪になるな』は、社外の人間の多くにはもはや悪い冗談としか思えず、攻撃材料として使われるありさまだった」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』21−3頁)のである。

 広告革命 グーグルにある「とてつもない」二つの強みとは、「独自に生み出したインターネット文化」と「比類ないコンピュータ能力」である(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』19頁)。二人は「インターネットには世界をより良い場所に変える力がある」と信じて、「型を破り、古い産業に戦いを挑み、多くの敵を作る」(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来 二人の天才経営者は何をめざしていつのか?』20頁)のである。

 しかし、グーグルは、世界を良く変えたなどとは言えないのであり、グーグルの検索技術自体は、従来の広告をを変えたに過ぎない。あくまで、 グーグルは、「検索連動型広告というこれまでにない広告システムを作ることによって、新しい『言葉の市場』を生み出した」(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』69頁)にとどまる。まだ世界をよりよく変えると広言できるようなものではない。

 ただし、これによって、大企業のみならず、中小企業は、取扱商品に興味をもつ人々向けのグーグル「ターゲット」広告と、その広告費の効果分析とで売り上げを倍増、急増させたのである(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』60−4頁)。こ点では、グーグルは弱者の味方であった。

 このような意味において、グーグルは、まず広告革命を引き起こしたのである。


                                          C 株式公開

 株式公開 グーグルの純収入は、2001年は前年比400%増の8600万ドルへと急上昇し、2002年は3億4700万ドル、2003年は10億ドル弱、2004年には20億ドル弱と著増し、黒字は2001年1000万ドル、2002年1億8500万ドルと急増した(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』107頁)。2003年「グーグルの利益が1億ドルに達したという噂が広ま」り、2004年夏には利益は3億ドルを超えた(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』145頁)。これを背景に、VCはグーグルにナスダックへの株式公開を要請しはじめた。しかし、ブリンは記者に、「株式公開をしてもしなくても自分たちがグーグルをやっていける自信がある」と述べていたように、「複雑な報告義務」が課せられる株式公開には反対だった。だが、IPOによって「ベンチャーキャピタルの懐には10億ドル以上の利益」が転がり込むとなれば(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』223−5頁)、VCとしては是が非でも株式公開をしたいところであった。しかも、既に2004年上場前に株主数は財務情報公開義務のある500人以上に増加していたのである(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』223頁)。

 グーグルは、2003年からIPO対策の人材(シリコン・バレーVCのリーザ・バイヤー)を登用し、2004年投資銀行選定に着手し、アンケート回答への真摯度から共同主幹事にはクレディ・スイスとモルガン・スタンレーを選定した(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』226頁)。

 2004年4月1日、IPO準備の一環で、CFO(最高財務責任者)ジョージ・レイエス、事業最適化ディレクターのリーザ・バイヤーは、銀行側の代表に、最初は「間違ったスライド」を見せてから、その「倍以上の収益と利益」のスライドを見せて、エイプリルフールで銀行家に一杯食わせるという「グーグルらしいやり方」で財務を公表した(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』107頁)。

  グーグルは株式公開後もグーグル社風を維持しようとした。そこで、株式公開にあたり、ラリーとサーゲイは、@一般投資家のクラスA株(1株1票の議決権)に対してクラスB株(1株10票の議決権)をグーグル首脳陣が握る事で「株式保有数が全体の50%を下回った場合でも、ブリンとペイジは会社の意思決定権や支配力を失わずにすむ」事、A「グーグルは、長期的な価値の創造のために短期的収益を無視するつもりであると投資家たちに警告」する事、B四半期報告は「ほかの会社が提供する情報量よりずっと少ないものになるだろうと説明した」事によって、従来のグーグル方針を保持する努力を表明した。

 他にも、このIPOではグーグルらしさが発揮されていた。つまり、@募集総額27億1828万1828ドルは、自然対数の底であるネイピア数(2.71828 18284)から取っている事、AIPO目論見書とは別にラリー・ペイジは、グーグルは「型にはまった会社」ではない事、「邪悪になるな」をスローガンとしている事、短期的利益より長期的利益を重視する事など、「投資家たちへ個人的な『手紙』を書いた」事(後述)などが異色であった(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』227−9頁)。そして、「資金調達額が10億ドルを超えるグーグルのような大企業のIPO」に「史上初」となるオークション方式を採用した(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』225頁)。

 目論見書が公開されると、「ペイジの手紙」ではなく、「目覚ましい業績」がメディアに注目された。一方、ウォール街の投資家たちは、入札価格を引き下げようとして、「裏でグーグルの将来性に対するネガティブ・キャンペーンに乗り出し」た。また、「グーグルの事業を公開していたにもかかわらず、ウォール街は事業内容や、将来的な事業計画についてさっぱり理解できていないようだった」。主幹事証券がモルガン・スタンレーとクレディ・スイスという有力証券会社であったにも拘わらず、グーグルIPOには、「かつてないほど冷遇」され、「一般投資家も大手機関投資家も、グーグル株をまるで炭疽菌のように避けようとした」(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』146頁)。この結果、IPOで、「予想された落札価格帯は当初の108−135ドルから85−95ドルにまで下が」り、「グーグルの企業価値は予測より約30%減の258億ドルにまで下落した」。8月19日、IPO完了にこぎつけ、コンピュ―タにより入札額を計算して、「入札した投資家」には85ドルで株を購入する権利が与えられた。結局、「1株100ドルで初日の取引」を終えたから(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』229−237頁)、入札した投資家には損失を与えなかった。なお、このグーグルIPOは社員にある種の精神的弊害を与えることになり、「社員の多くは一夜にして大金持ちにな」り、「保守化」していったのである(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』238−9頁)。

 こうした様々な批判や弊害にも拘わらず、グーグル経営陣は、「知名度が高まったことで新たにグーグルを使い始める人が増え、市場シェアが高ま」り、「IPOは成功だった」と考えた。そして、彼らは、IPOは、「幅広い投資家を巻き込む公正なプロセス」とも評価した(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』147−151頁)。

 IPO後には、有り余る資金で、2004年にはカリフォルニア州のマウンテンビューに本社を移転し、「Googleplex」と称されることになる。株価は1年後280ドル、2年後に383ドルを突破した(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』237頁)。2005年には、既に提携関係にあるAOLに10億ドル支払って「検索エンジンと検索連動型広告」を提供することになると、2006年に売上は106億ドルに急増し、株価は500ドルの大台を超え「時価総額18兆円」企業となった(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』53頁)。

 IPO時の「2004年『創業者からの手紙』」 IPOに際して、ラリーとサーゲイは「創業者からの手紙」を公開して、グ―グル流を一般公開した。

 まず、彼らは、「グーグルは型にはまった企業ではなく、これからもそうなるつもりはありません。起業してから今日に至るまでの発展を通じ、われわれは一貫して従来とは違うやり方でグーグルを運営してきました」(ジョージ・ビーム『Google Boys』222頁)とする。

 そこで、従来の株式公開法では独立性・客観性が損なわれる可能性があるので、「グーグルの革新力とグーグルらしさを守る」ために「新たな株式構造をとる」(ジョージ・ビーム『Google Boys』222−3頁)とする。次いで、「グーグルは長期的な経営方針を貫き、ここまでの成長を遂げ」、「株式公開後もこの方針に変更はありません」とし、「短期的な収益を犠牲にしても、長期的には株主の利益になる場合、われわれはそれを実行し」、「グーグルには潤沢な資金があり、これとは別に資産運用による利益もあ」るおかげで、「柔軟な経営が可能となり、リスクをはらむ事業からも収益を上げ、長期的利益を最大化することができる」と、長期的経営方針を表明した。これに関連して、@「グーグルでは、長期的事業計画は発表しても、・・四半期ごとの狭い範囲で業績を予想するのは、われわれのビジネスでは不可能」である、A「大化けするやもしれない事業にこそ、グーグルの長期的成功のカギはあ」り、「たとえ成功の可能性は10%でも、長期的には10億ドルの収益を上げる見込みがあれば、われわれはゴーサインを出」す(ジョージ・ビーム『Google Boys』224−7頁)とした。

 社員の仕事の特徴としては、20%ルールをあげる。「グーグルの社員には、通常業務の他に、勤務時間の20%を使い、グーグルの利益を最大化する企画を立案するように奨励し」、これによって、「広告プログラムの『アドセンス』」、「グーグル・ニュース」など、「社員の想像力と革新力が活性化され、主力となるサービスが数々生み出され」たとした(ジョージ・ビーム『Google Boys』228頁)。

 経営陣の特徴としては、グーグルは、セルゲイ、ペイジ、エリックの「三頭制」で経営されている事をあげる(ジョージ・ビーム『Google Boys』228−9頁)。エリックは「CEOとして法的責務を遂行し、副社長、及び営業組織を統轄」し、セルゲイは「技術部門と商業取引を担当」し、ペイジは「技術部門とプロダクトマネジメントの担当」である。経営とテクノロジーの両分野に精通している彼(エリック)の存在は、IT技術の専門集団であるグーグルにとって、大黒柱のようなもの」であるとする(ジョージ・ビーム『Google Boys』228−230頁)。

 以上を踏まえて、株式公開にあたり、@「経営陣が・・長期的、革新的アプローチを維持」し、A「乗っ取りや外部からの影響を受けづら」くするために、「デュアルクラス・ストック制度」(クラスA普通株、経営幹部のクラスB普通株)を構築した事を改めて強調するのである。これは、「IT業界では前例がありません」が、「メディア業界では一般的で、非常に重要な役割を果たしてき」たとする(ジョージ・ビーム『Google Boys』231−2頁)。

 そして、「悪事を働かない。多少の短期的利益を犠牲にしても世界のためになることをするほうが、株主をはじめとするすべての関係者にとって長期的には利益になる。それがグーグルの信念です。この信念はグーグルらしさの大切な要素であり、企業内に浸透しています」(ジョージ・ビーム『Google Boys』235頁)とする。いきなり「悪事を働かない」と言われても、グーグルの真意は分かりかねたろうが、これは後に再述されよう。

 最後に、「グーグルはよりよい世界を作るよう目指しています」(ジョージ・ビーム『Google Boys』236頁)とする。

 次には、以上の「創業者からの手紙」に現れたグーグル経営方針の特徴について、項を改めて考察してみよう。


                                       F 経営組織 

 人材確保 グーグルは、コンピュータ科学と数学にたけた二人の技術者によって生み出されたことからも、技術系人材の確保を重視してゆく。2001年入社のグーグル最初のエンジニア採用担当キャリー・ファレルは、「ペイジとブリンがグーグルをコンピュータ科学界のエリートが究極の就職先と見なすような企業にしたいと考えている」と気付いたいう様に、この採用方針は二人の創業者の考えそのものだった(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』211頁)。グーグルは、「優秀な技術系人材を「根こそぎ獲得しようと必死」(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』21頁)となった。

 この結果、グーグルの採用基準は「現時点での社員の平均的な能力を超える人材」であり、「とてつもなく高い知性と抑え切れないほどの野心を備えていること」、「『グーグルらしさ』をもっていること」となった(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』210頁)。もっと具体的に見るなら、グーグルは、理想人材に関して、「高度な知識」、「経験値が高い」、「分析力に優れている」、「ビジネス感覚に優れている」、「あらゆる可能性にオープンである」、「細部まで注意が行き届く」などの卓抜な才能を指摘し、「競争心が旺盛である」、「リスクを厭わない」、「自発的に行動する」、「コミュニケーションが得意である」などの積極的行動性をあげ、これらのの能力を「スマート・クリエイティブ」と称するのである(雨宮寛二『アップル、アマゾン、グーグルのイノベーション戦略』150頁)。グーグルはこのスマート・クリエイティブをリクルートの採用基準として設定することで、「徹底して優秀な人材を確保している」(雨宮寛二『アップル、アマゾン、グーグルのイノベーション戦略』NTT出版、2015年、9頁)のである。「グーグルに就職するには、ハーバード大学に合格するより高いハードルをクリアする必要があった」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』215頁)のである。しかし、結局、「グーグル創業者らを含む優秀なエンジニア」は、ひたすら技術的研鑽にに打ち込む点では、「みな職人気質」(ジョージ・ビーム編、林信行監訳『Google Boys』69頁)でもあった。日本の技術者の職人気質にも相通じるものがある。

 選考にあたっては、上司のみならず、「様々な分野や階層」も面接し、「社内には何百もの採用委員会があり」、「候補者に関する情報を共有」し、「実際に面接する管理職によって、結果に偏りがでないように」している(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』79ー80頁)。グーグルは、「採用する人材が、自分たちに近い価値観と情熱を持っているかどうかを重視」し、最終面接でも何回も面接を行ない、エアポート・テスト(「飛行機が欠航になって、空港で一晩一緒に過ごさなければならない」時に「夜通し語り明かせる人かどうか」というテスト)などをする(ジョージ・ビーム『Google Boys』167頁)。

 そして、ラリーは「有望な応募者が絞り込まれた最終段階」で登場し、「興味を持った人材についてこと細かく質問」し、「アイデアを交換」するのである(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』80頁)。「できたばかりの会社はどこでもそうだが、グーグルという会社や社員には、創業者の個性や理想が反映され」、「創業者は自分と似た人材を採用することによって、企業文化を守ろうと」し、「創業初期のラリーとサーゲイは、すべての候補者を面接する事にこだわっていた」(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来 』68頁)のである。採用者が増加しても、ラリーは15−20分で100人以上に目を通して(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』216頁)、ラリーは選び抜かれた人材の最終選考過程に関与し続けたのである。つまり、面接の段階から、新規参入者はグーグル色に染められたのである。そして、グーグルでは、人材を重視するが、それ以上にチームワークを重視し、「能力に比べてエゴが強すぎたり、チームワークのできない人間は避けよう」とするともいわれる(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』80−1頁)。こうしたチームワーク重視は、日本企業のお家芸でもある。

 ただし、以上の人材選考では、初期段階では、スタンフォード大学技術者が中心であった。つまり、ラリーとサーゲイは、社員を「自分たちのクローン」で固めようとするために、スタンフォード大学卒業生を大量に登用し、「グーグルで働くスタンフォードOBの多さは異常」(スタンフォード大学教授ジェニファー・ウィドム談)であり、同大コンピューター学科卒業生のオーカット・ビューク・コクテンは「携帯端末用の検索技術」を開発し、グレン・ジェーは「個人の嗜好に応じて検索結果をパーソナライズする方法を考案」したろりしたのだった(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』76頁)。

 グーグルでは技術系社員が優先されたので、非技術系社員は「本社敷地内のはずれの方にある建物で働」き、ほとんどストックオプションの恩恵は受けず、「ラリーやサーゲイは非技術系の人間に対してはやや侮辱的」(元社員談)すらあったのである(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』85頁)。

 こうした人材重視の結果、グーグルには、ベンチャー企業のみならず、マイクロソフトのような大企業からも「優秀な人材」が集まり、グーグルは「シリコンバレーで最も驚異的な頭脳集団」となり、「空恐ろしい程の才能」(グーグル幹部ユスタス[ Alan Eustace]談)が集まった(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』81−2頁)。やがて、グーグルは、社員が社外に出ることを肯定的に受け止め、「それがラリーとサーゲイが社員に求める遺伝子」であり、「彼らが社外に去ること」は「グーグルのDNA」の拡散と受け止めていた(スティーブン・レヴィ、伊達志ら訳『グーグル ネット覇者の真実』17頁)。実際、グーグルの多くの技術系社員が「ストックオプションを行使して財産を得たため、起業などを目的に退社するケースも出て」てくる。彼らがグーグル魂を拡散することになったのだが、中には「卓越したエリート意識に凝り固まってい」て、他企業に進出した元グーグル社員は「若く、厚かまし」く、「自分たちには何でもできる、絶対に失敗しないと思い込んでいる」者もいたようだ(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』84頁)。

 三頭制  VC側は出資金ボディガードとしてCEOを送り込もうとしたが(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』113頁)、グーグル創業者二人はその受け入れには消極的であった。そこで、VCのドーアは、二人を「アップルのスティーブ・ジョブス、インテルのアンディ・グローブ、インテュイットのスコット・クック、アマゾンのジェフ・ペゾス」と会わせてCEOの必要性を学ばせた所、二人は「あなたの意見に賛成です」としてCEOを雇う気になった。そこで、VC二社はある人物を推薦したが、この時は二人の賛同を得られなかった。 そこで、「経験豊富な経営者をCEO」として、2000年頃に「同類」のノベルCEOエリック・シュミット(Eric Emerson Schmidt、プリンストン大学電気工学卒、カリフォルニア大学電子工学博士)を探し出し、2002年1月二人はエリックと「とことん話し合っ」て、CEO就任を承諾したのであった(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』107−110頁)。

 エリック・シュミットはサーバ大手サン・マイクロシステムズの最高技術責任者、JAVA(コンピュータを動かすプログラミング言語)の開発先導者、ノベル(コンピュータ企業)のCEO(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』126頁)を勤めていた。エリックは「技術者と経営者のどちらの顔ももっていた」ので、二人に受け入れられたのである(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』113頁)。

 しかし、「トロイカ体制への移行は順風満帆とはいかなかった」が、時間が経過するにつれて、「2人は心からシュミットの貢献を高く評価するようになった」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』125頁)。エリックが同じ技術者であり、創業者二人の才能・哲学やグーグル社風にに共鳴し始めたからであろう。例えば、エリックはNHK記者に、@グーグルは、全世界のオンライン情報(携帯電話など)・オフライン情報(本・印刷物など)など「ありとあらゆる情報」を「整理」するという「壮大な目的」をもち、「我々は経営目標を『全世界の情報を整理すること』と定義し」、A広告について、「そのほとんどが無駄になっている」ので、「対象を絞った広告システムを作」るから「我々の広告は無駄にな」(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』127−8頁)らないとし、B「グーグルで起きる最も重要なことは、ますます大きくなるということ」であり、「今よりたくさんの情報を持つようになり、その情報はより対象を絞って提供できるようになり、それが多くの言語に広が」り、「人々はより質の高い答えを手にする事ができ」るのであり、「グーグルがありとあらゆる答えをもち、どこにいても、いつでも使えるようにしたい」(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』133頁)と語って、すっかりグーグル人になりきっている。こうして、シュミットは、「グーグルらしさを支える理想を見失うことなく、プロ意識の強い組織に改革するという取り組みを着実に進め」、「エンドユーザーの満足は検索結果の質によって決まる」、「広告に対するエンドユーザーの満足は、広告の質によって決まる」など、シュミットの掲げた基準・目標は、「ラリーとサーゲイの掲げる理想に近いもの」となった。

 しかも、エリックは、「ラリーやサーゲイと違って冷静で説得力があり、肩の力が抜けた控え目な態度をしてい」(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』107頁)た。そもそも、エリックは、創業者二人が「株式の半分以上」を持っていたから、「自分を最高権力者」と考えることはなく、「創業者たちに干渉する」能力もなければ、その「必要性を感じ」ず、「CEOというより部門長のように振る舞」ったので、ラリーとサーゲイは「持ち前の極端なやり方を続けることができた」(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』111−2頁)のである。シュミットは、「どんな問題をめぐっても、三人の間では多少の意見の相違がある。それについては何度も議論を重ねるんだ」と語るが、「議論が平行線になると、最終的にはラリーとサーゲイの判断にゆだねられる」(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』168頁)のである。「収益拡大の責任を負うのはCEOのエリック・シュミットだが、その原動力となるのはラリートサーゲイの意思決定」であり、あくまで「あらゆる重要な問題における最終的な意思決定者として、二人は帝王のような存在」なのである(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』16頁)。当時、「社員のあいだでは、シュミットの実権はどのくらいだろうという議論があ」り、「ブリンとペイジがすべてを決め、シュミットは儀礼的な役割を果たしているだけではないか」(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』75頁)と言われていたが、社員も三頭政治の特徴を的確に看破していたのである。

 こうして、ラリーは、「製品担当社長」であり、「主に会社の将来的な方向性を考え、主要な人材の採用に積極的に関わ」り、サーゲイは「技術担当社長」として「グーグルの技術的アプローチを決定するほか、道徳問題に関する会社の姿勢」(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』10頁)を担当して、「舞台裏に退き」、二人が「インタビューに応じたり、会議に出席することはほとんどな」くなり、シュミットが「表の顔」となった(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』113頁)。特に、ラリーは、「声帯に部分的に麻痺が残る病気にかかり」、「1998年のグーグル設立から15年間、あえてスポットライトを避け」、「取材にも応じないし」「講演もしない」できた(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』277頁)。一方、サーゲイについても、パーキンソン病(遅発性神経変性疾患)の遺伝子を持っている事が分かった。つまり、2006年にサーゲイの妻アン・ウージンスキー(Anne Wojcicki)が個人相手のゲノム検査会社「23&ミー」を創業すると、サーゲイの母が、「LRRK2に起こるめずらしい変異とリスクが相関している」パーキンソン病と診断されたこともあって、サーゲイは妻に勧められ「23&ミー」で「LRRK2」を調べてもらうと、「彼自身も、このLRRK2変異をもっていること」が判明している(フランシス・S・コリンズ『遺伝子医療革命ーゲノム科学がわたしたちを変える』95−6頁)。

 それに対して、シュミットは弁が立ち、ジャーナリストとの受け答えが卓抜であった。「ふつうのCEOは、ジャーナリストとの細かい問答はなんとしても避けたがる」が、シュミットは、「事実と知識で相手を圧倒」し、「自分の主張に反する事実についても平気で話」しつつ、「主張に合う別の事実をそれよりたくさん並べる」のである(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』163頁)。こうして、ラリーとサーゲイは「どの技術や製品に注力すべきか」を決め、シュミットは「会社の経営と成長に責任を負」(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』226頁)い、それをマスコミなどに発言する役割をになうという分業関係をとったのである。

 2011年、「こうした三頭体制に修正が加えられた。シュミットはグーグル会長になり、ラリー・ペイジがグーグルCEOに就任し「、「事業の大幅な見直し」をして、2012年の投資家向け情報の中で「30を超える製品について、製造停止あるいは統合を行な」(ジョージ・ビーム『Google Boys』88頁)ったと発表した。

 柔軟な組織 2001年には、社員数は400人となって「全社員が顔見知りの親密な会社であるという幻想」は打ち砕かれ、「中間管理層がいつの間にか組織内に巣くい始めていた」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』242−3頁)。

 セルゲイ・ブリンは、「肩書きなんてどうでもいい。コミュニケーションを取りやすくするためにいくつか役職が必要だとしても、上下の差をつけず官僚的な精度を避けたほうが、みんな仕事がしやすくなるはずだ」とする。こうして、「グーグルは、社員が上下関係を意識しないフラットな組織を保つことにこだわっている」のである。ただし、ラリー・ペイジは、ブルームバーグNY市長が部局長を市役所の一室に集めていた事に触発され、Lチーム(ラリー・ペイジ直属で動く幹部たちの愛称)が「一日のうちの数時間」を本社ビルの四階で顔を合わせるようにしている(ジョージ・ビーム『Google Boys』155−7頁)。

 グーグルは、「世界全体にインパクトを与えるような強大な企業を築きたいという創業者の野心の上に築かれている」が、「その種の企業を経営するために必要な官僚的な管理体制や責任体制を激しく忌避し」た(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』17頁)。そこで、@各種ミーティング(製品やサービスの開発に関するもの、インターフェースのレビュー、サーチ関連サービスに関する会議、個人情報に関するセッション、TGIF(持ち帰った金曜日Thank God, it's Friday)と呼ばれる週1回の全社ミーティング)、「グーグル製品戦略会議として知られる最高経営幹部の集まり」がありつつ、A他方で、「なるべく小回りが利き、権威に否定的で、誰の指図も受ける必要のない新興企業の気ままさを維持しようとした」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』18頁)のであった。@のTGIFを敷衍すれば、金曜日に本社社員食堂でTGIFを開催し、「グーグルの社員は会社のどんな問題についても、ラリー、セルゲイラ幹部役員に直接質問」することができた(ジョージ・ビーム『Google Boys』158頁)。

 ラリー・ペイジは、これを含めた会議の効率的運営のために、議事進行ルール(@「代理を出席させない」、A「付加価値をつけ加えられないなら、口を挟まない」、B「年齢よりアイデアが重要」、C「最悪なのは、『ノー、その話は、なしだ』と誰かをさえぎること」)を定めている(ジョージ・ビーム『Google Boys』160−1頁)。そして、ラリーとサーゲイは、「アイデアに商業的価値があるか否かという判断」を下し、「会社として次の段階に進むべきどうか」を決め、「製品の設計者やエンジニアが進捗状況を報告するミーティングでは、・・情け容赦ない批判を浴びせる」(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来 二人の天才経営者は何をめざしていつのか?』225頁)のである。

 しかし、社員が増加するに従って、グーグルにとって、人材活用のためにフラットな組織が一層必要になった。グーグルでは、「フラットな組織を保つために」、@「意思決定者が最低でも7人の直属部下を持たなければならない」事、A20%ルールで促進される「流動性を伴う組織こそ、イノベーションとの親和性が高い」から「組織を機能別にすること」が必要となった(雨宮寛二『アップル、アマゾン、グーグルのイノベーション戦略』151−2頁)。「開発では、上司も部下もなく、アイデアをもっている人に大きな発言権があり、それに対して自由に批評を加えていく」(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』22頁)ということである。

 そこで、ラリーとサーゲイは、「ヒエラルキーが存在せず、経営トップに至るまでの階層が非常に少ない組織を作り上げ」、プロジェクト・マネージャーは「必要な知識」を身につけるために、18ヵ月間「一つの仕事」に従事し、プロジェクト・マネジャー以下のレベルの社員にはは「常に仕事を変え」、「昼夜を問わず、働いているエンジニアの姿が見られるが、大多数は夜に働いている」というものとなる。また、グーグルは、「プロジェクトをごく少数のグループで進めることを徹底し」、「グーグル書籍検索のような主要プロジェクトですら、5、60人で十分だと考えている」(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』79頁)のである。

 グーグル経営陣は、「社内のチームが肥大化していないかと常に心配してい」て、「チームの肥大化が目立ち始めると、プロダクトを分解し、複数のより小さなチームに分散させた」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』250頁)。そこで、グーグルは、「エンジニアたちの配属先を決める際に「70・20・10」という簡単な方程式を使い始め」、「70%は検索か広告のどちらかの部門に、20%はアプリケーションのような重要な製品の開発に、そして残りの10%」はそれ以外の何でもありのプロジェクトに配属された」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』250頁)。20%ルールよりも、「エンジニアの配属先を決める『70・20・10』こそがグーグルの本当の魔法の方程式だった」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』250頁)とも言われる。

 2003−4年頃には社員は数千人に増加した。ペイジ、ブリンは、「数千人のエンジニアを抱える大企業を円滑に運営する」ことと、「自由な発想や創造性を重視したのびのびとした職場環境を実現」することとの調和を図った(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』242頁)。そこで、二人は、「企業はインターネットのように管理されるべきだと考え」、「スピード重視のボトムアップ経営で、昨日やったことがすぐに陳腐化してしまうほど新しいアイデアが次々に生まれる」柔軟組織をつくろうとした(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』242頁)。

 また、ラリーとサーゲイは、「データにもとづいて会社を経営したい」とし、「情報こそ判断の基礎」であるとし、「より多くの情報、より信頼性のある情報を得られるほど、優れた判断を下せる可能性が高まる」とするのである。そこで、グーグルは「全社員が取り組んでいる仕事のデータベース」をもち、エンジニア系社員は、全プロジェクトに目を通し、「批判し、変更を求めることもできる」のである(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』81頁)。こうして、グーグルは、「各自が生み出したアイデアを「みんなで共有し、議論や分析や批判の対象とな」り、「アイデアが構想のままで終わってしまうのを防」ごうとする(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』224−5頁)。それは、「まるで巨大なネットワークと大量のコンピュータを備えた、小さな村」のようなのである(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』81頁)。

 社員は、2007年1万2千人(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』15頁)、2009年3月には20,164人になった。ここにOKR(Objective and Key Result[目標と主要な成果])が「グーグルの企業文化にとっても必要不可欠な要素にな」り、「社員は全員、四半期ごとと年間を通じてのOKRを設定し、承認を受ける必要があ」り、「チームレベルや部門レベル、さらには企業レベルにおいてもOKRが設定された」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』251頁)。このOKRシステムは、「2万人規模の大企業に成長したグーグル社内に一定の秩序感覚をもたらすために導入された数多くのプロセスのほんのひとつにすぎなかった」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』254頁)。

 社員が2万人ともなると、グーグルは、「社内の官僚機構の構築に多大な労力を費や」さざるをえなくなった。つまり、「定期的なローンチ・ミーティング(launch meeting、立ち上げ会議)とレビュー会議(Review Meeting 、再検討会議)、最高幹部だけが参加する毎週の運営委員会、グローバル製品戦略会議、そして全社員を対象としたピアレビュー(peer review 、成果の検証)などの実施に膨大な時間が費やされるようになった」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』254頁)のである。

 社員2万人規模の会社には、「グーグルの成長にともなってラリーもサーゲイも成長し、特典を吟味する必要がある事にきづい」て、2008年半ばから非技術系社員建物の夕食サービス廃止、社内保育園への補助金削減、契約従業員・期間従業員数千人の削減などがなされた(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』87−90頁)。2009年1月、グーグルは、「利益水準を注視する必要がでてきた」とし、「急激な採用を控え、採用担当者を百人減らす」と表明した。グーグルは、「経営陣が困難な選択を迫られる結果、理想が現実に屈し、尖った部分が丸くなっていく」のである(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』90頁)。

 社員数は、2010年10月2万3300人(うち300人は買収による)(Erick Schonfeld「Google、第3四半期収益23%増」[2010年10月15日Tech Crunch])、2011年6月には2万8768人(MG Siegler「Google、第2四半期に復調。収益90億ドル超でウォール街の予測を一蹴」[2011年7月15日Tech Crunch])、2013年には約45,000人(CASEY JOHNSTON「グーグルの「20%ルール」は死んだか」)に増加し、組織の柔軟化問題は絶えずグーグルの関心事項となった。

 20%ルール こうしたグーグルの組織柔軟化の一環として、20%ルールというのもある。これは、「社員は週一日、自分が本当に興味のある仕事をしてよい」というルールである。

 この20%ルールはグーグルの独創と言うよりは、、「ペイジの思いつきで、ヒューレッド・パッカードや3M(スリーエム、アメリカの世界的化学・電気素材メーカー)が採用していた同様のルールを参考にしたもの」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』187頁)であった。また、数年前TED (Technology, Entertainment, Design) 会議で、ラリーは、20%ルールの根底には自分やサーゲイが受けたモンテッソーリ思想があり、「勤務時間の20%は自分にとって本当に重要なことを研究」し、「新しいコンセプト」を生み出す必要があるという考えに基づいているとした(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』223−4頁)。 「モンテッソーリ教育の基本は、『子どもは、自らを成長・発達させる力をもって生まれてくる。 大人(親や教師)は、その要求を汲み取り、自由を保障し、子どもたちの自発的な活動を援助する存在に徹しなければならない』という考え方にあ」(日本モンテッソーリ教育総合研究所のHP)ったから、グーグル技術者に自主的研究活動をうながすものだったのである。

 事実、この20%ルールで、新プロジェクトの起ち上げ、進行プロジェクトへの参加、チームの招集などが行えるので、「この制度もエンジニアにとっては抗いがたい魅力」だった(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』77頁)。「グーグルというイノベーション製造機では、何百、何千という数のリサーチ・プロジェクトが自然と立ち上がるようになってい」て、「多くは社員が一人だけで取り組む」のであり(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』223頁)、この20%がこれを支えたのであった。「社員が勤務時間の20%を自分が担当している業務以外の分野に使うことを義務づける」20%ルールで、「プロダクトマネージャーは、自部門の人材でメンバーが十分でない場合には、草の根運動的に(別の所属組織の)社内スタッフを説得して回りチームを編成して」ゆくことができる(雨宮寛二『アップル、アマゾン、グーグルのイノベーション戦略』149頁)。こうして、「プロダクトマネージャーはサービスを開発するスタッフや技術者とともにチームのミッションを共有しながら、難しいローカライゼーション(適材適所)に果敢に挑み、グローバル展開を推進していく」(雨宮寛二『アップル、アマゾン、グーグルのイノベーション戦略』149頁)のである。

 さらに、上級副社長アラン・ユスタスは、自己啓発研究のみならず、「他の社員のプロジェクトに加わる者」、「社外の講義を聴講」する者、「必ずプロジェクトに取っておく社員もいれば、気の向いたときに時間を取る者」など、この20%ルールを「柔軟」に活用しているとする(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来 二人の天才経営者は何をめざしていつのか?』224頁)。

 実際、このグーグルの20%ルールによって、IPOまでに立ち上げられた主要なプロジェクトとして、「Search」、「AdWords」(広告主に提供するクリック課金広告サービス)、「Toolbar」(Internet Explorer のみ使用の高速ブラウザ)、「News」、「Product Search」(商品検索サービス。2012年5月に有料モデルのGoogle Shoppingに移行)、「Orkut」(Googleが運営していたSNS)、「Gmail(ベータ版)」(すべての Android 端末、iOS 端末、パソコンで利用できるメール)、「Print」(後の「Book Search」、書籍の全文が登録された世界最大級の包括的なインデックス)があり、IPO後には、「Groups」(すべてのディスカッションを 1 か所で管理)、「Blogger」(グーグルが提供しているブログサービス)、「Maps」、「Earth」、「Talk」(後に「GmailのChat」)、「Reader」(GoogleのRSSリーダーで、2013年3月終了)、「Analytics」(広告の投資収益率の測定、Flash、動画などのトラッキング[収集・監視])、「Docs」(ワープロ文書やスプレッドシート[表計算]、プレゼンテーション、フォーム、図形描画をオンラインで作成、保管、共有することができる)、「Picasa」(写真を整理、編集、共有するソフトウェア)、「Checkout」(決済代行サービスで2011年Walletに統合)などが立ち上げられた。まさに、グーグルは、20%ルールによって、インターネット事業の「全方位」展開を果たしたといっても過言ではなかろう。そして、「Chrome」、「Android」、「Google+」そして「Chrome OS」など「もっと大きな展開はそのさらに後にやってき」(CASEY JOHNSTON「グーグルの「20%ルール」は死んだか」)て、このインターネット事業の「全方位」展開の総括の如き役割をしたのであった。

 しかし、この20%ルールには問題もあった。つまり、時期不明だが、元グーグル社員は、あるネット媒体に「20%ルールなどというものはジョークに過ぎない。通常業務に時間を取られすぎるので、他のことなど何も出来ない」と指摘した(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』85頁)。内部でも、「ルールを利用するのは実質的に難しくなっているとこぼす者もいる」(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』77頁)のである。また、「実際には1週間フル稼働で業務をこなした上に、『自発的プロジェクト』が行われることが多」く、「これで20%どころか『120%プロジェクト』だというジョークが社内に広まったほどだ」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』187頁)と、20%ルールは長時間労働装置の一つだという指摘もある。

 スピード重視 グーグルのイノベーション展開は、『世に出してから手直しする』というアプローチを採」(133頁)り、「グーグルは、革新的なサービスを開発した後、そのサービスの未熟な部分を補うために、漸進的な改良や改善を積み重ねることでより完成品に近づけていく」(雨宮寛二『アップル、アマゾン、グーグルのイノベーション戦略』134頁)。

 ペイジは、「グーグル創業当初から開発中のあらゆる製品やサービスに寄り早いスピードを要求」し、一秒以下の時間(例えば10分の6秒とか)を感覚で測定でき、社員もこれに影響された(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』290−1頁)。だから、「グーグルの開発者たちが次々に新しい機能を追加」して「ソフトウェアの応答速度はどんどん遅くなる傾向」があったことに対しても、ブリンはこれを打破することを命じた(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』291頁)。

 2008年には、グーグルは、「スピードの問題を処理するために非常事態発生を意味する『コードイエロー』を発令し」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』292頁)、スピードは非常に重要視されていた。

                                         G グーグル社風

 社風 グーグルのオフィスは、「知性が極度に発達したオタクっぽい青年や若い女性たちにとって、空想の中にしか存在しないネバーランドが現実世界に突然出現したような場所」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』186頁)だと言われる。ラリー・ペイジは、「本当にうまくいくのかどうか不安になるようなアイデアは、会社組織の中にいては、実行に移しづらいだろう」と見て、「グーグルを大学の研究機関のような雰囲気を持つ会社に育ててきた」のである(ジョージ・ビーム『Google Boys』144−5頁)。「最初に採用したクレイグ・シルバースタインも、コンピュータ・オタクという意味では二人の創業者の同類」であり、彼が「ラリーとサーゲイの理想を共有する若い技術者であふれるグーグルという会社や、その持続的な企業文化について語るとき」、「自信に満ちた口調にな」る。彼は、「理想を持った」「僕らと似た人たち」のみが採用され、「その方針はずっと続いてきた」(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』71−2頁)。

 ラリーは、グーグル企業文化について、「短期的には利益を犠牲にしても世界のためになる行動をする企業の方が、長期的には有益だ」という長期的視点の重視をあげる。そして、「創業当初には専門知識や道徳観の面で最も優れた人材を確保するために、ラリーとサーゲイは大判振る舞いをしなけれなならず、「コンピューター・オタクならだれでも夢中になるような、科学的かつ技術的な遊び場」、つまり仕事場を「色とりどりのストリーマーやお気に入りの映画に登場するグッズ、異国の町やおとぎ話の写真やポスターなど、社員のお気に入りの品々で飾り立て」たのであった。そして、会社を「若い男性向けの遊び場」にし、「おしゃれな照明」、「ビリヤード台のあるゲーム室」、「テーブルサッカーゲーム」、「ビデオゲーム」などを揃えた。さらに、「大方の企業」の上を行き、「マッサージ・チェア」、「睡眠カプセル」、「無料の食事や飲み物サービス」、「専属のマッサージ師」まで用意した(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』72−3頁)。「カジュアルな雰囲気の中、新しいアイデアはカフェで列に並んでいるときや、チーム・ミーティングの最中、あるいはジムで運動しているときにわいて」きて、「アイデアが交換され、分析され、実践されることが、目の回りそうな速さで進んでい」くのである(グーグル・オフィシャルウェブサイト[ジョージ・ビーム『Google Boys』148頁])。「好きなおもちゃを持ち込んだり、ビリヤード場やジムをいつでも使えるという自由な環境で仕事が出来る企業風土」(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』5頁)が出来上がった。これは「仕事と遊びが不可分になるというグーグル特有のパラドックス」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』188頁)でもあった。

 こうした「当初の企業文化」は、「今日でも、ほぼそのまま続」き、「グーグラー(グーグル社員)は会社が資金援助する社内保育所、無料の食事サービス、コインランドリー、ドライクリーニング(有料)の取り次ぎといった、数えきれないほどの福利厚生サービスを享受でき」、「本社敷地内のビルの移動手段には、会社が自転車を用意してい」て、「どれも鍵はついておらず、社員が必要に応じて自由に使え」、「。職場にセグウェイやローラースケート、スケートボードを持参する者もいる」(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』77頁)といった状況である。 グーグルは、「オープンなオフィス環境で知られ」、「ガラス張りの建物の中では食事、クリーニング、マッサージまで全て無料。ジムやプール、ビリヤード場が完備され、ビルとビルの間をローラースケートやローラーボード、自転車など好きな乗り物で移動している」(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』16頁)のである。「社員の創造的な活力を引き出そうという努力はグーグルの成長の証しであると同時に、源でもあ」り、「無料の食事やマッサージなどは、その目的達成のための補助」であり、「ここは、『エンジニアの楽園』と呼ばれ」、「あらゆる資源、環境が仕事の能率を上げるために作り上げられている」(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』18頁)のである。

 ラリー・ペイジは、「会社が一つの家族になること、みんながこの会社の一部だと感じ、会社を自分の家族のように思ってくれることはすごく大事」であり、「社員を家族の一員として扱うことで、生産性も上がる」と主張する(ジョージ・ビーム『Google Boys』168頁)。この家族主義的経営も又日本企業のお家芸である。ある社員は、ベンチャー企業では「どうやって金持ちになるか」ばかり考えていたが、グーグルでは「目標の達成」のみが生きがいとなり、「グーグルの仕事環境」は「特典や親しみやすい雰囲気があっても、常識では考えられないほど働かなければならない」(「二十四時間年中無休」)というプレッシャーと相殺される」という「ビロード仕立ての刑務所」だったと述べている(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』75頁)のである。「食事や無料のマッサージ、テックサポート(コンピューター故障サポート)」で「24時間能力を生かして働いてもらう」のである」(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』19頁)。創業者サーゲイ・ブリンは、「本当に優秀なソフトエンジニアは平均的な人の十倍、百倍も生産性が高い」から「高い技術でソフトを制作している私たちの業界では、世界で最も優秀な人材を求め」「働きやすい環境を作ることに努力」するとする(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』19頁)。

 新卒は、「ストックオプションの代わりに低賃金に甘んじ、進んで長時間労働に従事」する頭脳集団であり、ビル・ゲイツもマイクロソフトを設立する際に利用したものであり、グーグルを始めとするベンチャー企業は「一晩中でも働ける若い独身者で成り立っている」のであり、こうしたエンジニア楽園はそのための維持装置であった(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』83頁)。2004年グーグルのエンジニアリング担当ディレクターのブライアン・ライド(54歳、アルビタスのエンジニア)が「企業文化にそぐわない」とした解雇されたことに対して、グーグルを訴えた。その過程で、グーグル社員の平均年齢が30歳以下であり、40歳以上は「全体の2%以下」であることがわかった(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』84頁)。明らかに、家庭を持ち、さらには自分だけの憩いの時間を持ちたくなる50代には、「仕事と遊び」のパラドックスのうちに打ち出される長時間労働は無理なのであった。

 アンドロイド社を作ったアンディ・ルービンも、買収されて入社した後に、同じような経験を味わっていた。ルービンはグーグル社風について、「グーグルには他社のようにきちんとした組織図がない。社員はみな大学を出たばかりに見えた。有名な『悪をなさない』や『グーグルらしくない』という聖人めいたスローガンを掲げる社風も、ルービンのようにすでに20年働いている者には奇異だった」(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』73頁)と述べている。彼が解雇されなかったのは、グーグル携帯の中心的人物だったからである。因みに、2013年12月グーグルは彼の功績を評価して、彼をロボット部門責任者に異動したが、ルービンは2014年10月にこれを機にグーグルを自主退社している。

 その一方で、2008年、ラリー・ペイジは、シアトルの従業員200人の小規模社屋ができると、「創業当時の雰囲気に似ている」とすると、セルゲイ・ブリンは「企業カルチャーを保つことが目的じゃないはずだよ。僕たちがまだガレージをオフィスにしていた時代を振り返る必要はない」(ジョージ・ビーム『Google Boys』184頁)と批判する。グーグル企業文化は、こうした新旧企業文化の緊張とバランスで成り立っていた(ジョージ・ビーム『Google Boys』185頁)。

 現在のグーグル社風は、「ユーザーに焦点を絞れば、他のものはみな後からついてくる」、「1 つのことをとことん極めてうまくやるのが一番」 、「遅いより速いほうがいい」、 「ウェブ上の民主主義は機能します」、「悪事を働かなくてもお金は稼げる」、「 スーツがなくても真剣に仕事はできる」、「すばらしいでは足りない」などというものである。このうち重要と思われるいくつかを敷衍すれば、「スーツがなくても真剣に仕事はできる」とは、「仕事、遊び、人生に独創的にアプローチし」、「打ち解けた雰囲気の中、カフェ、チーム・ミーティング、ジムなどで生まれた新しいアイデアは、またたく間に意見交換が進み、試行錯誤を経て、すぐに形になり」、「こうしたアイデアが、世界展開を視野に入れた新しいプロジェクトの出発点になることもあるかもしれ」ないということだとする。「すばらしいでは足りない」とは、「Google にとって一番であることはゴールではなく、出発点に過ぎ」ず、「Google では、まだ達成できないとわかっていることを目標に設定」することで、「目標達成に向けて全力を尽くし、期待以上の成果を残せる」というのである(以上、グーグルHPに依拠)。私企業だから利益をあげることが重要であることはいうまでもないが、ここで示されていることは現在・未来の「経営」方針ばかりであり、企業倫理といったものが見られないのみならず、過去の人類史への洞察が全く欠けている。過去の教訓が全くいかされていないのである。単なる一民間企業であるならば、ここまで厳しいことは言う必要はないが、2010年頃からグーグルが人工知能に進出して人類の未来に深く関わりだしている以上は、このように厳しい指摘をせざるをえないということである。

 社是「邪悪にならない」 上記「悪事を働かなくてもお金は稼げる」とは、グーグル特有の社是「邪悪にならない」の反映なのである。ここでは、これを掘り下げてみよう。

 2001年7月19日、社員15人で「企業理念や価値観」を議論させ、エンジニアリング部門のポール・ブックハイト(後にGメールを立ち上げ)が「邪悪になるな(Don't Be Evil)」というスローガンを提案した(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』219頁)。人事部門統括者のステイシー・サリバンは、ネガティブだと批判し、「『正しいことをしよう』とかにできないか」と提案した。しかし、エンジニアのブックハイトとアミット・パテルは邪悪になったマイクロソフトが念頭にあり、「頑として聞き入れ」ず、これほど「すべてを言い表しているスローガンは考えられ」ないとして、パテルは「至るところに設置されたホワイトボードに次々と・・書きなぐっていった」のである(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』219頁)。

 当時「データがすべてを支配する」グーグルでは、「何が邪悪で、何が邪悪でないかという価値判断」こそが「本能的直感に頼れる」一つのケースであり、「その概念が社員の意識に立ち上がってくることがあった」のである。数か月後で、「『邪悪になるな』のスローガンはグーグル社員の間で相手が本物の仲間かどうかを確認するフリーメイソンの秘密の握手のように広まっていった」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』221頁)のであった。

 このスローガンは「グーグルが他社より『良い』会社であることを社員に手っ取り早く自覚させる手段」になったが、エリック・シュミットがワイアード誌に明かして以後、それは「グーグルのすべての行動を攻撃する鉄槌と化し、同社の首を絞め」だしたのであった(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』221頁)。しかし、エンジニアリング部門の幹部のアラン・ユースタスは、「『邪悪になるな』はグーグル社員の魂の内部にあるものを言葉にしたに過ぎ」ず、「重役会でそのモットーがめったに口にされないのは、『もはや言葉に働いているわけではないというのが僕の考えだ』」としていた(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』222頁)。

 2人の創業者も「会社が目指す理想を象徴する言葉としてそのスローガンを受け入れ」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』222頁)ると、このスローガンはグーグル内部で定着していった。二人も「善いことをしたい」と考え、「歴史を必ず良い方向に導いてくれるはずだと考えられていたインターネットに着目し、全世界の情報を集めるソリューションを開発」し、「『バベルの塔』を崩壊させるために数百万台のプロセッサーを結合して全世界の知識をアクセス可能にした『人工知能』を構築」しようとしていた。二人が開発したテクノロジーは、「より良い世界をつくるためにあり、彼らがつくった会社もまた同じ目的を共有し」、「グーグルは理想的な行動規範をもった企業として、ほかの会社を導く光とな」り、「社員を第一に考え、データ主導の経営スタイルを取るリーダーシップ」を発揮し、「素晴らしく頭の切れる社員たちは、もてる智恵と技術力のすべてを注ぎ込んでユーザーに力を与え、広告のクライアントに富をもたらそう」とし、「これらの行動からは莫大な利益が生み出された」が、「そのプロセスに悪意、詐欺行為、強欲などが入り込む余地はなかった」のである。時に「誘惑に負けそうになった社員はパテルがなぐり書きしたあのモットー(『邪悪になるな』)を思い出すだけでよかった」のであり、「ペイジとブリンは善であり、彼らが創業した企業もまた善でなくてはならなかった」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』222−3頁)のである。

 そして、前述の通り、株式公開で、グーグルが「創意に富んだ単なるネット系新興企業から巨大IT企業に変身を遂げるきっかけとな」ると、ペイジとプリンが「株主への手紙にこのモットーを掲げた」のであった(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』223頁)。

 「邪悪問題」と中国問題 2004年に「中国事業をどうするか、という議論」が本格化した(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』175頁)。

 2006年2月、ラリー・ブリリアントはグーグル慈善事業部門グーグル・ドットオルグ責任者に就任するに際して、グーグル経営陣と話し合った後に、「ラリーとサーゲイの度を超えた理想主義と、世界のために重要なことをしたいという極端に強い願望」をもっていたと述べる。そして、中国進出に際して、彼らは「倫理的に正しい行動は何か」を話し合う。ラリー・ブリリアントは著者リチャードに、ラリーとサーゲルは、「まず物事の倫理的側面を考え」、「グーグルがそれによって儲かるか、事業に役立つか、といったことは二の次だ」としており、「トップ二人がこれほど強い倫理観を持っている大企業と出合ったのは初めてだ」(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来 二人の天才経営者は何をめざしていつのか?』163頁)と語っている。彼らの倫理とは、総合的・根源的なものではなく、ありふれた企業経営に関わる倫理である。

 つまり、サーゲイにとって「邪悪でないこと」とは、@「顧客を利用しないこと」、A「世界に役立つことをしようと努力すること」である。もともと、グーグルにとって、「”邪悪になるな”という企業理念の元をたどれば、『カネのために立派なスギの木を切り倒すようなことはやめよう』といった、世間から後ろ指を刺されるような行為を戒めるルールではな」く、最初は「どのように会社を運営するか、またどのように社員を扱うかに関する内輪のルール」に過ぎない。もともと「邪悪でないこと」という発想すら、「幹部らが成果を出さない社員の処遇を議論する」過程で「対策は必要だけど、邪悪なことはよそう」ということになり、「明文化され」たものでしかなかった。それは、「社内の組織をどう機能させるかを考える中で、自然発生的に生まれた」(グーグルのエコノミストのハル・バリアン談)にすぎなかった。それでも、これが「今では・・真摯に守」られ、「会社がすることは大小に関わらず、すべてそれが倫理的な行為か否かという観点から判断される」ているにすぎない。ラリー、サーゲイは、「このルールの適用範囲を拡大し、企業としての行為もそれに照らして判断するようにした」にすぎない(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来 二人の天才経営者は何をめざしていつのか?』164−5頁)。会社のHPにある「グーグル10の事実」の第六項で「悪事を働かなくてもお金は稼げる」と指摘されているだけである。

 「数年前」に、『ワイアード誌』(WIRED)記者がシュミットに、「邪悪なこととは何か」と尋ねると、シュミットは、「サーゲイがそうと決めたこと」と答えている。「最近」、シュミットは著者リチャードに、それは「”状況による”」のであり、「判断力の優れた人々に委ねる、というのが我々のやり方だ」と語っている(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』164−8頁)。

 グーグルの法務副責任者ニコル・ウォンは、「検閲やプライバシー問題への対応を徹底的に検討する責任者」であり、彼女の準拠基準はやはり「サーゲイが定めたもの」である。ウォンは、「グーグルの事業は、言論の自由について文化的、政治的に意見の一致しない国々に広がってい」て、中国に限らず、「グーグルのサイトを閉鎖したり、ブロックしたり、URLを消し去ろうとする傾向のあるすべての国に目配りする必要がある」とする(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』171−2頁)。

 グーグルにとって「検閲は受け入れがたい」邪悪であり、特に中国は「不満分子やジャーナリスト、政敵を取り締ろう」としたり、「天安門事件、法輪功、チベットといった微妙なトピックを禁じようとする」「最悪の部類」とする(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』175頁)。しかし、人口の多い中国は魅力的な市場であり、、2006年にグーグルは中国政府の規制を遵守すると宣言し、中国語版の検索結果の一覧に民主化運動やポルノなどが表示されないよう、自主検閲システムを導入するとして、中国語版を立ち上げた。 エリックは、「中国政府は、世界で最も洗練され、最も広範囲に及ぶ検閲システムをもつ政府だが、最近では国家に悪影響を及ぼしかねないニュースを隠蔽しようとして、失敗することが増えて」(エリック・シュミット『第五の権力』91頁)おり、「中国のような国にとって、ハイテク機器で武装した行動的な市民と、厳しい政府統制という組み合わせは、非常に大きな不安定を呼びおこす」(エリック・シュミット『第五の権力』96頁)とも述べており、検閲を行う中国に中国市民の啓蒙・覚醒で「改良」第一歩を踏み出すことをめざして、中国に進出したのかもしれない。

 こうしたグーグル意図を知らずにか、2006年株主総会では、「人権団体の代表として出席した株主が、経営陣に中国へのアプローチを転換するか、見直すことを求め」、以後も株主総会では「毎年恒例の光景」となっていた。だが、会社幹部が「今もグーグル株の三分の一を保有し」、取締役会議決権の半分を握っているので、「提案はその都度否決されてい」(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』179−180頁)たのである。

 グーグルは、人口の多い中国市場を「重要な市場」と見て、「最初は中国政府の検閲を受け入れ、中国だけ例外的に政府に不利な情報を表示しない」(ジョージ・ビーム『Google Boys』119頁)などの特例措置を取っていた。しかし、グーグルは、「自社のシステムに何者かによってサイバー攻撃を頻繁に受け」、「中国はここ数年、グーグルをはじめとするアメリカ企業に、サイバー攻撃を仕掛け」てくると、従来の柔軟な方針を転換せざるをえなくなる。2008年末、グーグルは調査して、ついに「中国政府またはその代理人が、攻撃の背後にいると断定できるだけの十分な証拠を収集した」(エリック・シュミット『第五の権力』168ー9頁)のである。2010年には、「メールサービスのGメールがサイバー攻撃などを受け」るに及んで、ここに、グーグルは、「中国政府と再交渉した結果、同市場から撤退することを表明した」(ジョージ・ビーム『Google Boys』119頁)のであった。

 
                                     2  検索以外の拡充

                                    @ 対マイクロソフト戦略    

 グーグルが起業し、展開した当時、IT業界にはマイクロソフトとアップルという巨人がいた。以下では、グーグルの対マイクロソフト戦略、対アップル戦略についてみてみよう。

 マイクロソフトのソフト独占 マイクロソフトは、OS(オペレーティングシステム/基本ソフト)のウィンドウズと企業向けソフト「オフィス」の二点で独占的位置を占めていた「世界最大のソフトウェアメーカー」であった(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』314頁)。「OSの、少なくとも一般利用者向けOSの玉座はマイクロソフトが占めてしまい、これを動かすのが容易ではない」(岡島裕史『アップル、グーグル、マイクロソフトークラウド、携帯端末戦争のゆくえ』115頁)のであった。その結果、ソフトウエア・メーカは、「乱立するハードウェアそれぞれにソフトを開発するより」「ウィンドウズ向けソフト」を作った方が効率的になり、「ウィンドウズが要求する機能を満たすことに汲々となる」(岡島裕史『アップル、グーグル、マイクロソフトークラウド、携帯端末戦争のゆくえ』114頁)のであった。

 とくに、1990年代には「マイクロソフトの横暴なふるまい」が顕著になった。ゲイツは、「デスクトップでの独占状態を利用して、周辺分野に影響力を及ぼそうとし」、マイクロソフトは、「ケーブルテレビ会社のコムキャストに10億ドル、AT&Tに50億ドル、その他のケーブルテレビや電話会社に合計5億ドルを投資」して、ウィンドウズを「PCとテレビを集約するハブ」にしようとした。そこで、キャリア(通信事業者)側は、「ゲイツがブロードバンド・インターネットの普及を早めるだけでなく、最終的にすべてのケーブルテレビのセットトップボックスにウィンドウズのソフトウェアを入れたがってい」て、「電話会社を取るに足りない存在にしたいに違いない」(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』80頁)と懸念した。

 隠忍自重 グーグルにとって、このマイクロソフトに押しつぶされないように対処することは最重要の課題でもあった。ラリー・ペイジは、「ゼロックスのパロアルト(スペイン語で高い木という意味の地名 )研究所は優れた研究施設で、現代のコンピュータに使えるツールの多くがここで開発された。だけど、その技術をゼロックスは商品化せず、他社(スティーブ・ジョブズが「リサ」、「マック」というパソコン、ビル・ゲイツがそれを真似たウィンドウズというパソコンを商品化)に成果を持っていかれてしまったんだ」(ジョージ・ビーム『Google Boys』96頁)と述べ、アップルとマイクロソフトという二巨人におけるパソコン誕生秘話に触れ、油断していると成果を持って行かれるこのIT業界の競合の非情さに言及して、自らを戒めていた。アメリカでは「トーマス・エジソンからビル・ゲイツに至るまで、・・昔から商業的な技術革新と発明の発祥地となって」おり、「今回の最新の革命でも、アメリカ人は光ファイバーやインターネットなど、成功へのカギとなるものを発明した」(P.W.シンガー『ロボット兵士の戦争』359頁)のであった。

 アメリカでは、発明は商業化して初めて成功なのである。発明と商業化ということならば、衣料革命期のイギリス、近現代の日本にもみられるのだが、近現代の主導的部門の発明・商業化という点ではアメリカが一頭地を抜いている。これについては、色々説明がなされているが、基本的には、アメリカでは移民及びその子孫が大自然・先住民を克服して「発展」し「成功」するという開拓の歴史・精神(実体は「侵略」そのものだが)が、人種のるつぼでの激しい生存競争を勝ち抜いてビジネスで「起業」・成功する事が人生の成功者であるということをどこよりも明確な社会的慣習として定着させたからであろう。う。分かり易く言えば、わざわざ愛しい母国を「捨てて」、アメリカに来たのは、アメリカの自然をめでるためなどではなく、競争に勝ち抜いてアメリカ各界で成功者となるためだということだ。

 パソコンに話を戻せば、パソコンを普及する上で大きな役割を最初に発揮したのは、マイクロソフトのビル・ゲイツではなく、アップルのスティーブ・ジョブズだった。当初のパソコンは、米軍研究機関ARPA(1958年設立、1972年DARPAと改称)がARPANETとして開発し、「1970年代に登場し始めた、まだむき出しの電子基板」で、「部屋いっぱいの大型コンピュータの間でデジタル情報をやり取りする手段」(エリック・シュミット『第五の権力 Googleには見えている未来』ダイヤモンド社、2014年、1頁)であったが、1980年代初め、ジョブズは、「マイクロエレクトロニクスの技術によって」(K・エリック・ドレクスラー、相沢益男訳『ナノテクノロジー 創造する機械』パーソナルメディア、1992年、5頁)、それを「高級キッチンウェアのような上質なプラスチックケースに収め」た小型パソコン「マッキントッシュ」として商品化したのである(小川浩、林信行『アップルvs.グーグル』144頁)。アメリカでは、軍に情報産業の母胎があったのである。情報産業面での米国に対する日本の遅れについて、日本は「大企業依存体質であり、情報化時代のスピードに追い付けず、本来この大企業の欠点を補完するはずのベンチャー企業がなかなか活性化しないという現実があ」り、さらには、「久しく喧伝されている産学協調がいっこうに効果を表さないことも、この悲観的な状況に拍車をかけている」(長田正『ロボットは人間になれるか』198頁)からだという見解があるが、日本には、軍によって醸成された情報装置工業がなかっただけではないか。その意味では、アメリカでは、米軍にARPANETが存在したことの意義は大きかったのである。

 そうして利点を持つアメリカで、ジョブズは、ビル・ゲーツも小型コンピュータを売り出そうとしたので、「マッキントッシュのアイデアを盗用から守ろう」として、ビル・ゲイツと「1983年1月に出荷されてから1年間は、類似のソフトウェアを作らない」という契約を結んだ。ジョブズには自分こそが「PCを使いやすくした」先駆者と言う自負があった。1983年末、ゲイツは「ウインドウズとなるソフトウェアについて発表」したが、後にジョブズは「ウインドウズがマッキントッシュの外観と感覚をまねたとして、マイクロソフトを著作権侵害で訴え」、10年間法廷闘争を続けたが、遂に敗訴したのであった(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』219頁)。

 2000年グーグル入社の「最初のプレス」担当デビッド・クレインの任務は、上記の検索収益方程式の「極秘情報」を死守し、「それを暴こうとする者を阻止」することだった。2001年CEOに就任したエリック・シュミットは、「この戦略を同社の最優先事項と位置づけ」、「IT業界の巨人」マイクロソフトに気付かれることを「最も警戒」した。「遅かれ早かれ巨人は新たなライバルの出現に気づくだろうが、シュミットはその時期がなるべく遅くなることを願っていた」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』106頁)のである。シュミットはマイクロソフトに、「デスクトップ・コンピューテイングの支配権をマイクロソフト・ウィンドウズと争うつもりはない」と言い続け、「マイクロソフトもいっときそれを信じていたいたようだった」のである(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』163頁)。誕生した頃のグーグルは、とにかくマイクロソフトを刺激しないように腐心していたのである(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』314頁)。

 しかし、グーグルが、「グーグルアップスにおいて、高速動作や信頼性の向上をどれだけ実現しても、それを動かすインターネット・エクスプローラが低速で、信頼がおけなければ話にならない」のであり、グーグルやグーグルアップの「大多数の利用者はマイクロソフトのインターネット・エクスプローラを介して使う」のである。このように、グーグルが「自分のフィールドへ客を引き込む経路が、ライバル企業に押さえられているのは、端的に言ってリスクである」(岡島裕史『アップル、グーグル、マイクロソフトークラウド、携帯端末戦争のゆくえ』104頁)。グーグルは力をつけて、これをはねのけようとする。

 マイクロソフト逆襲 検索事業で「グーグルが市場をリードするようになる」と、2003年には競合企業のマイクロソフトも追従しようとしたが、「すでに大差がついていた」(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』136頁)。

 2005年には、「マイクロソフトよりグーグルのほうが、ユーザーのコンピュータの使い方に影響を与え」るようになったが、シュミットは「マイクロソフト・オフィスのオンライン版を作っていること」を否定したので、まだマイクロソフトは「それは大した脅威ではない」と楽観していた(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』163−4頁)。

 2006年、「グーグルは、時価総額18兆円、巨人マイクロソフトのライバルとも目される、世界で最も影響力のあるIT企業の一つに急成長した」(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』NHK出版、2007年、4頁)。「グーグルがもうすぐマイクロソフトに代わって技術分野の悪者大企業になるのではないか」と言う憶測すら流れだした(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』79頁)。

 この2006年、マイクロソフトの共同創業者ビル・ゲイツは、グーグル打倒をめざし、ヤフー買収をはかり、失敗すると、「MSNリブサーチ」(後にビングと改名)という検索サービスを打ち出した(ジョージ・ビーム『Google Boys』115頁)。ビル・ゲイツは、この戦いを「根に持」ち、「ペイジとセルゲイ・ブリンの服装を馬鹿にし」、「グーグルの検索エンジンの人気は『一時的な流行』にすぎない」と批判した。その一方で、実は、ゲイツは、「長年の競争者のなかでグーグルがもっともマイクロソフトに似ている」とも見ていた(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』68頁)。

 2008年、ラリー、サーゲイ、エリックはヤフー取り込みを画策する。つまり、彼らは、「ヤフーには自らが抱える広告スペースを埋めるほどの広告が集まっていなかったため、グーグルが在庫からそれを埋めるための広告を提供し、収入のほぼすべてをヤフーに入るようにする」という「ヤフーへの提携案をまとめ」た。これに対して、マイクロソフトは、「グーグルとヤフーの提携は反競争的だとして、激しいロビー活動を展開し」、司法省はグーグルに「提携をやめなければ訴訟を起こす」と通告したため、同年11月5日にグーグルはヤフー提携を断念する旨を発表した(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』137ー141頁)。

 しかし、「今や他社が広告の量でグーグルに対抗するのはほぼ不可能になった」(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』142頁)。2008年末時点、「グーグルは検索連動広告市場の売上高の約75%を抑え」たが、ヤフーは20%、マイクロソフトは僅か4%しか抑えていなかった(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』137頁)。

 グーグル反撃 シュミットは、「グーグルが独自のインターネット・ブラウザーを作って、マイクロソフトや、アップルや、モジラ(ファイヤーフォックスの製作元で、グーグルのオープンソースのパートナー)と競おうとしているという見方」を否定してきた(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』164頁)。しかし、2008年には、グーグルは「長年、『ブラウザ市場には関心がない』と言ってきた」事を翻して、ついにウェブ・ブラウザ(クローム、ウェブページの閲覧ソフト)を導入し、「マイクロソフトの領土を侵略し始めた」(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』25頁)のである。シュミットは、「ブラウザーを介して自社製品を使ってもらうグーグルのような企業は、そのコントロールを他者に委ねるべきではないことが徐々にわかってきた」と、巧みな弁明を行なった(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』164頁)。

 これに対して、ボールトン(CIO Journal記者)は、「グーグルほどの権力を持ち、ウェブサービスのゲートウェイとなるウェブ・ブラウザを投入した以上、”相当邪悪である”という評価を免れるのは不可能だ」と批判する(Clint Boulton,"Has Chrome Pushed Google over the Evil Edge ?"Googlewatch.December 13,2008[リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』25頁])。

 だが、このクロームは「プラットフォームとなる事が柱で、ウェブページを見る機能はおまけなのではないか」と思われ、「ソフトウェアやサービスの応答」は遅いのであった(岡島裕史『アップル、グーグル、マイクロソフトークラウド、携帯端末戦争のゆくえ』106−7頁)。グーグルが「各種資源のインターネット側への移行を目指す」上で恐れるのは、「ソフトウェアやサービスの応答遅延」であり、「利用者がクラウドに失望感を抱く」ことであった(岡島裕史『アップル、グーグル、マイクロソフトークラウド、携帯端末戦争のゆくえ』108頁)。

 2009年5月、グーグルは、開発社会議で、「新しいウェブ技術である『HTLM5』の時代が到来したことを高らかに宣言」した。これは、スマートフォンでは「マイクロソフトのインターネットエクスプローラー」対抗ブラウザ(ウェブキット、パソコン市場ではファイアフォックスあるいはオペラ)がHTML5の下に結集し、「勢力を伸ばし始めた」ものである(小川浩、林信行『アップルvs.グーグル』ソフトバンク・クリエイティブ、2010年、21−2頁)。 6月には、アップルはWWDC(世界開発社会議)でSafri/ウェブキットでHTML5をサポートしていくことを改めて強調しており、グーグルとアップルは競合しつつも、対マイクロソフト面ではHTML5の下に協調していたのである。

 そこで、2010年、グーグルは、「クロームOS(ブラウザとは別のOSで、「クロームを動かすことのみを念頭に置いている」)を市場に投入」した。それは、「パソコンに情報を残しておきたいウインドウズと好対照」に、「情報をインターネットに集約したいグーグルの意図と合致した戦略である」ので、このクロームOSは、「パソコンに情報を残させない設計になってい」た(岡島裕史『アップル、グーグル、マイクロソフトークラウド、携帯端末戦争のゆくえ』109ー111頁)。

 以後、グーグルは、対マイクロソフト(「統合製品オフイス製品である、ワード、パワーポイント、エクセル、アウトルックなど)戦略として、「アプリケーションソフトと同等の機能を持つ、『ドキュメント(ワープロソフト)』、『プレゼンテーション(プレゼンテーションソフト)』、『スプレッドシート(表計算ソフト)』、『カレンダー(日程管理ソフト)』、『Gメール(メールソフト)』などを、ウェブサービス(グーグルアップス)として展開」(岡島裕史『アップル、グーグル、マイクロソフトークラウド、携帯端末戦争のゆくえ』99−100頁)している。こうした「アプリケーション事業への参入」によって、グーグルは、「史上最強のテクノロジー企業の一つ、マイクロソフトを敵に回」したが、「戦況はグーグルに有利で」、特に「検索とネット広告におけるマイクロソフトの戦いぶりは、お粗末といわざるを得ない」(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』235頁)と言われる。こうして、グーグルは、「グーグルアップスをリリースし、ブラウザベースのメール、表計算ソフト、ワープロソフトなどアプリケーションを消費者には無償で、企業にはMSオフィスと比べれば非常に低コストで提供」して、「マイクロソフトのウィンドウズとMSオフィスを無力化し」(小川浩、林信行『アップルvs.グーグル』61頁)ていったのである。インターネット中心のグーグルは、パソコン中心のマイクロソフトに取って代わって、「コンピュータ業界の盟主」になろうとしているのである(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』240頁)。

 マイクロソフトとグーグルはアプローチが真逆であり、マイクロソフトは「既存のパソコンに多くの資産を持ち、クラウドを取り込もうとしている」が、グーグルは、「クラウドに莫大な資産を抱え、次は人とクラウドの接点たるパソコンに入り込もうとしてい」(岡島裕史『アップル、グーグル、マイクロソフトークラウド、携帯端末戦争のゆくえ』111頁)たのである。グーグルアップエンジン(世界的な標準)の本質的な役割は、「ウィドウズアズール(Microsoft Azure。クラウド・コンピューティング・プラットフォーム、マイクロソフトの独自色が強い)と変わらない」(岡島裕史『アップル、グーグル、マイクロソフトークラウド、携帯端末戦争のゆくえ』112頁)という所にある。従って、マイクロソフトがグーグルに対抗するには、今後はAzure(データセンターとして利用できる追加サーバー・災害対策用サーバー)などのクラウド事業の成長如何が重要になるということになろう。実際、2015年7月には、パブリック・クラウドのMicrosoft Azureの新サービスとして、データ分析ができる「Cortana Anlytics Suite」を発表している(菊田遥平[監査法人トーマツ]「人工知能はあらゆる領域に浸透  適用事例は日々増え続けている」[『人工知能ビジネスーなぜGoogle、Facebookは人工知能に莫大な投資をするのか』日経BPムック、2015年10月、99−100頁])。

 この結果、アップル攻勢をうけて、マイクロソフトの売上高・純益高は、604億ドル・176億ドル(2008年)、584億ドル・145億ドル(2009年)、624億ドル・187億ドル(2010年)、699億ドル・231億ドル(2011年)、737億ドル・169億ドル(2012年)、778億ドル・218億ドル(2013年)、868億ドル・220億ドル(2014年)、935億ドル・121億ドル(2015年)と、増収増益基調というよりは、漸増収・微減益基調となっている(「マイクロソフト(MSFT)  クラウド事業の成長」[2016年「みんなの米国株情報共有サイト」]など)。


                                    A 対アップル戦略

 アップルの携帯電話着手 1996年頃、アップルは「一時は倒産の危機に陥った」(小川浩、林信行『アップルvs.グーグル』190頁)。しかし、2002年に発売iPodの売上は、2004年820万台、2005年3200万台となって、ジョブズの位置は高まった(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』41頁)。

 2004年秋、アップルは、「スプリント(携帯電話会社)の回線容量を買って再販すれば」、「仮想移動体通信事業者」(MVNO)という無線事業者になれるようになった。これを知ったシンギュラー・ワイヤレス社は、これが実現すれば『顧客を獲得するために端末価格を下げる」事を懸念して、アップルに接近し、「アップル自身がキャリアになれば、『携帯電話ネットワーク』という本質的な予測不可能な資産と、その運用にかかわるあらゆる問題を抱えて身動きがとれなくなりますよ」と警告した。しかし、アップル幹部のマイク・ベル、スティーブ・サコマンはスティーブ・ジョブズに、「いまこそ独自の携帯電話を作るタイミングだ」と説得した。2004年11月7日、ベルはスティーブに、「他社の電話に我々の機能を加えるより、そのデザインのなかからひとつ選んで、アップルのソフトウェアを入れ、われわれ独自の電話を作ろう」と提案して、受諾された(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』40−3頁)。こうして、アップルはiPodで成功して力をつけると、「自社開発の携帯電話」を考慮するようになったのである(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』39頁)。

 アップルは、2005年にはモトローラと組んでROKR(ロッカー)という携帯電話をつくるが、これに不満で「自らiPhoneを開発」する(小川浩、林信行『アップルvs.グーグル』37頁)。ジョブズは「タッチスクリーン技術を新時代の携帯電話の中核にしよう」と提案し、秘密主義の下にいくつもの試作を経て、2007年1月ジョブズはそうしたiPhoneを発表した(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』43−57頁)。

 このiPhoneは単なる電話ではなく、「電話もできる初めての本格的な『ポケット・コンピュータ』」であり、どんどん革新して、通信速度も向上させ、「ディスプレイでは過去にない解像度を実現」し、以後、「半導体を設計する会社を買収して、iPhoneをつねに市場で最速のデバイスにし、完全に新しいバージョンのソフトウェアを毎年発表して更新させ」(レッド・ボーゲルスタイン、依田卓司訳『アップルVS.グーグル』新潮社、2013年、10頁)てゆく。

 グーグルの携帯参入画策 2005年初め、アンドロイド社のルービンはペイジに、「将来性のある技術はラップトップでもデスクトップでもなく、コンピュータの能力をもつ携帯電話である。市場は巨大だ。毎年、世界で七億台以上の携帯電話が売れている。それに対してコンピュータは二億台で、両者の差は広がりつつある。ところが、携帯電話ビジネスは暗黒時代止まりだ。アンドロイド社が「この問題を解決する」(71頁)と売り込んだ。同年7月、ペイジらは、5000万ドルとインセンティブでアンドロイド社を買収することにした(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』72頁)。

 この買収は、アップル対策というよりは、実はマイクロソフト対策でもあった。グーグル上層部は、「もしモバイル機器でウインドウズが主流になったら、マイクロソフトはそうした機器からのグーグル検索へのアクセスを制限し、自前の検索エンジンを優先させると確信」した(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』68頁)。「ユーザーがグーグルの検索エンジンを見捨てて、マイクロソフトなど競合他社のものを使いはじめたら、グーグルのビジネスはたちまち座礁する」と懸念したのである(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』69頁)。マイクロソフトという巨大な共通の敵をまえに、まだグーグルとアップルはスマートフォン事業での競合を表面化させなかったのである。

 ラリー・ペイジ自らが、こうして買収したデンジャーをを担当した(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』341頁)。グーグルは、スマホ事業を立ち上げるために、「自社開発が難しい」「OSやグラフイックエンジン、モバイルソフト、モバイルSNS、モバイルブログなどの技術を保有」するAndoroid、Skia、allPAYGmbh、bruNET、GmbH Zingku、Jaikuなどを次々に買収した(雨宮寛二『アップル、アマゾン、グーグルのイノベーション戦略』147頁)。

 2006年グーグルCEOのエリック・シュミットが、アップル社外取締役に就任したように、アップルとグーグルは携帯電話事業では競合よりも協調という色彩が濃厚であった(小川浩、林信行『アップルvs.グーグル』37頁)。当時、グーグルとアップルの両社では、ビル・キャンベルがアップル取締役・グーグル相談役、アル・ゴアがアップル取締役・グーグル相談役、ポール・オッテリーニはインテルCEO(アップルの大顧客)・グーグル取締役、アーサー・レビンソン(ジェネンテック社トップ)がアップル取締役・グーグル取締役を兼任していたように、「両社の取締役と社外顧問は互いに入り組んでいて、まるで同一の会社のようだった」(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』125頁)のである。だから、シュミットのアップル社外取締役就任は当時広く見られたことであった。就任に際して、エリックは、「スティーブとアンドロイドについて話したし、いずれ実現するから、それまで状況を見ていこうと合意していた」(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』124頁)とする。この頃のグーグル首脳に言わせれば、「アンドロイドは、どのメーカーでも使えるオープンソースの携帯電話向けOSにな」り、「グーグルはiPhoneと競合する端末を作ろうとしているのではない」し、「グーグルが携帯電話で作るビジネスに参入するわけではな」く、「何をするにしても、iPhoneのいかなる部分もコピーする意図はな」かったのである(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』124頁)。しかし、グーグルのアンドロイド・チームがここまで考えていたかどうか別問題なのである。

 2007年1月に、Macワールドエクスポの基調講演で、ジョブズは、アップルは「電話を再発明する」と宣言し、自前の基本ソフト」をもつiPhone(iPod、携帯電話、携帯情報端末を備えたスマートフォン)を発表し、アップルは「パソコンメーカーを脱皮し、社名も『アップルコンピュータ』から『アップル』に変更」(小川浩、林信行『アップルvs.グーグル』ソフトバンク・クリエイティブ、2010年、15頁)した。しかし、「キャリア(通信事業者)が長年にわたって業界を支配し、革新的な携帯電話端末を作ろうとする企業を抑え込んでいた」から、iPhoneが普及するとは思われていなかった(フレッド・ボーゲルスタイン、依田卓司訳『アップルVS.グーグル』新潮社、2013年、9頁)。

 当時のグーグル社内には、アップルのアイフォン開発には、それとは没交渉のアンドロイド・チームとアイフォンに技術を売り込むチームの二つがあった。だから、ルービンとアンドロイド・チームにとっての「複雑な問題」は、グーグル自らが「アップルの主要なパートナー」として「iPhoneプロジェクトにかかわってい」て、グーグル経営陣は「二年間、アンドロイドを支援する一方で、別のチームをひそかに割り当てて、ジョブズの新しい機器にグーグル検索、マップ、ユーチューブを組み込むソフトウェアをアップルと共同開発させて」おり、ジョブズも「iPhoneの発表で、グーグルのソフトウェアが搭載されていることを売りの一つにした」のであり、グーグルCEOエリック・シュミットも壇上に上がって「スティーブ、おめでとう。この製品は大評判になるよ」とまで述べていた事である(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』82頁)。しかも、グーグルは、「iPhoneに自社ソフトウェアをのせてもらうために、年額7000万ドル近くをアップルに支払っていた」(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』126頁)のである。

 しかし、アンドロイド・チームは、「シュミットがアップルの取締役である事はしっていたが、両社がこれほど強く結びついているとは思っていなかった」し、同じグーグル社内で「ひと握りのエンジニアがほとんどアップルの出先機関として働いていた」ことなど知るすべもなかった(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』82頁)。当然、「ルービンに忠実なチームメンバーたち」は、「アンドロイドの開発」を続けつつ、「グーグルの経営陣は明らかにアップルに肩入れし」ていたことから、やがてグーグル内部での「利害の衝突を気にし」だしたのであった(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』84頁)。

 2007年に、マイクロソフトのソフトウェア開発担当者のビック・グンドトラをグーグルに雇い入れてから、グーグルのモバイル分野の姿勢が変化し始めた。2007年、グンドトラは、経営会議では「個々のビジネスの収益性について担当幹部を質問攻めにした」が、解雇される所か、グーグル内で「勢力を拡大」した。やがて、彼は、「グーグルのモバイル分野での成功を、ビジネス上の単なる目標ではなく、全社的な理念にし」、グーグルとアップルがマイクロソフトにとって代わり、「PCで起きたのとまったく同じことが携帯電話でも起きようとしている」と語り続けた。このように「グンドトラがグーグルで圧倒的な力を発揮できたのは、グーグルのモバイル事業の未来はほぼiPhoneだけに左右されることを早々と看破し」、今後「iPhoneによって、アップルはノキアやRIM(ブラックベリーのメーカー)といったほかの携帯電話メーカーを軽く抜き去るだけでなく、ウィンドウズやオフィスを武器にデスクトップ・コンピューティングの世界に君臨してきたマイクロソフトの支配も終わらせる」(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』110−2頁)とみていたからであった。

 2007年秋、グンドトラは、iPhoneの革命性について、@「美しい」事、A「手強いキャリアの介入を排除」した事、B「グーグルのアプリケーションを動かせる、初めてのパワフルな携帯電話である」事、C「インターネット・ブラウザーをフル装備し、グーグルの検索連動型広告をなめらかに表示する」事、D「グーグルのアプリケーションと広告がますます普及する事」として、iPhoneをグーグルの補完勢力とみて、マイクロソフトのウィンドウズを「失墜」させるとみた。しかし、「当時、モバイルビジネスに占めるスマートフォンの割合(2%)は僅かだった」から、グンドトラは、「アップルの一時的な流行にだまされている」と非難された。アンドロイド・チームは、「いきなり現れたグンドトラに大いに悩まされた」。まだアンドロイド製品化は不十分であり、2007年にグーグル三首脳がiPhoneかアンドロイドを選ぶ必要があれば、iPhoneを選んだという状況であった(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』112−4頁)。

 一方、グーグル内のアンドロイド・チームは、iPhone発表後、「数週間のうちに、目標を設定し直し」、2008年まで発表は延期された(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』65頁)。既に2007年3月、「グーグルが携帯電話を開発しているという『憶測』が一部コンピュータメディアの間で広が」(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』205−6頁)っていたが、2007年初頭では、「iPhoneの発売を半年後に控えて、準備に一刻の猶予もなかった」し、「アンドロイドはアップルの視野にも入らないほど小さな問題」であり」、「ジョブズは、アップルとグーグルの提携関係、そして自分とシュミットとグーグル創設者のふたりの結び付きを信じていた」(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』86頁)らしい。
 
  2007年11月5日、グーグルは、携帯電話メーカー、キャリア、ソフトウェア開発企業から成るOHA(Open Handset Alliance)を結成し、製品名はアンドロイドで「携帯電話メーカーのHTCが一年以内にそのソフトウェアを搭載した電話を発売する」ことを発表したが、アップル、ノキア、RIM(最大のスマートフォン・メーカー)、マイクロソフト、パーム、キャリア(AT&T、ベライゾン)は「呼びかけに応じなかった」(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』120−1頁)。この時ルービンは、「携帯端末の技術革新を阻んできた特許権による障害をなくし・・携帯端末のために真の意味でオープンで包括的なプラットフォーム」を提供するとしていた(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』352頁)。この発表で、「グーグル内の緊張と、グーグルとアップル間の緊張だけが高ま」り、グーグル内ではiPhone推奨派のグンドトラはアンドロイド・チームを責め立て、グーグル・モバイル(アップル協力派)とアンドロイド・チームとの緊張は高まった(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』122頁)。しかし、アンドロイドチームは、「iPhoneにできない事がすべてわかったとき」に「チームの作っているものがグーグル本体の支援すら必要ないほど、あらゆる面でiPhoneに勝っているのを確信」し、既に「iPhoneはわれわれの敵ではない」と思い始めていた(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』116−7頁)。

 2007年末、ルービンはセルゲイに、「アンドロイドを成功させたいなら、うちの宝をアップルに譲るなんてこと(これはグンドトラが主張)はやめなきゃならない」とした(123頁)。以後のグーグル携帯事業の展開で、ルービン部下は、2007年6月iPhone登場後の40人から2年後には100人に増加した(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』81頁)。各国メーカーも。2008年台湾HTC、2009年モトローラ、2010年ソニー、シャープなどが競って作り始め、「多くのメーカーから多彩な製品が発売され」、着実に勢力を伸ばした(小川浩、林信行『アップルvs.グーグル』ソフトバンク・クリエイティブ、2010年、18−9頁)。

 グーグルとアップルとの衝突 2008年春、グーグル三首脳は、「ジョブズとの関係を犠牲にしても野望を遂げ」ようとしだし、「グーグルはアップルの優秀なエンジニアを何人か引き抜き、新しいインターネット・ブラウザー<クローム>を開発させようとした」。グーグルは、アップルとの「グーグル検索とマップ」との再交渉を決裂させ、「アップルに支払う金を減らしたかった」(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』128頁)。

 2008年6月アップルがiPhoneの世界展開モデルiPhone3Gを発表し、同年8月、グーグルがTモバイルとHTC製のアンドロイド端末第1号を発表した(小川浩、林信行『アップルvs.グーグル』37頁)。ジョブズは、「グーグルの<ドリーム>フォン(HTC Dream =T-Mobile G1)は・・はるかにiPhoneに似たものになるという結論」を持ち始め、「HTCの<T−モバイルG1>には、ジョブズがアップル固有の技術と考えるマルチタッチ機能がいくつか組み込まれ」(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』130頁)ていることがわかった。

 同年夏、ジョブズは「アンドロイド搭載端末を自分の目で見てどこまで裏切り行為が行われているか判断するために」グーグル本社に乗り込んで、アンドロイド端末からマルチタッチ操作機能の削除を求めた(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』349頁)。具体的には、ジョブズは、「グーグルが使っているマルチタッチ機能についてはアップルが特許を持っている、今度発売されるGIにもしその機能が入っていたら訴訟を起こす」と言ったようだ。これに対して、グーグル側は、「マルチタッチの商品化に成功したのはジョブズが最初かもしれないが、ジョブズがマルチタッチを発明したわけではないし、iPhone上の技術の大半についても同じことが言える」と反駁した。ルービンはジョブズに、「あなたの態度は反イノベ−ションだ」と興奮気味に攻撃した。ジョブズはルービンに、「君は僕をまねようとしている。見た目も、髪型も、眼鏡も、スタイルも」と言って恥をかかせた。また、ルービンは、1992年のビデオ映像(タッチスクリーン、慣性スクロール)を見せて、「アンドロイド・チームのほうが、これらの技術の数々についてジョブズより先に考えていた」と反駁した。アンドロイド担当のグーグル技術者ボア・リーは、@「指二本を広げると拡大、狭めると縮小」は「アップルが最初にやった」のではないこと、Aタッチスクリーンは以前からあり、高すぎて使わなかっただけだとした。彼は「2006年にアンドロイド・チームに加わってから」、「技術が機能に追いつ」き「ほとんどの機能を一から作り上げた」のであると反論した。しかし、ジョブズは、「アップルがすべてを発明した」と主張し続けたのである(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』131−5頁)。

 グーグルの譲歩 グーグルは携帯事業は継続するが、まだグーグルの携帯技術レベルではアップルとの全面衝突まで進むのは無理としていた。

 特にジョブズが振りかざす訴訟はグーグルには「脅威」であり、グーグル三首脳は「いくらグーグルが正しくてもアップルの特許権侵害訴訟はグーグルに取って大問題になる」と危惧していた(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』137頁)。そこで、2008年夏に「G1から主要な機能をはずせというジョブズの要求」を受け入れることにしたため、アンドロイド・チームは、「ソフトウェアを書き直して、ジョブズの指定した機能を削除」するという「膨大な作業」を余儀なくされた(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』139頁)。

 一方、ジョブズは、これに大喜びし、数日後には経営チームに、「アップルにとって大きな勝利」で「正しい善人が、嘘つきで卑怯なごろつきを負かしたのだ」と表現し、「連中(グーグル)はあれ(マルチタッチ)を使わなくなった」と語った。それでも、ジョブズの怒りはおさまらず、その日は、経営チームに、「友人だと思っていたブリンとペイジには裏切られ、アップルの取締役だったシュミットにはだまされた」とか、「あいつらは嘘をついている。もう信じないぞ。何が”悪をなさない”だ。聞いてあきれる」と、「執拗に繰り返した」(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』140頁)。

 その後数カ月、「グーグルはジョブズの気持ちを逆なでする行動はとら」ず、「iPhoneは、音楽プレーヤーの世界のiPodのように、携帯電話の世界を支配しつつあった」のである(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』141頁)。なお、「音楽プレーヤーの世界のiPodのように」とは、これでソニーのウォークマンは凋落し、iPodが音楽プレーヤー市場を席巻したことをさしているた(本田幸夫『ロボット革命』41−2頁など)。

 グーグル反撃と提携企業支援 しかし、グーグルは、「ひそかに友情を捨て、獰猛なまでの集中力でアップルとの闘いに売って出」(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』147頁)るのである。2008年、シュミットと経営幹部は、「もしiPhoneが音楽分野のiPodのようにモバイルの支配者」となり、「モバイル・インターネットへの入口がアップルひとつになったとしたら」、「グーグルはどうするか」を話し合った。アンドロイドのエンジニアのセドリック・ボイストは、「iPhoneに支配された社会」では、「端末からモバイル・インターネットにアクセスするたびに使用料を払わされ」「グーグルの財政を脅かし」、「アプリストアから気に入らないものを全部弾き出す」から、「アップルの方がマイクロソフトよりたちが悪い」と見ていた。一方、ラリー・ペイジは、「iPhone上でアップルに技術提供するだけで」満足するような人間ではなく、」2007年前半にアンドロイドを「iPhoneに対抗させようとし」、「シュミットに輪をかけて積極的」だった(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』165−6頁)。

 2008年9月、「グーグルを装備した」T・モバイルG1が発表され、「アンドロイドの一号機としてはそこそこがんば」り、「Gメール、アンドロイド用ブラウザー、マップのアプリケーションは洗練」されていたが、マルチタッチ機能がなく「使い物になら」なかった。グーグル社員も、「なぜアンドロイドなんかで時間を無駄にするのか」とするものもあり、「多くがiPhoneを持ってい」た(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』141−3頁)。

 一方、早くからアップル社員の中には、「ジョブズがグーグルを過小評価している」とみたり、一部幹部社員はジョブズに「彼らには気をつけなきゃいけない」と言い続けていた。2008年アンドロイド出荷が始まっても、ジョブズは「安定性がなくてね。出来は良くない」と安心していた(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』144−5頁)。ジョブズは、「1967年にアップルを興し、1984年にマッキントッシュを作った時」以来、「もっともデザインがすぐれた、もっとも美しい製品に消費者は引き寄せられる」という信念を堅持し、「成功を実現する唯一の道は、ユーザー体験の全てをコントロールすること」としてきたのである(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』181−2頁)。アンドロイドのデザインなどは、アップルのアイフォンには劣ると安心していたようだ。

 2008年半ばには「ジョブズの健康は傍目にも芳しくなく」、「六カ月で二キロほど痩せ」、「痛んでいることが周囲にもわかった」が、「誰も触れなかった」。2009年、「膵臓がんが肝臓に転移し、移植が必要」となり、移植手術を受けた。ジョブズの闘争心が鈍ったのは、病気や過信(グーグルが「アップルの行く手を阻む競争相手になるとは」思いもしなかったこと)などのせいだったようだ(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』145−6頁)。

 「ジョブズが肝臓移植のために休職」していた2008年冬から2009年春にかけて、グーグルは、「アンドロイド携帯の二号機(ドロイド)に大規模投資するだけでなく、設計からマーケティング、販売まで自社で行なう三号機の開発にも着手した」(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』147頁)。

 2008年末、「G1の発売後三ヶ月たった」が、G1は「消費者をあまりにもがっかりさせ」、「アンドロイドは脅威からほど遠かった」ように見えたが、「携帯電話メーカーもキャリアもかえってアンドロイドを成功させようと奮起させた」。iPhone革命は、グーグルのアンドロイド開発を促したのみならず、「モバイル業界全体にアップルとどう競争すべきか」を考慮させ、特に「一年前にはアンドロイドにさほど興味もなく、アンドロイド携帯も作っていなかった提携企業のモトローラとベライゾンが、急に熱い関心を寄せた」(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』152頁)のであった。

 モトローラCEOサンジェイ・ジャはルービンと付き合いがあり、今後は「アンドロイドをモトローラの携帯電話の唯一のOSにする」と宣言した。一方、ベライゾンもiPhoneに対抗するため、グーグル、モトローラの陣営に加わろうとした。その頃、モトローラのエンジニアのみならず、ベライゾンのエンジニアも、「市場に出ているスマートフォンのあらゆるOSをくわしく調査し、アンドロイドは最高レベルという結論に達していた」。ベライゾンのエンジニアは、「iPhoneも含めて、ほとんどのスマートフォンのソフトウェアは定期的なPC接続が必要な設計になっている」が、「アンドロイドは最初から、いつかPCは不要にな」り、「インターネット接続でもコンピューテイングでも、スマートフォンが中心になる事を見越していた」(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』152−4頁)。

 緩衝役としてのエリック エリックは、アップルとグーグルはマイクロソフトと言う共通の敵と戦う「精神的に結びついた仲間」(フレッド・ボーゲルスタイン、依田卓司訳『アップルVS.グーグル』新潮社、2013年、13頁)であり、その限りは対立的・競合的側面は抑えられていた。アップルは、「次世代のウェブ標準技術として注目されるHTML5を積極的にサポートしており、グーグル同様にオーブンで自由なウェブのプラットフォームの普及についても、十分な理解と支援を惜しま」ず、この点では「グーグルとも世界観を共有している」のである(小川浩、林信行『アップルvs.グーグル』53頁)。

 さらに、エリックは、「グーグルは検索などの自社アプリケーションを携帯電話にどうしてものせたかったが、何年も試みては失敗してい」て、「iPhoneとアンドロイドは、ともに将来が明るいとはいえ、生まれたばかりである、片方を捨てて片方だけを選ぶことは愚かしいと思」(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』109−110頁)い、技術的にも助け合えるとしていた。確かに、アンドロイドはまだまだ「小さなビジネス」で、「大物じゃなかった」から、ジョブズとエリックは、対立せずに、「様子を見ることにした」のである(2012年著者宛ジョブズ談[フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』162頁])。だから、携帯をめぐって、グーグルとアップルの関係が微妙となると、シュミットは、グーグル取締役会でiPhoneが議題になるたびに会議室を離れたり、「アンドロイドの会議」にも欠席した。彼は「二社間の連絡役」と思われるのを避けようとした(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』141頁)。

 やがて、ジョブズは友人たちに、「シュミットを取締役会からけり出したい」と語ったが、そうすると、「メディアの注目を集め」、「投資家も動揺」し、「社員の士気にも影響」しかねず、「かえって厄介なこと」になりかねなかった。ジョブズは、「もはやグーグルとアップルのあいだに協力関係はない」としても、「iPhoneを売るには、やはりグーグルの検索やグーグル・マップやユーチューブが必要」であり、「両社がビジネスパートナーとしてまだ持ちつ持たれつであること」をも知っていた(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』141頁)。ジョブズも、まだグーグルは必要とし、エリックの存在意義を認めざるをえなかったのである。

 後述の通り、2009年のエリック辞任後に両社の関係が険悪化しても、2010年3月下旬、「テクノロジー系の人気ブログであるギズモードが、パロアルトのカフェで談笑する」二人の写真を掲載しており(小川浩、林信行『アップルvs.グーグル』40頁)、元来二人は馬があったようで、二人の「親交」は続いていた。

 グーグル・アップルの対立激化 2009年3月にグーグルはアンドロイドアプリの有料販売をアンドロイド・マーケットで開始した。5月「FTC(米連邦取引委員会)からエリック・シュミットがアップルの社外取締役であることは問題と指摘」した。外部から、アップルとグーグルの対立関係が公けに指摘されたともいえる。
8月、エリック・シュミットはアップル取締役を退任すると、携帯をめぐって、グーグルとアップルは「敵意をむき出しにするようになった」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』377頁)のである。この月、アップルはグーグルボイスのアプリケーション承認を拒否した。

 9月アンドロイドOS1・6が登場し、ドロイドと命名された。これは、2009年春グーグル内に出回り始めたモトローラ「最初の試作品」が、「醜悪」で、「凶器みたい」に「縁で手が切れそう」だったので、アンドロイドのエンジニアたちは、「これは売れないのではないかと案じながら、休日返上でソフトウェアの開発に取り組んだ」末に造りだされたものであった。「なめらかで洗練されたiPhone」に比べて、このドロイドは「武骨な仕事向きの携帯電話」だったが、「部品やソフトウェアを変更」できる事が強調された(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』155−7頁)。

 10月初旬、ベライゾン側は、アンドロイド・スタッフ200人に、iPhoneの欠点を指摘し、「ドロイドにできてiPhoneに出来ないことを列挙」するという「ドロイドの販売キャンペーン」を展開した。会場は、「iPhoneに全面攻撃をしかけるー戦争に突入する」動きに「大喝采」した(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』157頁)。ドロイドが売り出されると、「最初の三ヵ月で初代iPhoneの売上を上回」った。

 2010年、アップルとグーグルの間に、「激しい応酬が始ま」(小川浩、林信行『アップルvs.グーグル』23頁)った。つまり、@スマートフォン用広告企業の買収として、2009年秋グーグルはアップルと競ってアドモブを買収し、2010年1月アップルはクアトロ・ワイヤレスを買収し、Aアップルのアップ・ストアは「独自開発のiPhone用留守番電話サービス、ビジュアルボイスメールと競合する」グーグルボイスの販売を認めず、B2010年1月27日にアップルはiPadを発表し、ジョブズは社内ミーティングでグーグルを激しく攻撃した(小川浩、林信行『アップルvs.グーグル』24−5頁)。ジョブズは、「グーグルはiPhoneをつぶそうとしている」「『邪悪になるな』・・はまったくのでたらめだ」と非難したのである(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』379頁)。

 一方、グーグルは、2010年1月にグーグル自社開発ブランドのアンドロイド携帯「ネクサス・ワン」を発表したが、これは「商業的には失敗」した。だが、「マルチタッチ機能が全て搭載」され、「タッチスクリーンが大きく」、「雑音除去マイクがつき」m「全キャリアの周波数に対応」していて「技術的には勝利」し、ルービン指示でデザインに就いても考慮していた。一週間後、グーグルは、「ドロイドにもマルチタッチ機能を追加する更新ソフトウェアをリリース」したが、これはジョブズにとって「譲れない一線」であった。一か月後に、ジョブズはHTC(ネクサス・ワンのメーカー)を訴え、さらに「機会をとらえて公然とグーグルとアンドロイドを攻撃」しだした。ジョブズは、社員集会で、「アップルは検索ビジネスに参入しなかった。なのになぜグーグルは携帯電話ビジネスに参入する?グーグルはiPhoneを殺したがっている。そうはさせない。”悪をなさない”だって?嘘っぱちじゃないか」と、激しく非難した(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』157−8頁、235−6頁)。アップルが訴えたのはグーグルではなく、このHTCや後述のサムソン、モトローラなど「アンドロイド携帯のメーカー」だけであり、携帯電話のハードウェア・ソフトウェアをアップルから盗用したと追及したのであるが、『自由に改変でき」「無償提供される」ソフトウェアでの立証は困難である(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』161頁)。

 5月にはグーグルはI/O(Innovation in the Open、開発者向けイヴェント)でiPhoneを非難した。6月にはアップルがWWDCでグーグルを非難した(小川浩、林信行『アップルvs.グーグル』38−9頁)。

 検索についても、@2010年4月のアップル・イベントで、ジョブズは「モバイル機器出は検索は使われていない」とし、iPhoneでは「検索の代わりに特定の用途に特化した専用アプリ出情報を引き出す」とし、A5月グーグルのビック・グンド―トラ副社長は「グーグルの検索利用が右肩上がりが増えている」事を強調した(小川浩、林信行『アップルvs.グーグル』26頁)。

 2010年10月、ジョブズは、「投資家やウォ―ル街のアナリスト」との「四半期決算の電話会議」の最後で、「アンドロイド携帯は機種によって操作が異なるから使いにくい」、「同じ理由でアンドロイドはソフトウェアが作りにくい」などの劣悪性を指摘し、「アンドロイドのプラットフォームはオープンで、アップルはクローズドだから、アンドロイドのほうがすぐれているという議論は、『顧客にとって何がベストかという問題の本質を隠すための煙幕』」だと批判した(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』158頁)。「アップルとグーグルの関係は、もはや口を開けば相手を罵る関係」になった(小川浩、林信行『アップルvs.グーグル』26頁)。

 2011年、アップルのiPad(ジョブズは2003年からiPadを作ろうとしており、2009年iPadの形が決まり、2010年4月初代iPadを発売)は、「DVDプレイヤーを抜いて、消費者向け電子機器として史上最大のヒット商品となった」(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』204頁)。

 同年4月、アップルは、サムソンの「GALAXYシリーズは、iPhoneとiPadの特許を侵害している」として、カリフォルニアのサンノゼ連邦裁判所に提訴した。2011年10月ジョブズ死去頃には、「アップルは世界最強の会社」となり、スマートフォンとタブレットだけで1億3400万台(世界のPCの37%)売った(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』253頁)。これを背景に、アップルは、「グーグルに対していっそう攻勢を強め」、「現在も、アンドロイド共同体のおもにサムソンとモトローラを相手取って、少なくとも7カ国で数十件の特許裁判を起こ」すことになる。2012年には、サンノゼ連邦裁判所は「サムソンに10億ドルの賠償金を課す」判決を出し、サムソンに控訴された(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』13頁)。なお、2012年に、グーグルは、国防総省DARPA長官(19代、2009−2012年)としてアメリカ政府のサイバーセキュリティ強化を推進したレジナ・デューガン(Regina E. Dugan )をグーグルのシニア・エギュゼクティブとして雇い入れてモトローラ担当にしたが(エリック・シュミット『第五の権力』185頁、2012年3月13日CNET Japan配信)、これはグーグル内でのコンピュータ・セキュリティ構築と同時に、こうした訴訟対策の必要があったからかもしれない。

 アンドロイドの活躍 グーグルが開発したアンドロイドは、「各メーカーがバラバラ」に開発していた「モバイルOSを標準化してグローバルレベルで広く普及させたという点で極めて画期的な技術であった」(雨宮寛二『アップル、アマゾン、グーグルのイノベーション戦略』137頁)。グーグルは、「検索サイトを中心とした自社サイトに多くの顧客を誘導できる」ように、「OSとして標準化されたアンドロイドのソースコード」を無償で開示した(雨宮寛二『アップル、アマゾン、グーグルのイノベーション戦略』138頁)のである。「一部の開発者はアンドロイドOSをタブレットパソコンや小型ノートパソコンのような大きなデバイスのプラットフォームと見なし始めた」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』363頁)。この点では、グーグルは大成功したのである。

 2010年、「iPhoneのようにクールで、しかもいくつかの点ではもっと使いやすいアンドロイド携帯が数機種出まわ」り、グーグルは、消費者が切望する「選択の自由」を提供できるようになった(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』173頁)。ルービンは「行く先々でアンドロイドを売り込」み、「話をせがまれ」、「メディアからインタビューの申し込みが殺到」した(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』174頁)。これに対して、ジョブズは、「(儲けをハードウェアに依存せずプラットフォーム育成を優先する)アンドロイドの勢いを留めなければ、(儲けを得るためにハードウェア販売を優先する)アップル全体の将来が危うくなる」と見て、グーグルへの憤りをあらわにし始め、「消費者のためにならないとアンドロイドをこきおろし、グーグルが発表した販売数やアクティベ―ション数を公然と疑問視した」(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』178頁)。

 実は、アップルの脅威の中心は、「グーグルのサーバー群をつないだ巨大ネットワークで毎日24時間動きつづける、何百万という顔のないマシン群(クラウド)}なのであった。これによって「アンドロイドの機器にコンテンツをダウンロードして楽しむ方法が増えた」(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』180−1頁)りするからである。

 2010年、アップル携帯はグーグル携帯に先行し、「すでに6000万台近いiPhpneを売り、20万件を超えるアプリが並ぶストアと、開発者に二年間で10億ドル以上が支払われるエコシステムを築いていた」が、アンドロイドの場合、まだ「アプリストアは整備不足で、ソフトウェア開発者がそこで利益を出すのはたいへん」であり、「エコシステムはとても盤石とはいえなかった」のである。しかし、「アンドロイド携帯はどのメーカーも作れたので、そのプラットフォームは爆発的に拡大し、2010年末にはiPhoneに匹敵するまでにな」り、「グーグルがアプリストアの問題を片づけるのもたんに時間の問題と思われ」、しかも「数年のうちに携帯電話からスマートフォンに切り換える人は世界中で莫大な数に達する」から「わざわざiPhoneから顧客を奪わなくても成功でき」たのである(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』182−3頁)。

 2011年シュミットは著者フレッドに、「ラリーもセルゲイも私もアンドロイドの戦略的価値は理解していたけれど、まさかこれほど戦略として成功するとは思っていなかった」(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』161頁)と語った。

 2011年8月、グーグルは、「スマートフォンに関連した特許」を目的に「アンドロイド端末のメーカー『モトローラ―・モビリティ』を125億ドルで買収」した。アップルと戦うには、「現代の携帯電話の生みの親で、あらゆる関連特許を持つ会社を所有している方がやりやすい」し、これでグーグルは「みずから端末を作って対抗できるようになった」(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』14−5頁)のである。因みに、1983年にモトローラが史上最初に売り出した携帯電話は、「ブリック(煉瓦)」(1.1kg、3500ドル)と呼ばれた(P.W.シンガー『ロボット兵士の戦争』149頁)。

 このモトローラが開発した、「ベライゾンで使えるアンドロイド搭載端末『ドロイド』の登場」が、 「アンドロイドの最大の突破口」となったのであり、「音声検索」「精度の高いGPS」なども搭載され、「ある面ではiPhoneを超えた」という声もでてきた(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』364頁)。グーグルは「強固なエコシステムの構築により、各プロセスでの標準化を果たすことで最終製品の完成度を向上させ、品質や性能面でアップルと互角に渡り合えるアンドロイド携帯を迅速に市場に提供できるようにな」り、「アンドロイドは今や7割に近いモバイルOSの市場シェアを獲得し、モバイル・プラットフォームでの独占的な地位を築きつつある」(雨宮寛二『アップル、アマゾン、グーグルのイノベーション戦略』139−140頁)。

 こうして、グーグルは、「オープンなアプローチを採」り、アンドロイドをオープンソースとすることで、モバイル市場でのオープン・プラットフォームを構築し」、「OSを公開することにより、グーグルはプラットフォーム上でのコントロール権を失ったが、代わりに自由度を高めることでエコシステムの成長と拡大を手に入れ」、オープンなシステムは、エコシステムにおけるリソース活用が可能となるため、システム全体の成長速度が増し、イノベーションの促進につなが」り、さらにグーグルは「自社以外の人材の能力をも引き出し」、ここに「エコシステムにおけるイノベーションを促しながらアンドロイド帝国を築き上げた」(雨宮寛二『アップル、アマゾン、グーグルのイノベーション戦略』8頁)のであった。

 これに対して、2012年9月、アップルは、「グーグル・マップを搭載したiPhoneの販売をやめ、代わりに自作のアプリを入れた」が、消費者からは「機能が劣る」と非難された。そこで、アップルは、「iPhoneのデフォルト(初期設定)検索エンジンをグーグルから仇敵のマイクロソフトに置き換えることにまで着手し」、「いまiPhoneの音声認識機能<Siri>を使うと、アップルの最新ソフトウェアはもはやグーグル検索に頼らず、10年にわたってグーグルの検索市場シェアに挑んできたマイクロソフトの<ビング>に問い合わせる」(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』13頁)事ができるようになった。アップルは、グーグルに対抗するために、共通の敵だったマイクロソフトに接近しだしたのである。

 そこで、グーグルは、アップルとの「共存」の落としどころを模索しはじめたかである。こういう経営戦略はシュミットが得意である。2012年、シュミットは、アップルとグーグルの異同・微妙関係について、@「アップルは閉じたシステムの最高のイノベーター」だが、グーグルはオープンシステムの方が「方策も、競争も、消費者の選択肢が増えるから」「すぐれたアプローチ」としている事、A「どんな不調和であれ、グーグルとアップルのあいだにメディアが吹聴するような衝突はな」く、「諍いはあっても、実際に両社で大きな取引をまとめて」おり、「決して爆弾を落とし合っているわけではない」と述べる(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』161−2頁)。

 IoTで先行するアップル では、グーグルとアップルノいずれが、スマホ市場の主導権を握るのであろうか。これに関して、「iPhone関連の仕事を6年間続けてきた1人のエンジニア」西原昭宏氏は、IoT(Intenet of Things)ではアップルがグーグルに先行しているとみる。

 IoTとは、「あらゆる物がインターネットを通じてつながることによって実現する新たなサービス、ビジネスモデル、またはそれを可能とする要素技術の総称」(『デジタル大辞泉』)であり、「ネット上からリアルの住宅や家電といったモノ、および人間の状態を把握し、ネットから働きかけを行うこと」(上原昭宏・山路達也『アップル、グーグルが神になる日』』光文社、2015年、109頁)である。そして、「家庭内の家電製品を統合して、自動的にコントロールしようという『ホームオートメーション』は、IoTが目指すマイルストーンの一つ」(上原昭宏・山路達也『アップル、グーグルが神になる日6頁)とされている。アップルは「実体はコンピュータメーカーではなく、インターネット上のプラットフォーム企業」であり、こうした「IoT市場において他の企業に対し圧倒的に先行している」(上原昭宏・山路達也『アップル、グーグルが神になる日』12頁)のである。

 そして、アップルは、ブルートゥースにBLE(Bluetooth Low Energy)を取り込んだことで「まったく新しい可能性を手に入れ」たという。2011年10月、アップルのスマートフォン「iPhone 4s」(「処理速度とカメラの解像度が向上」)という「IoTにとって大きな意味を持つ」BLE製品が発表された。アップルは、この「ブルートゥ―スをたんなる周辺機器をつなぐための無線通信規格だとは考え」ず、「低消費電力」であり、多用無数の機器殿接続を想定していて、こうしたBLEをブルートゥ―スに取り込んだことによって「IoTの基盤となる規格へと進化することが可能になった」(上原昭宏・山路達也『アップル、グーグルが神になる日』26−35頁)のである。

 それに対して、「世界のスマートフォン市場において圧倒的なシェアを占めているアンドロイド陣営は、BLEに関してはアップルの後塵を拝することにな」ったという(上原昭宏・山路達也『アップル、グーグルが神になる日』39頁)。iPhoneは、「史上最高の人気を誇る携帯電話になり、2012年だけでも1億3500万台を売り上げ」、「年収100億ドルを生み出し」、「きわめて利益率の高い新しいソフトウェア産業、すなわち『携帯アプリ』のプラットフォーム」になった(フレッド・ボーゲルスタイン、依田卓司訳『アップルVS.グーグル』新潮社、2013年、10頁)。2013年頃には、「アップルのiPhone、iPad、iPodタッチの合計売上は年間2億台を超え」「時価総額も利益率もこの惑星で最高クラスの企業になった」(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』11頁)。一方、グーグルは、2013年7月発売のアンドロイド4・3以降になって、漸く「OS自体が標準でBLEに対応するようになった」(上原昭宏・山路達也『アップル、グーグルが神になる日』39頁)。

 こうして、西原氏は、「アップルは他社に比べて3年程度のアドバンテージがあり、一般消費者を対象にしたIoTはアップルが主導していく」と見る(上原昭宏・山路達也『アップル、グーグルが神になる日』100頁)。「リアルとネットを融合するプラットフォームの構築を粛々と進めていることこそ、アップルの恐ろしさがあ」り、iPhoneなどは「ユーザーをiクラウドにつなぐための接点」であり、「極論すれば、アップルの事業の本質は『iクラウド』というクラウドサービスだけと言っていい」(上原昭宏・山路達也『アップル、グーグルが神になる日』101−2頁)とまでする。このようにアップルのアイフォンの「本質はハードウェアではなく、クラウド上のデータにある」のであるが、「アップルの収益の柱は、あくまでiPhoneやiPad、Macといったハードウェアの販売による売上」であり、「ソフトウェアやサービスによる売上は、事業全体の1割程度」にとどまっているのである。ユーザーは、「iPhoneというブランドには愛着があっても、iPhoneというハードウェア自体には未練はなく、躊躇なく買い替え」、「自分のアカウントとハードウェアを紐付ければ、即座にいつもの環境を再現できる」のである(上原昭宏・山路達也『アップル、グーグルが神になる日』155−7頁)。
 
 一方、「スマートフォン用OSの世界シェアを見ると、アンドロイドが8割以上と圧倒的」であり、「アップルのiPhoneやiPadで使われているiOSのシェアは1割程度でしか」ないが、「携帯電話端末業界の利益のうちほとんどをアップルが握っているという分析もあ」る(上原昭宏・山路達也『アップル、グーグルが神になる日』156頁)。しかも、グーグルがIoTではアップルの後塵を拝するとは言っても、AIではアップルのはるか前方を先行しているのである。こうしたことを過小評価してはなるまい。要するに、アップルとグーグルは、互いに一長一短の関係にあるということである。

 アップルとグーグルの対立と協調 2001年アップルが「iPod(携帯型デジタル音楽プレイヤー)を出せば」、アマゾンが「クラウドでデジタル音楽の配信に乗り出」し、2007年にアップルが「iPhoneを開発すれば」、グーグルが「アンドロイド形態で対抗」する。2010年、アップルが、「iPad(タブレット型コンピューター)を投入すれば」、アマゾンやグーグルが「キンドル・ファイアやアンドロイド・タブレットで追撃する」のである。このように革新的な製品やサービスでアップルが主導的な触発剤となっていて、競合企業がこれに「追随するという構図」(雨宮寛二『アップル、アマゾン、グーグルのイノベーション戦略』5頁)なのである。

 こうした中でアップルとグーグルの二強が頭角を現してきたわけである。だが、両社では、スマートフォン製造のビジネスモデルが異なっている。「グーグルのオープンソースとブラウザ中心主義」と、「アップルの自社OSと自社プラットフォームによるビジネスモデル」とは対立する(小川浩、林信行『アップルvs.グーグル』53頁)。つまり、グーグルは「アンドロイド携帯のソフトウェアだけを作り、ハードウェアの製造はサムスンなどの携帯電話メーカーにまかせている」が、「アップルはハードウェアもソフトウェアモ含めてiPhoneのすべてを作」(フレッド・ボーゲルスタイン、依田卓司訳『アップルVS.グーグル』新潮社、2013年、12頁)ることになるのである。この結果、グーグルのプラットフォームを使う端末は、「はるかに種類が多く、アップルに先行する最新機能を持」ち、「どちらの端末も世界中のおもだったキャリアで同じように利用可能」なために、アップル市場支配を突き崩しだした(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』12頁)。「携帯電話とタブレットの市場におけるアンドロイドのシェアは着実に伸び、スマートフォンでは75%、タブレットでは50%を超え」、2013年半ばには、「グーグルとアップルの携帯プラットフォーム戦争は、明らかにグーグルが優勢になっている」(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』280頁)。2015年、「日本ではiPhoneが人気を誇ってい」るが、「世界的に見るとAndoroid端末は最も多く使われているスマートフォンになってい」(神埼洋治『Pepperの衝撃! パーソナルロボットが変える社会とビジネス 』日経BP社、2015年5月、22頁)るのである。

 また、収益基盤も異なっている。グーグルは検索連動型広告で稼ぎ、アップルは機器販売で稼いでいたから、「2006年、2007年、2008年には、まだアップルとグーグルの一騎打ちになるのがはっきりしていなかった」(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』110頁)のである。2010年代後半には、「グーグルのビジネスモデルは検索サービスに連動した広告に加え、買収が正式に承認されたアドモブを使ったモバイル広告事業が柱になる」が、アップルの収益源は、ハードウェア販売、アプリ販売(iPhone、iPad、iPod touch)、映像・音楽コンテンツ販売(iTunes Store)、電子書籍販売(iBook)であるという相違を見せつつ、「PC(14億台)、携帯電話(40億台)、テレビ(8億台)、自動車(12億台)の4つのデバイス上でのコンピューテイングエリア」を奪い合うのである(小川浩、林信行『アップルvs.グーグル』63−4頁)。


 こうして、「iPhoneによって始まり、アンドロイドの動きで加速し、iPadが『革命』にまで拡大したメディアとテクノロジーの大変革」は、モバイル革命を勃発させ、アップルとグーグルの死闘をもたらした(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』257頁)。そして、アップルとグーグルの「死闘」によって、「現在のPCやMacもまた、重厚長大な過去のプロダクトとして、一般消費者からは敬遠されるような商品となるだろう」が、「パソコンはなくなる」わけではな」く、「ただ一般消費者用のコンピューテイングの主役の座からは降り、スマートフォンやiPadのようなタブレット型のモバイルガジェッドにその地位を受け渡す」(小川浩、林信行『アップルvs.グーグル』47頁)事になりつつある。

 こうした「死闘」の中で、アップルはグーグル攻勢にひるむことなく、むしろ売上高・純収益高ではグーグルを凌駕し続けた。つまり、アップルの売上高・純収益高は、2008年324億ドル・48億ドル、2009年429億ドル・82億ドル、2010年652億ドル・140億ドル、2011年1082億ドル・259億ドル(379億5百万ドル・97億ドル)、2012年1565億ドル・417億ドル(501億75百万ドル・107億ドル)、2013年1709億ドル・370億ドル(598億25百万ドル・129億ドル)、2014年1827億ドル・395億ドル(660億1百万ドル・144億ドル)と、2013年を除いて、増収・増益を持続し、グーグル以上の売上・収益(括弧内の数値)を維持している(「Apple(AAPL)- 世界最大の時価総額の企業へ」[2016年「みんなの米国株情報共有サイト]、トムソン・ロイター提供情報など)。しかも、アップルは、2011年8月9日、株式時価総額でエクソンモービルを抜き、世界で最も株式時価総額で大きい企業になり、その後エクソンモービルに一時的に巻き返されるものの、2012年に「圧倒的に世界一企業として君臨」(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』94頁)しだした。

 2012年8月28日にアップルがサムソンに勝訴すると、「アップル株価は66%上昇」し「会社の時価総額は6560億ドルに達して、アメリカ企業の歴代最高額を記録」した(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』216頁)。2015年3月19日には、アップルは、AT&Tに代わってNYダウ平均株価指数に組み入れられもした。ただし、この頂点が衰退の始まりという意見もあり(たとえば、"At 40,is Apple past its best years ?" ,The Japan Times,April 3,2016)、アップルも現状に甘んじていることは出来ない。実際、2016年2月1日の米株式市場時間外取引で、米アルファベット(旧グーグル)の株価が大幅上昇し、時価総額5540億ドルとなって、アップル時価総額約5340億ドルを抜きトップとなった(「米アルファベット、時価総額でアップル抜きトップに 〜 2016年2月2日ロイター)。

 こうした競合と軋轢の中で、この傑出した2企業アップルとグーグルは、「協調しながら世界を変え」(小川浩、林信行『アップルvs.グーグル』53−6頁)ると称しつつ、相互に優劣を繰り返しつつ、やがていずれかが主導権を掌握することになろう。確かに「モバイル・プラットフォーム戦争のなりゆき次第では、グーグルとアップルのエコシステム(IT企業の共存的・連繋的生態系)が長期的に共存し、どちらも大きな利益を得て、イノベーションがさらに進むかもしれない」という可能性もあるが、「近年の歴史を見れば、両社はそうならないという前提で闘うしかないだろう」(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』185頁)ということである。そして、アップルになくて、グーグルにあるものは、AIロボットであり、グーグルがこれでアップルを大きく引き離す可能性もなくはないのである。アップルなどとの競争について、ラリー・ペイジは、「グーグルに関する記事を読むと、どれもこれも、・・興味がわかない」ものであり、「いまここにない偉大なものを作るべき」だと、意味深な発言をしている(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』279頁)。エリックは、「運転手のいらない自動車、思考で制御するロボット動作、人工知能(AI)、現実の環境にデジタル情報を重ね合わせて視覚化する、完全一体型の『拡張現実』。このような技術進歩が、自然界をつくるさまざまな要素と組み合わさり、それらを強化していく」(エリック・シュミット『第五の権力 Googleには見えている未来』ダイヤモンド社、2014年、5頁)としている。単なる携帯の言及は一切ないのである。

                                  
                                  B 企業買収


 ここでは、上述のアンドロイド携帯、後述の人工知能、ロボット、自動運転以外の企業買収を取り上げよう。「買収した会社は五十社以上に上り、事業内容はブログ・サービス、写真の共有や編集プログラム、電子メール、地図、グーグル・アース、ウェブ・ブラウザ・・など多岐にわたる」(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』240頁)が、グーグルはこれらと根幹事業の検索と広告との関連を模索している事を確認しよう。

 検索基軸論 まず、グーグルでは、検索こそが事業根幹であるとされていたことを確認しておこう。

 ラリーとサーゲイは、常に「グーグルは検索の会社だと主張し」ていて、「パソコン用のアプリケーション、電子メール、携帯電話の基本ソフト(OS)、ブラウザ、だれもが自由に書き込みできるネット上の情報サイト(ノル)、ソーシャル・ネットワーク、写真編集サイトといったものが、すべて”検索”という範疇に入る」としていた(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』217−8頁)。グーグル経営陣は「事業の基本が検索であることは変わらない」と言い張るが、「グーグルの提供するサービスの数が増え続ける」のである(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』229頁)。時には「ブリンをはじめグーグルの幹部たちは、グーグルが『検索だけの会社』と言われることをひどく気にしてい」て、「グーグルは自分たちの取り組みをもっと広い視点で見てほしいと考えていた」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』380頁)事もあるのである。

 グーグルの「70対20対10の割合でのリソース配分」最適論でも、「リソースの70%を検索エンジンや検索連動型広告と言ったコアビジネス」、「20%を成功まぢかの成長プロジェクト」、「10%を失敗のリスクは高いものの成功すれば大きなリターンが期待できる新規プロジェクト」(雨宮寛二『アップル、アマゾン、グーグルのイノベーション戦略』154頁)にそれぞれ充てると、検索基軸論を打ち出しているのである。「今日までにグーグルのイノベーション展開が成功している」のは、「多大なリスクを伴う新規プロジェクトに投資し過ぎ」ず、「多少配分という10%のさじ加減が奏功しているから」であると言われる。「新規プロジェクトへの適正配分を10%に制限することで、グーグルは健全なる意思決定とリソース不足を創意工夫で補う術を手に入れた」(雨宮寛二『アップル、アマゾン、グーグルのイノベーション戦略』154頁)とも言えるのである。

 1999年6月までのウェブサイトには「ウェブ上で質の高い情報を見つけやすくする」といった方針が表明されていた。2004年IPO目論見書には、社是として「世界に貢献する偉業を成し遂げる」を掲げ、「優れた検索手段」で世界に貢献できると考えていた。ラリーとサーゲイはウォール街に、「世界中の情報を検索したり、整理したりすることは、まれにみる重要な仕事である。信頼に値し、公益性の強い企業こそ担うべきものである」と表明した(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』94−5頁)。

 2007年頃、「毎日、何十億もの人々がその検索エンジンを使」い、「ミリ秒単位で的確な検索結果を表示するグーグルの驚異的な性能は、世界が情報を取得する方法を変えてしま」い、「サイト内の広告をクリックした人々はグーグルにケタ外れの高収益をもたらし、創業者たちを億万長者にした」(スティーブン・レヴィ、伊達志ら訳『グーグル ネット覇者の真実』13頁)のであった。

 マップ企業買収 2004年に、グーグルは、マップのために、ZipDash(GPS機能で「道路の渋滞状況を携帯電話の画面上に表示する技術」をもつ)、Where2(ウッブマッピング技術をもつ)、Keyhole(「衛星や航空機などで撮影した画像に加え、道路地図情報、建物や企業情報など)を買収する(雨宮寛二『アップル、アマゾン、グーグルのイノベーション戦略』147頁)。

 これは道路・建物・企業などの地図検索とも言えるものであり、人工知能による自動運転で重要な役割を発揮することになる。

 ピカサ買収 2004年にピカサ(Picasa、「写真を自由に編集・操作できる写真共有サイト」)を買収した。Picasa買収は、Googleの画像検索サービス「Googleイメージ」への布石であり、ブログへの画像アップロードへの流れに対応する、Bloggerの画像投稿系機能強化という意図に基づくものでもあった。 GoogleのエッセンスをPicasa に投入した「Picasa 2」は、すべての画像の保存場所が自動的に検索され、整理される。

 これもまた、画像検索という検索機能に関わっていた、

 広告会社買収 2006年には、グーグルは、「新規分野への進出、メディアとの提携、大型買収など様々な手を打って事業を拡大していった」(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』117頁)。

 ここでは広告企業の買収をみておけば、同年1月ラジオ広告会社「ディ―マーク」(、dMarc Broadcasting)を1億200万ドルで買収し、8月にはグーグルがマイスペース(世界最大のソーシャル・ネットワーキング・システム)と提携し、ヤフーに代わって「3年間独占的にネット広告を掲載する権利を得た」(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』118頁)。2007年4月には衛星放送大手のエコスター・コミュニケーションズと提携し、「テレビ広告の仲介事業に乗り出した」(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』118頁)。

 こうして、グーグルは、「従来のテキスト広告(テキスト広告の多くは、HTMLのリンク機能によって広告主のWebサイトへのリンクが設定)に加え、テレビ、ラジオ、新聞という主要なメディア向けの広告を網羅する体勢を築き上げた」(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』117−8頁)のである。

 2007年4月、グーグルはバナー広告会社ダブルクリックを31億ドルで買収し、「グーグルの優位はさらに強固になった」が、規制当局からは、「ネット検索と広告の市場で圧倒的なシェアを獲得」した独占企業と見られ始めた(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』142頁)。特に「ワシントンと欧州連合(EU)の反トラスト規制機関」(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』80頁)が強い関心を示し始めた。ベライゾン(電気通信事業者)の元CEOイワン・サイデンバーグもジャーナリストのケン・オーレッタに、「グーグルのアンドロイドのビジョンは、すべてのPCのOSを所有しようというマイクロソフトのビジョンと同じ、つまりプラットフォームの独占だ」と批判し、「私のような人間は、プラットフォームと機器がきちんとキャリアに分配されるようにしたい」とした(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』80頁)。

 2008年株主総会で、サーゲイは、「検索連動広告という狭い市場」だけを見るべきではなく、はるかに大きい広告市場全体を見るべきだと主張した。ラリー、サーゲイ、シュミットは、「出版、ラジオ、テレビ、そして携帯電話への広告への参入」をねらいだした(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来 』142−3頁)。

 クロームのユーザー数は順調に増え続け、「2010年末までには1億2000万人を突破」した。グーグルは、「グーグルドキュメントをはじめとする無数のサービスの登場で、もはやユーザーがウェブ上でできないことはほとんどないと考えるようになった」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』331頁)のである。

 Gメール 2006年10月、「グーグルは、Gメールやホームページ運営、個人の予定表を打ち込むグーグル・カレンダー、ワープロと表計算サービス、音声・チャットサービスのグーグル・トークなど、すべてのサービスとデータ保存用のデータセンターの記憶スペースを企業や学校向けに『丸ごと』貸し出すサービス(グーグル・アップ・サービス)を始め」(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』249頁)た。

 Gメールサービスでは、「1ギガバイトという、巨大なデータを無料で預けられ、素早い検索と、いつでもどこでも使えるメールサービスということを売り文句にスタートした」が、メール内容を自動解析して「それに合わせた広告を表示」したため、プライバシー問題で議論が起こった(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』204−5頁)。ペイジとブリンにとって、「メールも検索の問題の一部」だったので、ブックハイト推進のメールサービスは「興奮」を覚えるものだった 。「当時最も利用者が多いメールソフトはマイクロソフトのアウトルックだったが、その検索機能はあまりにも操作が面倒で反応も遅いので実際にはほとんど利用されていない有様」で、「グーグルにも食い込む余地があった」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』262頁)のである 。

 グーグル社員ブックハイト(1999年入社、23番目の社員)は、「メールのページ上には、グーグルの検索結果ページに掲載されているのと同じタイプの広告を表示させることが可能」だとした。しかし。「多くのグーグル社員はメールに広告を入れるという案をひどく嫌がった」 が、あくまで「ブリンとペイジは、これはクールで約に立つ機能だと考えた」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』263−4頁)。

 このように、メールでも、グーグルは検索と広告表示を検討しているのである。後に「Gメールは、全世界で5億人近くが使うサービスにまで成長」(ジョージ・ビーム編、林信行監訳『Google Boys』三笠書房、2014年、41頁)する。

 ユーチューブ買収 2006年10月、16億5千万ドルでユーチューブ(2005年2月創業)を買収した。ユーチューブは「投稿した動画がすぐに公開」される点で大成功していて(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』120頁)、「ユーザーが自分で撮影したホームビデオ、録画してテレビ番組、コマーシャルなど、おもしろいと思った動画を何でも投稿するサイト」(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』230頁)であった。

 ただし、ここは著作権問題を抱えていた。著作権問題があるのを承知でユーチューブを買収したのは、@「ビジネスの規模が非常に大きく、広告ビジネスの拡大に役立つこと」、A「検索の質を高めるのに大きく貢献する」事からである(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来 二人の天才経営者は何をめざしていつのか?』232頁)。「今後検索は、ますます複雑になり、三次元化し」、「画像、音声、音楽を網羅し、時間と空間を超えるような検索」が求められるとしていた(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来 二人の天才経営者は何をめざしていつのか?』232頁)。

 そして、グーグルCEOのシュミットは、これは「インターネット映像革命の幕開け」であり、「ビデオがインターネットで最も重要なメディアの一つになる」と見通した。シュミットは、「ユーチューブのモデルこそ、インターネットの特性を最大限に活かしたもの」(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』120頁)だ主張とした。

 これに対して、NBCユニヴァーサルなどの伝統的メディアは無料で動画配信すると発表し、これにマイクロソフトやヤフーが合流し、インターネット動画配信サービスをめぐって主導権争いが生じる(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』122頁)。エリックは「ユーチューブは、ビデオやデジタルカメラで撮影した作品を載せる世界で最も人気のアルサイト」であり、「我々のターゲット広告をおびただしい数のビデオに組み入れることができ」れば「大きなビジネスに発展する」と見た(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』128−9頁)。

 実際、ユーチューブは、「古い動画や新しい動画」の包蔵、「プロによって作成された膨大な量の動画」の蓄積、「大量に短い動画」の集積などで、「ほかに類のない無敵のサイト」に成長した。そして、「ユーチューブはグーグル検索のビデオ版」になりつつある(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』390頁)。「ユーチューブはグーグルの検索エンジンほど巨大な影響力をもつことはなかったかもしれないが、国内に限らず世界中に大きなインパクトをもたらし」、「安価なビデオカメラとビデオ撮影機能つき携帯機器の普及で、誰でも簡単にユーチューブに動画を投稿できるようになった」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』403頁)のである。こうして、ユーチューブは、「グーグルの次に世界で最もポピュラーな検索エンジンとなっていた」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』404頁)とも言われた。

 2008年2月、シュミットはチャド・ハーリーに、「そろそろユーチューブの収益化について真剣に考えなくてはならない」と告げた(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』418頁)。


                                     C 検索事業の展開

 検索技術の向上 グーグルは検索技術を磨き続けた。つまり、グーグルは、@「インターネットの普及とともに、ウェブ上のデジタルコンテンツが指数関数的に増えていくのに伴い、グーグルは『ユニバーサル検索』(「複数の異なる種類のデジタルコンテンツを混在させて表示するサービス」)という新たな検索サービスを開発」し、A「検索した人物、場所、物事に合わせて、それらに関連する情報をアルゴリズムにより簡潔にまとめて、検索結果ページの右上部分に表示する『ナレッジグラフ(Knowledge Graph)』機能を新たに検索エンジンに追加」し(ただし、広告量が減少して「グーグルの収益には多少マイナスの影響を与え」たが)、B「検索者がエンターキーを押す前に、さらには検索語を入力しているうちに検索結果を表示」するという「グーグル・インスタント」を開発し、C「検索者が入力しようとしている検索語を予測し、いくつかの案をドロップ・ダウンメニューに表示」する「グーグル・サジェスト」を開発した(雨宮寛二『アップル、アマゾン、グーグルのイノベーション戦略』130−2頁)。

 そして、グーグルにとって広告クリック・スル―レート(click through rate、クリック率)を高めることが利益増加の観点より重要になり、ここに「ターゲッティング広告の精度を向上させること」が最重要になり、「グーグルは、検索者の関心を特定化するデータを絞り込むことでターゲッティング広告の精度を高め、広告配信アルゴリズムを駆使しながら、検索連動型広告の質を高め続けている」(雨宮寛二『アップル、アマゾン、グーグルのイノベーション戦略』142頁)。

 さらに、グーグルは、「機械学習システムをベースに、検索者がクリックしたすべてのデータを分析し、その結果を基にして広告のいかなる要素がどのような影響を及ぼすかを予測」するという新予測システムを開発した(雨宮寛二『アップル、アマゾン、グーグルのイノベーション戦略』143頁)。

 世界最大の検索研究集団 現在、グーグル は、「検索問題を解決することだけに焦点を置いた世界最大級の研究グループを有」し、「複雑な問題も反復に反復を重ねて解決し、既に膨大なユーザーが情報をすばやくシームレスに検索できているサービスに対しても、絶え間ない改善を続け」、さらに「検索分野で培った技術は、Gmail、Google マップ(後述)などの新しいサービスにも応用され」、「他の分野でも検索技術を活用することで、ユーザーが生活のあらゆる面においてさまざまな情報にアクセスして利用できるよう努力を続けて」いるという(グーグルHP)。

 後述のように多角的展開を遂げても、グーグルは検索技術を根幹に据え続ける姿勢を堅持していたのである。それは、グーグルが多角化しても、二人は「グーグルを完全に支配し」、「”世界のあらゆる情報を整理し、利用できるようにする”という会社の使命に、伝道師のような情熱を持って取り組」(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』49頁)み、主要利益源は検索であったからであろう。

 無比の検索収益性 こうした「検索連動型広告の質の向上」は、「広告主との交渉でより有利な条件提示をグーグルに可能にしたことから、ヤフーやマイクロソフトといった競合企業の追随を許すものではなかった」(雨宮寛二『アップル、アマゾン、グーグルのイノベーション戦略』143頁)。

 「カネを稼ぐ方法をあれこれ模索した結果、二人はかつてないほど収益性の高い広告ビジネスの手法に行き当たった」(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』16頁)のである。「検索でもネット広告でも、まともな競争相手がいない中、ラリーとサーゲイはネット広告市場で確実に独占状態を作り上げていった」(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』16頁)。

 その結果、「最初にインターネットをデザインした人々」は「研究成果やアイデア、ソフトウェア・プログラムなどを、すべて無償で共有するためにインターネットを使」う「オープンソース運動の支持者」であったが、「ラリーとサーゲイは巨大企業を生み出したことによって、ひたむきなオープンソース運動とは一線を画すようにな」り、純粋なインターネット主義者からは「二人が様々な特許を申請し、自らの利益のためにインターネットを悪用している」とか「インターネットを支配する巨大企業や危険な独占状態を作り出している」とか批判された(リチャード・ブラント『グーグルが描く未来』48−9頁)。


                                       D 飛躍的「成長」と問題 

 以上の検索事業で、グーグルのグーグルの売り上げは、1999年20万ドル、2000年1900万ドル、2002年4億4千万ドル、2003年15億ドルとなり、「世界の検索クエリーの80%を集めるまでになった」(リチャード・ブラント、土方奈美訳『グーグルが描く未来』15頁)。そして、「1兆円を超える広告収入をもとにグーグルが矢継ぎ早に提供する無料サービスは、既存のビジネスの枠組みを大きく変えつつある」(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』NHK出版、2007年、3頁)のである。以下、ここでは、逐年ごとに売上・利益などの数量的実態を中心に考察し、次いで、項を改めて、それを踏まえてAI(人工知能)を基軸視座に据えてグーグル「成長」の質的実態を肉付けしてゆこう。

 2007年 2007年1月収支決算、売上106億492万ドル、前年比73%増、時価総額18兆円でIBM、インテルを抜き去った(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』22頁)。

 日本では、2006年3月時点で、「グーグルの利用率は35%」、「首位のヤフー」の利用率は65%であり、グーグルに取って日本は「先進国で唯一攻略できていない市場」であった(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』222頁)。

 2008年 2008年には、「新しいオープンソース・ブラウザ」Google Chromeを発表した。2011年、「実世界における共有のニュアンスと豊かさをウェブに取り込」み、「人、その関係、各自の関心事を取り入れる」という「Google+ プロジェクト」を発表した(以上、グーグルHPに依拠)。

 2008年9月にリーマン・ブラザーズが破綻し、リーマン・ショックで世界経済は沈滞することになった。10月、グーグルは第3四半期収支報告を公開した。これによると、収益は54億ドル(ウォール街が見るトラフィック獲得コスト差引後の数字は40億ドル])、利益は13億ドルだった。この報告会で、グーグルCEOのエリックは、@「Googleにとって良い四半期」で「トラフィック(時間当たりの通信量)、収益ともに好調で」、「検索トラフィックはほぼ全分野にわたって成長してい」て、A「マーケティング予算が引き締められるなかで、ターゲット可能な広告が広告主にとってさらに重要にな」り、「消費者も財布のひもを締め、ネットでも店頭でもお買い得品を見つけるために、ウェブを使って価格比べをしてい」て、B「ほんのひと月前と比べても経済状況が悪化していることは明らかで」、「金融危機は経済全般に影響を及ぼし始め」、「私たちは未知の領域にい」て、こういう時こそ「長期的視野に立って経営」することが「これまでになく重要になって」いるとする(Erick Schonfeld「ライブブログ:Google第3四半期収支報告」[2008年10月17日付Tech Crunch])。

 そして、エリックは、@「検索は、Googleの中核であり、投資の大部分を占め」、「検索の改善、広告の改善、インデックスの拡大、パーソナル化の強化。できるだけ多くの検索に対するさらに関連性の高い広告。ツールの強化。そして、検索と広告に加えて、ターゲティングの強化によってアプリやディスプレイ広告にも機会が生まれ」、A「Doubleclickは非常に好調で」「YouTubeはコンテンツ識別ツールを使って、パートナーの90%に広告を出し」、「モバイル、ジオターゲット広告にも大きなチャンスがあり」、B「Googleにとって焦点を絞る大きなチャンスだと考えてい」るとした(Erick Schonfeld「ライブブログ:Google第3四半期収支報告」[2008年10月17日付Tech Crunch])。グーグルは、リーマン危機克服の方向に舵を切った。

 2009年 2009年10月、ニュ−ヨークでのメディア懇談会で、シュミットは、「少なくともグーグルについては経済的な停滞局面は終結した」とし、「社員の採用活動を再開し、中小企業から大企業に至るまで、企業買収のペースを速めるだろう」とした(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』426頁)。

 2009年11月「ウェブ2・0サミット」で、司会者はブリンに、「グーグルが開発した多種多様な製品や進行中のプロジェクトを列挙して」、「すべて成功を収めることは可能だと思いますか」と問われるくらい(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』379頁)、グーグルは多様な展開をとげていた。

 こうした「グーグルの拡大路線」は「グーグルの多種多様なサービスのごく一部にすぎ」ず、「あまりにも頻繁に新サービスを打ち出すので、記者たちにそのすべてをフォローするのは不可能なほどであ」った(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』384−5頁)。凄いスピードで次々と新サービスを提供したので、ブリンとペイジは、「あまりにも多くの敵を作りすぎではないか」と尋ねられと、「自分たちの決定基準は収益でも、広告主でも、或いは社員ですらない(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』385頁)」と答えた。言うまでもなく、ユーザー・メリットの増大こそが決定基準であったと言いたいのであろう。

 こうした好調を反映して、2009年第4四半期の収支は、アナリストたちの一致した予想を大きく上回って、「収益は17%増の67億ドル、非会計基準利益(新興株では、正式なGAAP決算では赤字になりやすいので、ストックオプションなどの経費や一時的な経費を除外したAdjusted Earning をNon-GAAPの決算データとして追加開示している)は35%増の22億ドル」だった。年間収益は236億5000万ドルで、2008年の218億ドルを上回った。2009年度の純益は65億ドルだった。

 Googleの同四半期収益の内訳は、66%(44億ドル])が自社サイト、31%(20億ドル)が広告ネットワーク経由のAdSenseによるもので、Google自社サイトにおける広告収益が16%増、AdSenseによる収益の伸びは21%である。残りの3%はライセンシング他の事業による。広告の有料クリックは対前年比13%増、2009年第3四半期からも9%増えている。クリック単価は前年比5%増、前期比2%増である(Google CEOエリック・シュミット「『次の巨大ビジネスはディスプレイ広告』、モバイルも成長中」[2010年1月22日Tech Crunch])。
 
 2010年 2010年1月以降、前述の通り、グーグルトアップルの対立は険悪になって行く。

 2010年代、「アンドロイド携帯の販売台数は1日20万台」に達し、「存在感を増」し、アップルはアンドロイド携帯が「特許権を侵害している」と訴えた。数日後、グーグルはアンドロイドにマルチタッチ機能(ピンチ、ストレッチ)を装備すると発表した。アップルのジョブズは、「グーグルの実態はペテンそのもの」と言いだした(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』377−8頁)。

 2010年10月、グーグルは第3四半期の収支を発表し、収益は23%増の73億ドルへと急上昇し、純利益は18%増の22億ドルとなった。有償クリック数は年ベースで16%増、クリック単価は3%増だった。同期の検索以外の収益(エンタープライズ向けGoogle Appsを含む)は2億5400万ドルと、前年同期を35%上回ったが、第2四半期の2億5600万ドルからはわずかに減少した(Erick Schonfeld「Google、第3四半期収益23%増」[2010年10月15日Tech Crunch])。

 一方、グーグルは週20億回のビデオビューに広告を掲載して、DoubleClickのディスプレイ広告、YouTube広告を含む非テキスト検索の推定年間収益は25億ドルだった。また、モバイル検索も順調で今年は10億ドルビジネスを目指して進行中と言われだした(Erick Schonfeld「Google、第3四半期収益23%増」[2010年10月15日Tech Crunch])。アップルのジョブズがグーグルを非難しはじめたのは、故なきことではなかった。

 この年にはフェイスブックが現われ、後述のように、グーグルは転換期を迎えたと捉え始める。

 2011年 2011年1月20日第4四半期決算報告書で、4月にシュミットが会長になり、ペイジがCEOになると発表した(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』616頁)。

 2011年7月、グーグルは2011年Q2の収支を公表し、「アナリストの予測」約86億ドルを上回り、「検索の巨人はやや低迷したQ1」から、四半期収益の新記録とも言うべき90億3千万ドルの収益を上げ、「本来のペースを取り戻した」ようだ。

 しかし、「すべてがバラ色」というわけではなく「重要な有償クリック数は前年比18%増だったが、前四半期からは2%〈下落〉し」、「クリック単価は前年比、前四半期比共に上昇し」ている( MG Siegler「Google、第2四半期に復調。収益90億ドル超でウォール街の予測を一蹴」[2011年7月15日Tech Crunch])。ただし、グーグルの資金は豊富であり、2011年6月30日現在、「Googleの預金残高(現金、現金相当物、有価証券)は391億ドル」で、「第2四半期のキャッシュフローは35億2000万ドル」もあった。

 12月、「Android マーケットでのアプリのダウンロード数が、1 か月あたり10億の増加率で、100億を超え」た(グーグルHP「会社情報」)。

 2012年 年初に、グーグルのモバイル収益の急増が予測されだした。

 2012年1月、エリック・ショーンフェルト(テック・クランチ共同創業者)は、「Googleはモバイル広告」を予測し、ジム・フライドランドの数値(Cowenのアナリスト)の予測、つまり、「Googleの総収益に占める割合に関してFriedlandは、モバイルは2010年の3%から昨年7%に増えており、2012年には再び倍増して13%になると推測し」、「2016年までにモバイルは200億ドルのビジネスとなり、Googleの総収益の26%を占める」という凄い予測は、「やや強気と言えるが、大きくは外れていない」とする(Erick Schonfeld「Googleの2012年モバイル広告収益は58億ドルへと急増する」[2012年1月23日Tech Crunch])。

 2012年1月「Googleの最新収支報告」で、ページは「全ディスプレイ広告(モバイルを含む)の収益が年間換算50億ドルになったこと」を明らかにした。エリック・ショーンフェルトは、「モバイルだけで50億ドルを達成できる」かどうかは「今年どれだけスマートフォンとタブレットが売れるかによ」り、「もし実際に、スマートモバイル機器のアクティブ台数が5.09億台から9.14億台に増えるとすれば、それは膨大な増加でありモバイル広告収益を飛躍的に押し上げる可能性がある」とする。そして、グーグルのモバイル広告収益については、「今年Googleはスマートフォンユーザー1人当たり、1ドル増しの8ドルの収益を上げる」(Friedland)とみている(Erick Schonfeld「Googleの2012年モバイル広告収益は58億ドルへと急増する」[2012年1月23日Tech Crunch])。

 iPhone5発売前の2012年第三・四半期、、「アンドロイドを搭載するサムスン電子の<ギャラクシー>の販売台数が、アップルのiPhoneを上回った」(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』11頁)。

 こうしたモバイルへの期待をこめて、グーグルは、2012年8月にモトローラ社(Motorola Mobility)をグーグル史上の最高額で買収した。

 2013年 2013年度Q1決算報告によると、「検索の巨人は売上140億ドル(対前年比31%増)、非GAAP利益(非会計基準利益)1株当たり11.58ドル、純利益33.5億ドル」だった。これは、「概ね順調な結果と言えるが、予測に対してという意味では悲喜こもごも」だった。Bloomberg Businessweekが調査した多数のアナリストの意見では、「Googleは売上143億ドル、利益10.70ドル/株との予測だった」から、「Googleは利益では上回ったものの売上ではウォール街の期待に沿えなかった」ことになる。

 一方、モトローラに関しては、「前年度の第4四半期、この高く買ったハードウェア会社の売上は15.1億ドル(Googleの連結売上の約11%に相当)だったが」、「今回Motorola Mobilityの売上はわずか10.2億ドル」と、「過去数ヵ月間同社の携帯電話の出荷が明らかに減少していた」。それでも、グーグル会長エリックは、先週の「D: Dive Into Mobileカンファレンス」で、「次期スマートフォン製品ラインは「画期的」である」と発表し、できる限りMotorolaを盛り立てていた(Chris Velazco「Googleの2013年Q1決算は悲喜半ば:売上31%増の140億ドル、純利益は33.5億ドル」[2013年4月19日Tec Crunch])。

 また、2013年、グーグルは、米バイオ医薬品企業ジェネンテックの元幹部アート・レビンソン氏とともに、「老化を食い止める」ために「アンチ・エイジングや加齢にともなう疾患予防に取り組む」カリコを設立した(ジョージ・ビーム『Google Boys』209頁)。ラリー・ペイジは、この事業が「実現するまでに、一年ーもしかしたら二十年かかるかもしれない」が、「本当の意味で重要なものを目指すべき」とする(ジョージ・ビーム『Google Boys』220頁)。

 9月には、「Android を搭載した端末が10億台を突破」した(グーグルHP「会社情報」)。人工知能については後述するが、ここでその重要動向の片鱗を軽く触れておくならば、この頃から、グーグルはディ―プマインドという人工知能企業の買収に着手したり、年末には、突如ロボット企業7社を買収して社会を驚嘆させた。

 2014年 2014年3月、ガ―トナー(ICTアドバイザリ企業)は、「Android は力強く、コンピューティング・デバイス市場を貫く道を切り拓き、デスクトップからモバイルへのシフトを例証し続け」、「来年までには、Windowsコンピュータが1台売られる間に、3.6台のAndroid デバイスが買われていくという状況が予測される」という楽観的見通しを打ち出した。同社は、「2015年の時点で、26億台のコンピューター/タブレット/スマホが販売されるが、そのうちの13億台を Android が占めると予測」したのである。そして、Agile Catは、「この数年、世界で販売されるスマホの大部分を占めてきたAndroid だが、昨年はタブレットの市場でも iOS を追い抜」き、かつ「従来からのPCが不振に陥っていることを合わせて考えれば、Gartnerの示す数字が固いとする理由も見えてくる」し、「最初は小さかったコンピューティング・シフトのさざ波が、Microsoft を叩き潰すほどの大きな波になっているのも簡単に理解できる」(Gartner「2015年の Android は、Windows の4倍の勢力に成長する」[2014年付4月4日「Agile Catー in the cloud」])とした。

 2014年7月、グーグルの2014年Q2収支が発表された。 その内容は、予想に対して、「最終損益では下回り(予測の $6.25に対して $6.08)、売上では上回るというものであった(予測値である $12.32billion に対して、$12.67billion )」(「Google の 2014 Q2 収支報告:モバイル・ベースの薄利多売に投資家たちは OK サイン! 」[2014年7月20日付「Agile Cat ? in the cloud」<クラウド情報ブログ>] )。

 この純益微減・売上微増は、@「Paid Clicks が、2013年Q2に対して約25% の増加となり、また、2014年Q1に対しては約2% の増加であり」、ACost Per Click(CPC、クリック課金型の広告) は、前年比で6% の減少となるが、前年比が9% ダウンだった2014年Q1と比べると、若干の増加である事」などによっている。つまり、この数字が示すのは、「Google のビジネスにとって、モバイル・アドが大きなパートを占めるようになり、また、デスクトップ・アドから大きな利益を挙げられないという状況」であり、モバイル・アドの収益力がまだデスクトップ・アドの低収益を相殺できないでいるのである。このような状況で、グーグルはドローン企業であるSkybox Imagingなどの買収を行っている。ここでは、まさに黒字構造の中での利益圧迫要因が語れらていたのである。

 2014年10月には、グーグルは年第3四半期の決算を発表し、ここでは売上が予想を下回ってしまった。つまり、「連結売上高が165.2億ドル(前年同期比20%増)、広告クリック数は増加(前年同期比17%増)、クリック単価は減少(前年同期比2%減)」とし、「売上高が市場予想(166億ドル)を下回る結果であったため、株価が約3%下落」した。売上165億ドルの内訳は、「Google傘下のWebサイトによる売上高が112.5億ドル(前年同期比20%増)、「パートナーサイトによる売上高」が34.3億ドル(前年同期比9%増)、「その他(クラウドサービスやAndroidなど)による売上高」が18.4億ドル(前年同期比50%増)と、増収基調であるが、市場予想を下回ったのである。

 幹部オミッド・コルデスタニ(Omid Kordestani、セールスチーム責任者)は、@「DoubleClick Bid Managerのインプレッションがこの1年で2倍」に増加し、A「YouTubeの広告サービスであるGoogle Preferredチャンネル(YouTube人気コンテンツ作成者上位5%のチャンネルに広告出稿)の米国年内在庫が完売などを明らかにした(GlobalAdtech編集部「GoogleのQ3は売上20%UPも予想を下回る結果に。注目はDoubleClick、Google Preferred、モバイル広告だ!」[2014年10月22日])。

 2015年 アップルは着々とグーグル追撃の政策を具体化させていった。

 2015年1月には、アップルは2015年第1四半期の収支を発表し、「売上746億ドル、純利益は180億ドル、1株当たり3.06ドル」と、「企業の四半期売上として史上最高であり、Gazprom(ロシアの世界一の天然ガス企業)、Royal Dutch Shell(世界第2位の石油企業)、およびExxonMobil(世界第一位の石油企業)を上回」り、「前年同期と比較すると、売上は29.5%増、EPS(7対1分割調整後)は47.8増」となった。これは、「常軌を逸した成長」というべきであり、「クレイジーな四半期売上」というべきであった。アップルCEOのティム・クック(Tim Coo)kは、「本四半期は、新規iPhoneユーザーが史上最大数を記録し、AndroidからiPhoneへの乗り換え率も最高だった」と語った(Romain Dillet「Apple、2015年Q1の売上746億ドルは全企業の四半期売上史上最高」[2015年1月28日Ted Crunch])。グーグルのアンドロイドはアップルの攻勢で劣勢に追いやられている。

 グーグル売上高・純益高は、379億5百万ドル・97億ドル(2011年)、501億75百万ドル・107億ドル(2012年)、598億25百万ドル・129億ドル(2013年)、660億1百万ドル・144億ドル(2014年)、749億89百万ドル・158億ドル(2015年)と、検索・広告という業績安定性のあるビジネスモデルを土台にしながら、増収増益を続けているが、株式公開以来無配である(トムソン・ロイター提供、楽天証券企業情報など)。

 しかし、ラリー・ペイジは、「コンピュータはどんどんモバイル(スマートフォン)に移行している。僕は自分の横にコンピュータがあってもモバイルを使うようになるだろう」(ジョージ・ビーム編、林信行監訳『Google Boys』三笠書房、2014年、42頁)とする。実際、グーグルの独自調査結果によると、2013年時点で、「世界のインターネット人口は二十億人」だが、それが2015年までに「さらに5億人増え」、「そのほとんどはパソコンではなく、スマートフォンがインターネット初体験」の人々だった(ジョージ・ビーム編、林信行監訳『Google Boys』三笠書房、2014年、45頁)。

 グーグルは、現在のオフィシャル・ウェブサイトで、「世の中はますますモバイル化」し、「どこにいても、必要になったらすぐその場で情報が欲しいはず」であり、「グーグルはどこより早く新技術を開発し、モバイルサービスに対応した新しい解決手段を提供」するとしている(ジョージ・ビーム『Google Boys』192頁)。

 一方、通年のアップル、マイクロソフト2015年度売上・純収益を見ると、2349億・537億ドル、880億ドル・114億ドルであり、両社の2016年度予想売上・純純収益は、2275億ドル・497億ドル、925億ドル・219億ドルであり、グーグルは、アップル、マイクロソフトとの競争が激化して、売上・収益(2016年度予想は、873億ドル・241億ドル)で少なくともアップルには優位を保つことはできないのである(トムソン・ロイター提供、楽天証券企業情報など)。アップルは、新型iPhoneを続々と出して、その売上高の増加で、株式時価総額でも、グーグル(5229億ドル)、マイクロソフト(4395億ドル)を抜いて、6098億ドルと世界一となっている。



                                3 人工知能会社として「飛躍」企図

                                     @ グーグル転換期  

 歴史的転換期 フェイスブック登場で「人間志向のインターネット(つまりソーシャルメディア)への『大転換』が起きており、グーグルは明らかにそれに対する備えができていなかった」ので、2010年3月、グーグル上級副社長兼フェローのウルス・ヘルツル(Urs Holzle)は、「グーグルは歴史的な岐路に立たされている」と警鐘を鳴らした(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』607頁)。

 2010年、これに応じて、「ソーシャルネットワークチームの最高司令部」が設置され、エメラルド・シーというプロジェクトが打ち出された。しかし、「グーグルがエメラルド・シーの開発に数カ月を費やしている間にも、フェイスブックは急速に成長し、ますます脅威と化し」、「フェイスブックはグーグルから優秀な人材を吸い取り続け、マーク・ザッカ―バーグはタイム誌の2010年の『今年の人』に選ばれ、フェイスブックの市場価値は推定500億ドルと評価された」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』608−610頁)。

 「シリコンバレーでは、グーグルの『フェイスブック・キラー』のリリースが遅れているのは、ソーシャルネットワークに手を出してまたしても失敗する前兆ではないかという憶測が飛」び、「グーグルが主役の座を明け渡す日も近いという前触れ」かとされた(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』610頁)。

 しかし、敵はフェイスブックというよりは、アップルであった。確かに、グーグルは、@「世界中に版図を広げ、多大な影響力を誇」っていて、A「年間収益は280億ドル近くまで膨れ上が」り(フェイスブックはせいぜい10億ドル)、B「膨大なサーバーインフラによって支えられたデータセンター」、「言語解析、翻訳、機械学習」など、「グーグルはフェイスブックには全く対抗しようがない多くの資産を保有してい」て、C「アンドロイド携帯は予想を裏切るスピードで普及しており、新規ユーザーは1日20万人以上のペースで増加し」ていたが(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』611頁)、前述のようにアップル攻勢の方が熾烈であった。

 対応苦慮 だから、そうした前途多難を見通してか、「グーグルのポリシー問題担当者(弁護士、プライバシー問題専門家、PR専門家を含む数百人の大集団)の中には2010年を『戦争の夏』と呼ぶ者もいた」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』611頁)のである。

 2010年8月9日、フェイスブック、アップルの側圧を受けて、グーグルは、「ネット中立性に関する考え方を見直」すとし、通信大手ベライゾンと協議して、「地上回線ではネット中立性を維持するが、急成長中で動きの激しい無線ネットは規制から除外する」とし、従来の競争相手のAT&Tがこれを評価したため、グーグルは「裏切り」者、「堕落」者などと批判された(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』610頁)。

 こうして、グーグルは、「フェイスブックの後追いを始めたとたん」、「かつてラリー・ペイジが決してそんな企業にはしないと誓ったタイプの行動をとり始めた」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』614頁)と言われだした。しかも、前述のように、IoTでは、グーグルはアップルに劣勢であったのである。

 人工知能の触発 ここに、2010年後半、「これまでで最も野心的なプロジェクト」のAIロッボトが「ニュースになっ」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』614頁)て、グーグルを触発し始めた。

 グーグルは、セバスチャン・スランに自走式改造車をカリフォルニア州内の1600キロのコースを完走させることにした。これに対して、業界観測筋は、「どうしてネット検索の会社が自走式の自動車を開発しなくてはならないのか」、「ロボットカー・プロジェクトはグーグルが集中力を欠いている証拠だ」と批判した(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』614−5頁)。

 次には、グーグルは、こうした転換期に直面して、当初から重視していた人工知能をいかに再認識し、重視してゆくかを見てみよう。


                                     A 人工知能着眼 

 AI(人工知能)の研究方法には、@「ルール・ベースのAI」(文法・構文などのルール依拠)、A大量データの「統計的、確率的なアプローチ」、B2006年ディープ・ラーニングの考案で「人間の大脳活動のメカニズムをコンピュータ上で再現する方法」の三つがある(小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』32−4頁)。

 AIの潮流 AI研究は、「文法のようなルールをコンピュータに植え付けるという当初のアプローチが限界に達し、70年代から90年代にかけて『AIの冬』と呼ばれる低迷期を何度か経験」(小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』4頁)した。

 AI冷遇の潮目が変わったのは、「1997年に米IBMが開発したAIコンピュータ、『ディ―プ・ブルー』が当時のチェス世界チャンピオンであるガルリ・カスパロフ氏を打ち負かしてから」であり、これ以後に「AIの春」が訪れた(小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』朝日新書、2013年、15頁)。こうして、AIは、「1990年代の後半から思いがけぬ復活を遂げ」、「統計・確率的な手法や脳科学の最新成果を導入することによって、非常に融通の利く現実的な技術へと生まれ変わ」ってゆくのである(小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』4頁)。

 21世紀に入ると、この新しいAIは、「ビックデータ・ブームに乗って、飛躍的な成長を遂げ」た。 つまり、「クラウド・コンピューティングの次に来るキー・テクノロジーは、実はビッグデータというより(それを処理するための)AI技術」であるとも言われだしたのである(小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』5頁)。

 AIは、確かに「テレビや掃除機、自動車、さらにはスマートフォンや検索エンジンなど」に「付加価値を与え、利益率の高い新型商品へと転化」(小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』5頁)した。しかし、現在「アップルやグーグル、フェイスブックやIBM、マイクロソフト、さらには日米欧の大手メーカー等、世界的な強豪企業」が人工知能によってビッグデータから「顧客の動向や最新の消費トレンド」などを考察しようとしているのである(小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』3−4頁)。その中で最も影響力のある企業の一つがグーグルなのであり、グーグルの「起業と展開」過程の吟味で明らかになったようにグーグルは人工知能研究・開発で最も「実力」あるものとなりうる企業の一つなのである。

 創業当初から着目 実は、このグーグルは創業当初から人工知能に着目していた。ブリンとペイジは、「創業当初から常に、グーグルは人工知能の会社であると定義していた」のであり、人工知能は「グーグルの専門分野の範囲内に収ま」るのである。「2人の創業者の目標は最初から、人工知能を使って人間の能力を拡張することであり、グーグルをそのための手段と考えてい」て、「その夢の実現のために、巨大な企業を築く必要があった」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』18頁)とも言える。

 「2人の創業者はユーザーを満足させ続けるには、グーグルはもっと賢くなる必要がある」と考え、ペイジは、「それをやり遂げるには賢いだけでなく、世界のすべてを理解する必要がある。つまり、コンピュータ科学でいう人工知能(AI)になるということだ」とし、ブリンもこれに同意し、「グーグルには人間と同じくらい賢くなってほしい。ユーザーが質問を思いつくのと同時に答えが戻って来るのが理想だ」とする(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』60頁)。

 ペイジは、「脳内インプラント」を説き、「僕達はグーグルがみんなにとって、脳の3番目の大脳半球のような存在になってほしい」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』616頁)と説いていた。2006年1月「全米最大の電気見本市CES」の基調講演で、、ラリー・ペイジは、「グーグルを脳内にインプラントするというのは長い間サーゲイ(・ブリン)との夢でした」ともした(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』256頁)。ラリーは、「この『グーグル脳』について」は、これまで「何度も同様の発言をしてきている」。彼は、「脳の中にグーグルが入」れば、あなたが何かを考えた途端に、あなたの携帯電話がその答えをあなたの耳にささやく」ともしていた。創業者二人は、「脳とグーグルの融合によって、脳の『拡大』につながる」と見ていたのである(NHK取材班『グーグル革命の衝撃』256−7頁)。

 AI研究者の増加 ペイジとサーゲイは、は、「究極の検索エンジン」をつくるために、人工知能をとらえていたのである。そこに至るまで、二人は、「グーグルを成功に導くには、世界でトップレベルのエンジニアや科学者を結集させる必要がある」としていた(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』61頁)。

 1999年、ペイジが入社希望のジョージ・ハリク(ミシガン大学で機械学習の博士号を取得)と面接した時、ハリクは、「人工知能を使ってデータを分析し、デジタルコンテンツを人間にも認識可能なテーマに選り分けられるようにしたいという長期的な目標・・が可能になれば、その情報を使ってウェブサイトのコンテンツページにターゲットを絞って広告を出せるようになるかもしれない」と語った。これがペイジに評価され、ハリクはグーグルに入社した(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』149頁)。

 ハリクは「グーグルの情報インフラ構築に取り組」みつつ、「データ分析と人工知能について考えるのをやめ」ず、「データを『圧縮』することは多くの面でそれを『理解』することに等しい」とした。ノアム・シャジール(デューク大学卒のエンジニア)がこれに共鳴して、「作業負荷の問題に取り組むのをやめて・・人工知能の開発に専念する」ことになるのである。二人は、フィルプログラムとして、「日常的な言語表現で特定の単語の後にどんな言葉が使われる可能性があるかといった確率モデルの研究を続けた」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』150頁)のであった。これは、「広告キーワードをウェブページと連動させる重要なテクノロジー」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』152頁)となる。
 
  2001年人工知能学者でもあるピーター・ノーヴィク(サン・マイクロシステムズ上級研究員[1991−1994年]、Stuart J. Russell and Peter Norvig, Artificial Intelligence: A Modern Approach, Prentice Hall, 1995、NASAエイムズ研究センターにて計算科学部長[1998−2001年])が、グーグルに入社した。「人工知能に関するノーヴィグの著書は、ペイジが教えていたコースで課題図書に指定されてい」て、ノーヴィグは、「機械学習のような分野を一部門として独立させるのはばかげたことであり、人工知能を社内の全部門に浸透させるべきだ」と主張していた。だからか、ノーヴィグは、「短期間に5、6人のスタッフを採用し、複数の新しいプロジェクトに取り組ませた」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』96頁)が、機械学習部門は設置しなかったいう。

 2006年頃、「『脳科学』というより『数学の産物』に過ぎなかった」ニューラルネットワーク研究は、「脳科学の研究成果(たとえば大脳視覚野の情報処理メカニズムなど)がAI開発へと本格的に応用され、コンピュータやスマホなどが音声や画像を認識するための『パターン認識能力』を飛躍的に高めることに成功」し、これはディープ・ラーニング(deep learning、深層学習)などとよばれだした(小林雅一『AIの衝撃ー人工知能は人類の敵か』講談社現代新書、2015年、5−6頁。このディープラーニングについては、松尾豊「Deep Learningと人工知能の発展」『人工知能学会全国大会論文集』29巻、 2015年、『人工知能は人間を超えるかーディープラーニングの先にあるもの』角川EPUB選、2015年、「人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの」You Tubeなどを参照)。

 2007年に開催された業界会議で、GoogleのCEOラリー・ペイジは、「Googleには人工知能の開発に携わる人間がいて、しかも大規模に開発を推進している。実現は世間が考えているほど遠くない」(「アメリカで大反響を呼んだ問題作!」『ホンビュ―』[マーティン・フォード、秋山勝訳『テクノロジーが雇用の75%を奪う』朝日新聞出版、2015年])と語っている。この頃には、グーグル内での人工知能研究者の層はかなり厚くなっていたようだ。この年にもセバスチャン・スラン(Sebastian Thrun)がグーグルに招聘された。彼は「ロボット工学と人工知能に関する世界有数の研究者」であり、ボン大学大学院、カーネギーメロン大学を経て、2003年スタンフォード大学へと移り、2005年DARPA主催の自動運転技術のコンペで優勝していた([『フォーリン・アフェアーズ・リポート』2013年11月号)。この優勝が特にラリー・ページを感動させたのである。ページは、「砂漠のコースを独力で走破したスタンレーに感銘し」、、自走式ロボット・カー『スタンリー』開発チーム・リーダーのセバスチャン・スランをグーグルに雇い入れたのであった(小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』122−3頁)。

 2009年、グーグルは「ムーンショット(月ロケット計画)と呼ばれる夢の次世代技術を開発する研究所『グーグルX』を設立」し、この責任者にセバスチャン・スランを任命し、レイ・カーツワイル(Ray Kurzweil、自然言語処理・脳科学の専門家、著書『ポスト・ヒューマン誕生 : コンピューターが人類の知性を超えるとき』井上健監訳、小野木明恵ら訳、日本放送出版協会、2007年)、アンドリュー・エン( Andrew Ng、最先端の機械学習技術『ディープラーニング』第一人者、「2012年画期的な画像認識能力をもつ大規模ニューラルネットを構築」)らを招聘した(小林雅一『AIの衝撃ー人工知能は人類の敵か』15−6頁)。グーグルX設立や彼らの招聘が、グーグルの人工知能研究の一つの画期となる。

 カーツワイルは、@「音声認識や光学文字認識(OCR)など様々な領域で先駆的な業績」で1999年に「アメリカ国家技術賞」を受賞し、A「作家や未来学者(Futurist)としても活躍し、さらにヘッジファンドまで運営して、そこで自ら開発したAIシステムを使って資産運用」し、B「不老不死に興味を持ち、そのために機械と人間を徐々に融合させて、最後には人間の意識を電脳に移植する」などと唱え、C「シンギュラリティ(「コンピュータのように高度な機械が今後、加速度的に進化することにより、機械がいずれ人間を上回る知能ばかりか、意識までも持つようになる」と、米国数学者・SF作家ヴァ―ナー・ヴィンジが1993年頃から提唱)の信奉者」である(小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』31頁)。Bを補足すれば、カーツワイルも、ディープ・ラーニングの研究者でもあり、氏によれば、「脳は比較的小さく単純な情報体(a relatively small and simple body of information)から構成されており、人間の脳が今から数十年以内にシリコン上に再現できないというのは馬鹿げている」(小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』32頁)としていた。Cを補足すると、カーツワイルは、「GNR革命(GNRとは、遺伝学[genetics]、ナノテクノロジー[nanotechnology]、ロボット工学[robotics]の頭文字で、この3技術の発展で人類社会が大きく変わると見ること)が進む」と、「技術の進歩はどんどん加速し、近い将来には特異点(後述)を迎える」と主張したのである。
 
 ラリー・ペイジは、「カーツワイルの熱狂的な信奉者で、機械の知能が人間を超える日に備えて人材を育成することを目的とする『シンギュラリティ大学』(2008年カーツワイルらが設置)の出資者」である(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』101頁)。グーグルはカーツワイル登用で「同社のAI開発力の強化」をはかり、「機械学習と自然言語処理の技術開発を指導」させようとした(小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』32頁)。

 さらに、2013年、グーグルは、ディープ・ラーニングの主要推進者とも言うべき認知心理学者ジェフリー・ヒントン(Geoffrey Everest Hinton)をもグーグルに招聘した。彼は、脳神経細胞のネットワークを参考にした機械学習のテクニックによって画像・音声の認識精度が飛躍的に高まると主張していた。


                                    B 人工知能への進出

     
                           (a)  人工知能事業への進出 

 CADIE 2009年4月1日、エプリルフールで「『CADIE(Cognitive Autoheuristic Distributed-Intelligence Entity: 自己認識タイプ分散人工知能)』、つまり「自ら学習する人工知能に関して発表」した(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』187頁)。それ自体はあくまで虚偽ではあるが、そこでは、次のように、グーグルの人工知能にかける熱意が感じられるものである。

 まず、「過去数年間にわたり、我々の研究グループは、ニューラルネットワーク、自然言語処理、自動問題解決といった分野において最先端の研究を行ってきました。去年の秋、我々は突破口となる重要な実験に成功しました。この新しい技術により、思考回路の強化学習に関連する諸々の問題を解決し、世界規模の神経網とも呼ぶべき自己学習型クラウドの開発に成功しました」と、グーグルは人工知能研究を自己学習型という方向で以前から推進してきたことを公言する。

 次いで、明らかな虚偽として、CADIE(自己認識タイプ分散人工知能、Cognitively-Aware Distributed-Intelligence Entity)の成功とその安全対策を指摘する。最後に、「今回の成功も、その長く困難な研究過程における第一歩に過ぎません。CADIE のプログラムには、未解決のバグも数個指摘されており、今後多くの修正が必要となるでしょう。しかし Google にとってこの実験より重要なプロジェクトは存在しないと我々は考えています。」(以上、Google)と、人工知能研究こそがグーグル最重要研究だという本音を吐露したのである。

 ラリー・ペイジの目標 2010年、遺伝学者ティム・スペクターは、「自らの意思で新しい能力を発達させたり、医学的診断を下したりできるような汎用的知性を私たちがつくりだせる」事はないだろうとする。だが、グーグル創業者ラリー・ペイジは「それを実現したいと考えている」とする(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』102頁)。

 ラリー・ペイジは、「医学的診断を下したりできるような汎用的知性」まで人工的に作ろうというのである。こうした脈絡でみる時、彼の口癖「世界をよりよく変える」ということが説得力を持って来るかである。ただし、彼は、人類史の学問的把握ができていないので、それが人類文明破滅をもたらす可能性についてまでは着通すことはできない。
 
 エリック・シュミットの文明論 
しかし、エリック・シュミットは、独特な文明史観を提起して、グーグルの人工知能研究を肯定する。。

 彼は、文明を「数千年かけて発達してきた『現実の文明』」と、「今まさに形になりつつある『仮想文明』」とからなる「2大文明」と把握し、「2つの文明は、互いの負の側面を抑えながら、おおむね平和的に共存するだろう」とする。彼は、「仮想文明と現実文明が、互いに影響を与え、互いに形づくるうちに、適切なバランスをとるように、両者のバランスによって、私たちの世界は方向づけられ」、「想像以上に平等主義的で風遠しがよく、興味深いものになる」(エリック・シュミット『第五の権力』401頁)と、非常に楽観的である。

 彼は、今まさに突入しつつある文明を「仮想文明」と把握して、これまでの文明とは異なる事までは指摘するのだが、両者はどこがどう違うのかまで述べていない。グーグルにとっては、この仮想文明とはデジタル文明であり、その主軸をAIロボットにおいているとすれば、これを批判したり、危惧する事などはできないことになるのである。

                                (b) ディープ・ラーニング


                                @ 大量のデータ蓄積とAI 

 1990年代後半から2000年代、インターネットの上に構築された「ワールド・ワイド・ウェブ上に世界中の人たちが情報を載せるようにな」り、「大量のデータが蓄積され」、「統計・確率的なベイジアン・ネットワークを実践するお膳立てが整った」(小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』81頁)。大量データが「AIのさらなる進化を促」し、「これがさらなるデータ量の増加を促し、それがまた(音声認識、音声操作などの)AIの進化を促す」(小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』109頁)のである。

 2010年グーグルはフリーベース(「ビジネス、自然科学から歴史、文化・芸能まで、多方面にわたって約1200万件の『知識』」をもつ会社)を買収し、これに「CIAをはじめ政府機関の提供する各種データベース」、ウィキペディアなどの知識を追加し、ナレッジ・グラフという巨大データベースを構築し、2012年末にはその知識は6億件に達した(小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』85−6頁)。

 グーグルの「統計・確率的なAI」アプローチに対して、@「最終結果は、あくまで90%あるいは95%と言った確率にとどまる」事、A機械翻訳システムは「接続関係を確率的に割り出す」だけで「文章の意味を理解」していない事などの批判がなされている。そして、1950年代以降の「古典的AI派」は、「統計、確率に従うAIは、人間の思考プロセスと明らかに別種」であり、「そのような方法で、・・人間の知能や知性をコンピュータ上に再現でき」ないとする(小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』89−91頁)。

 フェイスブックは、「自社製のスマートフォンやタブレット、あるいはその上で動くOS(基本ソフト)など、いわゆるモバイル・プラットフォームを持」たないが、「利用者数が11億人を超え」るというビッグ・データ(構造化データ[顧客データ、売上データなど]、非構造化データ[書き込み、写真動画など不規則なデータ])の強みをもつ(小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』42−3頁)。「フェイスブック上に蓄積された大量の非構造化データは、産業各界の企業にとって、またとない宝の山となる」と見られているが、この解析(自然言語処理、画像処理)にAIが必要とされている(小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』44頁)。

                                  A ディ―プ・ラーニング 

 ディ―プ・ラーニング登場 1980年代、ニューラル・ネットワークが提案され、、「人間の知覚メカニズムを模倣」して「生物学的な脳をシミュレートした『電脳』を作る」事が試みられた(小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』91−4頁)。

 1990年代、神経科学者は、「動物実験など様々な観察と試行錯誤を繰り返す中」、「大脳のある部分が、生来の目的とは違うことにも転用できること」、つまり「動物の耳から聴覚野へとつながる神経のラインを切断」すると、「代わりに、目から出ているラインを聴覚野につな」ぎ、「その後の訓練により、この動物は再びモノを見ることができるようにな」(小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』95−6頁)った。

 この結果、神経科学者は「『視覚』『聴覚』『触覚』『味覚』など、人間の様々な知覚能力に通底する基本的なメカニズムがある」とした。これを応用し、脳の「隠れ層(情報の入力層・中間層・出力層の3層に隠れた層)の1層目から2層目、2層目から3層目へと情報が深部にまで伝達されるに伴い、学習が徐々に深められ、より高度な概念が得られ」たものがディープ・ラーニングである(小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』95−6頁)。2006年に カナダのトロント大学のジェフリー・ヒントンが論文でこのディ―プ・ラーニングを示した。

 グーグルのディ―プラーニング推進 2012年6月、グーグルはスタンフォード大学のアンドリュー・エンと共同で、「1万6千個ものコンピューター・プロセッサーをつないだ大規模なニューラルネットを構築」し、人工ニューラル・ネットワークに「10億以上の接続ポイントを設けた結果」(「通常の人工ニューラル・ネットワークでは100万ー1000万の接続ポイント」にとどまっていた)、「コンピューターが自分で学習し、自身で作り上げていくことで、自ら賢くなっていく可能性をも」つに至った。実際の「脳の神経経路は約100兆個の接続ポイントがある」ので、脳に近づけるために、ディ−プラーニングなどで「さらに大規模な学習ネットワークを構築することが必要」とされている。ディ―プラーニングは、「人間が教えなくとも大量のデータから精度を高めることができ、人間を上回る能力の獲得もできる」ものなのである(神崎洋治『Pepperの衝撃! パーソナルロボットが変える社会とビジネス 』180頁)。

 こうして、人間に頼らずに、「人工ニューラル・ネットワークの一つで、神経回路網の学習プロセスをコンピューターで再現」し、「人工知能を想定したコンピューター」に、「ウェブやYouTubeにある膨大な画像データ(1000万本)を与えて1週間学習させたところ、コンピューターが自律的に猫を学習し」、「自力で『猫』や『人』の顔などの視覚的な概念を学習」し、遂に猫の画像を認識し始めた(小林雅一『AIの衝撃ー人工知能は人類の敵か』28頁、97−8頁神崎洋治『Pepperの衝撃! パーソナルロボットが変える社会とビジネス 』178頁)。このディープ・ラーニングの特徴は、「ピクセル[画素]という「最も低いレベルの情報」から「輪郭・模様を構成するエッジ[縁]情報を獲得」し、各部のパーツ情報を獲得してゆき、「情報の抽象度を段階的に上げていって」、最終的に何らかの概念を獲得するということである(小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』99頁)。

 さらに、ディープ・ラーニングは、「視覚だけでなく聴覚や触覚など、あらゆる知覚に共通する理論」であり、画像認識のみならず、音声認識、自然言語処理などにも応用が可能になった(小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』99頁)。

 DNNリサーチ買収 2013年3月、グーグルは、カナダのオンタリオ州立トロント大学のコンピュータ科学部のジェフリー・ヒントンらが作ったカナダAI研究所「DNN(Deep Neural Networks)リサーチ」を買収した(小林雅一『AIの衝撃ー人工知能は人類の敵か』16頁)。

 ヒントンは、「ロンドンのUniversity CollegeでGatsby Computational Neuroscience Unit(ギャツビー財団の資金による計算機神経科学専科)を作った人物」、「機械学習におけるCanada Research Chair(カナダ政府任命の国家的研究主幹)」、「カナダ高等研究所の研究プロジェクト“Neural Computation and Adaptive Perception”(神経計算と適応知覚)のディレクター」であり、「ニューラルネットと、中でもとくに“unsupervised learning procedures for neural networks with rich sensory input”(大量の感覚入力によるニューラルネットワークの無教師学習手順)の研究で名高い」人物である。同社のニューラルネットワークの研究は、「コンテンツの断片や画像、音声、テキストなどを、これまでの検索アルゴリズムとは違う方法で認識/判定できる可能性があ」り、「画像検索や顔認識技術の性能向上が期待」され、買収以前からグーグルは既に60万ドルを同社に寄付していた。

 トロント大学の声明によると、「Hintonは大学の研究職とGoogleでの仕事を掛け持ち」し、「‘勤務先’は、Googleのトロント事業所とマウンテンヴューのGoogle本社」の二つになる(Rip Empson「Googleがトロント大の学内起業DNNresearchを買収, ニューラルネットの応用本格化へ」[2013年3月14日付Ted Crunch])。恐らく、グーグルはトロント大学との交渉でヒントンも付けることを条件に高額買収金額を提示したので、トロント大学側はこうした「兼勤」形態で対応したのであろう。

 ディープマインド・テクノロジー買収 2014年には、ディ―プラーニング技術開発のディープマインド・テクノロジーを推定4億ポンド(700億円)で買収した(小林雅一『AIの衝撃ー人工知能は人類の敵か』16頁)。このディ―プマインド社は、2011年に青年3人がロンドンでが設立したものである。この創設経緯をもう少し見れば、ディ―プマインド共同創業者の一人デミス・ハッサビス( Demis Hassabis)は、「脳の一部領域である『海馬』」は、「記憶など過去の出来事を保存する領域」ではなく、「過去の事柄から未来を思い描くための、橋渡しの役割を果たしている」事を明らかにし、これを踏まえてディ―プマインドを設立して、「過去の経験から何かを学んで、それを未来の行動に反映させるニューラルネット」を開発したのであった(小林雅一『AIの衝撃ー人工知能は人類の敵か』37ー8頁)。脳科学の成果を取り入れた企業であったのである。

 このディープラーニング社が専門とするAI技術で注目すべき事は、「ディ―プラーニングの中でも『強化学習』と呼ばれる細分化された領域に属し」、「非常に限定的なフイードバック(反応)を返すことによって」次々と自律的に進歩するということである(小林雅一『AIの衝撃ー人工知能は人類の敵か』37頁)。ディープマイン社の人工知能は、「ヒトが介在することなく、自らが学習する人工知能システムで、学習の速度と対応は驚異的」と言われ、「ゲームのルールをだれも教えていないのに、コンピューターが自律的に探って理解し、さらには高得点を得る方法を学習する、という能力が実現している」(神崎洋治『Pepperの衝撃! パーソナルロボットが変える社会とビジネス』36頁)のである。グーグルのCEOラリー・ページは、これを発表した論文に着目して、これが彼に「ある種の人間性の萌芽」(「人間の子供と同じように」「上手く出来たら褒め、失敗したら叱る」と「成績が向上」する)を想起させ、買収を決意したのであった(小林雅一『AIの衝撃ー人工知能は人類の敵か』37頁)。

 しかし、同社共同創業者の一人シェーン・レッグ(Shane Legg)は、「最終的に、人類はテクノロジーによって絶滅するだろう。・・今世紀におけるその最大の危険要因はAIだ」としていたこともあって、「グーグルに買収される条件として、『AI倫理委員会』なるものの設置を要求した」(小林雅一『AIの衝撃ー人工知能は人類の敵か』34−5頁)。ディープラーニングのもとでは、良い循環ならいい結果をだすが、「人間が教育の仕方を誤れば、この種のAIはどんどん不良化して、最後には手に負えない存在になったしまう危険性」があるとするのである(小林雅一『AIの衝撃ー人工知能は人類の敵か』38頁)。だが、グーグルがこうした倫理的規制に留意した痕跡は見られない。

 グーグルは、現在、このディープ・ラーニングを、「検索エンジンやYouTubeのリコメンド機能、音声検索などの精度向上に利用」している(神崎洋治『Pepperの衝撃! パーソナルロボットが変える社会とビジネス 』36頁)。

 IT企業の人工知能進出 この2014年頃には、競合IT企業も人工知能会社に強い関心を示し出した。例えば、フェイス・ブックはAI研究所を新設し、所長にヤン・ルカン(AI研究者)を、迎え入れた。百度も、2013年にシリコンバレーにAI研究所を設立し、所長にアンドリュー・エンを資金と研究室を提供するとして招聘した。

 米国の主力IT企業は、IoT(「全てのモノがインテ―ネットにつなが」っている)を背景として、機械学習が、「ビッグデータを分析して、そこからビジネスに役立つ何らかのパターン(相関性、規則性、法則性)を見出」して「巨大な富」を生みだすことに気づき出したのである(小林雅一『AIの衝撃ー人工知能は人類の敵か』16ー9頁)。

 ディープ・ラーニングによる囲碁勝利 2年後、グーグルのディ―プ・ラーニングが囲碁で脚光を浴びることになった。これまでコンピューターは、オセロ、スクラブル(言葉遊びボードゲーム)、バックギャモン(「西洋双六」等といわれるボードゲーム)、ポーカーなどを制覇してきたが、直感で幾通りもの手を考える囲碁の達人には勝利することはできなかった。だが、グーグルは、ついにジェフリー・ヒントンのディープ・ラーニングでこの限界を打破したのである。

 2016年1月28日、米グーグルは、ディープ・ラーニングシステム「AlphaGo」(「碁盤自体を入力と見立て、情報を数百万のノード[node、 ネットワークの接合点・中継点・分岐点]からなる12層構成のニューラル・ネットワーク[neural network、神経回路網]で処理し」、「ポリシーネットワークで次の手を決定し、バリューネットワークで勝者を予測する」システム)で史上初めて多くの指し手をもつ囲碁(従来囲碁の手の数は「宇宙の原子の数よりも多く、チェスの指し手のグーゴル倍[10の100乗倍]」になるとされている)のプロ棋士に勝利したと発表したのである(Impress Watch、2016年1月28日14時50分配信)。

 グーグルは、このAlphaGoで培った技術を「将来的に気候モデリングから、複雑な疾病分析など現代社会の喫緊の課題を解くために応用する」としているが(Impress Watch同上記事)、問題は人工知能開発がそれにとどまらないということだ。つまり、@何よりも、グーグルは、囲碁という特定分野とはいえ、人工知能に依存せずに、独自に開発したAlphaGoで人間知能を越えてしまったのであり、Aその「勢い」を過信し、緊張しつつも競争優位に慢心して、最初は誰もが納得し得る環境問題・難病問題などを口実にしつつ、いつの間にかそれを飛び越えてどんどん人工知能を開発し、それを装備したロボット開発をも併進して、次述の大問題を抱え込む恐れがあるということである。

 さらに、2016年3月には、グーグル傘下の企業「ディープマインド」(英国)が開発した囲碁の人工知能「アルファ碁(AlphaGo)」と、韓国のプロ囲碁棋士・李世ドル(8の国際的なタイトルを保持し、現代最強の棋士の一人)との間で5回戦が行われた。13日の第4局では、3連敗していた李氏が一矢を報いたが、行われてきた5番勝負が、15日の最終局ではアルファ碁が勝利した。これで全5戦の戦績は、アルファ碁の4勝1敗となった。韓国・ソウルで行われた最終局でアルファ碁は、破壊的な強さを取り戻し、人工知能の「直感」を生かして李氏を破った(「トップ棋士との5番勝負、最終局もAIに軍配4勝1敗で圧倒」[AFP=時事 2016年3月15日配信])。

 
                                       (c) 検索と人工知能 

 検索機能拡充と人工知能 2001年、グーグルは、「研究中のサービスを試せる、インターネット上のラボ(研究室)」を公開し、2003年に「紙の書籍を検索できるブックサーチ」を発表して、「5年間、『検索』の定義を拡張しながら進化を続けてきた」姿勢を改めて示した。

 2004年、グーグルは、「メールサービスの『Gメール』やソーシャルネットワークの『オーカット』、地図サービスの『グーグル・ローカル』(現グーグル・マップ)など、『検索』の枠に収まらない事業に乗り出しはじめる」(ジョージ・ビーム編、林信行監訳『Google Boys』三笠書房、2014年、29頁)。今回は、グーグルは検索基軸から「変節」して、「『検索』という枠を飛び出ることになる」(ジョージ・ビーム編、林信行監訳『Google Boys』三笠書房、2014年、27頁)という意見もでた。

 だが、相変わらずグーグルはこれらを検索業務の変節とは見てはいない。2004年、ジャーナリストのスティーブンは、ラリーとブリンに、「グーグル検索の未来像について尋ねた」所、ラリーは「(グーグル検索は)人間の脳の一部にな」り、「よく知らないことについて考えると、自動的に情報を取得してきてくれるようになる」と答えた。ブリンも「そうなるだろう」と賛同し、「グーグルは究極的には、世界中の知識で脳の機能を補佐し増強するものにな」り、「将来的には操作はもっと簡単にな」り、「話しかけるだけで検索する端末とか、周囲の状況を察知して、自動的に有益な情報を教えるコンピュータなどが登場するかもしれない」とする。さらに、ラリーは、「最終的には脳内に機器が移植され、質問を考えただけですぐに答えを教えるようになるだろう」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』102−3頁)とまで予測した。

 究極の検索エンジン グーグルは、「これまで検索エンジンのメジャー/マイナー・チェンジを繰り返し、今では250種類以上の新たな指標を加えて検索結果の順位を決めている」が、基本はラリー・ペイジが定めた「ページ・ランク・アルゴリズム」という「リンク総数に基づく一種の人気投票」に基づく。しかし、「人気投票の結果が必ずしも、私たち個々のユーザーが本当に求めている情報とは限」らない。そこで、AIによって、「ウェブ上のスパム情報やSEO(検索エンジン最適化)を排除」しようとするのである(小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』40−2頁)。

 2010年前半、ラリー・ペイジは、「脳内移植についてはさておき、その後グーグルがかなりの進歩を遂げ」、「検索で次に目指したいことは何か」と問われて、「ユーザーの好みを知り、ユーザー自身が聞いたことがなくても知りたがるはずの情報を取ってこられるようになる」ことだと答えた。つまり、「自分で何を探しているか知らなくても、グーグルが勝手に教えてくれる」ということであり、まさに「人為の暴走状態」なのである。2010年9月に米国内で開始された「グーグルインスタント」は、「検索内容を入力し終わる前に調べようとしている語句を予測し、検索結果を表示する機能」であり、グーグル社内では「サイキック(霊能者)」と呼ばれていた(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』103頁)。 

 また、ラリー・ペイジは、「人間のDNAは約600メガバイトが圧縮されたもので、今あるどんなオペレーティングシステムよりも小さ」く、「人間のプログラムのアルゴリズムは複雑ではな」く、「その小さい中に脳を起動させる装置も含まれてる」とし、「すでにグーグルは本気で人工知能の開発に取り組みはじめていて、これからも大掛かりなプロジェクトとして進めていくつもりだ。検索の性能を高めて、どんな質問をしても完璧な答えが返ってくるようにするとなると、ウェブに基盤を置いた人工知能になるんじゃないかな。かなりの現実味はある」(ジョージ・ビーム編、林信行監訳『Google Boys』三笠書房、2014年、20−1頁)としていた。ペイジは、かなり具体的に人工知能を検索機能に関わらせて考えている。ペイジは、「人工知能はグーグルの究極バージョンになるはず」であり、それは、「すべてをウェブ上でで理解する、究極の検索エンジン」であり、「こちらの求めるものを完璧に理解して、正しい答えを与えてくれる」人工知能なのだとする(ジョージ・ビーム『Google Boys』188頁)。

 一方、セルゲイ・ブリンは、「ゆくゆくは検索するにも質問を入れなくてもすむようになる。必要に応じて情報が出てくるんだ。そのビジョンを提供できる最初の形状がグーグル・グラス(「声で命令すると視界に検索結果やメールの内容、行き先までのルート案内などが表示されるメガネ型の情報顛末」[ジョージ・ビーム編、林信行監訳『Google Boys』三笠書房、2014年、47頁])」だとする。

 セルゲイ・ブリンは、グーグルが最終的に目指すものは「『神の頭脳』みたいなもの」とする(ジョージ・ビーム『Google Boys』190頁)。しかし、ジャーナリストのスティーブンは、グーグル社員ウディ・マンバーに、「たとえグーグルの天才エンジニアたちには善意しかないとしても、あらゆる答えを知るほどの力を単一の組織に集中させてしまって良いものだろうか」、「その機能が脳に移植されることになるとしたらなおさらだ」と問うと、彼は「その見方には全面的に同意できる」、「私だって心底怖くなることがある」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』104頁)と答えた。グーグル内部では、個人的にはそこまでやるのはおかしいと分かっているが、組織一員としては黙認せざるを得ないような事情があることが確認されよう。

 セマンティック検索 こうしたAIを応用した究極検索エンジンの一つが、「言葉の意味を理解して、答えを返す」「セマンティック検索」(Semantic Search)である(小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』35頁)。

 2012年5月、グーグルはセマンティック検索への第一歩として「ナレッジ・グラフ」(Knowledge Graph)というサービスを開始した(小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』36頁)。

 2012年12月、グーグルCEOラリー・ペイジは、『フォーチュン』誌とのインタービューで、「人間の意図を理解する検索エンジン(セマンティック検索)」や「自動運転車(ロボット自動車)」などについて熱く語り、「彼の最大の関心が今、こうした分野にあること」を示した。このインタビュー掲載直後に、「グーグルは著名な発明家のレイ・カーツワイル氏を開発責任者として採用し、アップルに反撃する狼煙(のろし)をあげ」たのである(小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』30−1頁)。

 最近のブログ、SNS、ツイッターなど各種ソーシャル・メディアで、「それまで情報の消費者であった一般大衆が、今や情報の生産者へと変身し」、膨大な情報が行き交いだし、検索企業グーグルには「ビッグ・チャンス」であると同時に、適確情報を探り当てることが困難になってきていた(小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』39−40頁)。

 フェイスブックは、2012年上場後の2013年年明け早々に、元グーグル社員ラース・ラスムッセンが自然言語処理を使って発明した「グラフ検索」(Graph Search)という新型検索エンジンの試験運用を開始した(小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』44頁、50頁)。

 こうして、グーグル『セマンティック検索』のみならず、アップル『Siri』、フェイスブック『グラフ検索』もまた、「いずれもスマホに向かってユーザーが知りたいことを囁くだけで、最も使える情報を最も簡単に提供しようとして」、音声検索ではmグーグルは、アップル、フェイスブックと競合状態に直面しているのである(小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』49頁)。

 AIロボットからの撤退 グーグル首脳陣は、こうし究極検索エンジンを重視しており、労働力としてのAIロボットへの関心を低下させていった。

 その結果、グーグルは、指示に反応するAIスピーカー(Google Home)を発明しし、「グーグルのロボット事業は事実上頓挫し」ていった。その結果、2016年にトヨタ自動車、米アマゾン・ドット・コムがその買収に関心を示していたが、2017年6月に、米グーグルの持ち株会社アルファベットは、「ロボットの「筋肉」にあたるメカを操る技術で世界的に注目を集めている」同社傘下のロボット開発ベンチャーの米ボストン・ダイナミクスとSCHAFT(シャフト)をソフトバンクグループに売却することを決定した。

 ソフトバンクは、「人工知能(AI)で感情を読み取るヒト型ロボット「ペッパー」を手掛けるが、メカ技術は苦手」であり、「両社の技術を取り込み、ロボット開発力を強化」しようとしている。同社社長孫正義氏は、「AIが人類の知恵の総和を超える『シンギュラリティー』があと20年ほどで来」て、「あらゆる産業が再定義され」、「今後30年ほどでブルーカラーはメタルカラーに置き換わ」り、「スマートロボットが社会を変える」と見通しているのである(「AIロボ 二足歩行めざす ソフトバンク、VB2社買収」[2017年6月10日付日本経済新聞])。

                             
                               (d) 自動運転 

 グーグルX グーグルには、秘密組織でなされているグーグルX事業として、「グーグル・グラス」、「糖尿病の人が自分の血糖値の変化を把握できるコンタクトレンズ」、「人間の運転技術に依存しない自動運転車」、「全米の都市間でもわずか数分で資材を届けられる輸送飛行機の『プロジェクト・ウィング』」、「無線基地局搭載の気球を飛ばして世界中どこでもインターネットにつながるようにする『プロジェクト・ルーン』」などがある(ジョージ・ビーム『Google Boys』207頁)。

 この中でグーグルが積極的に従事している一つが、自動運転である。

 自動車メーカーの迷走 グーグル自動運転を見る前に、自動車メーカーが、自動運転をどう見ているかを見ておこう。

  2014年国際家電見本市(CES)で、GM幹部は「自動車産業はいま、100年に一度の転換期にある」とする。「自動車産業が考える『自動運転』は、2014年1月現在すでに、『時代遅れ』の発想」であり、「欧米の大手IT系企業が狙う『自動運転』の覇権は、地図データを基盤とした双方向情報通信であり、新たな都市交通ビジネス」(桃田健史『アップル、グーグルが自動車産業を乗っとる日』2−3頁)となっていた。

 テレマティクス(Telematics)は、「テレコミュニケーション(情報通信)とインフォマティクス(情報工学)の融合を指す造語」である。従来「車載器を中心とした通信システムは、これまでは世界の自動車産業界にとって自動車本来の機能の補助的な役割という認識だった」が、2007年にアップルのiPhone、2008年にグーグル・アンドロイド端末が登場し、「さらにクラウドサービスが発達し」、「自動車が情報通信端末を介して外部と常時接続するのが当たり前にな」り、「『コネクテッドカー』と呼ばれ」だしたのである。そして、「ここ2−3年で事態は急変」し、「アップル、グーグル、マイクロソフト、インテルなどITの巨人たちが情報通信分野から自動車産業へ本格参入し、自動車産業界の将来を左右する主役的存在になろうとし」、これは「旧来の『テレマティクス』の領域を超越する」「次世代テレマティクス」と呼ぶべき動きがでてきたのである(桃田健史『アップル、グーグルが自動車産業を乗っとる日』洋泉社、2014年、14−6頁)。

 こうして、「自動車産業は自動運転というステージを境に、まったく別の業態に変わろうとしている」が、自動車関係者にはこう言う自覚はないまま、「その新たなステージにIT系や通信インフラ企業が、スマートフォンやクラウドを使って一気に攻め込んできている」(桃田健史『アップル、グーグルが自動車産業を乗っとる日』73−4頁)のである。ここに、「次世代車の定義は曖昧」になり、燃料電池車(ハイブリッド車、電気自動車、水素燃料車、天然ガス車など)、自動運転車の整合的把握や、目標があいまいになっている。燃料電池車と「まったく別の視点で次世代化の可能性が高まって来たのが、自動運転を含む次世代テレマティクス」(桃田健史『アップル、グーグルが自動車産業を乗っとる日』122頁)なのである。

 にも拘らず、トヨタ、ホンダは、「2015年に・・燃料電池量産車を発売する」と公表し、「2014年から2015年にかけて、第二次燃料電池車ブームが到来する」が、@「国の施策の根幹が揺らいでいる」事、A「水素価格が決まっていないこと」、B「世界最先端の水素研究施設の拡充を図った九州大学を中心として、トヨタ、日産、『そしてホンダの開発陣が企業の枠を超えた交流」で2015年燃料電池量産車発売の目標を立てたが、担当者の定年・退職で後継人材不足という問題がある事などの問題に直面している(桃田健史『アップル、グーグルが自動車産業を乗っとる日』142−5頁)。

 次世代テレマティクス 次世代テレマティクスでは、インフォテイメント(インフォメーションとエンターテイメントからなる車載情報通信システム)とカー・セントリック(車体・エンジン・トランスミッション・サスペンション・ブレーキなど「自動車本来の運動特性」に関わる)の二領域が重要となる(桃田健史『アップル、グーグルが自動車産業を乗っとる日』16頁)。

 IT業界は前者の領域に「一気に参入」し、アメリカ・シリコンバレーが「開発と投資の舞台」となり、ドイツ自動車メーカーが先行し、2010年代にアメリカ・韓国・日本の自動車メーカーがシリコンバレー・オフイス強化に乗り出した。2012年、自動車メーカー、電気メーカー、通信インフラ関連メーカー、ベンチャーキャピタルなどが「オーテン・カウンシル」を結成した。こうして「自動車産業の最先端拠点は、デトロイトからシリコンバレーに移った」(桃田健史『アップル、グーグルが自動車産業を乗っとる日』16−20頁)のである。

 最新ロボットが「手足が生えたパソコン」であるとすれば、この自動運転車は「タイヤが付いたロボット」ともいえる(神埼洋治『Pepperの衝撃! パーソナルロボットが変える社会とビジネス 』31頁)。つまり、この自動運転車は、「一種の『動くコンピュータ』」なのであり、「自動車メーカーのビジネス面から見ても、徐々に移行していく方が望ましい」のである。「たとえば仮に自動車を必要とするときだけスマホで簡単に呼び出し、使用後はその場に乗りすてることが可能になれば、そもそも個々人が自動車を所有する必要性が今より小さくなり」、その結果「国民全体で多数の車を共有するような社会システムになるとすれば、自動車メーカー側でもそれに合わせてビジネス・モデルを根本的に変えていかざるを得」ないことになる。専門家は、「幾つかの課題や不安は残されているものの、多方面にわたる利害得失を総合的に判断すると『自動運転車の時代が来るのは時間の問題である』」と見ているので、「グーグルやGMなどは、完全な自動運転車を2020年までに実用化する」としていて、「自動車の概念やビジネス・モデルを根本的に変えてしまうパラダイム・シフトは、意外なほど間近に迫っている」(小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』133−138頁)のである。

 グーグル自動運転実証実験の蓄積 グーグルは「すでに2007年からスタンフォード大学と共同で自動運転のロボットカーの開発に取り組んでき」た。「2005年のDARPAグランド・チャレンジで優勝したスタンフォード大学チームのセバスチャン・スランが、スタンフォード大学の教授をしながらグーグルの副社長に就任して開発を進めてい」て、2010年にグーグルカーを発表し、「この時点で22万キロを超える走行実験を行ってい」た。2012年3月には、ネバダ州で「ふたり以上が乗車すること」を条件に「ロボットカーが公道で走行できる試運転の免許が交付され」た(本田幸夫『ロボット革命』35−6頁)。

 そして、グーグルは、こうした実証実験によって、「データを蓄積し、事故を未然に防止するためにどのようにロボットカーを動かしたらよいかというノウハウ」などを習得し、「こうしたソリューション」や「グーグルマップやストリートビュー」を駆使して、将来自動運転の車社会が実現した時にサービスで収入を得るシステムを構築しよう」とする(本田幸夫『ロボット革命』38−9頁)。「安全なコントロール」を維持するために「道路をロボットカーだけが自動運転で走っている状態にしなくてはなら」ないが、これで「グーグルは、クラウドに貯め込んだ膨大な情報から有益なデータを抽出し、すべてのロボットカーに『この道順を速度で行け』という指示をする群制御のシステム技術、つまりソリューションを提供することが可能になる」のである(本田幸夫『ロボット革命』38頁)。この様に、グーグルは、「膨大な量のデータを集め、自動学習アルゴリズムによってそれらを処理し、人類全体の脳を補強するコンピュータのような『知性』を開発」しようとしていて、「グーグルの自走型ロボットカーもまた情報を集めるマシン」なのであり、「それは周囲の環境をレーザーやセンサーでスキャニングし、ストリートビューのデータでそれらの知識を補強する」(スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実』615−6頁)ものである。グーグル・カーはまさにAIロボット・カーなのである。

 具体的には、グーグルは、@「自社のOSであるアンドロイドを車載システムに組み込むことで車内の娯楽やナビゲーションを充実させ」つつ、A「自動運転車(「100%自動運転」で、センサーで「周囲の障害物を認識」し、グーグルマップなどを連動させ、「ハンドルやアクセル、ブレーキペダルがなく、乗車してスタートボタンを押せば、車が目的地に向かって動き出してくれる」)であるグーグルカーの開発」をめざしているのである(雨宮寛二『アップル、アマゾン、グーグルのイノベーション戦略』155頁)。後者Aにおいて、グーグルは、「既存の自動車に自動運転機能を追加するという方法を採らず、ゼロから独自に開発を進めている」(雨宮寛二『アップル、アマゾン、グーグルのイノベーション戦略』156頁)のである。

 このグーグルカーの開発は、「成熟期を迎えた重厚長大な自動車産業に構造的な破壊をもたらす」一方で、「アンドロイドを組み込んだ自動運転車としてのグーグルカ―をオープンソースとして公表し、無償でメーカーに製造させることでグーグルの占有率を高め、車内の娯楽やナビゲーションなどウェブアプリケーションを充実させることで、広告収入に結びつけ」(雨宮寛二『アップル、アマゾン、グーグルのイノベーション戦略』158頁)ようとする。これに対して、アップルは、2013年6月10日、サンフランシスコでiOS7を世界初公開した。これは、「iPhoneにアップルの音声認識システム「Siri」で音声入力すると、車載器のモニターに「iOS専用画面」が対応」し、「ドライバーはハンドルを握ったまま電話、カーナビ、音楽、そしてiメッセージが使える」というものである。

 2013年8月、グーグルベンチャーは、「自動運転タクシー事業」を手掛ける目論見でか、Uber(「スマホのアプリによるハイヤーの配車サービスを行うベンチャー企業」)に2億5800万ドル投資した(桃田健史『アップル、グーグルが自動車産業を乗っとる日』30頁)。

  グーグル地図情報の蓄積 自動車の地図情報につては、@自動運転の基本はSLAM(Simultaneous Localization and Mapping)という自律型移動ロボットで使われている手法で、「周囲360度にある物体の位置や形状を把握できるレーザーレーダーによって3次元地図を作りながら自動車の位置を推定」し、「地図のない場所でも走行できる利点がある」が、「走行距離が長くなると、誤差が蓄積してしまうのが難点」であり、A第二は、「事前に作成しておいた正確な3次元地図をシステムに内蔵」して自動運転する方法だが、「この手法は、地図のない場所では使えない」という難点があり、B第三は、「現在のナビゲーションシステムでも使われているGPS(全地球測位システム)で現在位置を測定する方法」となり、現実には、「この3つの方式を組み合わせ、自車両の位置をなるべく精度よく推定することになる」(鶴原吉郎「自動運転」[『人工知能ビジネスーなぜGoogle、Facebookは人工知能に莫大な投資をするのか』日経BPムック、2015年10月、35頁])。

 2013年10月、ITS世界会議東京大会に出席したメッドフォード(グーグル自動運転部門の安全担当、元運輸省高速道路交通安全局副局長)は、「グーグルカーを4年以内に実用化する」とNHK記者に語った。「グーグルの公開資料によると、自動運転の基本は、4種類のデータ(@GPSでおおよその位置を測定し、Aグーグルマップとグーグルアースをもとに「画像処理のピカサを融合させ、地図データのベースを作」り、B「その上に、交通標識、信号機、路面の表示などのインフラ情報を打ち込んだデータを載せ」、C「さらに、dグーグルカーで収集した3Dマップを重ねる」)を重ね合わせ」、「位置精度」をあげることである(桃田健史『アップル、グーグルが自動車産業を乗っとる日』22−9頁)。グーグル自動運転の最大の強みは、こうした多彩な地図情報である。
 
 2013年、シボレー、ホンダ、アキュラは「Siriアイズフリー」を採用し、「iOS in the car」は「それをさらに進化」させた(桃田健史『アップル、グーグルが自動車産業を乗っとる日』23頁)。「アンドロイドとiOSでは設計思想が違う」が、車載器と連携する「iOS in the car」は「アップル自身がiPhoneの外にデータを取り出すために作ったシステム」であり、「アンドロイドに近い考え方を採用している」(桃田健史『アップル、グーグルが自動車産業を乗っとる日』24頁)。

 だが、グーグルは、その無人自動車が「すでに数十万キロを無事故で走破してい」(エリック・シュミット『第五の権力』36頁)るのみならず、地図情報能力ではアップルを遥かに凌駕しているのである。これが、グーグルの最大の強みである。2014年1月6日、グーグルが「携帯端末向けのOS『アンドロイド』を車載器に搭載」するため、GM、アウディ、ホンダ、ヒュンダイなどとOAA(Open automotive Alliance)を結成した。これはアップルのiOS7に対抗する動きであり、「グーグルとしては、自動車技術とITの融合において、まったく違う舞台でアップルよりリードすることを考えてい」て、「それが、自動運転技術で不可欠となる地図情報の完全制覇と”他に類のない位置情報解析法”」なのである(桃田健史『アップル、グーグルが自動車産業を乗っとる日』20−25頁)。

 日本の自動車メーカーの自動運転開発の基本は「車体に搭載したカメラで得たデータを・・車体搭載の回路で処理する」事だが、グーグルは、「あらかじめ町全体を3Dスキャンでデータ化しておいてナビゲーションに利用し、歩行者や自転車の飛び出しなど動的に変化する要素に関しては、車体単体の処理能力で対応する」(上原招宏・山路達也『アップル、グーグルが神になる日』138頁)のである。アップルや日本自動車メーカーとグーグルでは、地図の精度とスケールが比較にならないということだ。日本自動車メーカーは、こうした事への対応を含めて、「次世代の新産業と言われる自動運転のロボットカーを含めたサービスロボット産業を創出できなければ、・・欧米で決められた運用の仕方を受け入れるという愚を繰り返すことにな」る(本田幸夫『ロボット革命』48−9頁)。

 自動運転の普及時期 自動運転の展開段階については、@ 部分的な自動化(自動ブレーキ、車線逸脱防止装置などの単独機能)、A複合機能の搭載(自動ブレーキ、ハンドル操作の自動化など、複数の機能の組み合わせ」、B高度な自動化(人間操作は不要だが、最終的な責任はまだ人間にある段階)、C安全名自動化(人間操作は不要であり、最終的な責任は機械にある段階))に分けられる。現在は第1段階だが、2016−7年頃に第2段階、2020年頃に第3段階、2030年頃までに第4段階と見込まれる(鶴原吉郎「自動運転」[『人工知能ビジネスーなぜGoogle、Facebookは人工知能に莫大な投資をするのか』日経BPムック、2015年10月、34頁])。

 だが、一般的な自動運転の普及時期については各社多様であり、2017年頃(グーグル)、2020年頃(日産)、2010年代半ば(トヨタ)、2016−2020年(GM、フォルクスワーゲンの自動運転実験車両に部品供給しているコンチネンタル社)、2020年以降(日本の国土交通省「オートパイロットシステムに関する研究会」)と幾つかの見解が提出されている。

 2007年のiPhone登場直後から、「『コネクテッド・カー』という言葉が流行りだし」、2010年頃からスマートフォンが「カーナビを主体とした車載器」にとって代わろうとしていた(桃田健史『アップル、グーグルが自動車産業を乗っとる日』162頁)。「高速道路での自動運転をする場合、衛星測位、路車間通信、そして車庫間通信によって、自車の近くを走行する自動運転車両の数台が、まるで列車が連結したような状態にな」り、「単独走行するよりも、車両列全体としての空気抵抗が減り、燃費または電費が向上する」(桃田健史『アップル、グーグルが自動車産業を乗っとる日』184頁)というのである。

                                   C 組織改正

                           (a) 持ち株会社「アルファベット」設立
 

 2013年頃から、「20%ルールの形骸化が語られるようにな」り、「自由な発想でトライ&エラーを繰り返しながら成長してきたグーグルの姿は既に過去のものとなっており、盤石さ、確実さがより求められるようにな」っていたとも言われだしたのである。そこで、「グーグルからの実験的なプロジェクトの切り離しを行い、エンジニアが再び、自由な発想で新たなアイデアを試す場を用意」し、「グーグルのイノベーションの方法を再現する最良の方法」を着手することが不可避となっていたのである(松村 太郎「グーグルは「アルファベット化」でこう変わるーエンジニアの「自由の王国」を守れるか」[「東洋経済オンライン」2015年8月12日配信])。

 2014年、こうした組織上の問題が反映したのか、5月にアンドリュー・エンがグーグルと袂を分かち、中国「百度(Baidu)」がシリコンバレーに新設したAI研究所の初代所長に就任し、7月グーグルXで「Google Glass」等を開発してきたババク・パービズ(Babak Parviz)氏がアマゾンに移籍し、9月にGoogle Xの副社長ミーガン・スミス(Megan Smith)氏がグーグルを退社して、オバマ政権の最高技術責任者に就任し、同じ9月にセバスチャン・スランが辞任し、10月にはグーグルで次世代ロボットの開発プロジェクトを指揮してきたアンディ・ルービン(Andy Rubin)が退社した(小林 雅一「続々と流出:その背景にあるのは何か?」2014年11月28日『現代ビジネス』)。彼らが各所に「グーグル脳」を広めだし、グーグル内に新たな人材が登場して、グーグルAI研究者の新陳代謝がなされたとも言えようが、グーグルで人工知能研究に触発された組織上の変動が起こっていることはあきらかだ。前述のように、2014年10月には、グーグルは年第3四半期の決算では売上が予想を下回ってしまったことを公表したことも一定度影響していたであろう。

 2015年には、インターネット事業の「全方位」展開はかなり陰りを見せ始め、グーグルはもはや従来の蓄積方式に限界を覚えていた。つまり、「インターネットは、イノベーションの最も変化率の高い領域ではなくな」り、「インターネットが空気のよう」になり、「After Internet」の時代に完全に移行したことを象徴し」、「インターネットの次のイノベーションへのチャレンジ」(松村 太郎「グーグルは「アルファベット化」でこう変わるーエンジニアの「自由の王国」を守れるか」)が求められていた。グーグルの本業(検索機能を中心とした広告ビジネス、および検索用の巨大データセンター群を持つことから生み出したクラウドを活用した事業)は、「これから5年、10年と順調に拡大していくシナリオを描きにくくなっていた」(本田 雅一「なぜグーグルは「アルファベット」になるのかー過去の成功が革新の邪魔になっていた」[「東洋経済オンライン」2015年8月11日配信])のである。

 ここに、2015年8月10日には、グーグルは、持ち株会社「アルファベット」を新たに設立し、検索事業などを新会社の傘下に収めるという大変革を断行したのである。ラリー・ペイジ最高経営責任者(CEO)が新会社アルファベットCEOとなり、グループ内で最大部門のグーグルCEOには上級副社長サンダー・ピチャイ(Sundar Pichai)が就任し、また、グーグル共同創業者ブリンがアルファベット社長、グーグル会長のエリック・シュミット(Eric Emerson Schmidt)がアルファベット会長となった。

 ペイジ書簡によると、「投資部門のGoogle VenturesやGoogle Capital、先端技術開発部門である X Labs、ドローン物流のWing、健康・医療技術のLife Science、分子生物学を研究するCalicoが、グーグルと並列のAlphabet傘下の企業」となり、グーグルは、「Androidの普及によるモバイル・インターネット世界の構築と、Chromeによるブラウザやデバイスからのインターネット・アクセス環境の整備、IoT(Internet of Things)分野への進出、人工知能や機械学習を生かし、インターネットをライフスタイルの細部にまでもたらす環境作りに取り組」み、「Apps(メール、予定表、ホームページ、ファイル共有、文書作成など、クラウド型グループウェア )などのビジネスプラットホームや、収益源となる広告事業は、変革が求められる分野にもなっていた」(松村 太郎「グーグルは「アルファベット化」でこう変わるーエンジニアの「自由の王国」を守れるか」)のである。こうして、弛緩し停滞したインターネット事業の諸方面の立て直しが図られたのである。

 同時に、ペイジCEOはブログで「新たな組織構造により、われわれはグーグルが内包する途方もない機会に焦点を合わせ続けられる」と述べた事が注目される(2015年8月10日付ロイター配信)。この「途方もない機会」とは、人工知能の動向と関わりがあるとするならば、人工知能の展開が、グーグルの大幅な組織改正を方向づけることにもなっていたことが再確認されよう。そして、ペイジは、Alphabetの意味について、「投資における期待以上のリターンを意味する『アルファ』と、賭を意味する『ベット』だ」(松村 太郎「グーグルは「アルファベット化」でこう変わるーエンジニアの「自由の王国」を守れるか」)と説明しているように、明らかに人工知能事業で収益基盤を確立し、起死回生を目指したのである。

 この様に、アルファベットに集約された多角的企業体に焦点を与え、新たな刺激をあたえるものこそ、人工知能であったのであろう。

                                     (b) AIの検索部門掌握 

 2016年2月には、グーグルは、上記AlphaGoによる勝利に「触発」されてか、検索事業を統括していたアミット・シンガル(Amit Singhal)を退職させ、後任にグーグルでAIを担当するジョン・ジアナンドレア(John Giannandrea)を登用した。グーグルの最高経営責任者(CEO)サンダー・ピチャイは、「自然言語処理、コンピュータビジョン、Knowledge Graphなどの分野における長年にわたる取り組み」で「検索とモバイルの向上にはこれまでかなり力を入れて取り組んでき」たが、「次なる波は、機械学習や人工知能の大きな進歩によってもたらされるだろう。われわれはこの分野で業界をリードしていると自負している」(「グーグル検索の責任者A・シンガル氏が退職を発表--後任は人工知能分野の責任者」CNET Japan、2016年2月14日配信)と、人工知能面で競争優位に立つ事の「自負」を正直に表明した。

 これは、グーグル本丸の検索部門にAIが深く進出して来たということを明瞭に意味する。グーグルは、当初は検索機能を向上させ、さらには行き詰まりつつあったインターネット諸事業の起死回生を目指して、当初から着目していた人工知能に深く接近しだしたが、人工知能の「魔力」に取り込まれてしまったかである。グーグルは、全社あげて今後の方向の焦点をますますAIに絞り込み始めたのである。

 AIが囲碁で勝利しているレベルでは、AI[は何ら危険ではない。この限りでは、「非公式な社是である『邪悪になるな(Don't Be Evil)』からも明らかなように、グーグルは道徳的に正しくありたいと常に公言してきた」とは矛盾しない。だが、「同社のテクノロジーがもたらす結果がプライバシーと財産権を侵害する可能性に関しては、完全に盲点にな」り、かつ「ユーザーに奉仕するために計画していた巨大な人工知能による知識集積活動が、私たちの生活や生き方そのものに予測不可能な結果をもたらすという矛盾が表面化しつつあ」(スティーブン・レヴィ、伊達志ら訳『グーグル ネット覇者の真実』17頁)るとすれば、それは大きな問題となる。AI一般の危険性については、項を改めて、後に述べることにしよう。


                                     4 AIロボットでの全世界制覇企図
                                        
                                      @ ロボット会社買収 

 既に2011年頃から、グーグルは、こうしたAIをロボットに搭載しようとする。

 米国での次世代ロボット開発 2011年、グーグルやアマゾンのロビー活動で、5億ドルの連邦予算で、「オバマ大統領の肝いりで『先端製造業パートナーシップ』という産官学の共同プロジェクトを立ち上げ、ここでAIを搭載するなど最先端の技術を駆使した次世代ロボットを開発することが決ま」った(小林雅一『AIの衝撃ー人口知能は人類の敵か』209頁)。

 2011年、グーグルは、開発者向けイベントで、ウィローガレージ社と共同で、「単体でマイコン等の限られた性能のCPUや処理装置で動作していた」旧来ロボットとは異なり、「ロボットがネットワークに接続して連携」し、「高速な演算が必要な処理や膨大な情報データベース機能はネットワークのクラウド上で処理することができるようにな」るとして、クラウド・ロボティクスという概念を発表した。クラウド側は、「スーパーコンピュータ並みのシステムに接続して利用したり、膨大なビッグデータにアクセスして情報を処理、或いは解析することも可能」となり、「ロボット単体部分とクラウドを利用する部分を切り分け、通信して効率的に連携することで、ロボット単体を小さくしたり、シンプルにしたり」、「バッテリーの消費量を抑え」事が可能になる(神埼洋治『Pepperの衝撃! パーソナルロボットが変える社会とビジネス 』日経BP社、2015年5月、25−6頁)。

 この2011年イベントでは、日本の「アンドロイドOSで動作・開発できる」「ロボット開発・販売企業のアールティ」が紹介された。アールティは、アンドロイド端末に接続する「技術仕様」に基づき、「周辺機器を開発するためのボードセットADK(Accesorry Development Kit)」を発表した(26−7頁)。そして、同社はAndoroidスマートフォンで同社ロボット「RIC90」を操作実演を行なった(神埼洋治『Pepperの衝撃! パーソナルロボットが変える社会とビジネス 』27頁)。

 こうした米国の動向に対抗して、このままでは「製造業まで米IT企業に乗っ取られてしまう」(小林雅一『AIの衝撃ー人口知能は人類の敵か』214頁)と懸念して、ドイツでは「『インダストリー4・0』と呼ばれる産業改革プロジェクトが産官学の共同で進め」られ(小林雅一『AIの衝撃ー人口知能は人類の敵か』211頁)、SPRACという次世代ロボットを開発しようとしている(小林雅一『AIの衝撃ー人口知能は人類の敵か』216頁)。これは、「工場の生産設備や物流の現場などをインターネットデ結び、AIで自動管理することにより、製造業の生産性や効率性、柔軟性などを飛躍的に高めようとする試み」であり、ドイツ政府はこれを第四次産業革命ととらえ、大企業(シーメンス、VWなど)・大学・研究機関を結集させている(小林雅一『AIの衝撃ー人口知能は人類の敵か』211頁)。

 これに対して、米国のGEは、2012年、「インダストリアル・インターネット」と標榜して、「第四次産業革命の世界標準を握」ろうとする(小林雅一『AIの衝撃ー人口知能は人類の敵か』215頁)。

 グーグルのロボット企業買収 こうしたクラウド・ロボティクスという最新動向を踏まえて、グーグルは資金力に物を言わせてロボット製造企業を買いあさる挙に出た。グーグルが「ロボットカー開発に乗り出した動機」については、@「資金が潤沢にあるために、税金を取られくらいならる投資する方が得」であるとした事、AIoTと呼ばれる「IT技術が実世界の人間に関係する時のインターフェイスとして、ロボットは投資する価値のある選択肢の一つだという判断がある」事(本田幸夫『ロボット革命』祥伝社、2014年、21−2頁)という意見もある。だが、IT技術というより、AI技術との関連の方が強かったというべきであろうし、「ロボット産業が今後の社会を変革するキーになると考えている」(神崎洋治『Pepperの衝撃! パーソナルロボットが変える社会とビジネス 』33頁)という先見の明があったというべきであろう。

 グーグルのロボット製造企業の買収時期は、2013年12月に集中していた。つまり、2013年12月2日に、まずSCHAFTを買収したが、ここは、「蹴られてもコケない2本足ロボット」の研究開発・製造・販売を行っていた(小林雅一『AIの衝撃ー人口知能は人類の敵か』142−3頁)。東大助教の中西雄飛・浦田順一が、「ロボット開発の資金調達のため、日本国内のロボット関連のベンチャー投資会社を回った」が、「十分な資金を得ることができ」なかった。そこで、彼らは、DARPAの競技会に出て開発資金を確保しようとし、2012年東京大学情報理工学系研究科・情報システム工学研究室(JSK)から独立して、このSHAFTを設立し、競技会向けロボットを製造した。2013年12月2日にその性能を知ったグーグルに買収され、その3週間後の2013年12月ダーパ競技会(4カ国、16チーム参加)で優勝した(神崎洋治『Pepperの衝撃! パーソナルロボットが変える社会とビジネス 』日経BP社、2015年5月、32頁)。

 12月3日にIはndustrial Perception(3Dカメラを搭載し、梱包や運搬を行う業務用ロボット・アームを開発)、12月4日にRedwood Robotics(ロボット開発会社のWillow Garageや上記のMeka Roboticsとともにロボットアームを開発している企業)、12月5日にMeka Robotics(愛嬌のある顔や手足を持ち、人間とコミュニケーションできるヒト型ロボット「M1 Mobile Manipulator」を開発している企業)、12月6日にHolomni(産業用パワーキャスターを開発)、12月7日にBot&Dolly(「ロボット・アームを活用した高度な映像技術を有する会社」で、映画「ゼロ・グラビティ」の撮影で使われたロボットカメラを開発)、12月10日にBoston Dynamicsを次々と買収したのである(小林雅一『AIの衝撃ー人口知能は人類の敵か』142−3頁、本田幸夫『ロボット革命 なぜグーグルとアマゾンが投資するのか』17−8頁、山口平八郎「日本のベンチャーも買収、ロボット産業へ参入したGoogleの真意」[2014年4月8日『日経コンピューター』デジタル]など)。

 最後のBoston Dynamics社は、「軍事物資等を運搬する目的」で「Darpaが出資して開発した犬型4足歩行の輸送用ロボット」「BigDog」を製造する軍需企業である。この「動力はガソリンエンジンで2ストローク単気筒、約15馬力」である。また、同社は、時速45kmという高速で走るCheetahやWildcatや、小型犬型ロボットSpotも製造していた(神崎洋治『Pepperの衝撃! パーソナルロボットが変える社会とビジネス 』34−5頁)。

 こうしたロボット企業の基本ソフトはウィロウガラージ社製の「ロボット用の基本ソフトROS」である。同社はこれを「業界標準OS」として無料提供し、ペッパーもこの恩恵を受けた。このウィロウガラージ社は、グーグルと同じスタンフォード大学出身者スコット・ハッサン(Scott Hassan)が設立した企業であり(2013年頃から人員・業務の大半を4組織に移管)、ハッサンは、「スタンフォード大学博士課程在学中にグーグルの創設に協力」していたのであり、上記のインダストリアル・パーセプション社、レッドウッド・ロボティクス社、メカ・ロボティクス社は「ウィロー・ガレージのスピンオフ(独立分社化)や投資先」でもあったのである(2014年2月24日付Robonews.net)。このように同社はグーグルとは緊密なのであり、グーグルはOSRF(オープン・ソース・ロボティクス財団、ウィロウガラージから権利を引き継いだROSの普及・配布活動に従事)に「強い影響力」をもっているのである。2014年正月に同社はクリーンパス・ロボティックス社に保守・点検業務を移譲するが(Willow GarageのHP)、以後も、グーグルは、「ウィロウガラージの意志を引き継いで、次世代ロボットの基本ソフトを開発・普及させて、新たなロボット産業の主導権を取りにいく」と推定されている(小林雅一『AIの衝撃ー人口知能は人類の敵か』141−2頁、影木准子「世界が注目する異色のロボット・ベンチャー、米ウィロー・ガレージ」[2010年12月2日WSJ.COM])。

 この様なロボット・メーカー買収で、「ロボットにグーグル自身が得意とする『AI(人工知能)』を搭載し、外界を認識して器用に動いたり、人とコミュニケーションできる次世代ロボットを実現しようと」するのである(小林雅一『AIの衝撃ー人口知能は人類の敵か』137頁)。グーグルは、ロボット開発企業を買収し、AIとロボットの連繋構築に踏み出したのである。

 また、グーグルは、これら買収企業からのみならず、優秀なロボット工学者も招聘した。例えば、グーグルは、産業技術総合研究所のロボット研究者加賀美聡を引き抜いた。当時の産総研のロボット技術は、「日本のヒューマノイド研究の第一人者だった早稲田大学の故加藤一郎教授の技術や、ホンダのヒューマノイドの技術も結集されたオールジャパンの技術の結集」拠点だった(本田幸夫『ロボット革命』20−1頁)。

 グーグルが目指すロボットは、産業用ロボットと区別して、サービス・ロボット(IFR[国際ロボット連盟]によれば、民需用では医療・介護用ロボットや農産物収穫用ロボット、軍需用では無人航空機や無人戦車・潜水艦などがこれにあたる)と呼ばれる(小林雅一『AIの衝撃ー人口知能は人類の敵か』144頁)。グーグルは、一般の企業・消費者に、「遠隔地での会議などに出席する代理ロボット(テレプレゼンス・ロボット)」、「床掃除や窓掃除、芝刈りなどを行う家庭用ロボット」、「クリーニング店で洗濯物をたたむような業務用ロボット」、「家族のライフスタイルに合わせて室内の温度や湿度を自動的に調節するスマートホーム(次述)、さらには教育・娯楽用のロボット」など広汎なサービス・ロボットを提供しようとする(小林雅一『AIの衝撃ー人口知能は人類の敵か』144−5頁)。

 これに関しては、エリックは、こうしたサービス・ロボットのうち、「一般消費者向け家庭用ロボットの草分けである、アイロボット社の自動掃除ロボット『ルンバ』(2002年発売開始)で使われている技術」を評価しつつ、「今一番おもしろい仕事は、人間の身振りを理解して、動作で返事をする『ソーシャルロボット』の開発」であり、「たとえば子どもが身振りで命令すると、『おすわり』をする、おもちゃの犬などが開発されている」事であり、「遠い将来には、体を動かさずにロボットを操作できるようになるかもしれ」ず、「ここ数年間の「思考制御動作技術」(頭で考えるだけで動作を指示できる技術)の飛躍的発展があり、「2012年には日本のロボット工学の研究チームが、『MR』装置(脳を継続的にスキャンして、脳内の血流の変化を計測する装置)に入った被験者が、自分の体のいろいろな部位を動かしているところを想像するだけで、数百キロ離れたロボットを動かす実験に成功した」(エリック・シュミット『第五の権力』25頁)としている。グーグルは、「「思考制御動作技術を使って、離れた場所にいるロボットのような『身代わり』だけでなく、義肢を動かせるようになれば(これを指示するのが人工知能であろう)、脊髄損傷患者や四肢切断者など体の不自由な人や意思疎通ができない人に」、有用な可能性をもたらすAIロボットに強い関心を示していた(エリック・シュミット『第五の権力』24−5頁)。


 グーグルは、こうした次世代ロボットをまず自動車、電機などの製造業に投入し、次いで「倉庫、物流、宅配など人手不足の深刻な作業現場に投入し、最終的には製品の製造から配送までサプライチェーン全域を、AIロボットで制覇する目論見」(小林雅一『AIの衝撃ー人口知能は人類の敵か』154頁)だとされている。


                                        A ネスト買収 

 ホームケア・ロボット企業 ネスト(Nest)は、単なるロボット企業というより、ホームケア・ロボット企業である。ネストは、家全体の温度調節管理装置( 住宅冷暖房を自動制御する人工知能搭載のスマート・サーモスタット)やスマート火災報知器などを扱うスマートホーム関連の会社である。エレクトロニクスの分野では、昔から多くの企業が『ホームオートメーション』に取り組」み、「ユーザーが置かれた環境を電子機器が把握して、自律的に環境を整備してくれる仕組み」が構想されていた(上原招宏・山路達也『アップル、グーグルが神になる日』73頁)。

 だから、「ホームオートメーションに必要な技術は、10年以上前にほとんど揃ってい」たが、「すべての機器からのデータを集約し、つながった機器を制御するための中央集権的な仕組みと、参加するプレイヤーに利益をもたらすエコシステムを築けなかったこと」がホームオートメーションやIoTが生まれなかった理由となった(上原招宏・山路達也『アップル、グーグルが神になる日』77頁)。しかし、2014年から、アップル、グーグルによって、「ホームオートメーションの分野が大きく動き出」すのである(上原招宏・山路達也『アップル、グーグルが神になる日』78頁)。

 グーグルのネスト買収 2014年1月、グーグルは、このNestを32億ドルで買収した。この買収金額は、特許権込みで125億ドルで買収したMotorolaを除いて、DoubleClick(31億ドル)、You Tube(16億5千万ドル)より多い最高の買収金額であった。この買収にはそれだけの価値があるということだ。

 グーグルは、このネストを傘下におさめて、ネストの販売しているサーモスタット(自動温度調節装置)の『ネスト』や煙探知機『プロテクト』をハブとして「各種家電や自動車と連携していくことを目指してい」くのである(上原招宏・山路達也『アップル、グーグルが神になる日』79頁)。ネスト共同創業者のトニー・ファデル(Tony Fadell)とマット・ロジャーズ(Matt Rogers)は、ネスト起業以前はAppleのi初代iPodの開発、初期のiPhoneデザインにも関与していた人物であり、特に前者はペイジが深い信頼を抱いていた人物である。

 このファデルは、「ジョブズ第二期のアップルで最初の注目株」であり、「32歳のときに、彼向きの秘密プロジェクトがあると言われてあっさりとアップルに入社し、4年後にはiPod部門を率いる指折りの実力者にな」り、「2006年秋には、iPodはアップルの190億ドルの収入の40%を稼ぎ、70%を超える市場シェアは盤石に見え」、まさにアップルに大きな功績をもたらしていた(フレッド・ボーゲルスタイン『アップルVS.グーグル』98−9頁)。

 従って、グーグルはネスト買収で、アップル上級技術者も同時に獲得したことになるのである。グーグルがアルファベット組織再編以前からNestに特別の独立性の維持を許していたのは、ネストが今後パーソナルロボット(ホームケアロボット)を普及させるための足がかりとなるのみならず、ネストにグーグルのIoT戦略(Android OSのIoT版など)にとってリーダーシップをとれるトニー・ファデルらがいたからである。グーグルにとって、Nestが、「つながった家庭用ハードウェアの統合システムを作っているだけでなく、Nestは相互運用性を中心に据え、初期バージョンでは、iOS(アップル開発のプラットフォーム)またはAndroidスマートフォンで制御するアプリと、よく整備された直販および小売販売チャネル、および誠意に満ちたサポートによってそれを実現してきた」点で、非常に魅力的だったということである(Ingrid Lunden「Nestの買収は、Googleが未来のハードウェアへ向う幸先よいスタート」[2014年1月14日付TechCrunch Japan配信])。多くのメディアが言うように、「Nest買収によってGoogleはスマートホーム市場参入に必要なソフトウェアとハードウェアを得られる」(「ポストスマートフォン時代の幕開けか? GoogleのNest買収」[2014年1月20日付「Infostand海外ITトピックス」配信])という大きなメリットを得たのである。

 さらに、家庭とつなぐチャンネルに人工知能が応用できれば、一層魅力的になろう。「家につながったインターネットから入ってくる、ユーザー(つまり家族全員)の日々の暮らしぶりに関する情報を、アップルの手から奪い取った感があ」(小林雅一『AIの衝撃ー人口知能は人類の敵か』19頁)るとも言われる。まさに、ネスト社は、「『スマートホーム』、つまり家屋にAIを搭載してロボット化し、家族のライフスタイルに合わせた気温・温度調整などをする技術を提供する会社」(小林雅一『AIの衝撃ー人口知能は人類の敵か』156−7頁)だったのである。

 実際、Nestと人工知能の関係については、Venture Beat(米テックメディア)が、「Googleがその約束(Nestが「収集した顧客情報をNestの製品とサービス改善のためにのみ利用するように制限され」るという約束)を維持すると期待するのは、近視眼的だ」として、「Nestのデータを得たGoogleがこれらデータを活用することで、もっとスマートな広告配信が可能にな」り、さらには、「収集したデータにGoogleの中核であるAI(人工知能)を応用することで、『得られたデータに応じて自動的に行動をとるソフトウェアを構築できる』と広い可能性をみる」のである(「ポストスマートフォン時代の幕開けか?GoogleのNest買収」)。

 こうして、グーグルは、Nestのもつ家庭用ハードウェアの統合システムや諸データに基づくソフトウェアの構築などに人工知能を応用し、家庭そのものをロボット化しようとするのである。

 アップルの対抗 一方、アップルは、「独自のiOSを搭載したスマートフォンやタブレットを1年で数億台売りさば」き、ホームキットを推進しようとする。「アップルが定めたガイドラインに従ったホームキット対応機器を、iPhoneやiPadといったiOS搭載デバイスとBLEやWiFi経由で連携させることができ」るのである(上原招宏・山路達也『アップル、グーグルが神になる日』78頁)。

 以上の双方の仕組みは、「自社のクラウド上に対応機器からのデータを集約して、一元管理する点ではよく似てい」るが、「機器やアプリと、クラウドとの間でデータをやり取りする部分」は異なる。アップルのホームキットでは、「アクセスできるのは、iOSデバイスか、ホームキットの認証を取得した機器に限られ」「閉鎖的」だが、グーグルのネストでは「API(外部の機器やプログラムから機能を呼び出すための仕組み)が公開されており、開発者は機器に対応したウェブサービスを作りやすくなっ」ているのである(上原招宏・山路達也『アップル、グーグルが神になる日』79頁)。


                                         B ビッグデータ収集 

 クラウド型AI グーグルのみならず、アップル、アマゾンは、「ロボットとインターネットを通じて、いわゆる『ビッグデータ』を収集」することを目的としている。これら次世代ロボットの多くは「クラウド型のAI」であり、「ロボットの頭脳となるAIは、遠く離れた場所にあるデータセンターに置かれてい」て、「ロボットにはビデオカメラをはじめ各種センサーが搭載」され、インターネットでクラウドAIと結ばれている(小林雅一『AIの衝撃ー人口知能は人類の敵か』157頁)。

 このクラウドAIは、機械学習能力で「ロボットを賢くするためでなく」、「ビッグデータを解析して企業の経営判断すること」(工場生産性、倉庫稼働率の向上など)にも応用できる。グーグルらにとり、「次世代ロボットとは実はユーザーとの間で情報をやり取りする『次世代の情報端末』」である。こうした情報収集で、グーグルらIT企業は「産業各界の企業に対し、極めて優位な立場に立てるはず」となる。

 さらに、一般消費者に対しても、グーグルらは、「家事ロボットや自動運転車、さらにはウェラブル端末などからインターネット経由で入ってくる家庭や個人に関する情報を、クラウド型の機械学習技術で解析することによって、個々の消費者に向けたターゲッティング広告の精度を高めたり、新たな製品やサービスの開発に結び付けるのが、彼らIT企業の最終目標」である(小林雅一『AIの衝撃ー人口知能は人類の敵か』158−9頁)。

 音声エージェントロボット スマートフォンのiPhoneのSiriやGoogle Nowなども、こうした情報収集手段の一つでもある。

 これらは、「スマートフォンに問いかけたり映像を見せたりするとAI(人工知能)技術によって受け答えをする機能」をもつ、音声エージェントロボットだともいえる(本田幸夫『ロボット革命 なぜグーグルとアマゾンが投資するのか』祥伝社、2014年、5−6頁)。

 もともと、アップルは、「グーグルからモバイル・インターネットの主導権を奪」い、ユーザー情報がグーグルに流れることを阻止するか、「ビッグデータの流れを制御」したいと考えて、Siri(音声アシスタント機能)を導入した(小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』朝日新書、2013年、28−30頁)。これに対応して、グーグルがGoogle Nowを導入したのである。だから、iPhoneのSiriやGoogle Nowは、アップル、グーグル間の情報収集競争の一環でもあったのである。

 なお、アイフォンSiriについては、「AIがスマートフォンのようなコンシューマ製品に実装され、それなりの成功を収めた初のケース」だが、「複雑な操作には間違った答えを返すことがよくあ」り、「ユーモラスな掛け合いを繰り広げるSiriの会話能力にしても、『あんなものは本当のAIではない』と手厳しく批判する専門家もいる」のであった(小林雅一『クラウドからAIへ―アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場』朝日新書、2013年、25頁)。

 世界の情報掌握 こうして、グーグルらIT企業は、「情報端末としての次世代ロボット」によって「あらゆる業界の企業や一般消費者について深く理解し、彼らを内側から支配」しようとしている(小林雅一『AIの衝撃ー人口知能は人類の敵か』159頁)。

 つまり、グーグルは、「モバイルOS『アンドロイド』で、世界の携帯端末メーカーや通信キャリアに対し主導権を握ったのと同じ」ように、「自動車運転を嚆矢とする次世代ロボット用のAI型OS(基本ソフト)を押さえ」、さらに「AI・ロボット分野」で主導権を握って、「今度は携帯産業だけでは済」まず、日本のみならず世界の全産業を支配下に入れてしまおうとしているかである。グーグルは、「始まったばかりのAI・ロボット革命において」、全世界を「今から米IT企業の下請け」に編入しようとしているかなのである(小林雅一『AIの衝撃ー人口知能は人類の敵か』179−180頁)。




                            World  Academic  Institute
        自然社会と富社会           世界学問研究所の公式HP                 富と権力      
               Copyright(C) All Rights Reserved. Never reproduce or replicate without written permission.